表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
147/173

26.関ヶ原の大戦陣

「これにて完成とする」


 道満が呟くと同時に、夜明け前の空から雨が降り始めた。関ヶ原の大地に刻まれた巨大な五芒星が、雨に濡れて不気味に浮かび上がる。

 桃配山から昇る朝日は雨雲に阻まれ、陰陽師たちと異形の羅刹天愚を薄暗く照らすのみだった。


「あの娘は関ヶ原にやって来るでしょうか」

「必ず来る」


 尋ねた晴明に道満は答えると、桃配山の方角から徳川の葵御紋を掲げた軍旗がかすかに見え始めた。


「家康め、儀式は正午だと伝えたのに気の早いやつだ……晴明、角を隠すぞ」

「かしこまりました──オン」


 道満は煙雨の中に見える1万を超える徳川の軍勢を見ながら言うと、晴明は片合掌しながら〈黄金の錫杖〉を振るって"呪力の膜"を道満と自身に被せた。

 "呪力の膜"は陰陽師の全身を覆うように貼りつくと、鬼の角と鬼の瞳、そして呪毒腕が幻影によって隠され、八天鬼人から常人と変わらぬ姿に擬態した。


「晴明よ、天海殿はどうする?」

「……そうですね」


 道満の言葉を受けた晴明が、四枚の大翼と垂れ下がった天狗の長鼻を持つ羅刹天愚の異様を見定めた。


「"南蛮渡来の珍鳥"……これで通しましょう」

「クェエエッ!」


 晴明が言うと、羅刹天愚は灰色の大翼を広げ、耳障りな鳴き声を放った。

 徳川の軍旗が雨霧の向こうに現れると、白馬に跨った家康が陰陽師の前に到着する。


「雲行きが怪しかったゆえ、一足早く岡崎城を発ったのだが、早かったかのう?」 


 晴明と道満が拱手しながら出迎えると、家康は白馬から降りながら告げた。


「そんなことはございませぬ。こちらも儀式の準備は整っておりますゆえ。さっそく布陣を始ることにいたしましょう」


 晴明は冷たい笑みを浮かべながら答えると、関ヶ原の平野に描かれた巨大な五芒星を見た家康は手にした扇子で顔を扇いだ。


「うむ。徳川幕府による天下泰平を祈願した陰陽の御業──"大戦陣の儀"、期待しておるぞ……して、天海殿に挨拶をしたいのだが、どちらであろう」

「ギュヨェエエ!」


 家康があたりを見回しながら尋ねると、陰陽師の後ろに立つ羅刹天愚が奇声を発し、それを制するように道満が一歩前に出た。


「天海殿は高野山へと向かわれました。関ヶ原と高野山……この二拠点にて、祈りを捧げることが"大戦陣の儀"の肝要なのでございます」

「ほう、なるほどのう! いや、陰陽に無知なわしが要らぬ口出しをしてしまったな」


 道満の言葉を受けて納得した家康は引き下がると、道満は不敵な笑みを浮かべながら晴明と視線を交わし合った。


「ええ、万事我らにお任せあれ──さぁ、用意していただいた1万の兵を動かしましょう。まずは2000人ずつ、五列に別れていただき──」

「──殿、お待ちくだされッ!」


 突如響いた女性の声に、全員が振り返る。本多の軍旗を掲げた一団を率い、濃緑色の鎧に身を包んだ女武者が駆けつけてきた。


「小松姫……!?」


 家康が声を上げると、道満は晴明に小声で尋ねた。


「……誰だ?」

「……忠勝の娘ですよ」


 顔を寄せ合いながら言葉を交わしていると、小松姫は陰陽師を睨みつけた。


「──この者たちは"邪ノ者"にございます! その証拠にこちらをご覧くださいませ!」


 小松姫は訴えるように言うと、手にしていた長槍を家康に掲げて見せた。


「父・本多忠勝の〈蜻蛉切〉にございます! 天海上人の屋敷にて発見されました!」

「……なんと」


 行方不明になった忠勝の捜索命令を出していた家康が驚きの声を漏らすと、周囲の目が一斉に晴明と道満に向けられた。


「答えてみせよ、怪しき陰陽師どもッ! 父上はどこだッ! 天海上人をどこへやったッ!」


 小松姫は眼光鋭く晴明と道満を睨みつけて詰問すると、背後に立つ羅刹天愚の異様を見やって眉をひそめた。


「なんだ、この気味の悪い怪鳥は!? このようなバケモノを連れ回している時点で、そなたらが真っ当な陰陽師でないことは明白であろうッ!」

「……キュゥウウ」


 小松姫の辛辣な言葉を受けた羅刹天愚が悲しげな鳴き声を漏らして黄色い瞳を伏せると、晴明は羅刹天愚を慰めるように撫でた。


「突然現れるなりわめき散らして……忠勝殿にはずいぶんと礼儀のなっていない娘がいたものですね」


 晴明は小馬鹿にしたように言うと、呪術で擬態した黒い瞳で睨み返した。


「一つお尋ねしたい……貴女は、日ノ本からお出になられた経験がお有りですか?」

「……何を」

「ないでしょうね。武芸が達者とはいえ、本多家の大事な箱入り娘……所詮は世間知らずのお嬢様です。いいですか? 世の中には貴女の知り得ぬことが五万とあるのですよ。この"南蛮渡来の珍鳥"もその一つ」


 晴明は睨んでくる小松姫と突き合わせた視線を淡く紫光させる。


「っ、ふざけるな! "南蛮"であろうとなかろうと、このようなバケモノが日ノ本の地にいてたまるか!」


 晴明はさりげなく〈黄金の錫杖〉を揺らして金輪をチリンと鳴らすと、視線を結んでいた小松姫の意識を強制的に閉じた。


「……うっ」


 小さくうめき声を漏らした小松姫はグルンと白目を剥くと、両手で構えていた〈蜻蛉切〉を落とし、雨に濡れた地面に倒れ込んだ。

 その光景を目にした本多の家臣が慌てて小松姫のもとに駆け寄ると、泥にまみれた上体を抱き起こして懸命に声をかける。


「おやおや、張り詰めていた"気の糸"が切れてしまわれましたか……お労しや。さぞや気苦労なさっておられたのでしょうな……とはいえ、見ず知らずの私どもに難癖をつけるとは、困ったものです」

「まったくだ。そもそもこの"大戦陣の儀"で、いったい我らに何の悪さができるというのだ──なぁ……"南蛮"?」

「クェエエッ!」


 晴明に同意した道満が羅刹天愚に呼びかける。羅刹天愚は四枚の大翼を広げ、長い鼻をふるわせながら雨雲に向かって奇声を発した。


「家康公。雨脚が強まる前に、"大戦陣の儀"を執り行いましょう」

「……うむ」


 晴明に促された家康は、介抱される小松姫の姿を横目に見ながら小さく頷いて返した。

 陣幕の前に用意された椅子に腰を下ろした家康は、いやな蒸し暑さの中で手にした扇子をせわしなく動かす。

 "大戦陣"が完成へと近づく様子を眺めていたとき、伝令兵が駆け寄ってきて、面前でひざまずいてから顔を上げた。


「殿! 南方より桃姫殿と五郎八姫殿が! 妖怪らしき者たちも一緒でございます!」

「なんじゃと!?」


 家康は椅子を蹴るように立ち上がった。松尾山の方角を見やると、確かに白馬と黒馬に騎乗して疾駆するふたりの女武者の姿があった。


「……いったい何事じゃ」


 遠目にもわかる桃姫の憤怒の表情に家康は慌てて白馬にまたがると、陣頭指揮を取っている陰陽師のもとに駆け寄った。


「晴ノ者、道ノ者! 桃姫殿がきおった! それも、相当に怒っておる!」

「……きたか」


 迫り来る桃姫の姿を確認して道満が呟いた。


「……家康公、なにか心当たりでもお有りで?」

「わしゃなにも知らん! おぬしらがなにかしたのではないか!?」

「ふっ、どちらでも構いませんよ」


 道満の言葉に家康は必死に言い返した。そのひどく焦った顔を鼻で笑った晴明が告げると、桃姫一行を待ち構えるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ