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22.社神の術

「うわ、うわ! ここにあるカサゴ、ぜんぶ、余が食ろうてもよいのか!?」


 華やかな平安京の夜の大通り、漆黒の衣と烏天狗の仮面をまとった一言主が立派なカサゴが陳列されている魚屋の軒先で嬌声を上げた。


「かかか。師匠を連れ出したのはわしじゃ。好きなだけ食うがよろしい」

「小角……おぬし、もしかしていいやつなのか?」


 紫色の瞳を光らせた一言主が言うと、役小角は満面の笑みを浮かべ魚屋の店主に話しかけた。


「店主、代金は後で支払うでな。気の済むまで食べさせてやってくれ」

「かしこまりました。ささ、お客様、店内へお入りください」

「あ、ああ! よろしく頼む!」


 気の良さそうな店主の男は一言主を店内に招き入れた。

 一言主は期待に胸を膨らませながら大きく頷いて返すと、用意された椅子に腰かけて、食台に次々と運ばれてくるカサゴ料理を一心不乱に食べ始めた。


「これよこれッ、まさに余が求めていたカサゴの味!」


 一言主は仮面を上半分まで持ち上げると、箸も使わずに素手でカサゴの煮付けにかぶりついた。

 久方ぶりの好物に夢中になり、次から次へと皿を空にしていく。


「かかか。満喫しておるようで何より……では師匠、わしは小用があるでな、しばし失礼させていただく」


 滅多に食せないカサゴ料理に無我夢中になった一言主は役小角に背中を向けたまま、カサゴの煮付けを骨ごと咀嚼し、器を持ち上げて煮汁で喉をうるおした。


「かかか。耳に入らんほど美味いか」


 役小角は満面の笑みを浮かべながらそう呟くと、魚屋の店主と視線を合わせ、無言で頷きあってから店内を出て、夜の平安京に姿を現す。

 その大通りには、魚屋を取り囲むように、陰陽師の道着を身にまとった9人の男女がずらりと居並んでいた。


「御大様……あの女が"葛城山の女神"でありますか?」


 陰陽師の集団の中から赤い道着を着たガタイの良い坊主頭の男が低い声で役小角に尋ねた。


「いかにも。京に降りることを拒むならば、術を用いて無理矢理にでも連れ出そうと思うたが──かかか。あの有り様じゃよ」


 役小角は大通りからも見える魚屋の店内でカサゴ料理に食らいつく一言主の背中を見ながら告げると、坊主頭の陰陽師が居並んだ他の陰陽師たちを見回した。


「しかし……本当にこれだけの陰陽師が必要なのでありましょうか。それも腕利きばかり──見てくだされ、御大様。あれは、カサゴなんぞに釣られるような愚かな山の女神でありますぞ」

「あなどるでない道満。あやつの"神力"は本物じゃ。その気になればこの京を一晩で更地に変えることも可能だわいの」


 役小角の警告を受けて道満の顔に緊張が走ると、他の陰陽師たちもその目に熱が込められた。


「──念には念を入れる……"神捕らえ"は、人と神との戦いじゃ」


 役小角はそう言って振り返ると、魚屋の店内を睨みつけるように見て、魚屋の店主と視線を交差させた。

 魚屋の店主は厨房から新たに持ってきたカサゴ料理を食台の上に置くと、一言主に向けて口を開いた。


「お客様、申し遅れました──私の名は、安倍晴明と申します」


 両手に掴んだカサゴの肉をジュルと口の中に入れた一言主が顔を上げると、頭から手ぬぐいを外し、長い黒髪を見せた晴明の顔を凝視する。


「若輩者ながら御大様の弟子を、務めさせていただいております」


 冷たい笑みを浮かべた晴明が告げると、店の外に立つ役小角が手にした〈黄金の錫杖〉を高く掲げながら大きく口を開いた。


「──これよりィイイッ!! "社神の術"を執り行なァアアうッ!!」


 眼を見開きながら高らかに宣言した役小角が〈黄金の錫杖〉を振り上げると、巨大な五芒星の陣が浮かび上がった。

 紫光する五芒星の陣は、その中心を一言主の座る椅子としていた。


「──図ったなッ!! 小角ッ!!」


 両手に持つカサゴを投げ捨てて、椅子から立ち上がった一言主は振り返りながら絶叫した。

 烏天狗の黒い仮面を引き下げて顔を隠すと、全身から黒金色の"神力"の稲光を迸らせる。


「──オン・マカラカッ!」


 晴明は両手を叩き合わせて鳴らすと、開いた両手を一言主に向けて紫光する呪力の縄を飛ばし、一言主の体を拘束するように絡ませた。


「──人の子風情が舐めた真似をッ!! 余を女神と知っての狼藉かッ!!」

「……う、うォオオっ──!?」


 激昂した一言主は閉じていた背中の大翼を広げると、絡みついた呪力の縄を断ち切りながら、黒金色に染まった神力の稲妻を突風とともに四方八方に飛ばした。

 木造の店舗が壮絶な突風を受けてまたたく間に粉砕され、至近距離で稲妻を受けた晴明もまた、うなり声を上げながら五芒星の上を転がっていく。

 神雷の嵐が収まると、魚屋は跡形もなく消え去っていた。瓦礫が散らばる更地の中央で、紫に光る五芒星の陣だけが無傷のまま残り、その上に黒い翼を大きく広げた一言主が立っていた。


「かかか──やりおるとは思っておったが、ひとたび羽ばたいてこの威力か」

「小角──余の怒りを買えばどうなるか、弟子であるおぬしが一番よく理解しておるであろう」


 仮面の下に浮かぶ紫の瞳を憤怒に燃やし、役小角を睨みつけながら低い声で告げた一言主。


「わしのことをまだ弟子と呼んでくれるのか──ありがたいのう」

「カサゴの礼だ、今ならまだ許してやる──愚かな真似をしたと、余に詫びろ──でなければ、京が滅ぶぞ」


 役小角はふっと鼻で笑うと、漆黒の眼を細めた。


「──滅ぶかどうか、試してみようではないか──のう、師匠殿」


 10人の陰陽師たちは一斉に駆け出すと、五芒星の陣の外周を取り囲むように展開した。

 そして両手で印を結ぶと、陣の中央に立つ一言主に向けて妙見菩薩のマントラを詠唱する。


「──オン・ソジリシュタ・ソワカ・オン・マカシリエイ・ヂリベイ・ソワカ──」


 幾重にも重なった詠唱を耳にしながら、一言主は怒りにふるえる身体から黒金色の神雷を迸らせる。


「今や日ノ本の命運はわしの手にかかっておるか……なかなかに血がたぎる状況だわいの」

「小角──おぬしはいったい、100年前の蝦夷地で、何を見たのだ」


 一言主は役小角に騙されたことに激しい怒りを覚えながらも、それ以上に役小角の真意を測りかねていた。


「見つけたのよ、わしの"大空華"を──しかし、咲かせるには百年でも時間が足りぬということに気づいた」


 役小角は満面の笑みを浮かべながら〈黄金の錫杖〉で一歩一歩、紫光する五芒星の陣の上を歩いて一言主に近づいていく。

 漆黒の眼を大きく見開き、深淵なる大宇宙を瞳の中に映し出しながら大口を開いた。


「──千年ッ!! 日ノ本に"大空華"を花ひらかせるためには、千年の時が必要なのじゃッ!!」


 役小角の迫力に気圧された一言主は一歩後ずさりながらも睨み返した。


「師匠、その永遠の命──わしに分けてくれんかのう?」

「──ふざけるなッ!!」


 不気味な笑みを浮かべながら告げられる役小角の懇願に対して、一言主は拒絶の声を張り上げながら神力の波動を撃ち放った。


「……ぐッ!」


 役小角の後方に立ってマントラを詠唱していた道満が、凄まじい波動の余波を受けて腕で顔を覆うと、神力の波動をもろに食らっている役小角の後ろ姿を垣間見た。

 しかし役小角は一切怯むことなく、微動だにしないまま屹立し、白装束をまとった老体に黒金色の神力の波動を浴びるように受け続けていた。

 道満がその神々しくも見える後ろ姿に驚愕すると、役小角の特徴的なしゃがれ声が耳に届いた。


「道満、怯むでない──マントラを続けよ」


 役小角に喝を入れられた道満は両手で印を組み直し、マントラの詠唱に力を込めた。

 結集した腕利きの陰陽師たちがマントラを力強く詠唱し、五芒星の陣がこれ以上ないほどに極光を放っていく。


「──なぜだ、小角!? 余の神雷を受けて、なぜ死なんッ!!」

「これがわしの百年──これが人の子の力よ! かかかかッ!!」


 一言主が仮面の下で焦りながら声を発すると、役小角は笑いながら告げた。

 役小角はおもむろに自身の丹田に左手をスッと添えると、右手に携えた〈黄金の錫杖〉の頭を一言主の胸元にグッと押し当てた。


「これは、人と神との力比べ──師匠よ、わしが勝つか、おぬしが勝つか。今、試してみようではないか」

「やめろ、小角ッ──」


 穏やかな声で告げた役小角に対して、一言主は女神として初めての恐怖を覚えると、漆黒の大翼を羽ばたかせて、その場から飛び立とうとした。


「──動くなッ!!」

「……ひッ!?」


 鬼よりも恐ろしい形相に変貌した役小角が強烈な一喝を放つと、一言主の大翼がしびれたように動かなくなり、抜け落ちた黒い羽根が地面に散らばる。


「──さぁ、さぁ、師匠よ──わしの"荘厳な社"に参られよ──さぁ、さぁ──」

「……嫌だッ……小角、やめてくれッ……嗚呼ッ──!!」


 役小角の腹部が左右に開かれ、その奥に"社"が現れると、怯えきった一言主は、"社"の奥深くへと吸い込まれていく。

 一言主を封じ込めた"社"の扉が閉じられると、さらに役小角の腹部の扉も閉じられた。


「……御大様」


 その光景を見届けた晴明が思わず呟いた。陰陽師たちは詠唱を止め、額から汗を流しながら役小角を緊張の面持ちで見つめた。


「……ふぅうう……すぅうう……」


 役小角は目を閉じて深呼吸をした。左手でゆっくりとへそを撫でると、陰陽師が息を呑む音が聞こえるほどの静寂があたりを包みこんだ。

 ひときわ深く息を吐いた役小角が左手をへそから離すと、〈黄金の錫杖〉を握りしめる。

 地面から消えかかっている五芒星の陣の中央をトンと突き、チリンと金輪を鳴らした役小角はゆっくりと眼を開く。


「──勝ちじゃ」

「……ウォオオオオオッ!!」


 満面の笑みを浮かべた役小角の一言に、堰を切ったようにして陰陽師たちの歓喜の雄叫びが上がり、夜の平安京に轟くのであった。

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