17.呪毒眼
「道満、"呪札門"を開きます──鬼ヶ島を離れましょう」
青光する河沙毒郎の巨体を見上げた晴明は呪札の束を取り出しながら、道満の背中に声をかけた。
「晴明。この道摩法師に、いたぶられたまま逃げ去れというのか?」
振り向かずに告げた道満。その気迫に押された晴明は手を止めた。
「なんてことはない、デカいだけのガイコツだ……叩き壊してくれるッ!」
気合の声を発した道満は、上半裸の筋肉に力を込めて赤い波動を放出して、うねるように全身にまとわせる。
「一撃で破壊するッ──!!」
駆け出した道満は、右足、左足と踏みしめていく石畳を次々と破壊しながら河沙毒郎の巨体に迫っていく。
"青い波紋"で染まった河沙毒郎の胸奥には橋姫が鎮座し、青い目を極光させた状態で接近する道満の姿を見下ろした。
「覚悟せいッ──!!」
河沙毒郎の足元まで迫った道満が声を発すると、河沙毒郎は大樹のような右脚を持ち上げて勢いよく踏み降ろした。
「……ゴァアア──」
河沙毒郎の頭骨からおぞましい声が発せられながら道満目掛けて右足が踏みつけられると、地震のような衝撃と振動が広場全体に走った。
踏みつけられて破壊された石畳から盛大に砂煙が巻き上がる。噴煙に紛れた道満が河沙毒郎の右足を踏み台にして跳躍し、煙の中を突き抜けて河沙毒郎の眼前に姿を現す。
「──陰陽剛術・飛天絶虎ォオオッ──!!」
全身に赤い波動をまとわせた道満が雄叫びを張り上げると、河沙毒郎の左側頭部目掛けて、咆哮する赤虎を形成した右脚で渾身の蹴りを撃ち放った。
河沙毒郎の左側頭部に大きなヒビが走ると、道満の赤虎が足先から迸り、河沙毒郎の頭骨を護るように包んでいた"青い波紋"を引き裂くように貫いた。
次の瞬間、凄まじい破裂音とともに左側頭部に大穴が穿たれる。
「──ヤリィイイッ!!」
その光景を見やった道満は、宙空で拳を突き上げて歓喜の雄叫びを張り上げた。
左側頭部に大穴が開いた河沙毒郎は大きくよろめくと、鬼ノ城に倒れ込むように激突した。
「──俺の勝ちだッ!」
鬼ノ城の尖塔に着地した道満が、鬼ノ城に寄りかかる河沙毒郎の巨体を見ながら満足気に声を発すると、河沙毒郎の胸奥に浮かぶ橋姫が不気味な笑みを浮かべた。
「──カカ様、姉様方……それではどうぞ、"お呪い"くださいませ──ふふふ──ふははッ──あはははははッ!!」
青い目を流した橋姫は笑いながら事切れると、河沙毒郎の首飾り──その四つの頭骨の眼孔が青く極光し始め、穿たれた左側頭部の大穴の奥底から"青い呪紋"の糸の束が激流のようにあふれ出た。
「……まずい」
その光景を目にした道満は声に漏らすと、鬼ノ城の尖塔を駆け下りて広場に着地した。
道満はすかさず河沙毒郎を見上げると、"青い呪紋"の糸で編まれた大波が道満目掛けて押し寄せてくるのを目撃した。
「死んでから発動する呪いか……晴明、"呪札門"を開けッ!」
道満は晴明に向けて走りながら声を発した。その後を追いかけるように迫りくる青い大波を見た晴明は、呪札の束を掲げながら道満に頷いて返した。
しかし次の瞬間、晴明の背後から緑光する網が飛来すると、手にしていた呪札の束を絡め取るようにして奪い取られる。
「……なッ!?」
驚愕しながら声を漏らした晴明が振り向くと、奪い取った呪札の束を手に持つ渦魔鬼と、〈人砕〉を肩に担いだ断魔鬼が並んで立っていた。
「おい、ナメクジ野郎。あんたら、もう終わりだよ」
「カカ様の"呪毒"はかけた相手を必ず呪い殺すの──必ずね」
断魔鬼が晴明を睨みつけながら言うと、渦魔鬼は奪い取った呪札の束を見せつけるように燃やし、灰へと変えながら告げた。
「"呪毒"ですか、なるほど。それは確かに厄介ですが……幸いにしてこの安倍晴明──"呪い"の専門家でしてね」
「──余裕ぶってんじゃねぇぞ、ごらァッ!!」
不敵な笑みを浮かべながら告げた晴明に向かって断魔鬼は駆け出すと、〈人砕〉を両手で握りしめ、吼えながら振り下ろした。
「──オン・マカラカッ!!」
「ッ──!? どぁああッ!?」
"鬼"の文字が浮かぶ両目を緑光させた晴明は両手を叩き鳴らしてかけ声を発すると、全身から緑の波動を放出して断魔鬼の体を渦魔鬼に向けて弾き飛ばした。
「──オン・ケンバヤ・ケンバヤ・ソワカ──」
素早く両手で印を結んだ晴明は、三宝荒神のマントラを詠唱して緑の波動を緑光する縄へ転じると、渦魔鬼と断魔鬼の体をまとめて縛り付け、石畳の上に倒れ込ませた。
「……くッ!」
「てめぇッ!!」
「そこで大人しくしていてください」
妖鬼姉妹が晴明を睨みつけながら声を発すると、晴明は冷たく言ってから道満に向けて振り返った。
禍々しい青光を放つ"呪毒"の大波に追われる道満は晴明のもとまでやってくると、晴明は道満に向けて言った。
「道満、利き腕はどちらですか?」
「はっ!? 右だが、それがどうした!?」
「ならば道満、左腕を捧げてください」
「捧げ!? "呪札門"はどうした!?」
道満が声を荒げると、晴明は間近に迫った禍々しい大波を見ながら告げる。
「あいにくですが、"呪毒"からは逃げられません。地獄まで追いかけてきます。"受け流す"しかないのです」
「ぐぅッ!!」
道満は歯噛みしながら"呪毒"に向けて振り返り、己の左腕を突き出した。
晴明は左手で印を結び、右手の人差し指で道満の左腕に触れながら牛頭天王のマントラを詠唱する。
「──オン・ゴズデイバ・セイガンズイキ・エンメイ・ソワカ──」
呪いの専門家である晴明が行う高難度の呪術"命々流転"を受けた道満の左腕に、体内が保有する生命力が勢いよく流れ込んでいくと、道満は激しく脈打ち出した己の左腕を鬼ヶ島の不気味な赤い空に向けて掲げた。
「──芦屋道満はここにおるぞッ!! 呪い殺してみよッ!!」
両目を見開き、苦悶の表情を浮かべながら叫んだ道満の左腕目掛けて、猛烈な呪いの大波が注がれていき、道満の生命力をおびただしい量の呪いで祟っていく。
とんでもない激痛と身の毛がよだつ不快感を左腕に受けながら、この"呪毒"を全身に受けていれば間違いなく己の命が絶たれていたと道満は実感した。
「──道満、今ですッ!!」
「──南無三ッ!!」
晴明の声に合わせて、道満は吼えるように叫ぶ。自身の右手で作った手刀で"呪われた左腕"を根本からズバンと斬り落とした。
「げ! マジかよ」
その壮絶な光景を見て断魔鬼は思わず声を漏らした。
道満の"呪われた左腕"が石畳の上にドサッと落ちると、両手を開いた晴明が呪力の糸を放出して幾重にも縛りつけていく。
「なかなか手強いですね……ですが、この晴明に封じ切れぬ"呪い"など存在しません」
呪力の糸を張って宙に浮かべた"呪われた左腕"を手際よく巻き取っていき、固めるように圧縮する晴明。
握り拳大の緑光する繭状にまで圧縮したところで、胸元まで持ってくると、晴明は両手で閉じ込めるように叩き合わせ、力強くかけ声を発した。
「──ウォンッ!」
額から汗を流した晴明が両目の"鬼"の文字をひときわ強く緑光させた後、両手をゆっくりと開いた。
開かれた手のひらの上には、禍々しい青光を静かに放つ、一つの輝石が置かれていた。
「はい……呪物の完成です」
「これが、俺の左腕……」
「記念に取っておきますか?」
苦悶の表情を浮かべた道満が言いながら、晴明の言葉を受けて青い輝石を摘みとると、眼前に近づけてよく見回した。
それは凝縮された"呪毒"の結晶であり、ひどく禍々しいながらも、得も言われぬ魅力があり、道満は目を奪われていた。
「"呪毒"から生み出されし呪物……〈呪毒眼〉とでも名付けるか」
道満は言うと、おもむろに自身の左胸にグッと〈呪毒眼〉を押しつけた。
「道満!? それを体に取り込むのは、おすすめできかねます! いくら封じているとはいえ、なにが起きるか」
「もとは俺の左腕だろ! そいつを俺の体に戻して、何が悪いか!」
予期せぬ道満の行動を晴明が慌てて止めに入るも聞き入れられず、胸筋が発達した左胸の中に強引に〈呪毒眼〉を押し込んでいく道満。
その光景を緑光する縄に拘束され、石畳に倒れ込んでいる渦魔鬼と断魔鬼もまた息を呑んで見届けた。
「……カカ様の"呪毒"を」
「……あいつ、正気じゃないよ」
妖鬼姉妹が戦慄の面持ちで道満の姿を見ると道満はついに〈呪毒眼〉を左胸に埋め込んで低いうなり声を発した。
「ぐォおおッ……ぬぬぬン!」
大太郎坊と骨女、そしてその四姉妹という膨大な量の"呪毒"を凝縮させた禍々しい光を放つ青い輝石。
道満の左胸に埋め込まれた〈呪毒眼〉は"青い波紋"の糸を伸ばし、その奥で鼓動する道満の"鬼の心臓"と結びつくようにつながると、青く輝く"第三の目"としてカッと道満の左胸に見開かれた。
「かはは! 見ろ、晴明! この身に"呪毒"の力を取り込めたぞッ! かははッ!」
左胸に見開いた禍々しい〈呪毒眼〉を光り輝かせながら、片腕となった道満は高らかに笑うのであった。