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13.御師匠様

 小夜の病状を見に花咲村を訪れていた医者が、意識を失っている桃太郎の診察を終えると、首を横に振りながらため息を漏らした。


「……申し訳ないが、私には手の施しようがない」


 老夫婦の家の居間に敷かれた布団に身を横たえた桃太郎はまるで死んでいるかのように見えたが、かすかに浅い呼吸を繰り返していた。

 桃太郎の周囲には、老夫婦と医者、小夜と村長、三郎とおかめが座り込んでいた。


「……桃太郎さん」


 涙をこぼした小夜が呼びかけるも、桃太郎の反応はなかった。


「お医者様……なにか飲ませる薬が、あるんでねぇでしょうか」


 医者が背負ってきた大きな薬箱を見ながらお婆さんが尋ねると、医者はちらりと小夜の顔を見た。


「この娘の咳の病とはわけが違う……複数の臓器に損傷がうかがえて、薬でどうこうできる状態ではない」


 眉を曇らせた医者は、青ざめた桃太郎の顔を見た。


「それより、なぜこの少年がまだ呼吸ができているのか……私にはそれが不思議でならない」


 脈拍も取れないほど弱く、体温も失われ、死人のように冷たく硬直している桃太郎。それなのに、まだ生きている。医者には理解できなかった。


「とにかく、今は少しでも彼が自発的な呼吸を続けてくれるよう、神仏にでも祈るほかありません──それでは」


 医者は告げると薬箱を肩に背負って玄関口に降り、下駄を履いて木戸を開けた。

 家の外には大勢の村人たちが集まっており、医者は無言で見やってから、歩き去っていった。


「……そんな」

「……桃太郎や」


 老夫婦は身を寄せ合いながら泣き崩れると、正座していた三郎がひざを強く握りしめ、ふるえる声を漏らした。


「俺のせいや……俺が、もっとはようにふたりを迎えに行ってりゃ……坊主も、おはるも」

「…………」


 悔し涙を流す三郎の隣に座るおかめは、事態への感情が追いつかず放心状態であった。

 そんな父娘の姿を目にした小夜は沈痛な面持ちを浮かべると、桃太郎の冷たい手を両手で握りしめた。

 翌朝──老夫婦の家の前で四人の村人たちが会話をしていた。


「……やっぱり、鬼の仕業なのかね」

「花咲の海岸が、鬼ヶ島に通じとるっちゅう言い伝えは、本当だったんだ」

「この村にも鬼がやってくるんだべか……考えたら恐ろしくて、とても眠れん」

「桶屋の娘をひとり連れ去ったなら、しばらくはやってこんじゃろう」


 四人がひそひそ声で話し合っていると木戸が開かれて、中から三郎とおかめが姿を現した。


「…………」


 やつれ切った三郎の顔を見た村人たちは息を呑み、誰からともなくそそくさと家の前から立ち去った。

 おかめが三郎を見上げると、三郎は力なく呟いた。


「……帰ろか」


 店先が開かれたままの桶屋に帰ってきた三郎とおかめ。桶が並べられた店の奥にある板の間に腰かけた三郎が、疲れ果てたような息を吐いた。


「……おとん」


 おかめがその隣に腰かけると、三郎はおかめの顔を見ながら悲壮な笑みを浮かべた。


「おかめ……おはるは死んだわけやない。連れ去られた先で……鬼ヶ島で、まだ生きてるんや。だったら、わしらも生きねばならん……ええな?」

「うん……うん──っ、うわぁあああっ!」


 三郎の言葉を聞き受けたおかめはふるえながら何度も頷くと、ついには堰を切ったように泣き叫び、三郎の胸に抱きついた。


「……くッ」


 三郎もまた、今までこらえていた涙を両目からあふれさせると、おかめを抱きしめながら滂沱の涙を流した。

 父娘が桶屋の店奥で嗚咽を漏らしながらおはるを想って慟哭していたそのとき──チリンという透き通った金輪の音が響いた。


「──失礼」


 特徴的なしゃがれ声が発せられると、三郎は店先に立つ見知らぬ老人の姿に目線をやった。

 大通りに現れた白装束の細身の老人は、白髪と白眉と白ひげを陽光に光り輝かせながら、満面の笑みを浮かべて立っていた。


「すんまへん……今日は店、閉めてるんです」


 おかめを胸元から離しながら三郎が告げると、陽光に照らされた老人は右手に持つ〈黄金の錫杖〉で地面をつき、チリンと鳴らした。


「一つ、お尋ねしてもよろしいか?」

「…………」

「桃太郎の家は、どこにありますかいの」


 三郎とおかめに連れられて老夫婦の家へとやってきた役小角。木戸を開いて現れたその姿を目にしたお婆さんが驚愕の声を上げた。


「行者様っ!?」

「かかか。お久しぶりですわいの」

「婆さんや……この方は、どなたじゃ?」


 見知らぬ役小角の顔を見つめたお爺さんが尋ねた。


「あの桃をくださった、仏の化身の行者様ですよ!」

「なんとっ!?」


 お婆さんの言葉に、お爺さんは瞠目した。


「桃太郎が生まれたという噂は耳にしておりましたが。いやはや、わしも忙しくて……ようやく、こうして訪れてみましたらば」


 役小角は漆黒の眼を細めると、桃太郎の姿を見て嘆息した。


「──よもや、鬼に襲われておるとはのう」


 役小角は低い声で告げると、高下駄のままぴょんと玄関口から板の間に上がった。

 泣き腫らした顔の小夜の隣にしゃがみ込んだ役小角は、じっと桃太郎の顔を見つめる。


「……お医者様が言うには、もう手の施しようがないと」

「むしろ、生きてるのが不思議なくらいじゃと……そう言って匙を投げおったのです」


 お婆さんとお爺さんが言うと、役小角は桃太郎の首元に左手をぴっと当てた。


「かかか。医者が驚くのも無理はないのう……こりゃ"仮死蛹体かしようたい"じゃ」

「……?」


 役小角の言葉にその場に居合わせた面々が眉を寄せた。役小角は首元に当てていた手を桃太郎の額へと移す。


「生命力が漏れ出ぬよう"サナギ"のように仮死状態にしておるのよ……桃太郎め、修験道の達人が会得する技を本能的に使いおったか」


 役小角は浅い呼吸を繰り返す桃太郎の顔から手を離すと、老婆が緊張の面持ちで尋ねた。


「行者様……それで桃太郎は……助かるのでございましょうか」

「わしが来なければこのままじゃった。しかし、わしがきたでな──これより法術を使う。みなの者、下がれい」


 役小角は神妙に告げて立ち上がると、〈黄金の錫杖〉で板の間を突いてチリンと金輪の音が響かせた。

 隣に座っていた小夜が慌てて立ち上がり、老夫婦とともに部屋の隅へと移動する。

 玄関口に立つ三郎とおかめが、"この老人はなにをする気なのか"と訝しむ表情で見つめた。


「鬼め。わしの桃太郎を殺そうとしおって──かかか。わしの逆鱗に触れてしまったな」


 役小角は〈黄金の錫杖〉を胸元に掲げながら低い声で呟くと、軍荼利明王のマントラを詠唱した。


「──オン・アミリテイ・ウンハッタ──オン・アミリテイ・ウンハッタ──」


 役小角がマントラを唱える度に〈黄金の錫杖〉が黄金の輝きを増していく。その場に居合わせた一同は、ただならぬ現象を前にして息を呑んだ。


「──オン・マカラカァッ!」


 甲高いかけ声を発した役小角。桃太郎に向けて〈黄金の錫杖〉の頭を突きつけると、金輪から黄光の波が迸った。

 黄光の波は、桃太郎の胸に直撃して、波紋を広げるように四方八方に駆け巡ると、全身を包みこんだ。


「ああっ!」

「かかか。案ずるな、これは"法力"じゃ」


 小夜が悲鳴を漏らすと、役小角は満面の笑みを浮かべながら答えた。

 黄光する法力に全身を包まれた桃太郎の顔の血色がみるみるうちに良くなっていく。

 そして、全身を包んでいた黄光が光の粒子になって霧散すると、桃太郎はゆっくりと目を開いた。


「桃太郎さん!」


 感極まって桃太郎のもとへと駆け寄った小夜。桃太郎は上体を起こすと、飛びついてきた小夜の体を受け止めた。


「お小夜さん……くっ……僕は……僕は、海岸で鬼に──」


 海岸で起きた昨日の出来事を一気に脳裏に呼び覚ました桃太郎は、玄関口に立つ三郎とおかめの顔を見やった。


「あ、ああッ! 僕は、おはる姉ちゃんをッ! 鬼から護れなかった……ああッ!」

「桃太郎さん、落ち着いて……!」


 うめきながら頭をかきむしる桃太郎の背中を、小夜は懸命にさすった。


「…………」


 そんな桃太郎の様子を黙って見ていた役小角は、不意に桃太郎の眼前に〈黄金の錫杖〉をブンと振り下ろした。

 その勢いで、三つ並んだ金輪がチリンと清めの音を桃太郎の眼前で響かせた。


「っ!?」


 桃太郎は突然の出来事に動きを止め、〈黄金の錫杖〉を向ける役小角の顔を見上げた。

 "乱心"が落ち着いたと見た役小角は〈黄金の錫杖〉を戻すと、静かに口を開いた。


「──桃太郎や」


 役小角は満面の笑みを浮かべながら、覚悟を問うように告げた。


「──わしと鬼退治、するか?」

「……あなたはどなた、ですか」

「わしが誰だろうと、関係ない──鬼ヶ島に渡り、鬼退治するか? と聞いておる」


 見知らぬ老人を前に困惑する桃太郎。しかし、役小角は有無を言わさず鬼退治への覚悟を迫った。


「僕が鬼ヶ島に……鬼を退治できるのですか」


 桃太郎が波羅の肩に担がれて泣き叫ぶおはるの顔を想起しながらふるえる声で尋ねると役小角は頷いた。


「──わしの弟子になればのう」


 告げた役小角は高下駄をカン、カンと鳴らしながら板の間を歩き、玄関口へと降りた。

 三郎とおかめが慌てて木戸への道をゆずると、役小角は〈黄金の錫杖〉の頭を木戸に引っかけてガララと開け放った。

 そして、家の外に大挙して集まっていた村人たちの顔を見やって鼻で笑うと、桃太郎に振り返った。


「今日より修行を始める。これ以後、わしのことは"御師匠様"と呼べ。鬼退治に関係ない質問は一切するな……わかったならば、荷物をまとめて村の裏門に参れ」


 満面の笑みを浮かべながら一方的に告げた役小角は、〈黄金の錫杖〉をチリンチリンと鳴らしながら歩き去っていった。

 役小角がいなくなった部屋で小夜と老夫婦、三郎とおかめが桃太郎の顔をうかがい見ると、桃太郎は鬼に対する復讐の炎をその瞳に静かに、しかし激しく燃やしていたのであった。

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