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12.傀儡操呪

 夜闇に包まれた江戸城三ノ丸──天海屋敷の中庭では、月光に照らされた五芒星の上で晴明と道満が祈念していた。

 石畳に描かれた呪文が淡く光を放つと、道満が目を開いた。


「鬼ヶ島だ……ようやく見つけ出せた」


 晴明も目を開くと、ふたりは視線を合わせて満足気に頷きあった。


「私たちは鬼ヶ島にいたことがありましたから、見つけられるとは思っていましたが、なかなか時間がかかりましたね」

「ああ。どこまでも続く赤い海しか見えないときは焦ったぞ。しかし、ドーマン・セーマンが協力すればたどり着けぬ場所はない」


 道満が苦笑しながら言うと、晴明も頷いて返した。


「では早速、参りましょうか、鬼ヶ島へ」


 晴明は懐に手を差し入れると、黒い呪札の束を取り出した。呪札の束を夜空に向けてばら撒き、両手を合わせて孔雀明王のマントラを詠唱する。


「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ──」


 マントラを聞き届けた呪札の束が門の形を描いて"呪札門"を形成する。揺れる鏡面の奥には鬼ヶ島の広場が広がっていた。

 道満と晴明が中庭に出現した"呪札門"の向こう側を確認するようにのぞいていると、天海が尋ねた。


「何度も聞いてすまぬが……本当に鬼ヶ島には、もう鬼はおらぬのだよな?」


 心配そうな顔を浮かべた天海。道満と晴明は顔を見合わせて思わず吹き出した。


「いい加減にしてくださいよ、天海殿」

「貴殿の瞳になんと書かれているか、ご存知でない?」


 晴明と道満がからかうように言うと、天海は瞳を薄っすらと開けて瞳孔に浮かぶ灰色の"鬼"の文字を光らせた。


「ふふふ。鬼が鬼を怖れるなどとは、私は聞いたことがございませんよ」

「かはは。俺もだ」


 笑う陰陽師を天海は睨みつける。


「……わしは鬼ではない、わしは人だ」


 天海は拳を握りしめながらつぶやいた。


「人が鬼を怖れてなにが悪いか」


 天海は言いながら目を細めると、"鬼"の文字を隠した。その様子を晴明は冷めた視線で見つめる。


「御大様はなぜ、貴殿に"八天鬼薬"をお与えになられたのでしょうか。もっとマシな──」

「言うな晴明……今や俺たちは一蓮托生だぞ」

「……そうでしたね、失礼」


 晴明と道満は紫光する"呪札門"を背にしながら天海に向けて誘うように言葉を投げかけた。


「さぁ……ともに参りましょう。天海殿」

「鬼が出たときは俺の後ろに隠れればいい。行くぞ」


 天海は陰陽師の顔をそれぞれ見ながら息を吐くと、"呪札門"に向けて一歩踏み出した。その瞬間、中庭に怒号が響いた。


「──天海殿ッ! 悪徳陰陽師の甘言に惑わされてはなりませぬぞッ!」

「……ッ!?」


 驚愕した天海と陰陽師が一斉に声の発された方を見やると、牡鹿の角が伸びる黒い兜と面頬を被り、重厚な武者鎧を身を包んだ大柄な影──徳川が誇る猛将・本多忠勝が名槍〈蜻蛉切〉を手に仁王立ちしていた。


「忠勝殿!?」

「天海殿を悪道へと導く陰陽師どもッ! 天海殿の目は騙せても、わしの目は誤魔化せんッ! この〈蜻蛉切〉にて成敗してくれるわッ!」


 天海が裏返った声で呼びかけた。忠勝は〈蜻蛉切〉を大きく振りかぶって勇ましい声を上げる。

 晴明と道満は天海を睨みつけるように見やると、天海は首を大きく横に振った。


「──知らん! 呼んでなどおらん!」


 必死の形相で弁明する天海の前に晴明が躍り出た。〈蜻蛉切〉の穂先が月光を反射する中、突進してくる忠勝を見据えて両手で素早く印を結ぶ。


「──オン・マカラカ──陰陽巧術・傀儡操呪──」


 かつて邪馬台国にてぬらりひょんが女呪術師から受けた呪術を詠唱した晴明。黒い双眸が一瞬で紫光に染まると、空気を裂くように"呪力の糸"が放出され、忠勝の顔面に襲いかかった。


「ぬぐァアアッ!? ぐォおおッ!?」


 忠勝は突然の事態に絶叫した。金属音を響かせて〈蜻蛉切〉が地面に落ちる。顔面に絡みつく"呪力の糸"を両手で掴み、引きちぎろうともがいた。

 もがくほど"呪力の糸"は顔面に粘着してへばりつき、ついにはひざから崩折れた忠勝の姿を見て、天海は息を呑んだ。


「……死んだのか?」

「静かにせい。今まさに、"傀儡"へと転じておる最中だ」


 天海の言葉に道満が答えると、忠勝を見下ろしながら両手で印を結んでいた晴明は両眼から伸ばしていた"呪力の糸"を切って両眼を閉じた。

 横たわる忠勝の顔面を覆っていた"呪力の糸"が、蛇のように両眼の奥へと潜り込んでいく。兜と面頬の隙間からのぞく黒い瞳が紫光に染まった。


「掌握完了──千年ぶりに使いましたが、呪術耐性のない猪武者が相手ゆえ、実に簡単でした」


 目を開いた晴明が笑みを浮かべながら言うと、倒れている忠勝を見て瞳を紫光させた。


「──起きなさい、忠勝」

「…………」


 命令を下された忠勝は、紫光する虚ろな瞳を浮かべながら黙って起き上がった。


「……なんと」

「晴明の得意技だ。同時にひとりだけ、自身の操り人形とすることができる──ただし、呪術に耐性のある者を除いてだがな」


 天海が自我を失った忠勝を見て声を漏らすと、道満が満足気に言ってみせた。


「鬼ヶ島での力仕事は忠勝に任せましょう。どうせ、使い捨てです──ほら、行きなさい」

「…………」


 晴明が冷たい笑みを浮かべながら告げると、傀儡と化した忠勝に"呪札門"を通り抜けさせた。

 天海は傀儡と化した盟友の背中を見つめた。胸の奥で何かがきしむ。


 ──忠勝殿、申し訳ない。


 悪徳陰陽師に騙されているのではないかと、自身の身を案じて単身助けにきてくれた本多忠勝。

 両者は、"知の天海・武の本多"として徳川家康の天下取りを長年にわたって支えてきた盟友であった。


 ──だが、不思議と罪悪感は湧いてこぬ……やはりわしは、すでに人ではないのか。


 忠勝に続いて道満が"呪札門"をくぐると、晴明が視線で"呪札門"に入るよう天海に促した。


 ──わしは、"八天鬼薬"を飲んだから鬼となったのではない。


 脳裏に蘇る炎の記憶。本能寺を包む業火、帰朝の叫び声。


 ──信長公を焼き殺したあの夜から、すでに魂は焼け落ちていたのだ。


「──わしは鬼……鬼の光秀じゃ」


 天海は両目を見開いて灰色の"鬼"の文字を光り輝かせると、陰惨な笑みを浮かべながら"呪札門"に足を踏み入れ、鬼ヶ島へと向かった。

 晴明はその様子を見届け、薄く唇を歪めた。"呪札門"を通り抜けた晴明は、向こう側で振り返り、両手を叩き鳴らして"呪札門"を閉じた。


 一瞬にして効力を失った呪札の群れが中庭に崩れ落ちると、またたく間に燃え上がって灰へと転じ、夜風にさらわれて月夜に舞い上がった。

 静寂に包まれた天海屋敷の中庭に残されたのは、主を失った名槍〈蜻蛉切〉だけであった。

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