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29.餓羅の力・餓羅鬼虫

 翌朝、身支度を整えた桃姫と五郎八姫は、仙台城の外れにある厩舎に足を運んだ。


「御当主様、桃姫様。馬の御用意できております」


 厩舎仕えの男がそう言って頭を下げると、桃姫は白馬の前に、五郎八姫は黒馬の前に立った。

 どちらも伊達の家紋が入った紺色の馬装を身に付けており、遠目から見ても伊達配下の軍馬であることが見て取れた。


「白桜、久しぶりだね。今日は遠くまで行かなきゃならないんだ──私を連れて行ってくれる?」


 桃姫がやさしく声をかけながら白馬・白桜の頬を撫でると、白桜は嬉しそうにいななきながらその頬を桃姫の手に擦り寄せた。


「父上の愛馬、月影──拙者のような若輩者に扱いきれるかわからぬが……伊達の名誉のため、ともに参ろうぞ!」


 五郎八姫はそう言いながら、黒馬・月影の逞しい首筋を撫でた。月影は頭を下げると、新しい主に対して忠誠を誓うように鋭い眼光で低くいなないた。

 そしてふたりは、白桜と月影を厩舎から連れ出すと、鞍に跨って騎乗した。そのとき、青い目をしたハヤブサが青空を滑空しながら飛んでくると、五郎八姫の肩に止まった。


「うおっ、梵天丸……! おぬしも、伊勢に行くでござるか!?」


 五郎八姫が驚きの声を上げると、梵天丸は鳴いて返した。桃姫はその光景を笑顔で見ながら口を開いた。


「いろはちゃん、行こうか……!」

「あい。どこまでも付いていくてござるよ、もも!」


 伊達家特製の白と黒の軽鎧を着込んだふたりは、白鞘と黒鞘、二振りの刀を左腰に携えて、互いに顔を見合わせながら声を掛け合う。

 そして、白馬と黒馬の腹を足で蹴って一息に走らせると、晴天の下、水たまりの泥を跳ね上げながら、伊勢は天照神宮へと向けて旅立つのであった。


「……ッ」


 奥州を南下したふたりが、常陸の街道を駆け抜けているとき、街道の脇に立つ三本松を目にした桃姫が息を呑んだ。

 それはかつて、雉猿狗とともに歩いた道──蘆名の落ち武者に襲われ、巌鬼と鬼蝶までもがやってきた。そんな危機的状況を神術によって救ってくれたのが雉猿狗だった。


「雉猿狗、今度は私が助ける番だからね……!」


 桃姫は三本松の横を白桜で駆け抜けながらそう声に漏らすと、一気に雉猿狗と辿った道を遡っていった。

 やがてふたりが武蔵の国へ入ると、五郎八姫が桃姫に声をかけた。


「もも……! ちょっと……!」

「……? どうしたの、いろはちゃん」


 桃姫は白桜の速度を落とすと、五郎八姫と肩を並べて江戸の入口までやってくる。


「今晩は江戸で一泊するでござるよ。白桜と月影、いくら名馬とはいえ走らせっぱなしは良くないでござるからな」

「そうだね」


 桃姫と五郎八姫は宿屋を取ると江戸に一泊した。宿屋の外には馬小屋がありそこで白桜と月影は水を飲み、草を食みながら休憩した。

 翌朝早く、桃姫と五郎八姫は身支度を整えて宿屋を出ると、白桜と月影の手綱を引いて町の外まで連れ出してから鞍に騎乗して駆け出した。

 幸いにも連日にわたって空は晴れ模様であり、桃姫と五郎八姫は一路順調に天照神宮のある伊勢へと向かっていた。


「うわぁ! 見て! いろはちゃん!」

「見事でござるなぁ!」


 道中、桃姫と五郎八姫は富士山を眺望する駿河の街道を馬で走りながら互いに感嘆の声を上げた。

 梵天丸が気持ちよさそうに青空を滑空しながら、女武者を乗せた白い馬と黒い馬が富士山を背景にしながら駆け抜けていく。

 桃姫と五郎八姫の気持ちも清風に飛ばされるように明るくなり、さらに駆ける勢いを増すと、日暮れ前に伊勢へとたどり着いた。


「はぁ……ついた……! ついたよ……雉猿狗……!」


 桃姫は、雲がかっていく夕焼け空に照らされながら天照山の頂上で赤く燃える本殿の姿を遠くに見ながら馬上で声を上げた。

 しかし、五郎八姫がギョッとしながら独眼を広げると、本殿を見ながら叫んだ。


「もも……! 燃えてる……! 燃えてるでござるよ!!」

「……っ!?」


 五郎八姫の言葉に驚いた桃姫もよく目をこらして見れば、夕焼けで赤く染まりながらも、本殿自らが轟々と燃えて赤い炎を茜空に立ち昇らせていた。


「……うそ……嘘ッ!!」


 桃姫は刻々と近づいてくる赤い景色を拒絶するように絶叫の声を発しながら、天照神宮の巨大な鳥居の前まで白桜を走らせた。

 五郎八姫も月影を走らせると、鳥居が近づいてくるにつれて、全体が赤く黒ずんでいて焼け焦げていることがわかった。

 煙を上げながらくすぶっている鳥居の異様に二人は目を見張ると、下馬して鳥居をくぐり、天照神宮の境内へと突入した。


「……そんなっ……!」


 桃姫は絶望に声を漏らし、参道の石畳に両膝をついた。


「……破壊、されてる……」


 五郎八姫も眼前に広がる天照神宮の悲惨な光景を見て絶望感に打ちひしがれた。

 天照神宮は、豪奢な拝殿のみならず、境内にあるすべての施設も完膚なきまでに破壊され尽くしており、どれも火がつけられていて、まだ燃えている所もあった。


「……誰がこんなひどいことを……」

「……ッ?」


 桃姫がふるえる声で言うと、五郎八姫は破壊された拝殿の脇にひとりの男の姿があることに気づいた。

 背中を向けて"何か"を一心不乱になって行っている様子をうかがい見た五郎八姫は、不意に激しい悪寒を感じて独眼を細めた。

 直感とも呼ぶべき悪寒に従って、五郎八姫はぬらりひょんから譲り受けた刻命刀〈氷炎〉、政宗から譲り受けた名刀〈燭台切〉の二振りを黒鞘から引き抜いて構えた。


「もも……"鬼"がいるでござる」

「……え」


 静かに告げた五郎八姫の言葉を受けて桃姫もまた、拝殿の脇にいる背中を向けて地面に座り込む怪しい男の存在に気づいた。

 沈黙した桃姫と五郎八姫が耳を傾けると、クチャクチャという"何か"をむさぼり喰う不快な音がかすかに聞き取れた。


「ももはここで……拙者が"斬る"でござる」


 そう静かに言って歩き出そうとした五郎八姫の軽鎧の下に着た着物の裾を桃姫が掴んで止めた。

 そして、桃姫は立ち上がると、涙の浮かぶ濃桃色の瞳に怒りの炎を燃やしながら口を開いた。


「……天照神宮を燃やした"鬼"かもしれない──それなら私は……絶対に許さない」


 桃姫は激しい怒りに震えた声でそう言うと、桃太郎から譲り受けた二振りの仏刀〈桃源郷〉と〈桃月〉をスラッと白鞘から引き抜いて両手に構えた。

 ふたりが怪しい男に一歩、一歩、近づいていくと、男が何をむさぼっていたのか判明した──神主の死体である。腹に顔を突っ込みながら血をすすり咀嚼していたのであった。


「悪鬼めッ!!」

「天照神宮を破壊したのはお前かッ!!」


 背後まで接近した五郎八姫と桃姫が怒号を発すると、男はピタリと動きを停止させ、ゆっくりとふたりに向かって振り返った。


「……なッ!?」

「……っ!?」


 五郎八姫と桃姫が驚愕の声を漏らす。その男は顔面が真っ赤に染まっていた。それは血で染まっていたのではない、頭の皮がすべて剥れていたのだ。

 まぶたを失った眼球は曝されており、鼻の穴は節穴のように二つ黒くぽっかりと開かれ、口は血濡れた白い歯がむき出しとなっていた。


「──グッ、カカッ……グッ、カカ!」


 男は口から血を垂らしながら奇怪な声を上げると、カクカクと体をくねらせながら立ち上がった。


「──覚悟ッ!!」


 ふたりが同時に跳躍した瞬間、男の胸部がグバッと音を立てながら大きく割れ、内部から沸騰する鮮血が放出される。


「ぐわッ!!」

「くっ!!」


 五郎八姫と桃姫は咄嗟に目を閉じて二振りの刀を交差させると後方に跳躍して男から距離を取った。


「……なんでござるかッ!? これは、血……!?」


 血濡れた五郎八姫が手についた赤い液体を見て叫んだ。

 その光景を見て、桃姫は雉猿狗との記憶を思い出していた。雉猿狗も浴びていた"熱い鮮血"、これは、"鬼虫"が生まれる際に噴き出す鮮血であると。

 桃姫は男を鋭く見やると、男の大きく開かれた胸の中から角がバゴッと伸び現れて、さらに二本の顎までもがグイッと現れた。


「こんな鬼虫、見たことない……!」


 桃姫は戦慄した。男の体は今やただ"蛹の殻"としての機能しかなく、内部から六本脚が這い伸びて、巨大な鬼虫がその姿を現した。

 カブトとクワガタの特徴を兼ね備えた異形の姿。今まで見た鬼虫の倍以上の大きさで、体色は禍々しい黄土色をしていた。


「──キシャァアアッ!!」


 二本脚で立った大型の鬼虫が大口を開いて耳障りな鳴き声を発すると、雲が覆い始めていた空から堰を切ったように大雨が降り始めた。

 体中に浴びた鮮血が洗い流される中、桃姫は両手の仏刀を構えて切っ先を向ける。


「こいつが犯人じゃない……犯人はこいつを"作った"やつだ」

「黒幕がいるでござるか……!」


 五郎八姫も両手の刀を構え直し、大型の鬼虫と対峙した。


「うん……すべての黒幕は、別の場所にいるッ──!!」


 白銀の波紋が浮かんだ濃桃色の瞳を力強く光らせながら桃姫が告げると、その瞬間、カッと大きな稲妻が閃光し、雷鳴を轟かせながら雨雲を走った。


「──餓羅鬼虫、楽しんでくれておるとよいのう……」


 佐和山城の一室にて満面の笑みを浮かべた役小角が手につまんだモチを眺めながらおもむろに告げた。


「何でしょうか、それは……?」


 関ヶ原の地図を畳の上に大きく広げてあぐらをかきながら西軍の陣形の確認を取っていた吉継が役小角に尋ねた。


「"餓羅の八天鬼薬"に漬け込んで育てた鬼醒蟲を……クッチャ、モッチャ……んむ……三成殿に入れた天照神宮への"置き土産"じゃよ。かかか」

「……ふっ! 三成殿の亡骸を有効活用ですか……粋なことをしますな、行者殿」


 役小角はモチを咀嚼、嚥下しながら言うと、吉継は苦笑しながら言って返した。


「桃の娘は賢いゆえにすぐに気づくだろうからのう、雉猿狗を復活させるためには"アマテラスの力"だと……かかか。何事も先手を打つのが肝心じゃよ」


 役小角は言うと、湯呑みから茶をすすって飲んだ。


「さすがは"神変大菩薩様"……あなた様の深遠なる智慧には何者も敵いませぬな」

「まぁのォ……くかかかかッ──!!」


 役小角の高笑いが佐和山城の一室に響くと、天照神宮の上空で一際大きな雷鳴が轟いた。


「──許さない……絶対に許さない」


 白銀色の波動を全身にまとった桃姫が両目を極光させながら低い声で告げた。

 その視線の先には、二振りの仏刀が深々と突き刺さって完全に沈黙した餓羅鬼虫の死骸が石畳の上に転がっていた。


「……もも」


 どしゃぶりの雨に打たれてずぶ濡れになった五郎八姫が、肩を揺らしながら荒い呼吸をする桃姫の背中に心配そうに声をかけるのであった。

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