15.架け橋の姫
「……この程度の妨害で……刃刃鬼一家の時代が……幕を閉じるわけがないでしょうに……」
いまだ燃え続ける広場の中央にて、崩折れる刃刃鬼の巨体に寄り添った橋姫が両眼を青光させながら憎々しげに呟いた。
怨嗟に顔を歪めた橋姫の全身にはびっしりと"青い呪紋"が浮かび上がっており、周囲を取り囲む豪炎からその身を護っていた。
「……刃刃鬼様、これよりトト様を招喚いたしますわ」
橋姫は刃刃鬼の耳元に告げると、刃刃鬼はかすかに顔を動かしながら牙の伸びる口を開いた。
「……やめろ……橋姫……それをすれば、お前は」
「構いませぬ。私は、"橋の姫"──刃刃鬼様が天下をお取りになるための"架け橋"となれれば、それでよいのです」
橋姫は穏やかに告げると、寄り添っていた刃刃鬼の巨体から両手を離して立ち上がる。赤々と燃える豪炎の中にひとり屹立しながら自身の左胸に右手を押し込んだ。
橋姫は激しく脈動する心臓を握りしめ、刃刃鬼に背を向けて笑みを浮かべた。
「地獄の底より、"鬼の天下"を見届けておりますゆえ。娘たちのこと、何卒よろしくお願いいたします」
「橋姫……」
刃刃鬼がふるえる声を発すると、橋姫は青い心臓を左胸からズッと抜き取って、顔の前に掲げた。
「──偉大なる妖怪大王の一族を裏切った私への恨み、憎しみ、嫌悪──今こそ凶気となって具現化めされよ──」
橋姫が呪詛を詠うと、青い心臓が手の中で光り輝いていく。
妖鬼姉妹に歩み寄っていた陰陽師は、そこでようやく広場の中央、轟々と燃え上がる炎の奥から青光が放たれていることに気づいた。
「晴明。なんだ、あの青い光は」
「わかりません……備えましょう」
足を止めた道満と晴明が謎の青光を注視しながら言葉を交わすと、身を寄せ合う渦魔鬼と断魔鬼はその見覚えのある青光に目を見張りながら息を呑んだ。
「……カカ様、やる気だ」
渦魔鬼が口にした次の瞬間、橋姫が両眼から青い極光を迸らせながら声高らかに叫んだ。
「──どうぞおいでくださいませッ! トト様ッ!」
天に向かって叫んだ橋姫が青い心臓を握り潰した瞬間、蜘蛛の巣状の"青い波紋"が上空に向かって広がっていく。
「"呪札門"だと!?」
その光景を見上げた道満が瞠目した。上空に伸びた楕円状の"青い波紋"は、まさに"呪札門"として機能していた。
その鏡面には、嶽山の内部でうずくまる大太郎坊の巨大な白骨体を映っている。
「──まずい」
晴明が顔を引きつらせて呟いた。大太郎坊の右腕が浮かび上がると、広場に立つ陰陽師目掛けて高速で人差し指の骨が射出された。
「なンッ!?」
「フッ──!」
轟音を立てて迫る巨大な人差し指の骨。道満は驚愕し、晴明は天高く跳躍した。
「ぬんッ!? ぐふゥウウッ!!」
出遅れた道満は、人差し指の骨を腹と両腕で受け止め、両目をひん剥きながら激しうめいた。
"呪札門"から放出される白骨はそれだけにとどまらない。大太郎坊の巨体を構成する白骨が次々と浮かび上がり、道満目掛けて容赦なく降り注いでいく。
「ぐほッ!? がふッ!! ぬぅんッ!?」
道満は石畳に足を踏ん張り、正面から白骨の雨を受け止める。だがその質量に押し切られ、ついには広場の城壁まで追い詰められた。
「──ガァアアッ!! この骨ッ──いったいいつになったら終わるのだッ!!」
容赦なく城壁に体を打ち付けられてなお、止まることなく発射される白骨が飛来してはぶつかっていき、道満は"八天鬼人"の身でありながら、あまりの衝撃に幾度も気を失いかけた。
「"呪札門"から骨を撃ち出す……ですか。このような妖術は、初めて目にしました……妖術の世界というのも、なかなかに奥が深いようですね」
城壁の上に着地した晴明は、巨大な白骨の大群に滅多打ちにされ窮地に陥っている相方・道満の姿を見下ろしてつぶやくと、太い骨を吐き出し続ける"呪札門"の向こう側を見た。
「まだ"骨の在庫"はありそうですし……道満、大丈夫ですか! 耐えられそうですか!」
「──晴明、これは見世物ではないぞッ! さっさと、あの忌々しい"呪札門"を破壊せいッ!!」
「……あ! ……なるほど」
晴明の呼びかけに道満が怒号で答えると、晴明はポンと両手を叩いて声を漏らした。
「確かに、あれを潰せば骨は止まります……道満もたまには、知恵が回るのですね」
冷たい笑みを浮かべた晴明は、緑色の道着から呪札の束を取り出した。右手の呪札に左手で印を結び、呪力を注ぎ込む。
「──陰陽巧術・爆札団轟──」
瞳の"鬼"の文字を緑光させながら詠唱すると、呪札の束が緑光を放ち、融け合って握り拳大の"黒玉"となった。
「……あまり、体を動かすのは得意ではありませんが」
手にした"黒玉"を眺めて呟いた晴明は、次いで道満に向かって白骨を放出し続ける"呪札門"を睨みつけた。
「道満……この借りは大きいですよッ──!」
晴明は右足を踏み出しながら、"黒玉"を握った右手を勢いよく振り下ろした。
城壁の上から投球された"黒玉"は、壁面と白骨の間に押し潰されている道満の頭上を飛び越えると、上空に開かれた"呪札門"に向かって弧を描きながら飛んでいった。
「姉やん、あれ見てッ!」
"呪札門"に近づく謎の黒い物体に気づいて声を上げたのは断魔鬼であった。
「カカ様の邪魔をしようってわけね……!」
"黒玉"を睨みつけて声を発した渦魔鬼は、断魔鬼に告げる。
「断魔鬼、〈人砕〉をあれに投げつけてッ!!」
「投げるって、当たるわけないよ!?」
「私が当てるから! 早く!」
「よくわからないけど、わかった!」
断魔鬼は渦魔鬼の言葉に困惑しつつも、信頼する姉の言葉に従って石畳に突き刺さっている〈人砕〉を引き抜く。
渦魔鬼は〈人砕〉に向けて印を結び、光網勝童子のマントラを詠唱した。
「──オン・ソバロギ・バッタバッタ・ソワカ──」
紫光する妖力の網を練り出し、〈人砕〉の分厚い刃にまとわせた。
「ドリャーッ!」
断魔鬼はその場で一回転して勢いをつけてから、頭上を飛ぶ"黒玉"目掛けて〈人砕〉を放り投げた。
紫光する網をまとった〈人砕〉は"黒玉"と同じ高さまで飛び上がると、渦魔鬼は両手を叩き鳴らして叫んだ。
「──展開ッ!」
その瞬間、刃がまとっていた緑光する網が大きく広がって"黒玉"を捕食するように網の中に捕らえる。
「──圧縮ッ!」
次いで渦魔鬼は、重ねた両手をひねるようにして握り込む。網が一気に収縮すると同時に〈人砕〉の刃が振り下ろされ、"黒玉"を一刀両断にする。
真っ二つに割られた"黒玉"は激しい緑光を放ち始めると、大気を揺るがす大爆発を起こして、広場の上空に巨大な火球を作り出すのであった。