24.傀儡操鬼
一言主が息を呑んだ瞬間、極光の中から見事な赤い大虎と巨大な緑龍とがその威容を顕した。
「一言主よ」
「これにて決着」
太陽を背にした赤虎と緑龍が、道満と晴明の声でそう告げる。一言主は仮面の下で弱々しく呟いた。
「やってられるか」
不利な状況に苛立ちを覚えた一言主は、素早く身体をひるがえしながら漆黒の大翼で大気を叩き、飛翔を開始する。
「かはは! どこへ逃げようというのだ!?」
「葛城山の女神に、逃げ場などありはしないのですよ!」
道満の赤虎が大気を蹴り上げて猛然と駆け出すと、晴明の緑龍もまた大気を泳ぐようにして一言主を追い立てた。
「大人しく〈黄金の錫杖〉をわたせ! ならば命だけは見逃してやろう!」
「──断るッ!」
一言主は道満に言って返すと、葛城山の頂きにある聖泉に向かって飛び込むように急降下した。
大きな水しぶきを立てながら一言主が水中に突っ込むと、赤虎と緑龍が泉の上空で足を止めた。
「どういうつもりだ?」
「一言主の領域です。油断しないほうがよろしいかと」
警戒した赤虎と緑龍が滞空していると、一言主を飲み込んだ聖泉が突如として漆黒に染まり始め、黒炎が水面からふつふつと立ちのぼる。
道満と晴明が何事かと目を見張った次の瞬間──。
「グラァアアッ!!」
修羅巌鬼が凄まじい咆哮を張り上げながら黒炎の中から飛び出し、両手に伸びる鬼の爪で晴明の緑龍の長い胴体にしがみついた。
「なにッ!?」
「ギヤァアアッ!!」
道満の赤虎が仰天の声を発して距離を取ると、晴明の緑龍は悲鳴を上げながら長大な体を泉に落下させた。
激しくのたうって大きな水しぶきを打ち立てる緑龍の体になおもしがみつく修羅巌鬼は、鋭い鬼の牙で噛みついていた。
「ギャハアッ! 道満、助けてくださいッ!!」
「これは……鬼を操る術──"傀儡操鬼"か!?」
怨嗟の黒炎に燃え上がる修羅巌鬼に組み付かれた晴明の緑龍は絶叫しながら道満に助けを求めると、道満は黒炎をまとった修羅巌鬼の巨体を冷静に観察したあと、辺りを見回した。
そして、泉の端の水面にゆらめく黒金色の輝きを見つけ出すと、道満の赤虎はその一点目掛けて素早く駆け出した。
「ガゥウウッ!!」
「……ぐっ!?」
吼えた道満の赤虎が牙が伸びる大口を開けて水面に突撃すると、水底で〈黄金の錫杖〉を構えていた一言主をくわえて泉から飛び上がり、草の上に着地した。
一言主は赤虎の牙に体を噛まれた激痛でうめきながら手にしていた〈黄金の錫杖〉を草の上に落とすと、晴明の緑龍に組み付いていた修羅巌鬼がその体から離れる。
「痛い……痛いです! 変化解除!」
緑龍は体をくねらせながら飛翔し、赤虎のもとまでやってくると、陰陽変化を解いて晴明の姿となった。
「見よ。これが本物の〈黄金の錫杖〉だ」
「……ああ……ようやく」
瀕死になった晴明は草の上を這いずるように移動すると、〈黄金の錫杖〉を握り取って自身の体に押し当てた。
「──オン! ああ、確かに……これは……本物です」
"神具"である〈黄金の錫杖〉によって強化された法力によって晴明の体がまたたく間に治癒していくと、赤虎は噛んでいる一言主に力を加えた。
「ぐあぁッ!」
「──燃える黒鬼が日ノ本各地に出没しているという噂は耳にしていたが、まさか女神がそれをやっていたとはな」
赤虎は、泉の底で崩折れながら漆黒の炎を水面に燃え上がらしている修羅巌鬼の姿を見やって苦笑した。
「どうだ、晴明。あの大鬼。おぬしの傀儡にできそうか?」
「そうですね……忠勝はもういませんし、やってみましょう」
道着についた砂埃を払いながら立ち上がった晴明。赤虎はくわえていた一言主の体を草の上に吐き捨てると、陰陽変化を解いて道満の姿に戻る。
泉のほとりに立った晴明は、〈黄金の錫杖〉の頭を水底で沈黙する修羅巌鬼に向けた。
「──陰陽巧術・傀儡操鬼──」
〈黄金の錫杖〉から放たれた緑光する"呪力の糸"が水面を潜って黒炎に包まれる修羅巌鬼の巨体に結びついていくと、薄く開かれた黒光する鬼の眼を"上書き"するように緑光に染め上げていく。
「やめろ、修羅巌鬼は……余の鬼であるぞ」
「修羅巌鬼だと? どこか見覚えがあると思っていたが……」
道満は修羅巌鬼の巨体をまじまじと見つめ、やがて合点がいったように頷いた。
「そうか、あの大鬼──"温羅坊"であったか」
道満はかつての鬼ヶ島首領が傀儡にされていくさまを見届けて目を細めた。
「"大空華"の生贄にされてなお、"傀儡"として利用されるとは、なんとも哀れな大鬼だ」
道満は鼻で笑うと、水底から立ち上がった修羅巌鬼の巨体を見やった。
「晴明……どうだ、トドメは巌鬼に刺してもらおうではないか」
「いいですね──巌鬼、この愚かな女神に、鬼の鉄槌を喰らわせなさい」
道満の言葉に同意した晴明は、〈黄金の錫杖〉を一言主に向けて修羅巌鬼に命令を下した。
全身から黒炎を噴き上げながら、泉の中から這い上がってきた修羅巌鬼。草の上に倒れ伏す一言主に向けて一歩、また一歩と歩を進める。
その足跡には炎が宿り、青い草を次々と赤く燃やしながら、かつての主へと歩み寄っていった。
「よせ……修羅巌鬼……おぬしは、余の」
「耳を貸す必要などありません、巌鬼。生意気な女神の頭を、一撃のもとに踏み潰しなさい」
苦悶の表情で訴える一言主の顔を見やった晴明は冷酷無慈悲な声音で告げた。
修羅巌鬼は命じられた通りに大きな鬼の足を高く持ち上げ、一言主の頭上を覆う巨大な影を作り出した。
「……いや、だ──だれか……助、けて」
女神としての誇りを捨て、心の底から懇願するように悲痛な声を喉奥から漏らした一言主。
そのとき、一枚の茶色い"木綿布"が、春風に吹かれるようにしてスルリと、一言主の頭と巌鬼の足との間に滑り込んだ。
「ぬッ!?」
腕を組んで見届けていた道満が目を見張った。"木綿布"は流れるように春風に乗って飛翔すると、過ぎ去った後には何も残されていなかった。
一言主不在の草の上に修羅巌鬼の大足が落とされて草を燃やすと、晴明と道満は蒼天に浮き上がった"木綿布"を目で追った。
"木綿布"は何かを包んでいるように筒状になりながら青空を飛んでいくと、太陽を背にして浮かぶ、異様に大きなハゲ頭の人影のもとへと運ばれていった。
「──大の男どもが、寄って集ってひとりのおなごを痛めつけておるとは……はぁ~。世も末じゃのう」
逆光に照らされたその人影は白濁した眼を開きながら老いた声を発した。
あぐらをかきながら座っている白い"木綿布"の上に、筒状になった茶色の"木綿布"を寄せる。巻物を開くようにして瀕死の一言主の体を自身の"木綿布"の上に転がり落とした。
「──何奴ッ!」
太陽に照らされる謎の老人を目を細めながら見上げた晴明が苛立ちの声を発する。
ハゲ頭の人影はゆっくりと立ち上がり、両手に握りしめた黒杖に身を預けながら口を開いた。
「ほっほっほ──このぬらりひょんを知らぬとは、ドーマン・セーマンもたかが知れておるのう」
ぬらりひょんは晴明と道満をあざ笑った。黄色い瞳に浮かぶ"鬼"の文字を紅く光らせた道満が両拳を握りしめ、構えを取った。
「奥州の田舎妖怪が、我ら伝説の陰陽師を愚弄するか」
「自分で自分のことを伝説と言ったら終いじゃろうに。まったく……役小角は弟子の教育に失敗したようじゃな」
「御大様まで、虚仮にするか! 貴様ッ!」
激昂した道満は両足で地面を踏みしめて全身から赤い波動を放った。しかしその波動は体にまとわれることなく、霧散してしまった。
「ぬ!?」
「ほほほ。わしゃ見ておったぞ。おぬしらが勇ましい龍と虎に変化しておったところ……ありゃあ、力を使い切るじゃろうて。ほほほ!」
上空で愉快そうに笑い声を発したぬらりひょんを苦々しげに睨みつけた道満。
「……思えば、刃刃鬼一家からの連戦だ……いかな"八天鬼人"といえど限界が来るか──晴明」
道満は自身の右手と呪毒腕となっている左手を見つめながら声に出すと、晴明を見やった。
「〈黄金の錫杖〉は手に入れた。生贄に使える大鬼も手に入れた……〈大空華〉の準備は整ったのだ──関ヶ原に参るとしよう」
「ええ。私たちに妖怪退治をしている時間はありません」
晴明は懐から呪札の束を取り出して宙空に放ると、〈黄金の錫杖〉を掲げながらマントラを詠唱する。
「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ──」
聖泉の前に形成された"呪札門"を睨みつけたぬらりひょんが声を上げた。
「関ヶ原じゃと? おぬしら、あの地でなにをするつもりじゃ」
「かはは。老妖。地獄を見たくなければ、さっさと奥州に帰るのだな」
ぬらりひょんの言葉に道満は笑って返すと、緑光する"呪札門"の鏡面をくぐり抜けて葛城山の頂上から去っていく。
「……地獄じゃと」
「貴方には関係のない話ですよ、御老体──さぁ、"呪札門"に入りなさい、巌鬼」
晴明は傀儡化されている修羅巌鬼を"呪札門"の前まで呼びつけた。そのとき、葛城山の山道から女性の声が響いた。
「ぬらりひょんさんッ!」
その凛とした声を耳にして驚いたのはぬらりひょんだけではなく、晴明も同じであった。
「──桃姫ではないか!」
ぬらりひょんは山道を駆け上ってくる白桜に騎乗した桃姫、月影に騎乗した五郎八姫、夜狐禅に跨ったたまこの姿を目にして声を上げる。
「桃姫ッ!? ──まずいッ!」
晴明は葛城山の山頂に続々と姿を現してくる桃姫一行を見やると、焦りながら声を漏らすのであった。