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39.仏薬と仏桃

「……ここは」


 濃桃色の瞳を見開いた桃姫が呟くように放った声が果てなくどこまでも広がる真っ白な空間に吸い込まれた。


「かかか。どうやらわしら、"時空の狭間"に流れ着いてしまったようだのう」

「……ッ!?」


 振り返った桃姫の視線の先には笑みを浮かべた役小角が立っており、その背後には椅子が二つ、間には黒い"映写機"が置かれている。


「法術、呪術、陰陽術……! いったい何をしたッ……!」


 桃色の髪と着物姿に戻っている桃姫が、両拳を構え、睨みを効かせながら役小角に対して声を荒げた。


「落ち着け。わしは何もしとらん……しかし、あれだけの光が一ヶ所に集まれば、何が起きても不思議ではない……ほれ、あつらえたように椅子がある……よい機会だ。ちと座って話そうではないか」


 役小角は椅子に腰かけ、深く息をついた。桃姫は両拳を構えたまま、訝しんだ眼差しで役小角を睨み続ける。


「もう悪さしようとは思わんよ。おぬしの勝ち、わしの負け……きれいさっぱり結果を受け入れましたわいの……その証拠にほれ」


 役小角はそう言うと、両眼を開いて眼球全体が白く染まった瞳を桃姫に見せた。


「……そんな言葉、信じられると思う……あなたがこれまでどれだけの"悪意の種"を日ノ本に撒いてきたのか……」


 そのとき、ジジジジという機械音とともに"映写機"がひとりでに動き始めると、大画面の"映像"がパッと表示された。


「……お、おお」

「ッ……何っ?」


 白い眼を開いた役小角が楽しげに声を漏らすと、桃姫は自身の体とその背後の白い空間に映し出された"映像"を見て驚きの声を漏らした。

 ガタガタと揺れる"映像"には、役小角が"白銀色の雫"入りの小瓶を眺める様子が映っていた。


「なんと……これは"仏薬"を煎じたときのわしではないか」

「……"仏薬"……?」


 椅子に座った役小角が"映像"を見ながら懐かしそうに声を上げると、桃姫は"仏薬"という言葉が引っかかって繰り返した。


「うむ。飲んだ者の血に"仏の力"を与える……千年善行の集大成じゃよ」

「……ッ!?」


 何気なく告げられた役小角の言葉、それは"仏の力"を持って生まれた桃太郎と桃姫にとっては何より重大な話であった。


「ほれ、そこに突っ立っておったらよく見えんじゃろが。わしの隣に座りんしゃい」

「…………」


 桃姫は"映像"を横目で見やってから、役小角の隣の椅子に慎重に腰かけた。

 その様子を見た役小角は千年握り続けていた〈黄金の錫杖〉を失って手持ち無沙汰になった両手の指を組み合わせると、口を開いた。


「"仏薬"……わし自らが飲んで"仏"になるという誘惑に駆られもしたが、なんとか耐えた……なんせ、わしの"千年善行"の目的……それは、わしが蝦夷地で惚れた鬼の王を超越することじゃったからのう……"仏薬"は、その過程で生まれた副産物に過ぎんのよ」


 役小角は言いながら、"映像"に映る過去の自分の姿を見て苦笑した。


「さて、わしは"仏薬"をどうするか心底悩んだ……"闇の大空華"を咲かせるためには必要がない、かといって使わずにはいられない……よってわしは、立ち寄った村で一つの余興をすることにしたのじゃ」


 "映像"が進んでいくと、白頭巾で顔を隠した前鬼と後鬼を引き連れた役小角が花咲川を訪れる様子が表示された。


「桃の中に"仏薬"を垂らして、"仏桃"とする……して、それを川上から流し、拾った者に"仏の力"を与えようとな……つまりは"天の采配"じゃ……かかか。中々に趣があるじゃろう?」


 "映像"では、役小角が大きな桃に指で穴を開け、小瓶から白銀色の液体を垂らしている。


「……ところがどうだ、"仏桃"を拾ったのは薄汚い老婆ではないか……わしは心底がっかりしたよ……しかし、所詮は余興だと考え、気前よく老婆に"仏桃"をくれてやった」


 "映像"には、"仏桃"を貰い感謝して拝む老婆と、立ち去る役小角と二体の大鬼が表示された。


「それからは……まぁ、おぬしも詳しいであろう」

「……"桃太郎の物語"……」


 隣の椅子に座った役小角の問いかけに対して、桃姫は自身で描いた紙芝居の題名を口にした。


「うむ……わしは桃太郎の"御師匠様"となり、修行をして鍛え、二振りの仏刀を与え、三獣を授け……鬼退治へと導いた」

「……なぜ、そんなことをしたの……」


 役小角はそれぞれの場面が映し出される"映像"を見て、懐かしみながら口にすると、桃姫は眉根を寄せながら尋ねた。


「おかしいでしょ……あなたは鬼の王を超越することが目的だったのに……なぜ、桃太郎を育て鬼退治させたの!?」

「それがのう──わしにもようわからんのよ」

「……はっ?」


 役小角のため息交じりの言葉を耳にした桃姫は怒気が混じった声を発した。


「いやな、桃太郎が愛おしかったのは事実よ……子を持たぬわしにとって、"目に入れても痛くない"というのはこの事かと思い知ったわいの。かかか」


 桃太郎と共に花咲山で修行を楽しむ役小角の姿を映し出した"映像"を見ながら、役小角はほほ笑んで目を細めた。


「しかし、桃太郎を育てる必要がないのも事実じゃ……大悪路王を顕現させるためならば、わし自らの手で鬼ヶ島を滅ぼせばよい……そんなことは"千年善行"を終えたわしには造作もない」


 役小角は自身の告げる言葉に、自身で納得するように深く頷きながら言葉を続けた。 


「しかしわしは、桃太郎を育て、鬼退治をさせることに……そう、"夢中"になったのじゃ……"桃太郎育成遊戯"とでも呼ぼうか……わしは桃太郎と過ごしたあの時間──この世に生きる楽しさを初めて味わった」


 椅子に座った役小角は心穏やかな笑みを浮かべて、三獣とともに吉備団子を食べる桃太郎と、その光景を笑みを浮かべながら眺める役小角の姿が表示された"映像"を見ながら感慨深げに言った。


「確かに、鬼人兵を作り出し、村々を蹂躙する、これもまた愉快ではあった……大悪路王となり、関ヶ原を闊歩して黒く染め上げる、ああ痛快じゃったよ……しかしのう、そのどれもが桃太郎と過ごした時間の尊さと比べれば……んん、なんとも味気ない時間じゃった」


 役小角は白く染まった瞳で純真無垢な桃太郎の笑顔を見やってからフッと顔を伏せた。


「そして、わしは気づいてしまったのじゃ……"闇の大空華"を桃配山に咲かせた瞬間……ああ、わしの"千年の夢"はこれにて幕を閉じたのだ……とな」


 役小角はそう言うと、ジジジジと機械音を立てる黒い映写機越しに隣の椅子に座る桃姫の顔を見やった。


「だからわしは、神仏融合体となったおぬしが関ヶ原に降臨した瞬間、心が打ちふるえた……わしの"夢の後始末"を、最愛の桃太郎の娘が果たしてくれるのだということに」

「……ッ!? ふッ、ざけるなァアアッ!!」


 役小角の告白を聞いた桃姫は怒りにふるえる両目を見開くと、怒号を発しながら"映写機"を蹴り飛ばして、白装束の胸ぐらに両手で掴みかかった。

 そして、座っていた椅子ごと押し倒すと、その老体に馬乗りになる。


「そんなのって勝手すぎるよッ!! あなたが千年前に見た"夢"のせいで!! どれだけの人が犠牲になったかわかってるの!?」

「かかか。まったくじゃの……反論の余地ナシ……かかか」


 声を荒げる桃姫に対して、役小角は乾いた笑いを発した。


「なんで笑うッ!? こんな状況で笑うなッ!! 笑うなよッ!! これ以上、笑うなぁッ!!」

「ッグ……!! ぐフッ!! ごフッ!! ごホッ!!」


 目に涙を浮かべた桃姫は叫びながら、胸ぐらを掴んだ役小角を幾度も床に叩きつけた。

 役小角は抵抗せずその身を打ちつけられ続けると、口の端を釣り上げながら桃姫の顔を見上げた。


「……わしの千年も無駄ではなかった……桃太郎とおぬしに、逢えたのだからな……」

「──っ!!」


 桃姫は絶句した。役小角が作った"仏薬"によって桃太郎は生まれ、そして自分もこの世に生を受けた。


「……ッ、そんなこと、言うな……!!」


 役小角の見た"夢"が自分と桃太郎を生んだ。その事実に気づいた桃姫は両手を離すと、白い床の上に力なく崩折れる役小角を睨みながら後ずさる。


「……とはいえ……千年かけて積み上げた善の蓄えを、帳消しにしてしまうような……いや、それを上回る悪行を……わしは関ヶ原でしてしもうたからのう」


 役小角は咳き込みながら起き上がると、桃姫を見やりながら告げた。


「かかか……わしは何事においても……ちと、やり過ぎてしまうきらいがあるでな……大宇宙における"陰陽の均衡"を、またもや崩してしまったわいの」

「今さら気づいたところで……もう、何もかも手遅れなんだよ……あなたがやった悪行は……あなたが奪った大勢の命は……もう、もとには戻らないのッ!!」


 顔を伏せた桃姫はそう言いながら、自身の椅子に倒れ込むように腰かけて、両手で顔を覆った。

 役小角は桃姫の前に立ち、桃太郎を思わせる桃色の頭をじっと見下ろした。


「のう、桃の娘よ……この役小角……いまさら、赦してくれとは言わん……ただ、少しでもこの罪過を償うために……わしは──"風"になりますわいの」


 役小角の言葉を耳にした桃姫は顔を持ち上げると、役小角を見た。


「……未来永劫、日ノ本の大地を吹きすさび、護り続ける……終わりのない、"風"になりますわいの」


 役小角はそう言いながら両腕をゆっくりと大きく広げると、白く染まった両目を大きく見開いていく。


「……何を、言ってるの……」


 それに対して桃姫が眉をひそめながら声を漏らした瞬間──突如として役小角から凄まじい突風が放たれ、椅子に座る桃姫に向かって吹きつけた。


「……ッ!?」


 椅子が吹き飛ばされ白い空間を転がっていくと、桃姫は顔の前で両腕を交差し、突風に耐えながら白く光り輝く役小角の姿に瞠目した。


「それをわしの、罪滅ぼしとしようではないかのうッ──!!」


 力強く宣言した役小角の両目と口内から眩い白光が放たれた。それは、"人"が"神"へと昇華していく光景であった。


「……役、小角ッ!!」

「──わしは風じゃあッ!! "役小角の風"じゃあッ!! クァカカカカカカッ──!!」


 役小角の体が極光の粒子となって崩壊していくと、桃姫も極光の奔流に飲み込まれていく。

 "戦国時代の関ヶ原"──桃配山の斜面にて、神仏融合体・桃姫の両手に挟まれた役小角が白光を放ちながら極光の粒子へと転じて崩壊していった。


 ──桃の娘よ、さらばじゃ──いずれまた、逢おうぞ──カカカカカカッ──!!


 声なき声でそう告げた役小角は、桃姫の両手をすり抜けて舞い上がり、"役小角の風"となって天空へ吹き上がった。

 "光の大空華"の美しい威光を上空から見届けたあと、満足気に笑いながら霧散し、日ノ本の蒼天に吹く風と一体化して消え去っていくのであった。

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