14.激突、悪鬼と陰陽師
苦痛が去ると、道満の体に今まで感じたことのない力がみなぎった。
「おお、この活力……これこそが"八天鬼人"の力か」
晴明も同じように体の変化を実感していた。
「なぜ御大様が私たちに飲ませようとしなかったのか、今なら分かります。私たち弟子がこの力を持つことを恐れていたのでしょう」
天海が恐る恐る口を開いた。
「それでは、〈黄金の錫杖〉を取りに……?」
「うむ、目星はついている」
道満が歩き出すと、一行は鬼ノ城を出て広場へ戻った。
「晴明、"呪札門"を頼む」
晴明が懐に手を伸ばしかけたとき、巨大な鬼門の下に朱肌の大鬼と三人の女の姿を認めた。
「……鬼っ」
天海が上ずった声を漏らす。朱肌の大鬼・荒羅刃刃鬼が広場を揺るがす激烈な咆哮を張り上げた。
「こンの──盗人めがァアアッ!!」
「……ッ!? ──陰陽巧術・黒札剣雨ッ!」
刃刃鬼が猛然と走り出すのと、晴明が呪札の束を宙空に放り投げ、詠唱するのは同時だった。
宙空に散らばった黒い呪札が、鋭い刃へと変化する。晴明が両手を打ち鳴らすと、黄色い瞳に緑の"鬼"の文字が輝いた。
「──オン・マカラカッ!」
かけ声と共に漆黒の刃の群れが迫りくる刃刃鬼の巨体に雨のように降り注ぐと、刃刃鬼は頭を下げて体を丸めた。
「──グルラァアアッ!!」
刃刃鬼が雄叫びを上げると、真紅の刃が両肩と首の後ろ、背中を覆う剣山のように生え伸びた。
その剣山に向けて、呪札の刃が次々とぶつかっていくが、刃と刃同士がぶつかり合って相殺されていく。
「……なるほど」
止まらずに迫ってくる刃刃鬼の巨体を見ながら晴明は感心したように声を上げると、ひざをかがめた後、一息に天高く大跳躍した。
「……本物の鬼、鬼ヶ島にはまだ鬼がいたではないか! 話が違うぞ、道満殿!」
刃刃鬼を指さした天海が絶叫しながら隣の道満に向けて言うと、道満は苦笑しながら口を開いた。
「天海殿、下がっていてくだされ……我ら陰陽師が今まで何百の鬼を封じてきたことか」
道満は赤い道着をはだけて鍛え抜かれた上半身を露わにした。
「"力の道満・技の晴明"……御大様は我らのことをそうお呼びくださった。なぜ、そう呼んだのか。今よりご照覧にいれましょうぞ!」
"八天鬼・絶羅"の怪力を得た道満が右足を打ち下ろすと、石畳に亀裂が走った。
「──陰陽剛術・力天嵐武──ヌゥンッ!!」
筋力を増強する陰陽術を唱えた道満。ただでさえ筋骨の発達している肉体をさらに肥大化させた。
道満は全身から赤い波動をうならせて飛ばすと、一息に跳躍して宙空を舞う晴明の下を駆け抜けた。
「ウォオオッ──!!」
猛獣のごとき咆哮を耳にした刃刃鬼が咄嗟に頭を上げた。前方には、赤虎の波動をまとった道満が迫る。
「ヌゥ!?」
刃刃鬼は思わずうなり声を漏らした。
「──陰陽剛術・虎天絶牙ッ──!!」
「──グルルラァアアッ!!」
突き出された道満の両拳に赤虎の牙が重なる。刃刃鬼も咆哮とともに両拳を放つ。両者の拳が広場の中央で激突した。
圧倒的質量同士のぶつかり合いに伴う爆発音。広場の中央に巨大なくぼみが生じると、衝撃波が広場全体を荒れ狂うように広がった。
「ひぃッ!」
その光景を目にして悲鳴を発した天海は、忠勝の背後に回り込むと衝撃波の盾として使った。
陰陽師の道着をはためかせながら、いまだ軽やかに上空を飛んでいる晴明が眼下で広がる衝撃波の一端をその身に受けると、笑みをこぼした。
「道満……さっそく鬼の力を使いこなしているのですか、さすがですね」
衝撃波が消え、広場に舞っていた砂埃が収まると、道満と刃刃鬼が抉り取られたように大きく陥没した広場の中央で互いの両拳を重ね合わせたまま停止していた。
「……トト様!?」
広場を静寂が包み込む中、鬼門の下で断魔鬼が刃刃鬼を見ながら心配そうな表情で声を漏らすと、道満はニヤリと不敵な笑みを浮かべて両拳を刃刃鬼から離した。
次の瞬間、刃刃鬼は口から黒い血をゴバァッと吐き出し、黄色い両目をグルンと上に向けて両拳を突き出したままの体制で横向きに倒れ込んだ。
「トト様ッ!」
「刃刃鬼様ッ!」
その光景を見た断魔鬼と橋姫が目を見開きながら絶叫すると、広場の中央へ駆け出した。
「──近づいちゃだめッ!!」
それに向けて叫んだのは渦魔鬼だった。渦魔鬼は上空で滞空している晴明が何やら両手で印を結びながら怪しい動きをしていることに気づいていたのだった。
「ほう、聡い者もいるようですね」
晴明が冷笑した。
「ですが、遅い」
晴明は印を結んだ両手を掲げ、地面に倒れ込む刃刃鬼と駆け寄る断魔鬼、橋姫に向けて叫ぶように詠唱した。
「──陰陽巧術・黒札滅炮──!」
晴明の瞳の"鬼"の文字が緑光すると、あたりに散らばっていた呪札の群れが強い緑光を放って次々と爆発を引き起こした。
「やめろォッ!」
「嗚呼、刃刃鬼様!」
倒れたまま動かない刃刃鬼の巨体に叫びながら抱きついた断魔鬼と橋姫は、次々と爆発していく呪札の爆炎の中にその姿を消していった。
「鬼風情が。我ら陰陽師に勝てると思うたのが間違いよ」
道満は爆炎を見つめながら吐き捨てた。晴明が隣に着地する。
「今は私たちも鬼ですがね」
「そうであったな。"滅羅の力"はどうだ?」
「なかなかです。あなたも"絶羅"を使いこなしていますね」
晴明が道満の筋肉が張った体を見ながら言うと、道満は力こぶを作りながら口を開いた。
「使わなければ力負けしていただろう。あの赤鬼、相当な強さだったぞ」
「あいつらが何者かわかりますか?」
炎上する広場の中央を見やった晴明が道着についた砂埃を手で払いながら道満に尋ねた。
「わからん……ただこの強さからして"八天鬼"の一匹──その"息子"だろうな」
「だとしたら驚きです。巌鬼以外にも生き残りがいたとは……そうすると他の女は、妻と娘といったところでしょうか」
「だろうな」
道満は燃え上がる広場の中央を見ながら告げると、後ろを振り返った。
そこには、傀儡となった忠勝といまだその背後に身を隠す天海、そしてそびえ立つ鬼ノ城の姿があった。
「一家総出で鬼ヶ島に里帰りってわけか……一足早くやってきて正解だったな。でなければ、今頃こいつらに"八天鬼薬"を──」
「──ウラァアアッ!!」
突如として響いた咆哮。道満が咄嗟に振り返ると、全身を"青い呪紋"に護られた断魔鬼が大ナタ〈人砕〉を振るって豪炎の中から迫りくるさまを目にした。
「しぶといですね」
「晴明、手を出すな。こいつは俺がやる」
晴明が声を上げると、道満は宣言するようにそう告げた。開いた両足に力を込めて踏ん張り、両手に波動をまとわせて赤く輝かせる。
「──ゼリャァアアッ!!」
雄叫びを発した道満は振り下ろされた〈人砕〉を赤光する両手で受け止めた。
全身の重みすら使って〈人砕〉に乗りかかった断魔鬼は、その分厚い刃を受け止める道満を黄色い鬼の目で睨みつけながら叫んだ。
「──飲みやがったなッ! あたいらが飲むはずだった"八天鬼薬"をッ! よくも飲みやがったなッ!」
「──やはりか! 貴様らの目当ても"御大様の遺産"ッ!」
道満は紅い"鬼"の文字が浮かんだ黄色い目を見開きながら笑って言うと、断魔鬼は悔しそうに歯噛みしながらわめいた。
「──返せッ! あたいらの"八天鬼薬"ッ! 返せよッ!」
「──かはは! "先んずれば鬼を制す"という言葉を知らんのか!?」
笑った道満は両手に力を込め、断魔鬼の体ごと〈人砕〉を放り投げる。断魔鬼の体が宙空を舞うと、石畳に強かに叩きつけられた。
「うがッ! グッ……! うわッ!?」
うめいた断魔鬼は、続けて上空から〈人砕〉が落下してくるのを見るや否や横に転がってかわした。
顔の真横の石畳に〈人砕〉の刃が突き刺さると、それを見た道満は舌打ちした。
「断魔鬼!」
渦魔鬼が駆け寄ってくると、断魔鬼の上体を抱き起こした。
「だめだ姉やん……あいつ、半端ないよ……"八天鬼の力"、あたいと姉やんが手に入れるはずだったのに」
断魔鬼は渦魔鬼の腕の中で悔しそうに言うと、その光景を見ていた晴明と道満が顔を見合わせながら言葉を交わした。
「あの姉妹、どうします」
「殺すしかあるまい」
「そうですね」
陰陽師は短い会話で結論を出すと、妖鬼姉妹に向けて一歩一歩近づいていった。
「──来るなッ!」
近づいてくる陰陽師に向けて叫んだ渦魔鬼が左手を突き出し、紫光する妖力の渦を放つ。
晴明は冷たい笑みで両手を打ち鳴らし、難なく霧散させた。
「確かに、私たちが"八天鬼人"でなければ、あなた方は互角の戦いができたのかもしれませんね」
「だが、俺たちは"八天鬼人"。すでに勝負は決しているということだ」
晴明の言葉に道満が続けると、渦魔鬼は抱えた断魔鬼の体を引きずるように後ろに下げた。
「恨むなら、"鬼の子"として生まれてきたことを恨みなさい」
「次は、"人の子"として生まれてこれるといいな」
広場の片隅で抱き合う妖鬼姉妹。緑と紅の"鬼"の文字を瞳に宿した陰陽師が、嗜虐的な笑みを浮かべながら歩み寄っていくのであった。