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11.三獣の祠

 桃姫がしばらく歩くと、巨大なやぐらが姿を現し始めた。桃太郎の指示のもと、村の男衆の手によって半月かけて築かれたやぐらは堂々たる仕上がりとなっていた。


「……わぁ」


 思わず感嘆の声を漏らした桃姫。やぐらを見上げながら近づくと、図面を開いた作業台に集まる男衆に指示を出していた桃太郎がその姿に気づいた。


「お、きたきた……それじゃあ、みんな。怪我に注意して、最後まで気合い入れてよろしく頼む」

「はい、桃太郎様!」

「気合い入れます!」


 活気ある男衆の返事に頷いた桃太郎は足早に桃姫に歩み寄り、頭に巻いていた手ぬぐいを外して顔の汗を拭いながら声をかけた。


「早かったな、桃姫。おつるちゃんがちゃんと見つけてくれたんだね」

「うん。ねぇ父上、みんなすごいね。だって、ちょっと前まで広場には何もなかったのに、こんなでっかいやぐらを建てちゃうなんて」


 威勢の良いかけ声を発した男衆の手によって麻縄で縛られた大太鼓が舞台へと引っ張り上げられていく様を見ながら桃姫が言うと、桃太郎は笑みを浮かべた。


「みんな祭りが大好きなんだよ。鬼退治の記念日ってのは言い分でさ……1年に1回、夜通しどんちゃん騒ぎするのが何よりの気晴らしになるんだろう」

「ふーん……それで父上、なんで私のこと探してたの?」

「ん……ああ。ちょっと、私についてきてくれ」

「……?」


 桃太郎はそれだけ答えると、やぐらの前から歩き出した。桃姫は困惑しながらも、茶色の羽織を着た桃太郎の背中を追いかけるしかなかった。

 桃姫を連れた桃太郎は花咲村の北にある裏門を抜けると、花咲山へと続く村道を進んだ。

 桃姫はその後ろを黙ってついていくと、山へと入る赤い鳥居の前で桃太郎が立ち止まった。


「桃姫。去年も花咲山にやってきたこと、覚えてるかい?」


 桃姫は古びた鳥居を見上げながら口を開いた。


「うん……だって、山にはひとりで入っちゃだめって母上に言われてるから……誕生日の日にだけ、父上と一緒に入れる」

「ちゃんと小夜の言いつけを守ってるんだな。偉いぞ」

「……うん」


 桃姫が頷くと、桃太郎は鳥居の先に伸びる薄暗い山道を見やった。


「でもね、私が桃姫と同じ歳の頃には……この山の中を駆け回って、山ごもり修行をしていたんだよ」

「それって……鬼退治の修行?」

「そうだ」


 尋ねた桃姫に桃太郎は力強く答えた。歩き出した桃太郎に続いて桃姫も歩き出し、ふたり並んで赤い鳥居をくぐり、花咲山の領域へと足を踏み入れた。


「……御師匠様が、14歳の私を鍛錬して下さったんだ……山ごもり修行は本当に大変で、何度も心が折れかけたよ」


 遠い目をしながら歩みを進める桃太郎。その後を追いかける桃姫は進むごとにその数を増していく森の木々を不安げな顔で見回した。


「……私ひとりでは到底不可能だったんだ。辛い修行も、過酷な鬼退治も……でも、私には頼れる仲間がいた」


 桃太郎は言うと、木漏れ日に照らし出された山道の脇にぽつんと建つ、白い石造りの祠を見つめた。


「イヌ、サル、キジ……お供の三獣だよ」

「三獣の祠……!」


 桃姫は声を上げて駆け出した。桃太郎の背中を追い越して三獣の祠の前に立ち、木製の格子扉の中をのぞき込んだ。

 祠の中は薄暗く、小さな陶器製の壺が手前に三つ並んでいることだけが確認できた。


 桃姫に遅れて祠の前に着いた桃太郎が格子扉を開けると、木漏れ日が差し込んで祠の中が明るく照らし出された。

 それによって、三つ並んだ壺には藍色の墨で犬、猿、雉の絵が描かれていることがわかり、三獣の骨壺であることが見て取れた。


 その壷の中央には香炉が置かれており、その奥の神棚には、特殊な形状をした翡翠の勾玉が、榊に挟まれて静かに祀られていた。

 それは、三つの勾玉が円を描くように一つにつながっているもので、〈三つ巴の摩訶魂〉と呼ばれる鬼ヶ島随一の宝物であった。


「……鬼退治を終えた私は、この三獣の祠だけは絶対に建立しなければならないと思って、花咲山に建てたんだ」


 桃太郎は香炉の蓋を開けると、中に入っていた香木の欠片を取り出して新しい物へと取り替えた。


「それは、三獣の鎮魂のためでもあるし……それに、桃姫のためでもある」

「私の……?」


 桃姫は隣に立つ桃太郎の顔を見た。


「うん。天界にいる三獣に向けて祈りを捧げるんだ……どうか、桃姫のことをお護りくださいって」


 桃太郎は古い香木を巾着袋の中に収めながら告げた。


「それじゃ、桃姫……一緒に祈ろうか」


「うん……えっと」

「"桃姫のことをお護りください"って、そう心に念じればいいんだ」


 桃太郎の言葉を聞いて、桃姫は眉を寄せた。


「んん……でも、父上と母上のことも三獣さんには護ってほしいな」

「ははは」


 桃姫の愛らしい言葉を耳にした桃太郎は朗らかに笑うと、祠の奥に安置された〈三つ巴の摩訶魂〉を見ながら口を開いた。


「ありがとう桃姫。でも祈りっていうのは、一つの願いを込めるものなんだ」

「……そうなんだ」

「だから桃姫、この三獣の祠には桃姫の事だけを祈ろうか……私がこれまで、そうしてきたようにね?」

「うん。わかった」


 納得した桃姫は、小脇に抱えていた鞠を地面に置くと、両手を合わせて目を閉じた。

 隣に立つ桃太郎も合掌すると、目を閉じて祈りを捧げた。桃色の髪と瞳を持つ父娘が並び立って祈りを捧げたそのとき、桃姫の鼻孔にすんと香木の香りが強く漂ってきた。


 ──香木の匂い。父上が新しいのに替えたからだ。


 桃姫はそう思いながら祈りを続けていると、不意に重ねている両手が熱くなるのを感じた。


「っん……」


 違和感を感じた桃姫が小さく声を漏らすと、隣で目を閉じる桃太郎がささやいた。


「いま、天界に居る三獣に私たちの祈りが届いているはずだ。祈り続けよう……桃姫を護ってくれるように」

「うん……」


 桃太郎の言葉に安心した桃姫は、手のひらに熱を感じながら祈り続けた。


 ──三獣さん、桃姫のことをお護りください……父上と鬼退治を果たした勇敢な三獣さん。どうか、桃姫のことをお護りください。

 ──私は父上みたいに強くなりたい、母上みたいにやさしくなりたい。

 ──少しずつでも、強く、やさしくなります……だからどうか、桃姫のことをお護りください。


 最初は怖く感じた熱が今となっては心地よく、小さな太陽が手の中にあるようだと桃姫は感じ始めていた。

 桃姫と桃太郎の祈りに呼応するように〈三つ巴の摩訶魂〉が淡い緑光を放っていることに、目を閉じているふたりは気づかなかった。


「さぁ、目を開けて。桃姫」


 桃太郎がすっきりとした顔つきで合わせていた両手を離しながら言うと、桃姫もゆっくりと目を開いてから合掌を解いた。


「父上。お祈りしてたら……なんか、手が熱くなって……あと、お香の匂いが」

「ああ、私も感じたよ。でも、今日は特に熱かったし、匂いも強く感じたな……桃姫が隣にいたからかな?」

「うん!」


 桃太郎がほほ笑んで言うと、桃姫は元気よく頷いて答えた。祈る前よりもずいぶんと心が軽くなっているような気が桃姫にはした。


「あ、桃太郎様! やはり、こちらにおられましたか!」


 桃太郎が三獣の祠の格子扉を閉じていると、村の方角から若い男が息を切らしながらやってきて呼びかけた。


「やぐらの最終確認が必要で、設計者の桃太郎様がいないと作業が進まないんです!」

「ああ。いま行くよ」


 桃太郎は男に右手を上げて応じると、隣に立つ桃姫を見た。


「それじゃ帰ろうか、桃姫」


 桃太郎が言うと、桃姫は三獣の祠をちらりと見ながら口を開いた。


「ねぇ、父上……もうちょっとだけここに居てもいい? だってここは、静かで空気が澄んでるし……蹴鞠に集中できそうなの。私、ここで練習したいな」

「ここでか?」


 桃姫のおねだりに眉をひそめた桃太郎。木々に囲まれた涼しい山道を見回しながら思案していると、男の催促の声が届いた。


「桃太郎様! 男衆が待ってます!」

「……そうだな」


 桃太郎は呟くと、桃姫の柔らかな桃色の髪の頭にポンと手を置いた。


「三獣の祠から先には絶対に行かない。それを私と約束できるなら、ここで練習してもいい」

「うん! ここから先には絶対に行かない!」


 桃姫の威勢の良い返事を聞いた桃太郎は、濃桃色の瞳を見つめた。

 桃太郎は以前から、桃姫は自分と同じ意志力の強い目をしていると思っていたが、こうして父娘で目を合わせると、よりその実感が強まった。


「絶対にだぞ?」

「絶対に、行かない!」


 桃太郎が真剣に問うと、桃姫も真剣に答えた。


「よし、桃姫を信じた。それじゃ、私は行くから……いいか、満足したらすぐ村に帰るんだぞ! いいな!」


 言いながら遠ざかっていく桃太郎の後ろ姿を赤い鞠を抱えて見送った桃姫。そしてひとりになった木漏れ日の山道で、桃姫は静かに口を開いた。


「満足したら、帰ろーっと」


 さっそく蹴鞠の練習を始めた桃姫。桃太郎は今までに一度も、桃姫が蹴鞠の練習で満足したことがないという事実を知らなかったのであった。

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