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10.おつる

 柔らかな光が格子窓から室内に差し込んだ朝。身支度を整えた小夜が寝ている桃姫に呼びかけた。


「桃姫。起きなさい、桃姫」

「……ん。んん」


 目覚めた桃姫は、うねる寝癖のついた桃色の髪が伸びる頭を持ち上げ、布団からゆっくりと上体を起こした。


「桃太郎さんはお祭りの準備に出ていきましたよ。桃姫も早く着替えなさい」

「……お祭り……そうだ」


 桃姫は下半身を布団に入れたまま寝ぼけ眼をこすると、櫛を持った小夜が隣にさっと座って、桃色の髪を手際よく梳き始めた。


「今夜、村の人たちに蹴鞠の披露をするんでしょう? だったらちょっとでも練習、しておいたほうがいいんじゃない?」

「……うん」


 小夜の櫛が滑るたびに、絡まった長い髪がほどけていき、その心地よさに桃姫は思わず目を細めた。

 慣れた手捌きによってまたたく間に髪が整えられると、小夜は桃姫の顔をのぞきこんだ。


「14歳のお誕生日おめでとう」

「……ありがとう、母上」


 髪を梳き終わった桃姫は布団から抜け出して着替えを始めた。白い浴衣から萌黄色の着物に着替え、小夜が用意した玄米おにぎりを食べ始めた。


「私は宴会用の食事を用意しないといけないから、先に出るわね」

「うん」


 味噌汁を飲みながら桃姫が返すと、小夜は板の間から玄関口へと移動して雪駄を履いた。


「それじゃ、玄関の戸締まりちゃんとしてね」

「はーい。いってらっしゃーい」


 木戸を開いた小夜が出ていくと、桃姫は味噌汁の残りを飲み干してから、空の茶碗と小皿を持って土間に降り、台所の水桶で食器を洗った。


「よし、蹴鞠の練習しないと」


 呟いた桃姫は土間に転がっている赤い絹糸で刺繍された鞠を拾い上げ、玄関口で雪駄を履いて木戸を開き、家の外に出た。


「あら、桃姫様。おはようございます」

「あ、おはようございます。おとよさん」


 家を出てすぐ、向かいの家に住む中年女性のおとよに声をかけられた桃姫は会釈しながら挨拶を返した。


「今日は桃姫様のお誕生日よね、おめでとうございます。何歳になったのか聞いてもいいかしら?」

「はい。14歳になりました」


 おとよは愛嬌のある笑みを浮かべながら尋ねると、桃姫は赤い鞠を両手で胸元に抱えて答えた。


「あら、もうそんなに。早いわね……そりゃおばさんも年取るわけだわ」

「それでは、失礼します」


 桃姫はおとよに頭を下げると、雪駄を鳴らしながら通りを駆け出した。


「転ばないでね」


 おとよがほほ笑みながら桃姫の背中を見送った。花咲村の一画にある五本並んだ桃の木の前に到着した桃姫は、さっそく蹴鞠の練習を開始した。

 桃姫が黙々と鞠を蹴り上げ続けていたそのとき、ひとりの少女が手を振りながら近づいてきて、気の抜けた声を上げた。


「桃姫様ぁ~」

「あ、おつるちゃん」


 玉子色の着物を着て、おかっぱ頭の左に赤いかんざしを挿したおつるは、桃姫と同い年であった。


「探したんだよ~。桃姫様がいない~、どこぉ~って」

「……おつるちゃん」


 桃の木の前までやってきたおつるに対して、桃姫は険しい表情を浮かべた。


「"桃姫様"って呼ばないでって……この前、言ったよね」

「……え」


 太く短い眉を寄せたおつるは、桃姫の真剣な表情をまじまじと見つめた。


「私たち、"大親友"なんだから。"ちゃん"って呼んでって……この前、言ったよね」

「……あっ」


 おつるは桃姫の表情の意味を理解し、パッと明るい笑顔を咲かせた。


「"桃姫ちゃん"、探したんだよ~」

「うん!」


 桃姫も笑顔を咲かせて応じると、おつるとともに互いの笑顔を見せあった。


「おつるちゃん。なんで私を探したの?」


 桃姫が赤い鞠を地面にだむだむと叩きつけながら尋ねると、おつるは首を傾けた。


「あれ……えーっと、あっ、そうだそうだ! 桃太郎様に呼んできてくれって、頼まれたんだよ! ……っ!」


 おつるは言ったあとにハッとした顔を浮かべる、短い眉をひそめながら、桃姫の顔色をうかがった。


「あれ……桃太郎様には、"様"をつけても……いいんだ、っけ?」

「うん──父上にはつけて」


 おつるが恐る恐る尋ねると、跳ねさせていた鞠をピタリと両手で掴んだ桃姫は、当然だというように答えた。


「あ、あはは。うん、そうだよね。鬼退治の英雄・桃太郎様には"様"をつける。当たり前だよね」

「うん。それはそう」


 おつるが納得しながら言うと、桃姫は再び鞠を地面にぶつけて跳ねさせ始めた。


「それでね、えーっと……桃太郎様はやぐらにいるから、早く行ってあげてね」

「うん、わかった。教えてくれてありがとう、おつるちゃん」


 跳ねる鞠を眺めながら告げたおつるの言葉に桃姫は答えると、ちらりとおつるの黒い瞳を見やってから、跳ねさせていた鞠を両手で掴んで止めた。


「おつるちゃん……今日、なにかあった?」

「えっ?」

「なんか、いつもと違う感じがする……なにかあったなら、私に話して?」


 いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたおつるの瞳の奥に、桃姫は違和感を感じ取った。


「あの……えっ……その……」

「おつるちゃん、私たち"大親友"だよね」


 おつるは言い淀むと、桃姫は濃桃色の瞳で力強くおつるの黒い瞳を見つめた。


「うん……あのね。今日は、桃姫ちゃんのお誕生日だし、桃太郎様の鬼退治を記念した特別な日なんだけど……私とお母さんにとっても大事な日なの」

「……? おつるちゃんのお誕生日……は、二ヶ月前だからちがうよね。あ……! おつるちゃんのお母さんのお誕生日だ!」


 推察した桃姫は声を発すると、おつるは小さく首を横に振った。


「ううん……違うよ。桃姫ちゃんには、まだ話してないから……たぶん、知らないと思う」

「え、なに? 教えて!?」

「知っても、楽しいことじゃないから……言えない」


 桃姫は鞠を強く握りしめながらおつるに問いかけるが、おつるは頑なに答えることを拒否した。


「教えておつるちゃん! 教えてくれないと、"大親友"から"親友"に戻すよ!?」

「っ! それはやだッ!」


 桃姫の最終手段を聞き受けたおつるが黒い瞳を見開いて声を上げた。


「じゃあ、教えて?」

「……本当に楽しいことじゃないんだよ?」

「うん。それでも、教えて。おつるちゃんの"大親友"として、私には知る権利があるから」


 桃姫の熱意に根負けしたおつるは息を吐くと、桃姫の濃桃色の瞳を見つめながら口を開いた。


「あのね、今日は……お母さんのお姉ちゃん──おはるさんが、鬼ヶ島に連れ去られた日なんだ」

「……ッ!?」


 おつるの言葉を耳にした桃姫は、予想だにしていなかった衝撃を受け、抱え持っていた鞠を落とした。


「……南の砂浜で貝掘りしてたら、鬼に連れ去られてしまったって……だから毎年この日の朝は、砂浜にお線香を立てて……私とお母さんで、おはるさんの無事をお祈りするの」

「…………」


 桃姫は絶句した。跳ねながら転がっていく赤い鞠が桃の木の根本に当たって止まると、おつるが慌てて声を上げる。


「でもね、桃姫ちゃんっ! 桃太郎様が鬼退治してくださったから、もう大丈夫なの! うん、おはるさんは帰ってこなかったけど……でも、もう鬼はやってこないから──私はね、それが嬉しいの」


 桃姫を安心させようと懸命に笑みを作ったおつるが言葉を紡ぐと、桃姫は居た堪れない気持ちになって、思わずおつるの体を抱きしめた。


「……っ、桃姫ちゃん!?」

「ごめんなさい、おつるちゃん……私、そんな大変な話があるなんて、全然知らなかった」


 目に涙を浮かべた桃姫は悲痛な声でわびた。


「……謝らないで、桃姫ちゃん。楽しい話じゃないから、私が話さなかっただけなの……お母さんも、話さないほうがいいって」

「だめだよ! それじゃだめなんだよ! 私は、知ってなきゃいけなかったのに……絶対に知ってなきゃいけなかったのに!」

「いいんだよ、桃姫ちゃん……いいの──それに、ねぇ、桃姫ちゃん」


 桃姫が頬に涙を伝わせながら声を上げると、おつるはなぐさめるようにやさしく言いながら体を離して、桃姫の顔を見つめた。


「お誕生日、おめでとう」


 笑みを浮かべたおつるが祝福の言葉とともに手を差し出した。手のひらに乗せたそれは、小さな巻貝を赤い紐に通した腕飾りであった。


「今朝、砂浜で拾った一番きれいな貝でね、お母さんと一緒に作ったの」

「すごい! 格好いい!」


 心から喜びの声を上げた桃姫は、おつるから腕飾りを受け取った。


「喜んでくれてよかった……桃姫ちゃんが私の誕生日にくれたこのかんざしみたいに、ちゃんとしたものじゃないから心配だったんだ」

「ちゃんとしたものだよ! おつるちゃんが選んで作ってくれたんだから! おつるちゃん、ありがとう! ずっと"大親友"でいようね!」

「うん。ずっと"大親友"だよ、桃姫ちゃん」


 おつるは桃姫の言葉に強く頷いて応じると、桃姫の前から離れた。


「それじゃあ、私はお家に帰るから。夕方になったらまた会おうね」

「うん、またね!」


 おつるは桃の木の前から離れていき、しばらく歩いてから振り返ると、桃姫に向かって大きく手を振りながら声を発した。


「桃姫ちゃんは、桃太郎様のところに行くんだよ~! 忘れないでね~!」

「うんー!」


 桃姫も右手を大きく振り返して答えると、左手に握っていた巻貝の腕飾りを見た。


「……おはるさんか……知らなかったな」


 桃姫は赤い紐を右手首に巻きつけると、桃の木の下に転がっていた鞠を拾い上げた。


「父上と母上は知ってるはずだけど……私には、教えてくれなかったんだ」

 

 呟いた桃姫は、おつるが去っていった方角とは異なる、やぐらが建っている村の中央広場に向けて歩き出すのであった。

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