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20.真・荒羅刃刃鬼

 晴明は紫光する呪力の縄を右手から飛ばし、渦魔鬼の首にからめてその体を宙空に持ち上げた。


「ぐ、グァ……!」

「良い顔です」


 うめいた渦魔鬼の顔を眼前まで近づけた晴明は、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「姉やん……! く、腕が……!」


 歯型のついた右腕に激痛が走り、断魔鬼は石畳にひざをついた。


「かはは。噛まれた腕が痛むか? だがな、俺が味わった"呪毒"の痛みはそんなものではなかったぞ」


 道満は足元の〈人砕〉を握り、持ち上げようと試みた。


「なんだこの重さは、こんなものを振り回していたのか……なんたる、怪力」


 道満は少し持ち上げただけで右腕に強い痺れを感じると、手を離して石畳の上に落とした。


「やはり貴様ら、相当に危険な存在であることは間違いないようだな」

「……てめぇが"八天鬼人"じゃなければ、あたいらの勝ちだったのに」


 道満は注意深く断魔鬼に近づくと、断魔鬼は痛む右腕を左手で抑えた。


「そうか。ならば、貴様にも飲ませてやろうじゃないか」


 道満は不敵な笑みを浮かべると、断魔鬼に向かって左腕を形成する"青い波紋"を割るように開いた。

 その中から小瓶を取り出すと、断魔鬼の口元に押しつける。


「ッ、やめろ!」

「かはは! 欲しがっていた"八天鬼薬"だぞ──父娘共々、狂い死ぬがいい!」


 道満が無理やり断魔鬼に"八天鬼薬"を飲ませようとしている中、晴明は拘束している渦魔鬼の顔を見ながら口を開いた。


「貴女、渦魔鬼と言いましたか。妖鬼の身でありながらマントラを使いこなすとは大したものです……私の"弟子"にしてさしあげましょうか?」

「……ぐ、ぐぐ」


 首を呪力の縄で締めつけられた渦魔鬼は、嫌悪の眼差しで睨みつけた。


「この安倍晴明、"弟子"は取らない主義ですが……貴女は特別です──どうです、光栄でしょう」


 晴明が冷たい笑みを浮かべながら言うと、渦魔鬼は眉間に向けて唾を吐きかけた。


「地獄に落ちろ!」


 晴明は沈黙したまま付着した唾を拭い取ると、眼を細めて笑みを見せながら断魔鬼に告げた。


「──では、死にましょうか」


 一方、断魔鬼は今にも"荒羅の八天鬼薬"を口内に入れられそうになっていた。


「どうした、早く飲め! これを望んでいたのだろう!?」

「やめろ! イヤだ!」


 断魔鬼が必死に拒むと、しびれを切らした道満は赤い髪を掴んだ。


「いいから、飲め!」 

「──ああ、ならば俺が飲もう」


 道満の怒号に対して返された野太く低い声。

 ハッとして道満が顔を上げた瞬間、その顔面を大鬼の手が鷲掴みにした。


「──飲ませてもらおうじゃねぇか、残りの"八天鬼薬"をよぉ」

「トト様!」


 断魔鬼が目に涙を浮かべながら叫ぶ。道満を掴んだのは刃刃鬼だった。


「なぜだ……"渇き"は……"渇き"はどうした──」

「──"渇き"だぁ? んなもん、荒羅の息子として生まれてこの方、常に味わい続けてんだよ!」

「が! ガあッ!!」


 刃刃鬼は鬼の手に力を込めると、道満の顔面を途轍もない力で圧迫する。


「いまさら、"渇いた"からって……それがなんだってんだ? オォンッ──!?」

「ぐッ、ぷ!」


 両目をひん剥きながら威嚇した刃刃鬼は、鬼の拳で道満の腹を殴りつけた。

 道満は掴まれた顔面を歪ませながら嗚咽を吐き漏らすと、あまりの衝撃に気を失う。


「返してもらうぞ! こいつは俺の"親父"なんだからなァ!」


 刃刃鬼は"八天鬼薬"を奪い取ると、気絶している道満の体を放り投げた。


「……こーれは、まずいですねぇ」


 液体を飲み干す刃刃鬼を目にした晴明が顔を引きつらせながら声を漏らした。


「──ウルグァアアッ!!」


 刃刃鬼が赤い空に向けて両腕を振り上げながら雄叫びを放つと、その両肩から筋骨の発達した二本の腕が新たに生え伸びた。


「──真・荒羅刃刃鬼様の誕生だァアアッ!!」


 刃刃鬼の咆哮を耳にした道満が意識を取り戻すと、四ツ腕と化した刃刃鬼の異様を見上げて愕然とした。


「……これは、かなわんぞ」


 道満がふるえる声で漏らすと同時に、渦魔鬼が自身を拘束する晴明に向けて両手を広げると、密かに練り上げていた妖力の塊を炸裂させた。


「──爆ぜろ!」

「ギヤッ!!」


 至近距離での爆発を受けて晴明が怯んだ拍子に、渦魔鬼の首に掛かっていた呪力の縄が解けて落ちる。


「誰が、あんたの弟子になるって!? ふざけんじゃないわよ!」

「……がぁ!? 目がァ!」


 顔を両手で覆った晴明に向けて渦魔鬼が吐き捨てるように吼えると、晴明は指羅刹天愚に向かって走り出し、その背中に飛び乗った。


「天海殿……飛べッ!」

「ギャォオオッ!!」


 羅刹天愚は猛禽類の鳴き声を発すると、大翼を羽ばたかせて広場から飛び上がる。


「……逃がすか!」


 渦魔鬼は飛翔する羅刹天愚目掛けて妖力の縄を飛ばし、その足首にからませた。


「しつこい! これだから女は嫌いなんです!」


 晴明は神経質な声を張り上げると、黒い呪札を一枚取り出してシュッと投げ飛ばし、妖力の縄を断ち切った。


「道満、撤退しますよ!」

「ああ……この鬼は、我らの手に負えん」


 晴明の声を聞いた道満は、降下してきた羅刹天愚に向けて跳躍してその足首を掴み取った。


「待てやゴラァアアッ!!」


 激昂の声を放った刃刃鬼は、鬼の両足で石畳を踏みつけて粉砕すると、大跳躍して一気に飛び上がる。


「落ちろ!」


 道満は眼下に迫ってくる刃刃鬼に向けて"青い呪紋"を伸ばすと大口を開いたサメの形状へと転じる。


「グルラァアアッ!!」


 対する刃刃鬼は、四ツ腕を一つに重ね合わせ"大槍"にしてサメの口内に突入すると、四ツ腕を四方に開き、引き裂いて破壊した。

 晴明はその様子を羅刹天愚の背中から見ると、懐から呪札の束を取り出してバラ撒くように落とした。


「──オン・マカラカ──!」


 両手を叩き鳴らしながら晴明が声を発すると、刃刃鬼に向かって紫光する呪札が降り注いで爆発を引き起こしていく。

 爆発の連続を受けた刃刃鬼が怯んだ隙に、羅刹天愚は四枚の大翼を羽ばたかせて高度を上げ、広場から離れるのであった。


「降りてくれ、天海殿」


 道満が鬼ノ城の裏庭、その崖沿いに立った不気味な形状の柘榴の木を見つけて告げる。

 羅刹天愚が鳴き声を上げて高度を下げると、道満と晴明が着地して互いに一息ついた。


「……あれほど強力な鬼は初めて見ました」


 晴明が法術で火傷を治しながら言うと、道満も追いすがる刃刃鬼の異様さを思い返して身震いした。


「"八天鬼人"ならぬ"八天鬼真"……真の適格者である荒羅の息子が"荒羅の八天鬼薬"を服用した結果だ……これは御大様ですら想定していなかった事態であろう」

「どうします、道満?」

「一日でも早く"大空華"を咲かせるしかあるまい」

「そうですね……"大空華"さえ咲かせれば、私たちの勝利」


 道満の言葉を受けた晴明は頷いて返し、懐から十本の白い髪の毛──"悪路王の頭髪"を取り出して眺め見た。


「天海殿もそれを望んでいるのであろう?」

「クェエエ!」


 道満が羅刹天愚に尋ねると、食べていた柘榴の果汁を口の端から垂らしながら奇声を発した。

 "悪路王の頭髪"を仕舞った晴明は黒い呪札の束を取り出すと、宙空に放り投げてマントラを詠唱する。


「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ──」


 赤い海原を望む崖沿いに"呪札門"を開いた晴明が道満と羅刹天愚に振り返って告げた。


「行きましょう、葛城山に」

「ああ」


 道満は応えて"呪札門"をくぐり抜けると、羅刹天愚も身を屈めながらその後を追った。

 晴明も向こう側に渡ると"呪札門"を閉じる。門の形をしていた呪札が崩れて燃え出すと、潮風が吹いて灰を巻き上げた。

 灰は散り散りになりながら河沙毒郎の巨体が寄りかかる鬼ノ城を越えて広場の上空を舞い飛ぶと、石畳の上には大の字になって倒れ込んでいる刃刃鬼の姿があった。


「トト様」


 渦魔鬼が刃刃鬼に駆け寄ると、刃刃鬼は呪札の爆撃を受けた巨体の節々から煙を上げながらのっそりと起き上がって、あぐらをかいた。


「大丈夫だ。問題ねぇ……それより渦魔鬼、断魔鬼の腕についた歯型を取ってやれ。あれは橋姫の"呪毒"だ。お前なら剥がせる」

「はい」


 渦魔鬼は刃刃鬼の言葉に応じると、断魔鬼の前にしゃがみ込んだ。


「姉やん……へへっ」

「……断魔鬼、あんた色々無茶してたね」

「姉やんだって」


 渦魔鬼は緑光する妖力の糸で、断魔鬼の右腕に残された"青い呪紋"を削り取るように引き剥がすと宙空に霧散させた。


「ありがとう、姉やん……楽になったよ」

「うん……良かった──くッ」


 笑みを浮かべた断魔鬼の胸に、苦悶の表情をした渦魔鬼が倒れ込んだ。


「姉やんっ!?」

「ごめん……ちょっと、疲れちゃって」


 妖鬼姉妹が寄り添う姿を横目で見た刃刃鬼は立ち上がると、鬼ノ城に寄りかかる河沙毒郎に近づいて、沈黙する巨体を見上げた。

 内部に溜め込んでいた"呪毒"がすべて放出されたことによって、白骨を覆っていた"青い波紋"が消え失せ、物言わぬ大太郎坊の白骨体と化した河沙毒郎。

 その胸奥、"肋骨の檻"に閉じ込められている息絶えた橋姫の姿を刃刃鬼が見やったとき、その目元から一筋の涙が流れ落ちたのを見て息を呑んだ。


「橋姫ッ!?」


 刃刃鬼は声を上げると、白骨体をよじ登って河沙毒郎の胸元に飛びついた。

 太い肋骨を四ツ腕の怪力で強引にこじあけると、胸奥に納まっている橋姫に呼びかける。


「おい、橋姫……お前、まだ生きてるのか?」


 刃刃鬼の問いかけに橋姫は反応しない。刃刃鬼は橋姫の体を抱き上げると、河沙毒郎の胸奥から取り出した。

 その瞬間、最後の支えを失ったかのように白骨体が一斉に崩れ始め、刃刃鬼は橋姫を抱えながら飛び降りた。


「トト様」


 橋姫の亡骸を抱えてあぐらをかいた刃刃鬼のもとに、渦魔鬼と断魔鬼が歩み寄ると静かに声をかけた。


「……橋姫」


 呟いた刃刃鬼の黄色い目から大粒の涙がこぼれ落ち、橋姫の頬を濡らす。


「橋姫! ぐォおおっ! 橋姫ェええ──!」

「トト様が……」

「泣いてる……」


 初めて目にした父・刃刃鬼の慟哭する姿に渦魔鬼と断魔鬼が呆然としながら声を漏らした。


「お前だけが俺を愛してくれた! 悪鬼の俺を、お前だけが愛してくれたぁ! ぐぬォ!!」

「トト様! あたいらがいる!」

「私たちもトト様を愛しております!」


 巨獣の咆哮のように野太い声で泣き叫んだ刃刃鬼に対して妖鬼姉妹が声をかけると、刃刃鬼は鬼の形相で顔を上げた。


「──見るな! これから俺がすることを、決して見るんじゃあねぇ!」

「っ!?」


 刃刃鬼の大声を受けた渦魔鬼と断魔鬼は、咄嗟に身をひるがえして後ろを向いた。その瞬間、凄まじい咀嚼音が響いた。


「──骨まで喰らってやるからな! 橋姫、お前のすべてを、残さず喰らい尽くしてやるからな!」


 愛する者を丸ごと喰らう壮絶な刃刃鬼の咀嚼音が広場に鳴り響く。

 固く目を閉じた渦魔鬼と断魔鬼は、互いに身を寄せ合うと、静かに涙を流しながら母・橋姫の死を弔うのであった。

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