16.招喚妖術・河沙毒郎
「やった! 姉やん、やった──やっぱり姉やんは天才だッ!」
「ふぅ……」
火球の明かりに照らされた断魔鬼が歓喜しながら渦魔鬼に抱きつく。渦魔鬼は安堵のため息をついた。
そんな姉妹の姿を城壁の上から見下ろしていた晴明がふるえる声を漏らす。
「あの小娘……妖鬼でありながら、マントラを唱えた……神聖なるマントラを」
マントラは人間にのみ詠唱が許された神仏の奇跡──そのような晴明の認識を渦魔鬼は才能によって大きく突き崩していた。
紫色の唇を歪めて悔しそうに歯噛みした晴明は、"黒玉"で破壊するはずだった"呪札門"を見やった。
嶽山の空洞内から射出される大太郎坊の白骨は止まる所か時間の経過とともに加速していった。
うず高く積まれていく白骨の山の中から、いよいようめき声すら発さなくなった道満の命の危機を晴明は強く感じ取った。
「私だけでは"大空華"を咲かすのは不可能……今死なれては困るんですよ、道満」
千年にわたって付き添った相方に対して、愛憎半ばな面持ちで告げた晴明。
黒靴で城壁を蹴り上げると、両手で素早く印を結びながら白骨の山に向けて飛び降りていった。
「──オン・シュリマリ・ママリ・マリ・シュシュリ・ソワカ──」
晴明は瞳を緑光させながら烏枢沙摩明王のマントラを唱えると、力強く両手を打ち鳴らした。
呪力に対して少ない法力を体内から絞り出して、第一級の法術を発動した。
黄光した白骨の山がズズズと一斉に広場の中央に向けて動き出す。晴明は空け開かれた石畳の隙間に着地しながら、白骨の山に合掌した両手を向け、さらに押し出していく。
「……最初から、これをやれ……」
壁面に体を埋め込まれ、身動きの取れなくなっていた道満が苦々しげに呟いた。晴明は横目で道満の顔を見やると、苦笑した。
「私、呪術一筋なんで……法術は滅法苦手なんですよ……それより、さっさとそこから出てくれませんかね」
生命力とも密接なつながりのある法力を急速に体内から消耗していった晴明は、額から汗を流しながら道満に告げた。
道満は鼻で笑うと両手両足を壁面から力づくで抜き取って石畳に体を倒れ込ませる。両手をついて立ち上がろうとした道満は、黒い血を盛大に吐き出した。
「──ぐッ、ぐぶッ……ごほッ!」
「ちょっと! せっかく助けにきたのに、そのまま死ぬだなんて……やめてくださいよ!」
押し出している白骨の山で、"呪札門"から飛来する白骨を防いでいる晴明が、吐血した道満の苦悶の顔を横目で見やりながら告げる。
道満は黒く汚れた口元を右腕で拭ってから、ふらつく足で立ち上がった。
「はぁ、クソったれ……不意を突かれたとはいえ……この道摩法師が、骨なんぞに……殺されかけるとはな」
道満は全身に走る激痛に顔を歪ませながら言うと、紅い"鬼"の文字を怒りに燃やした。両手を叩き合わせて鳴らすと、軍荼利明王のマントラを詠唱する。
「──オン・アミリテイ・ウン・ハッタ──」
役小角仕込みの法術が発動すると道満の体が黄光に包まれ、内外に作られた大小の怪我が治癒していく。
晴明とは逆に、呪術が不得意で法術が得意な道満は、持ち前の法力の多さを活かして立て続けに大威徳明王のマントラを詠唱した。
「──オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ──」
これも役小角の得意とした法術である。疲労が消えていき、筋肉に力がみなぎる。肉弾戦を主とした道満にとっては欠かせない法術だった。
「もういいですか……そろそろ、私の法力が尽きそうなんですが」
「ああ。しかし、助けにきてくれるとは思わなかった……てっきり、ひとりで逃げ出すかと」
道満は言いながら晴明の横を通り過ぎる。
「そんなわけないでしょ、私たち……千年の付き合いじゃないですか」
「……持つべきものは、"千年の友"というわけか」
晴明が押さえつけている黄光する白骨の山の前に仁王立ちした道満は、石畳を両足で力強く踏みしめた。
「──陰陽剛術・地天絶掌ッ──!!」
上裸の筋肉をふくらませた道満は、全身から赤い波動を放ちながら声を張り上げると、眼前にそびえる白骨の山目掛けて渾身の正拳突きを撃ち放った。
赤い波動をまとった道満の右拳は、今まで散々苦しめられた白骨の数々を絶大な威力で弾き飛ばす。
「──っ」
橋姫が息を呑んだ。青い心臓を握り潰した手を掲げ、青光する瞳で空から降り注ぐ白骨を見上げる。
上体を起こした刃刃鬼が橋姫を抱きしめて、飛んできた白骨から護る。
「──刃刃鬼様」
「やれ……橋姫」
刃刃鬼の言葉に橋姫は意を決したように頷く。"呪札門"から嶽山の白骨巨体、その最後の一片である大太郎坊の頭骨が射出された。
「……なんなんだよ、このデカい骨は」
道満は迫りくる巨大な頭骨を睨みつけた。石畳を蹴り、猛然と駆け出す。
「──いったいなんの骨だァアアッ!!」
雄叫びとともに跳躍した道満。右脚に赤い波動をまとわせると、大太郎坊の頭骨目掛けて渾身の蹴りを放った。
「──合體──」
橋姫の声が響いた瞬間、頭骨が青い光の軌道を描いて上空へ舞い上がった。
「外した!?」
道満の蹴りが空を切る。石畳への着地と同時に、驚愕の声が漏れた。そのとき、道満の目に信じがたい光景が映った。広場に散らばっていた白骨が大小問わず一斉に宙へと浮かび上がっている。
「まさか……」
晴明は戦慄した。"呪札門"から無数の青い糸が蜘蛛の巣のように伸び、広場の白骨を回収している。
青い糸に釣り上げられた頭骨が他の骨と結合し始めた。青い糸で縫い合わせられるように、巨大な骨格が組み上がっていく。
道満が後ずさりしながら晴明の前まで下がってくると、晴明が分析しながら告げた。
「あれは怨念傀儡……それも規格外の大きさです」
「……デカい骨を喚び出して、なにをするかと思えば」
白骨の巨人に圧倒された道満は歯噛みした。そのとき、巨体の胸部に開かれている"呪札門"から四つの頭骨が青い軌跡を描いて飛び出した。
「さぁ、トト様──橋姫を受け入れてくださいまし」
"青い波紋"に包まれた橋姫の身体が、まるで父に抱き上げられるように上昇していく。
役目を終えた"呪札門"が閉じられた胸部まで到達した橋姫は、ガバッと開かれた肋骨の胸奥に迎え入れられた。
橋姫が胸奥に収まった瞬間、全身にまとっていた"青い波紋"と巨体を操る蜘蛛の巣状の"青い波紋"とが融け合うように結びついた。
「ああ──これが、トト様の中なのですね」
橋姫は少女のような笑みをこぼした。開かれていた肋骨がガタガタと閉じられて、橋姫は"肋骨の檻"の中に閉じ込められた。
「カカ様、姉様方──今こそ、家族"一體"とあいなりましょう」
橋姫の声に呼応するように、四つの頭骨が鎖骨部分へ向かった。骨女、清姫、川姫、山姫──家族の頭骨が首飾りのように並んで嵌め込まれる。
ぽっかりと空いた眼孔と開かれた口奥から見る者を呪う青い光を禍々しく解き放った。
「──これにて、招喚妖術・河沙毒郎の完成といたします──」
橋姫の声が胸奥から響いた。父の骨格、母と姉の頭骨。すべてが一体になって、巨大な怨念傀儡が完成した。
家族が揃ったことに満面の笑みを浮かべた橋姫は、青い涙を流すのであった。