8.四国の鬼大王
「──よく聞け、デカブツ! この刃刃鬼様こそが、四国の支配者ッ!! 鬼大王様だァアアッ!!」
平野に向かって倒れていく大太郎坊の巨体にしがみついた刃刃鬼は、その胸板を両手両足を使って駆け上がった。
跳躍して顔面に張りつくと、驚きに見開かれた大太郎坊の左の眼球目掛けて、鬼の牙を剥き出して噛みつく。
「──ガゥルルッ!!」
「……ぬガぁぁアッ!!」
大太郎坊が咆哮とともに激しく尻もちをつくと、周囲の家屋がその衝撃波で木っ端微塵に吹き飛んだ。
刃刃鬼は大太郎坊の巨大な眼球に鬼の牙を突き立てると、両手から伸びる鬼の爪で充血していく眼球を握りしめた。
「あなた様!」
「トト様ッ!」
そんな壮絶な光景を、引き裂かれた嶽山の山肌から姿を現した骨女と四姉妹が目にして悲鳴を上げた。
「……ぬんがァアアっ!!」
大太郎坊は激痛に泣き叫ぶ大声で大気をふるわせると、眼球にしがみつく刃刃鬼の体を巨大な左手で掴んで自身の眼球ごと引き剥がした。
大太郎坊の尋常ではない握力で全身を丸ごと握りしめられた刃刃鬼は、その掌の中で筋肉を強張らせると、鬼の咆哮を張り上げた。
「──グルルゥアアッ!!」
その瞬間、刃刃鬼の両肩と背中から六枚の真紅の刃が鋭い音を立てて生え伸び、大太郎坊の左拳を内側から斬り裂いた。
「……ぬガぁアアッ!?」
突如として左手に走った痛みに絶叫しながら、思わず刃刃鬼を掴んでいた握力を緩めた大太郎坊。
刃刃鬼はニヤリと笑みを浮かべ、伸びた刃を体内に収めると左手の隙間から這い出す。
そして、大太郎坊の眼球から眼孔へとつながり垂れている"視神経の束"を手足を使って駆け上がっていく。
「ああ! それは、いけません!」
「トト様ぁ! 起きてぇッ!」
刃刃鬼によって大太郎坊が蹂躙される様子を見た骨女と四姉妹は今にも気を失いそうになった。
"視神経の束"を素早く上りきった刃刃鬼は大太郎坊の眼孔の中に潜り込むと、全身を赤く染めながら内部の肉を噛みちぎり、容赦なく引き裂いていく。
「……ガぁアアッ!! ……グぁアアッ!!」
大太郎坊は顔面を両手で抑えながら地面に仰向けに倒れ込むと、その巨体を激しくのたうち回らせた。
右に左にと、大太郎坊の巨体が地面に叩きつけられる度に地震のような揺れが走って近隣の家屋を倒壊させていく。
「ん──こいつは、他の肉とはちげぇなぁ?」
刃刃鬼は大太郎坊の眼孔を"掘り進んでいった"その先に、桃色をした巨大な脈打つ"肉塊"を見つけた。
「俺の勝ちみたいだな……妖怪大王さんよォッ──!!」
血濡れた刃刃鬼は残忍な笑みを浮かべ、両手の爪と牙でもって桃色の"肉塊"にしがみつき、噛みつき、喰いちぎった。
うめいていた大太郎坊は残った右目をグルンと上に向けると、両手両足の力を失い、大の字になって完全に沈黙した。
「……あ、嗚呼……そんな」
「……トト様、嘘でしょ」
顔面蒼白となった骨女とその娘たちの中にあって、ただひとり、橋姫だけは頬を赤く上気させながら、興奮の面持ちで息を呑んだ。
「ッ……鬼って……凄い」
父である大太郎坊が鬼に惨殺されるという衝撃的な光景を前にしながら、その恍惚をふくんだ熱い眼差しは大太郎坊の眼孔から勢いよく飛び出した朱肌の若い鬼──刃刃鬼に釘づけになった。
「──グオラァアアッ!!」
血まみれの刃刃鬼が両腕を大きく広げながら、讃岐の夜空に向けて勝利の雄叫びを吼えると、橋姫は"この鬼の妻になりたい"と、心の底からそう思ってしまうのであった。
18年後──嶽山の空洞内にて、赤い祭壇に並んだ四つの頭骨の一つを橋姫が撫でていた。
「ねぇ、カカ様……おーい、カカ様ぁ?」
「……どうしました、断魔鬼」
祭壇から振り返った橋姫は、うねった赤髪に橙色の肌、額に黄色い三本角を生やした少女・断魔鬼に答えた。
「なんかぼーっとしてたからさぁ……どしたの?」
「ふふ……刃刃鬼様と初めて会った日のことを思い返していたの」
橋姫は左端の頭骨を両手で持ち上げると自身の顔の前に掲げた。
「それってさぁ、トト様が"ジジ様"を殺して喰った日のこと?」
断魔鬼は言いながら片肘を乗せて祭壇に寄りかかると、橋姫は静かに頷いた。
「ええ。大太郎坊様もお強かったのだけど、刃刃鬼様の方が遥かに強かった。その猛々しいお姿を見て……私は恋に落ちてしまったの」
橋姫は懐かしそうに話すと、手に持った頭骨を眺めた。
「……私がカカ様と姉様がたを刃刃鬼様に"捧げた"こと……お恨みですか?」
橋姫が掲げる骨女の頭骨と祭壇に並んだ川姫、清姫、山姫の頭骨に空いた二つの眼孔は、物言わずにじっと四女・橋姫の顔を見つめていた。
「その恨み、どうぞ存分に募らせてくださいませ……カカ様と姉様がたには、私が"恨みの発露"を用意してさしあげますからね」
橋姫は手にしていた骨女の頭骨を祭壇の上に置くと、断魔鬼は祭壇右端の山姫の頭骨を手のひらで雑に叩きながら口を開いた。
「へへへ。大人しくしててねぇ、ババ様とオバ様たち」
断魔鬼が笑いながら告げると、淡い緑色の肌に真夜中の森のような深緑色の長い髪、そして黄色い三本角を額に生やした少女が"祭壇の間"に姿を現した。
「カカ様、鬼ヶ島の"位置"が見つかりました」
「っ、本当ですか? 渦魔鬼……あなたは天才ですね」
「うん。姉やんって、マジで天才」
渦魔鬼と呼ばれた少女が凛とした声で告げると、橋姫と断魔鬼は渦魔鬼の後を追って"祭壇の間"を離れた。
嶽山の空洞の奥には巨大な真紅の玉座が置かれており、その玉座にはさらに巨大な朱色の肌をした大鬼・荒羅刃刃鬼が鎮座していた。
「おう橋姫、とうとう渦魔鬼が鬼ヶ島を見つけたぞ」
刃刃鬼は反抗的な四国の妖怪たちを喰らい続けた結果、異常に筋肉の発達した屈強な肉体を膨らませながら低い声を発した。
「ええ、誇らしいですわ。さすが私たちの娘……"鬼と妖の融合体"です」
橋姫はそう言って刃刃鬼の巨体に飛び乗ると、左膝の上に座って胸筋にしなだれかかった。
「まさしくだな……おい断魔鬼、すねるでない……確かに渦魔鬼は橋姫に似て妖術が得意だが、お前は俺に似て力が強いのだからな」
姉の渦魔鬼が褒められてつまらなそうにしていた妹の断魔鬼の様子に気づいた刃刃鬼が手招きをした。
「そうだ、あたいはトト様似なんだっ!」
断魔鬼は嬉しそうに刃刃鬼に向かって駆け寄ると、その左隣にぴたりと寄り添った。
刃刃鬼はそんな断魔鬼に分厚い左手を伸ばして、赤い髪が伸びる頭をごしごしと強く撫でた。
「お前が背負う〈人砕〉。それを軽々と振るえるということが、俺に似ている何よりの証拠よ」
断魔鬼は身長より長い大ナタ〈人砕〉を背負っていた。斧のような無骨で分厚い刃は、斬るより砕くことに特化していた。
「トト様から貰ったその日から、あたいはこいつでトト様の邪魔するやつらを蹴散らすって決めてんだ!」
〈人砕〉は刃刃鬼が断魔鬼の10歳の誕生日に贈った手製の武器だった。当初は両手でも持ち上げられなかったが、毎日の鍛錬によって16歳になった今では片手で振り回せるまでになっていた。
「その意気だ、断魔鬼。お前の怪力、期待しているぞ」
「おうよっ!」
断魔鬼は、〈人砕〉の大刃をドスンと地面に落とすと、片足を刃の上に乗っけて威勢よく答えて返した。
「そうよ断魔鬼。刃刃鬼様の"覇道"のお力添えとなることが、あなたがた姉妹のお役目なのですからね……では、渦魔鬼」
「はい、カカ様」
橋姫に促された渦魔鬼がしなやかに玉座の前まで進み出ると、胸元が開いた黒い着物の中に右手をスッと差し入れて、母であり妖術の師匠でもある橋姫仕込みの青い呪札の束を取り出すと、宙空にばらまいた。
「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ──」
孔雀明王のマントラを唱えた渦魔鬼が黒い爪をした指先で宙空に円を描くと、紫光した呪札の束が門を形作って"呪札門"が現れた。
青い瞳を細めた橋姫が、"呪札門"の揺れる鏡面に映し出された向こう側の景色を確認すると、静かに口を開いた。
「渦魔鬼、よくやりましたね……鬼ヶ島の"位置"は、鬼でなければ掴むことができない……"鬼の血"が体に流れるあなただから導けたのですよ」
「鬼ヶ島に行けば、"役小角の遺産"がある……その遺産を用いれば、日ノ本全土を"鬼の領域"にすることが叶う……私、鬼ヶ島に行くのが楽しみです」
渦魔鬼は笑みを浮かべながらそう告げると、玉座に歩み寄って刃刃鬼の右手にしとやかにしなだれかかった。
橋姫、渦魔鬼、断魔鬼の三人が、巨大な玉座に鎮座する荒羅刃刃鬼の巨体にそれぞれの形でぴたりと身を寄せ合うと、刃刃鬼は鬼ヶ島につながった"呪札門"を睨みつけた。
「これより、刃刃鬼一家の時代の幕開けだ」
力強く宣言した刃刃鬼の背後には、大太郎坊の巨大な白骨体がうずくまった体勢で置かれていた。
橋姫と刃刃鬼によって乗っ取られた嶽山を、頭骨にぽっかりと空いた二つの大きな眼孔にて、黙って見下ろし続けるのであった。