6.カボソと猿猴
「んめッ、んめッ!」
四万十川西岸の森の中にある洞穴の奥深く、並ぶ燭台によって明るく照らし出されたその開けた空間にて、朱肌の少年鬼・刃刃鬼がザルに盛られた新鮮な川魚に手を伸ばしては、休むことなく喰らい続けていた。
鬼の牙を晒しながら豪快に食事をするその様子をカワウソに似た妖怪であるカボソの集団が距離を取りながら恐る恐る見ていた。
「……こりゃぁ、間違いなく鬼子だべ……本当に連れ帰って大丈夫だったんだべか?」
「けんども、あのまま置いとくわけにもいかんでしょ……日が暮れれば猿猴が対岸から出てくるんぞ……」
「……猿猴に取られるか、カボソが取るか……そういう話だんべな」
洞穴の壁際に身を寄せあったカボソたちがひそひそ声で話し合っていると、あぐらをかいて川魚を食らっていた刃刃鬼が黄色い目をギロリと向けた。
「ひっ……四万十の川魚は、お口におあいになりましたでごぜぇましょうか?」
前掛けをつけたカボソの一匹が、もみ手をしながら刃刃鬼に声をかけると、刃刃鬼は口から魚の骨をペッと吐き出した。
「お前ら、何をそんなに怯えている……俺がそんなに恐ろしいかよ」
刃刃鬼はまだ幼さの残る声でそういうと、メガネをかけたカボソが引きつった笑みを浮かべた。
「あっしらカボソは四国のしがない田舎妖怪でやんして、本物の"鬼様"を見るのが初めてなんでやんす。もちろんお噂はかねがね聞いてやんす。なんでも人間どもに臆さずに立ち向かうという……へぇ、そのようなお噂を」
「わしらなんてのはせいぜいが人間を驚かしたり、いたずらするのが関の山で……村を襲うなんてことをやってのける鬼様には、憧れを抱いておりましたのでごぜぇます」
「ふーん、そうかい」
メガネのカボソの言葉に前掛けのカボソが同調して答えると、刃刃鬼は満足気な笑みを浮かべ、たらふく食った川魚でふくれた腹を撫でた。
「んで、お前ら俺になんかしてほしいことがあんだろ? はっきり言えよ」
「っ!?」
刃刃鬼の言葉にカボソの集団はギョッとしながら互いの顔を見合わせた。怖ず怖ずと前掛けが刃刃鬼に近づくと、地面に落ちていた棒を拾い上げながら口を開いた。
「お見通しでごぜぇましたか鬼様……実はでごぜぇますね、わしら四万十の西岸に棲むカボソは、東岸に棲む猿猴という猿に似た河童どもと縄張り争いをしておりまして」
前掛けは棒を使って、四万十川の両岸にいるカボソと猿猴の絵を地面に描きながら刃刃鬼に状況を説明した。
「それが最近、児啼という頭の回る妖怪を猿猴どもは仲間に引き入れまして……夜な夜な対岸までわたってきては、わしらカボソを追い出そうとするのでごぜぇますよ」
言いながら前掛けは、猿猴の隣に赤ん坊の格好をした老人の絵を描いた。
「なるほどな……それで、鬼の力を借りたいってか」
「その通りでごぜぇます……カボソに拾われたのは何かの"ご縁"と思って、わしらに協力していただけねぇでしょうか?」
前掛けが毛深い頭を下げると、刃刃鬼の腕が伸びてその頭を鷲掴みにした。
「あがッ──!?」
「──俺はよォ、"ご縁"って言葉が大嫌いなんだ。生きていくのにんなもんは必要ねぇ──すべては"自力"で掴み取んだよッ!!」
「──がっ、あががっ!」
刃刃鬼は前掛けの頭を握り潰そうと力を込めたもののカボソの頭骨も相当に硬く、今の己の力では破壊できないと理解して手を放した。
「ひぎぃっ……ひぎぃっ!!」
怯えきった前掛けは、悲鳴を発しながら地面を這いずってカボソの集団まで戻っていった。
「まぁいいや。魚は美味かったし、児啼ってのも気に食わねぇ。それに俺はサルが大嫌いだからよ……いいぜ、殺してきてやるよ」
刃刃鬼が立ち上がると、メガネが慌てて声を上げる。
「今からでやんすか!?」
「──たりめぇだろッ!!」
鬼の睨みを効かせながら刃刃鬼が吼えると、カボソたちは一斉にふるえ上がった。
身を寄せったカボソたちは、洞窟を出ていく刃刃鬼の背中を戦慄の眼差しで見送るのであった。
一方その頃、四万十川東岸、猿猴の砦にて──。
「今宵、あの醜いカワウソどもを一匹残らず始末する。準備はよろしいな?」
森の中に木材で組まれた砦の上で、武装した猿猴の集団を見下ろしながら児啼が確認の声を発した。
「──ヴォオオッ!!」
竹槍や斧、火のついた松明などで武装した猿猴たちが咆哮を上げて呼応すると、入り組んだ砦のそこかしこで体を揺らした。
「……そもそもサルがカワウソ相手に争っていること事態おかしいのだ……まったく、情けないのう」
児啼は眼を細め、首を横に振りながらため息をはいた。
「しかしわしがきたからにはサルが勝つ。この児啼、ぬらりひょんの旧友にして日ノ本きっての知恵者じゃ。大船に乗ったつもりで──」
「──グォラァアアッ!!」
演説する児啼の背後に広がった森の奥から、この世のものとは思えぬ恐ろしい雄叫びが鳴り響いた。
次の瞬間、鬼の目を光らせ、両手から伸びる爪を振りかざした刃刃鬼が森の中から児啼目掛けて襲いかかった。
「──ぬんッ!?」
驚愕しながら振り返った児啼は、咄嗟に両手を合わせて念を込めると、石化妖術を使って瞬時に全身を硬石へと転じた。
石化した児啼は、刃刃鬼が振り抜いた両手の鬼の爪による攻撃を硬い音を立てながら防いだが、そのハゲ頭の左右にはくっきりと斬り裂かれた痕跡が走る。
「──ホァアアッ!! オニダッ!! オニダァッ!!」
猿猴の一匹が赤い目をひん剥きながら、朱肌の少年鬼・刃刃鬼に向けて叫ぶと、砦に居た猿猴たちが一斉に吼えながら刃刃鬼に向かって飛びかかった。
刃刃鬼から遅れること10分──猿猴の砦に到着した武装したカボソたちは、その光景を見て愕然とした。
「……な、なんだあ、こりゃあ」
「おせぇよ、もう終わっちまったぞ?」
猿猴の返り血を浴びて、朱色の体を真っ赤に染めた刃刃鬼が、手に握った瀕死の猿猴の頭を握り潰しながら言う。
「俺が強すぎるのか、この猿が弱すぎるのか……まるで歯ごたえがなかったぜ」
カボソたちは刃刃鬼の声を耳にしながら、凄惨な状態が広がっている猿猴の砦を見回した。
森の木々の間に組まれた猿猴の砦──その端々に猿猴の残骸が飛び散ってぶらさがっているのを見たカボソは嫌悪感に眉をひそめた。
「残りは悲鳴を上げながら森の奥に逃げていっちまった……ったく、こんなのがのさばってるなんて、よほど平和なんだな、四国ってのはよ」
刃刃鬼は握りしめた猿猴の死骸を口元に運ぶと、ぼたぼたと垂れる鮮血を喉を鳴らして飲み始めた。
「ぷはァっ──かはは、悪くねぇ悪くねぇ……!」
笑いながら血を味わうと、猿猴の肩に食らいついて、肉を噛みちぎって咀嚼する刃刃鬼。
カボソたちはその狂気の光景を目にすると、戦慄しながら小さく口を開いた。
「……妖怪を……喰ってるでやんす……」
「鬼様からしたら……妖怪も魚も……変わらんのだべ」
「……わしら、とんでもねぇバケモンを拾っちまったんでねぇのか」
「今更どうすることもできねぇ……鬼様にしたがって、カボソが生き残ることを第一に考えるしかねぇべ……」
カボソたちがひそひそ声で話し合っていると、刃刃鬼が食べかけの猿猴の死骸を放り投げて歩き出した。
「──おいッ!! 残ったのはてめぇだけだッ!! さっさと変化を解けよクソジジイッ!!」
刃刃鬼は合掌した状態で石化している児啼に向けて吼えるように告げた。
「──それともなんだッ!? 俺と力比べがしてぇってのかァ!? ああん!?」
叫んだ刃刃鬼は、両手を広げて児啼の石化した頭を掴もうとする。
「ひぃッ!! 参ったッ、参ったぁッ!! わしの負けじゃ!! わしの負けぇっ!!」
悲鳴を上げながら石化を解いた児啼が、半べそになりながら両手を上げた。
ハゲ頭の左右には、刃刃鬼が振るった鬼の爪によってできた痛々しい裂傷が走っていた。
「降参する! 今すぐに四国から出ていく! だから、許してくれぇ!!」
「鬼様、そいつは平気で嘘をつきやす! 信じちゃだめでやんすよ!」
「っ、余計なことを言うなカワウソっ!!」
メガネが声を上げると、両手を上げて命乞いする児啼はハゲ頭に血管を浮かばせながら顔を赤くした。
「俺はジジイに嫌な思いをさせられててな、お前みたいなジジイは端から生かしちゃおけねぇんだ」
刃刃鬼は自身を"四国送り"にした役小角の顔を思い浮かべながら言うと、鋭い鬼の爪が伸びる両手を児啼に向けた。
「待てぇッ! わしはおぬしに、"知恵"を授けようではないかッ!!」
「──あん?」
児啼は血走った目を大きく見開きながら、わめくように声を張り上げた。
「おぬしの鬼の力と、わしの知恵があれば、もはやその勢いを止められる者は四国にはおらぬッ!! さすればおぬしは、"四国の鬼大王"として君臨するのじゃッ!!」
「……四国の鬼大王」
刃刃鬼は児啼から放たれた言葉を吟味するように口にすると向けていた腕を組んだ。
「鬼様! そんな胡散臭いやつの言うことを信じちゃいけねぇでやんすよ!」
メガネが刃刃鬼に訴えると、児啼が水を差すなとでも言いたげにキッと睨みつけた。
「俺はこいつの言うことを信じたわけじゃねぇ……俺は俺の"自力"のみを信じている……それなら確かに、ああ、俺は"四国の鬼大王"に君臨するだろうよ」
「だが、わしの知恵があれば、"もっと早く"、おぬしを鬼大王にできる……違うか?」
刃刃鬼の言葉を受けた児啼はそう告げると、まだ年若く、成熟してない鬼である刃刃鬼の顔を見上げた。
「いいねぇ……"もっと早く"か」
刃刃鬼はニヤリと笑いながら児啼の言葉に納得したように頷いた。児啼もまた刃刃鬼に対して頷いて返す。
──い、命拾いした! まったく、子鬼風情がわしの肝を冷やしおって!
──利用してやる! 骨の髄まで徹底的に利用してやるからな、鬼の小僧!
児啼は刃刃鬼に対して服従するような笑みを浮かべながらその内心では、四国妖怪頭目として成り上がることを目論むのであった。