表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/173

32.羅刹変化──羅刹刑部

「──バオオオオォォォォォオオオオオッッ──!!」


 耳をつんざく咆哮を発しながら、吉継の体が凄まじい勢いで巨大化していくと、着ていた着物と陣羽織が破れ、筋肉がはち切れんばかりに膨れ上がり、肌は漆黒に染まっていく。

 そして、爬虫類のような長い尻尾が伸びると、背中からは逆刃のような漆黒のヒレが生えた。


 "羅"の文字が浮かぶ目は赤く染まって、額の二本の鬼の角は長く太く伸びて後ろに反り返った。顔は凶悪な牙が生えた上下の顎が前方に向けて伸び、わにのそれに似た顔つきとなった。

 両手の鬼の爪は闇よりも黒く染まり、人の命を刈り取る為だけに長く鋭く伸びていく。憤怒を宿した羅刹刑部のその姿はまるで──西洋の書物が描く"悪魔"のようであった。


「……あ……ああ……あああッ……!!」


 居並んだ東軍の武将や兵たちが、"悪魔"と化した大谷吉継の姿を目にしながら悲鳴のような声を上げた。その体躯は、人間の倍以上である。

 羅刹刑部は地獄の底から届いたような低い唸り声を発しながら、目があっただけで呪われそうなほどに赤い両目を東軍の武将に差し向けた。


「……た、退却……退却ッッ──!!」


 赤備えを着込んだ井伊直政が叫びながら背を向けて走り出すと、羅刹刑部は筋肉質な両脚をバネのように使って瞬時に跳躍し、長い鬼の黒爪を振り降ろす。

 重厚な武者鎧ごと背中を大きく抉られ、地面に倒れ伏して絶命した井伊直政の姿を戦慄の面持ちで見やった福島正則と藤堂高虎。


「──う、ウォオオオッッ──!!」

「──こンの悪鬼めがぁぁああッッ──!!」


 怯える自身の心を奮い立たせるようにして雄叫びを張り上げながら二人は刀で斬り掛かったが、羅刹刑部は軽々と両手の鬼の爪を振るって重厚な武者鎧を引きちぎりながら歴戦の二人の武将を難なく殺害した。


「──グゥウウウウッッ!! グォォオオオオオオッッ──!!」


 そして、赤い目を光らせながらいまだ収まらぬ憤怒の咆哮を天に向かって張り上げた羅刹刑部は、"裏切り者"小早川秀秋がいる松尾山の頂上を睨みつけた。


「──ヴァオオォォォオオオッッ──!!」


 獣のように吼えた羅刹刑部は前かがみになって両手を地面につけると、手足を使って関ヶ原の大地を蹴り上げながら尋常ならざる速度で疾駆を開始した。

 羅刹刑部の進行方向に立つ兵たちは皆虫けらの如く次々と弾き飛ばされて宙空に打ち上げられていく。


「嗚呼ああッッ!! 大谷殿が完全に悪鬼となったッッ──!! こっちに来るではないかッッ!! う嗚呼ああッッ──!!」


 松尾山城の城壁の上から戦場を見下ろしていた秀秋が絶叫しながら、松尾山の斜面を猛然と駆け上がってくる羅刹刑部の恐ろしい姿に震え上がった。


「殿……! 兵を総動員してあの悪鬼めを討ち滅ぼしましょうぞ……!」

「で、できるわけがあるまい……! おぬしも東軍の武将がやられる様を見たであろうッッ!? それに大谷殿が狙っているのは、間違いなく西軍を裏切ったこの私ではないかよッッ──!! う嗚呼ああッッ──!!」


 秀秋はこの世の終わりだというように両手で頭を抱えて城壁の上でひざまづいてしまった。


「そ、そうだ……! こうなれば、西軍に戻るより他にない……! 大谷殿に誠心誠意詫びて、今からでも西軍につこう……そうするべきだ……!」

「殿、ご乱心なされるな……! それこそ家康公に殺されるでござろう……!」

「──では、もう終わりではないかっっ──嗚呼ああああっっ!!」


 秀秋が白目を向いて天に向かって叫んだ次の瞬間、松尾山の斜面から天高く跳躍した漆黒の巨影がその頭上を飛んだ。


「──グルルルルルッッ!!」

「……ひいっっ──!!」


 羅刹刑部が小早川の家臣を踏み潰しながら松尾山城の城壁に着地すると、喉を唸らせながらゆっくりと振り返って小早川秀秋と視線を合わせた。


「お、大谷殿ぉ……! 聞いてくだされぇ……! 私は……私は、脅されたのだあ……! ……家康に西軍を裏切れと、幾度も脅されたのだぁ……! 今から東軍を裏切る……! だから……だからどうか……どうにか、私の命だけは……!」

「──グゥルルルルッッ!!」


 羅刹刑部は、号泣しながら両手を合わせて命乞いする秀秋の姿を憤怒の赤い眼で見下ろしながら喉を激しく唸らせ、見た者の肝が冷えるどころか凍りつくような恐ろしい威嚇を発し続けた。

 そして、武者鎧ごと人肉を斬り裂く鋭い鬼の爪が伸びた両手を見せつけながら、一歩、また一歩と秀秋に近づいていく。


「……ひィッ! ──うひィッ……意思、疎通、不可能……!!」


 秀秋は迫りくる羅刹刑部のあまりの恐ろしさに嗚咽混じりの悲鳴を漏らしながら、尻もちをついた状態で城壁の上を後ずさっていく。

 そして遂には城壁の端へと辿り着き、もうこれ以上引き下がることが出来ないとなった秀秋は顔を横に向けると、救いを求めて城壁の下を覗き見た。


「……うぅ……ううっ──!!」


 しかし、ここは松尾山の山頂に築かれた山城である。そそり立った城壁の下は断崖絶壁となっており、そこに救いなどなければ、例え飛び降りたとしても命がないことは疑いようがなかった。

 秀明に突きつけられた究極の二択──崖下に身を投げ捨て自ら命を断つか、それとも憤怒の大鬼・羅刹刑部に肢体を引き裂かれて絶命するか。


「はァッ……! ──はゥぁぁああっっ……!!」


 秀秋は横目でちらりと羅刹刑部の恐ろしい顔貌を見やって甲高い悲鳴を発すると、遂には城壁の縁に両手を掛け、飛び降りて命を断つことに決める。


「──ガァゥルラァァッッ!!」


 そうはさせまいと跳躍するために両膝を深く折り曲げながら羅刹刑部が吼えたその時──羅刹刑部の後方から、天高く跳躍しながら現れた白い軽鎧をまとった長い桃色髪の女武者の姿があった。


「──ヤエァアアアアッッ──!!」


 白銀色の波紋を濃桃色の瞳に浮かべた桃姫は、裂帛の声を張り上げながら両手に握りしめた銀桃色の輝きを放つ二振りの仏刀を宙空で薙ぎ払うようにして、羅刹刑部の漆黒のヒレが立った背中目掛けて斬りつけた。


「──ギャォオオオオオッッ──!?」


 二刀による渾身の斬撃を体の右背面に受けた羅刹刑部は獣の咆哮を張り上げながら大きく吹き飛ばされる。

 桃姫は城壁の上に着地すると、死を覚悟して縁から身を乗り出しかけていた顔面蒼白の秀秋と視線を合わせた。


「──鬼の相手は、私に任せてください」

「……あ、あう……ああっ……」


 桃姫が力強くそう告げると、秀秋は仏を拝むような眼差しで涙を流しながらうんうんと頷いた。


「──グ……グがぁああ……!」


 硬い背ビレを斬り裂かれながら背面に刻まれた痛々しい二本の裂傷から黒い血をダラダラと垂れ流した羅刹刑部は、苦悶の声を発しながら起き上がると、憤怒の形相で桃姫を睨みつけた。

 それに対して、桃姫が秀吉を護るように立ちはだかると、両手の仏刀を構え直してその切っ先を羅刹刑部に差し向ける。


「──グァァアアアアルッッ!!」


 黒光りする"羅"の文字が浮かんだ赤目を見開き、鼓膜が破れんばかりの巨大な咆哮を羅刹刑部が桃姫に向けて放ったその時、別の方角から声が発せられた。


「こっちでござるよッ──!! 大谷殿ッ──!!」


 城壁の上に現れた五郎八姫はそう叫ぶと、着火された火縄銃の銃口を羅刹刑部に向けて即座に弾丸を撃ち放った。

 高速で飛来した鉛の弾丸はズドンッ──と羅刹刑部の右側面に命中して羅刹刑部は大きく怯んだ。


「──もう一丁ッッ……!!」


 五郎八姫は声を発しながら撃ち終わった火縄銃を放り投げて捨てると、隣でしゃがみ込んだ小早川兵が着火済みの火縄銃を五郎八姫に素早く渡して、受け取った五郎八姫が羅刹刑部に向けて即座に構える。

 そして間髪入れずに発射された二発目の弾丸は、またしても羅刹刑部の右脇腹に命中した。


「──ガォオオオッッ──!!」


 鉄砲の連射を受けて、泣き叫ぶような悲鳴を上げながら膝をついた羅刹刑部。


「痛いでござるか大谷殿ッ──!? そもそもおぬしは軍師──そのような図体になっても、戦闘には不慣れなようでござるなッ──!!」


 五郎八姫が叫びながら、銃口から盛大に白煙を噴き出す火縄銃を投げ捨てて、更にもう一丁、小早川兵から着火済みの火縄銃を受け取る。


「やはり軍師は軍師らしく、後方で御輿に乗って采配を振るっておれば──よかったのでござらぬかァッ──!?」


 五郎八姫は火縄銃を構えて、三発目の弾丸を羅刹刑部に向けてドンッ──と撃ち放った。

 羅刹刑部は憤怒の眼差しでちらりと桃姫の後方で尻もちをついている秀秋の姿を一瞥したあとに、膝をついた状態から城壁を蹴り上げて跳躍し、弾丸をかわした。


「……うあッ──!?」


 そして、羅刹刑部は五郎八姫の眼前に着地すると、五郎八姫は羅刹刑部の漆黒の巨体を見上げながら慄きの声を漏らし、隣の小早川兵が恐怖に腰を抜かして尻もちをついた。


「──いろはちゃんッッ!!」


 桃姫が叫びながら両手に仏刀を構えて駆け出す。五郎八姫は桃姫の声を受けて正気を取り戻すと、右手で〈氷炎〉の柄を握りしめ、黒鞘から引き抜き様に羅刹刑部の二発の銃弾を受けた右脇腹に向かって斬りつけた。


「──デヤァァアアアッッ──!!」


 独眼を見開き、裂帛の声を張り上げた五郎八姫──しかし、それより素早く羅刹刑部は身を翻すと刻命刀の斬撃をかわし、黒鱗の生えた長い尻尾を五郎八姫に向けて振り抜いた。


「──グラアァァアッッ──!!」

「──尻尾ッ……!?」


 羅刹刑部の憤怒の咆哮を耳にしながら驚愕の表情で声を発した五郎八姫。まさか、尻尾による攻撃が来るとは思わず油断していたその体に、羅刹刑部渾身の一撃が叩き込まれた。


「──がァはッッ……!!」


 強靭な尻尾の一撃を黒い軽鎧をまとった腹部に食らって嗚咽を発した五郎八姫は、勢いよく弾き飛ばされて城壁の上を転がっていくと、物見櫓の支柱に背中から強かに叩きつけられてようやく止まるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ