27.暗躍の役小角
近江は佐和山城──見事な五重の天守閣を持つ巨城の一室にて、特徴的なしゃがれ声が響いた。
「三成に過ぎたるものが二つある、島の左近と佐和山の城……確かに、この城はおぬしにはもったいないのう」
役小角が、正座する石田三成の姿を見下ろしながら満面の笑みを浮かべる。
「太閤殿下が私めに与えてくださった城にございます……私にとって過分な城であることは、重々承知の上」
三成は力なく顔を伏せると、役小角は部屋の隅に置かれた行灯の明かりに照らされながら口を開いた。
「して、三成殿……来たる天下分け目の大戦、毛利輝元を総大将に据えるとは──おぬし、正気か?」
「あ、ああ……行者殿、すまぬ」
役小角の言葉を受けて、三成はただ平伏するように頭を下げた。
「あの男は毛利の延命しか考えぬ……此度の大戦に、本気で挑むと思うか?」
役小角は漆黒の眼を鋭く細めて、頭を下げ続ける三成に冷たく言葉を投げかけた。
「行者殿の申し上げることはよくわかる……しかし、私には総大将を務める自信がないのだ……この大戦で西軍を率いて勝利する自信が……最近では腹の調子も悪く」
「何を腑抜けたことを申しておるか、三成殿。それでは、今日までおぬしを支えてきたわしの立場はどうなる」
「……こればかりはどうにもならぬのだ……申し訳ない」
三成は涙をこらえながら土下座を続けた。
「ふん……まぁよい。わしの手元にちょうど、腹の痛みに効く霊薬がありますわいの。これを飲んで、その弱気な考えを今一度改めるがよろしい」
「霊薬! 流石は、伝説の修験僧にして陰陽師でもあられる行者殿だ……かたじけない!」
役小角は懐から透明な液体の入った小瓶を取り出し、三成に差し出した。
「この霊薬は一息に飲むのが肝心……いやしくちびちびと飲むではないぞ」
「相わかった……!」
三成は頷くと、小瓶の蓋をキュポと開けて役小角に言われた通り一息にあおって飲み干した。
次の瞬間、三成の喉と胃に焼けるような激痛が走った。
「ぐぅッ!?」
うめき声を漏らした三成は小瓶を手から落とし、胸を両手で抑えると目を見開いた。
耐え難い痛みに襲われた三成は畳の上に倒れ込んだ。
「行者、どの……ぐッ! 腹……がアッ!」
「わしはのう、西軍の総大将は三成殿しかありえぬと考えておったのだ……それゆえ、今日まで協力してきたでな」
絶望の表情を浮かべ、口から泡を吹きながら畳の上をのたうつ三成を見下ろしながら冷めた口調で告げた役小角。
「仕方あるまい──今宵よりは、わしが"石田三成"となろう」
「ぐ!? ぐふぅ……」
満面の笑みを浮かべながら告げる役小角の顔を青ざめた顔で見上げた三成は、最期に大きな泡を一つ口から吐いて絶命した。
「かかか。これでもう腹の痛みは感じませぬわいの……しかし、なんだのう。明智光秀のほうがまだ肝が座っておったぞ……まったく、この戦国の世も腑抜けた輩が増えてきた──いやはや、困りものじゃて」
役小角は三成の亡骸の前にしゃがみ込むと、その顔をグッと持ち上げて両目を見開いた苦悶の死に顔を見やった。
「やはり、わしの"千年悪行"こそが日ノ本には必要とみた……かかかかッ!」
そのやり取りを廊下で聞いていたのは大谷吉継であった。
「……ッ」
吉継は病の瘢痕を隠す白頭巾の下でしとどに脂汗をかいた。とんでもないことが起きていると全身にふるえが走った。
静かにきびすを返した吉継は、音を立てないように注意しながら廊下を歩き出す──そのとき、背後のふすまが開かれる音がして吉継の全身が強張った。
「──大谷殿や」
声を投げかけられた吉継が慎重に振り返ると、役小角が満面の笑みを浮かべながら手招きをした。
「──おぬしに話がありますわいの」
「……く」
部屋に顔を引っ込めた役小角。吉継は白頭巾の下で歯噛みしながら覚悟を決めると、部屋の中に足を踏み入れ、後ろ手でふすまを閉めた。
吉継の視線が畳に倒れ伏して絶命する親友・三成の姿を捉えてから役小角に視線を移すとその場に正座した。
「……行者殿、それがし……盗み聞きなどという無礼な真似をするつもりはなく……その──」
「──聞かせたのじゃよ。おぬしにのう」
やっとの思いで口を開いた吉継に対して、役小角が返した言葉は意外なものであった。
「わしは予てより、おぬしのことを高く評価しておるのだ。わかるか、大谷殿。おぬしは日ノ本における軍師龐統よ」
「は……そのような、ありがたきお言葉……恐悦至極」
吉継は感服したように声を出すと役小角の前に頭を垂れた。
「──"国取り"には参謀役が必要不可欠……大谷殿、おぬしにその大任が務まるかの?」
「しかと、お任せくだされ。この大谷吉継、行者殿の右腕として必ずや御役に──」
「──行者ではないッ! わしは"石田三成"だ」
「……は?」
役小角の一喝に唖然としながら白頭巾の下で口を開いた吉継。役小角は歩きだすと石田三成の亡骸の前にしゃがみ込んだ。
吉継に背中を向けた役小角は、三成の顔に触れた手で自身の顔に触れるという謎の行為を繰り返した。
不意に役小角が立ち上がると、吉継はゾッとした。三成の顔の皮がずるりと丸々剥がされていたのだ。
「どうじゃ。大谷殿。わしが、いや──私が三成に見えるか」
役小角は振り返ると、"石田三成"となった顔で笑みを浮かべながら吉継に言った。奇妙なことに声音すらも三成のそれに変わっていた。
「っ、はい……! まさしく、それがしの旧友、三成殿の面相……にございます」
「かかか。世辞とはわかっていながら嬉しいものじゃな」
吉継はふるえながら驚嘆の声を発すると、役小角は自身の三成となった顔を指で撫でた。
「して大谷殿──おぬし、長年病に苦しんでおるようだのう」
「は……治療法のない、忌まわしい宿痾──業病の類にございます」
悲しげに告げる吉継の言葉を受けて、役小角は漆黒の眼を細めた。
「──治療法がないと、この私の前で申したのか?」
役小角はそう言うと、懐から黒い液体が入った小瓶を取り出した。
「ほれ……こいつをグイと飲み干すがよろしい」
「……ッ」
役小角が差し出す怪しい小瓶を見たあと、吉継は親友の亡骸と空の小瓶を見やった。
「……ぐっ」
「恐れるでない、大谷殿……おぬしを気にいっていると、わしは先ほど申したよな?」
「う、うう……ぐぅ」
吉継は拒否権がないと悟って小瓶を役小角から受け取った。
どろりとした粘り気のある黒い液体で満たされた小瓶を見ると、"怒羅"と赤い文字で書かれていることに気づいた。
「ふぅ……ふぅ……んグッ!!」
吉継は呼吸を荒くし、脂汗を白頭巾の下で噴き出しながらキュポと蓋を開けると、役小角が見下ろす中、"怒羅の八天鬼薬"を一息に飲み干した。
その瞬間、体中の全器官に燃えるような熱を感じた吉継は両手で喉を抑え、カッと両目を見開きながら唸るように吼えた。
「かかか。いつ見てもしびれるのう、人が鬼へと転じるさまは」
役小角は満面の笑みを浮かべながら呟くと、吉継は前に倒れ込んで、畳に顔を押しつけた。
「かッ! がァッ!! 熱い! 焼けてしまうッ!!」
吉継は叫びながら被っていた白頭巾を力任せに自身の頭から剥ぎ取った。
「ガぁ!! がッ……! がハっ──がぁ……あぁ……はぁ」
そして激しい発作が治まると、吉継は呼吸を整えながら畳から顔を持ち上げる。
その光景を眺めた役小角は満足気に頷いてから口を開いた。
「かかか。どうじゃ、"八天鬼人"となった心地は」
吉継の顔からは業病による一切の瘢痕が取り除かれていた。
額の左右から伸びる黒い角、黒光りする"鬼"の文字が浮かんだ黄色い瞳を除けば、その顔立ちは伊達男と言えた。
「おぬしが飲んだのは、"怒羅の八天鬼薬"──本来であれば、織田信長に飲ませようと思うて煎じた代物じゃ。"鬼の力"は、今おぬしのものとなった。この"石田三成"の参謀役として存分に活かすがよいぞ──かかかかッ!」
三成の顔と声をした役小角はそう告げて高笑いすると、吉継は自身の顔に手で触れながら部屋の隅に置かれた鏡を見やった。
「……これが、それがし……これが"鬼の力"……」
"八天鬼人"として生まれ変わった凛々しい己の顔を映し見た吉継は、感嘆の声を漏らした。
「なるほど、これは……全人類が味わうべき……"至高の力"ですな」
「かかか──わしは遠慮しておくがのう」
吉継が恍惚の笑みを浮かべると、"石田三成"となった役小角は聞き取れないほど小さな声で呟くのであった。