26.磐梯山津波
「ぬらりひょんさん、いつでもいいよ! 浮き木綿を羅刹大蛇に近づけてください……!」
「──いや、近づける必要はない……おぬしらのために、特別な"階段"を用意してやるでな」
夜狐禅の背中に騎乗した桃姫が叫ぶと、ぬらりひょんはそう答え、背後を振り返った。
その視線の先には、夜空を舞いながら移動する大量の"砂塵の群れ"があった。
「よし、来おったな……普段たらふく花崗岩を食わせてやってるのじゃ、ここぞというときには、しっかり働いてもらうぞい──真眼妖術・大目壁兵衛──」
掲げた杖を宙空に振るったぬらりひょんが、額に開く四つの"真眼"を赤く輝かせながら真眼妖術を詠唱した。
大量の"砂塵の群れ"が宙空で"合体"して石へと転じていくと、石と石が"合体"して岩になり、岩と岩が"合体"して壁となっていく。
「なんとッ……!?」
五郎八姫が息を呑むと、巨大な目壁兵衛が"階段"のように次々と地上からそそり立っていった。
「──夜狐禅くん! 行こうッ!」
桃姫が叫ぶと夜狐禅が吠えて返し、"大浮き木綿"から飛び出して、目の前に伸びる"大目壁兵衛"の"階段"に飛び移った。
夜空に浮かぶ青白い月を背にしながら、"大目壁兵衛"が作り出す"階段"を桃姫と五郎八姫を背中に乗せた夜狐禅がダッ、ダッ、ダッと力強く駆け飛んでいく。
夜狐禅が踏み飛んだ"大目壁兵衛"の"階段"は崩れ去ると、前方に移動してまた別の"大目壁兵衛"の"階段"となって瞬時に作り上げられる。
"大目壁兵衛"が崩壊と形成を繰り返しながら高く高く伸びていく"階段"を駆け飛びながら、大津波を引き連れて磐梯山の山肌を登り始めている羅刹大蛇目掛けて、夜狐禅は全力で走った。
「夜狐禅殿! 水流が来るでござるよ!」
五郎八姫が叫ぶと、鬼波姫はひときわ強く青光した〈七支刀〉の先端を夜狐禅に差し向け、渦を巻いた水流を刀身から撃ち放った。
夜狐禅は駆け登る速度を上げるが、後方から迫りくる水流は着実にその距離を詰めていった。
今まさに水流が追いつこうとした刹那、一段と巨大な目壁兵衛が立ち上がり、その巨壁で水流を防いだ。
「──これが奥州妖怪頭目の力よ──」
"大浮き木綿"の上でにやりと笑みを浮かべたぬらりひょんが額に見開いた四つの"真眼"をさらに強く紫光させた。
水流をまぬがれた夜狐禅は眼前に立ち上がった目壁兵衛に向かって飛びつき、そして続けざまに跳躍して夜空を飛んだ。
「いろはちゃん!!」
「いざ参らんッ!!」
桃姫と五郎八姫が声を発すると、騎乗していた夜狐禅の背中から立ち上がり、羅刹大蛇の頭部目掛けて飛び移った。
「──ヤェエエエッ!!」
「──デヤァアアッ!!」
桃姫は裂帛の声を上げながら、〈桃源郷〉を羅刹大蛇の青い目に突き立て、続けて〈桃月〉も別の目に突き刺してその巨体にしがみつく。
五郎八姫も〈氷炎〉と〈燭台切〉を二つの青い目に突き立てると、凄まじい振動がふたりの全身に走った。
「──キシャァアアッ!!」
六つ並んだ青い目のうち、四つの目を仏刀と刻命刀によって突き刺された羅刹大蛇は長い舌を伸ばし、苦悶の鳴き声を上げながら磐梯山の斜面で激しくのたうった。
まるで大地震のような怒涛の衝撃に桃姫と五郎八姫が耐えていると、羅刹大蛇が引き連れていた大津波が迫り上がって来て、ふたりを飲み込まんとした。
「いろはちゃん!」
「もも!」
桃姫と五郎八姫は互いに声をかけ合うと、激流にその身を飲み込まれていく。
「──私の勝ちです、いろは……これより、"国流し"を始めます──」
鬼波姫は激流の中で宣言すると、猪苗代湖から引き連れてきた大津波を磐梯山から奥州に向かって解き放った。
磐梯山の山肌を削り取って土石流となった激流は、勢いを増しながら隣の山である安達太良山を飲み込むと、ふもとに広がる奥州へと流れ込んでいく。
「そうよ、すべて飲み込みなさい! これが、私の怒りと嘆き!! 奥州を丸ごと洗い流すのよ!! "死滅"ッ!! "死滅"ッ!!」
激流に身を包んだ鬼波姫が、青光する〈七支刀〉を掲げながら、青い"羅"の文字を光り輝かせて呪詛を放った。
ふもとにある村の住人たちが突如の轟音に家々から飛び出してくると、唖然として安達太良山を見上げた。
夜空よりも暗い色をした"山津波"の濁流がゴオオオオオという地獄のような地響きとともに村に向かって流れ落ちてくる。
「あ……ああ! 逃げろ……! 逃げろぉおお!!」
村人のひとりが叫ぶと、皆一斉に悲鳴を上げて駆け出した。
「──真眼大妖術・大々目壁兵衛──」
ぬらりひょんが詠唱すると、白濁した眼も合わせて六つの"真眼"を見開いて真っ赤に極光させた。
夜狐禅を運び終えてすべて崩壊していた目壁兵衛の群れが、村の前に集結して"合体"し、またたく間に巨大化していく。
「──メェェェェ、カァァァァ、ベェェェェ──」
ついに現れた"大々目壁兵衛"は、低いうなり声を巨壁の全体をふるわせて発すると、迫りくる"山津波"に対して堰き止めるように両手を広げ、その流れを猪苗代湖に流し向けた。
「わしの妖力が尽きるまであとわずか……さっさと始末をつけい、伊達の娘」
ぬらりひょんはハゲた頭全体にはち切れんばかりの太い血管を走らせながら告げた。
「……何ですか、あれは……」
鬼波姫が奥州を護るように突如として現れた目玉つきの巨壁を見て声を漏らした。
激流に飲み込まれていた桃姫と五郎八姫は、羅刹大蛇の目に突き刺した二振りの刀を支えにして踏みとどまり、全身を濡らしながらも力強く笑みを浮かべた。
「いろはちゃん、ぬらりひょんさんがやってくれたよ! 次はいろはちゃんの番だよ!」
「あい、わかったッ!」
桃姫が声をかけると、五郎八姫は頷いて返した。羅刹大蛇の動きは見るからに鈍くなっており、"山津波"を起こすために多大な"鬼力"を消耗しているようであった。
五郎八姫は〈氷炎〉を羅刹大蛇の青い目から引き抜くと、その流線型の頭部を力を振り絞って駆け上がった。
そして、羅刹大蛇の頭頂部から上半身を伸ばして呆然としている鬼波姫と対面すると、五郎八姫は〈氷炎〉を両手で構えた。
「大おば様、覚悟はよろしいか」
「いろは……結局私たち、最期まで理解し得なかったわね」
蒼銀色をした刃の切っ先を向けた五郎八姫に対して、鬼波姫は青光を失った〈七支刀〉を手放して"水蒸気"へと霧散させながら静かに言った。
「それは仕方なきこと……拙者と大おば様は、"違う道"を歩んだ、"違う女"なのでござるから」
「ふっ、最期の最期になって気が合うことを言うのですね……あなたのこと、地獄の底から見護りましょう。いろは──」
そう告げた鬼波姫は、目を閉じ、両手を広げて自身の胸部を曝す。五郎八姫は一息で跳躍して、両手で握りしめた〈氷炎〉の刃を鬼波姫の左胸──鬼の心臓目掛けて突き刺した。
「……さようなら、大おば様」
苦渋の表情を浮かべた五郎八姫が鬼波姫の上半身に寄り掛かりながら別れの言葉を告げる。
刻命刀〈氷炎〉に"鬼の心臓"を深々と突き刺された鬼波姫はかすかに目をあけると、一筋の涙を流しながら小さく口を開いた。
「──平四郎……ろくに復讐も果たせぬ愚かな母上で、申し訳ありません──」
鬼波姫は青白い月に向けて最期の言葉を告げると、静かに目を閉じた。
五郎八姫が〈氷炎〉の刃を引き抜くと、墨よりも黒い鬼の鮮血が鬼波姫の左胸から噴き出し、奥州の夜空に弧を描くのであった。