1.桃姫百人力
3月3日──桃の節句、上巳の節句、ひな祭り。
日ノ本の古来より様々な呼び方あれど、この花咲村にもまた春がおとずれた。
関ヶ原の決戦から1年半が経ち、桃姫はひとり、荒廃した花咲村の片付け作業にいそしんでいる。
「──ふんっ!」
桃姫はかけ声を上げると、大の男が10人がかりでようやく持ち上げられる巨大なやぐらの残骸をひとりで肩に担ぎ上げた。
そのまま歩き出し、村の外まで運んでいくと、森に向かって全力で放り投げる。
「──だァッ!」
両手で放り投げられた黒焦げた材木は、森の木々に飲み込まれるように放物線を描きながら落下した。
天照大御神は体から抜け出ていたものの、桃姫の濃桃色の瞳に走る黄金と白銀の波紋が示すように、いまだ神仏融合体としての力は健在だった。
そんな、神仏の力を同時に宿した桃姫は、正しく"百人力"とも呼ぶべき尋常ならざる力をその体から発揮していた。
「はぁ……これで、やぐらが、片付いた……はぁ、はぁ……」
荒くなった呼吸を落ち着けながら、額に浮かんだ汗を着物の袖をまくった腕で拭った。
桃姫は村に戻ると、1年半かけて片付けた村を見回した。静かに口を開く。
「……父上、母上……おつるちゃん……」
桃姫の声は風に溶けていく。
「私、全部、片付けたよ……」
4年前のあの惨劇の夜、鬼の襲撃を受けて燃え上がった花咲村。その悲惨な残骸を桃姫はひとりで黙々と片付けてきた。
その行為には弔いの意味もあった。この村に確かに住んでいた人たち、村人たちの笑顔を一つ一つ思い出しながら、燃え朽ちた家々を解体し、片付けていく。
それと並行して桃姫は、石碑の建立も行った。桃姫は花咲山で手頃な大岩を見つけると、それを削り出して石碑を作り、村役場の解体中に拾った名簿を便りに村人の名前をひとつひとつ彫った。
そこには、桃太郎、小夜、おつるとおかめ、おはると三郎、向かいの家のおばさんおとよの名もしっかりと刻みつけた。片付けとは別に行うその行為によって、村で唯一生き残った桃姫の心が救われる部分が大いにあったのだ。
そして、村人の亡骸が眠る桃の木の下に石碑を建立し、燃え朽ちた家々がすべて片付けられると、最後に残されたのは村の中央に鎮座する巨大なやぐらの残骸であった。
あの日、おつると料理を運んでいる際に桃姫が垣間見た光景──桃太郎がやぐらの上で照れながら手を振った刹那、世界のすべてが一変してしまった、あのやぐらである。
家々を片付け、石碑を作る間、桃姫は極力あの忌々しいやぐらを見ないようにしていた。しかし最後に残されれば、否応なく相対せざるを得なかった。
やぐらの前で息絶えた桃太郎の血溜まりは4年分の雨風によって土から消えてはいたが、桃姫はやぐらに近づくたび、眼の前が暗くなる感覚を覚えた。
そして実際にやぐらを片付けている最中、いくつかの人骨が出てきたりもした。
4年もの間、やぐらの残骸に押しつぶされていたのだと思うと、桃姫の胸は締めつけられた。それでも、一片も残さず丁重に拾い集めると、桃の木の下に埋めて合掌した。
「……残ったのは、私の家と、桃の木だけ」
桃姫は村の中にぽつんと立つ、質素ながらもひとりで再建した桃姫の家と村はずれに立ち並ぶ五本の桃の木を見た。
桃の花が満開に咲き誇っている。春風が花びらを舞い散らし、村人たちが眠る地面を桃色の絨毯で静かに染め上げていく。
「……あとはただ、この村で静かに暮らしていくだけだね」
村ひとつ分の片付けをたったひとりで行うという大仕事をやり遂げた桃姫は、静かに目を閉じた。
花咲山で鳴くウグイスの声を耳にしながら、心地よい春風に体を預ける。
そのとき、懐かしい気配を背中越しに感じた桃姫は、瞳を驚きに見開きながら振り返った。
「──雉猿狗ッ!?」
桃姫は亡き相棒の名を呼びかけるが、眼前にはただ、桃の花びらが春風に巻き上げられて備前の青空に舞い飛ぶ光景が広がるのみであった。
それでも、桃姫は確かに感じていた。"お疲れ様でした、桃姫様"と太陽のようなほほ笑みを浮かべながらねぎらう、あの翡翠色の瞳を持つ愛しい人の気配を。
その日の夜──桃姫は花咲山で採った春の野草を入れた味噌汁と玄米の食事を作り、小さな仏壇にもお供えした。
簡易的に作った手製の仏壇には、両親の位牌と両親から贈られた手紙、おつるの赤いかんざしが置かれていた。
線香を焚いて、白い巻貝の腕飾りをつけた手を合わせ、村の片付けが終わったことを三人に報告した。
そして、ひとり分の食器を並べたちゃぶ台の前に敷いた座布団に座ると、手を合わせながら口を開いた。
「……いただきます」
桃姫は声に出すと、ひとり、静かに食事を始めた。家の外では、伊達の白馬・白桜が干し草を食んでいた。
食事を終えて食器を片付けた桃姫は、家の裏手にある縁側に向かった。
すると、同じく食事を終えた白桜がやってきて桃姫に挨拶するように頭を下げた。ほほ笑んで返した桃姫は村の外、花咲山のふもとに見える赤い鳥居を眺めた。
村の家々が片付けられた今、桃姫の家の縁側からまっすぐに赤い鳥居を眺望することができた。そして桃姫は、その鳥居の先にある三獣の祠に想いを馳せた。
「……雉猿狗……会いたいよ」
桃姫がため息をつくように呟くと、白桜が心配そうに顔を寄せてきて、桃姫はその頬を撫でた。
「そうだね、白桜……私たちは仙台城に帰るべきなのかもしれない。村の片付けは終わった。みんなの供養も済んだ。いろはちゃんの所に戻ろうか?」
桃姫は言いながら、気持ちよさそうに目を細める白桜の温もりを手のひら越しに感じた。
「白桜も月影に会いたいでしょ……? 仲、よかったもんね」
桃姫の問いかけに白桜は嬉しそうに鼻を鳴らして返した。
「突然私が仙台城に現れたら、いろはちゃんびっくりするだろうな……ははは」
桃姫は白桜から手を離して膝の上に置くと、半年以上会えていない五郎八姫の驚く顔を想像して笑った。
そして、春の夜空に浮かんだ白い満月を眺めながら深く息を吸った。
「……帰れる場所がある、待ってくれてる人がいるっていうのは……本当にありがたいことだよね」
桃姫はそう言うと、両手を夜空に向けて伸ばした。満月の光を浴びながら、気持ちよさそうに目を閉じるのであった。