22.刻命刀〈氷炎〉
1400年前、邪馬台国の外れの村。質素な小屋から産声が響く。
"亡霊"となった五郎八姫はその声を聞いた。小屋に暮らすのは農具作りを生業とする塗犂夫妻である。
産声を聞いた夫は作業を放り出すと、嬉々とした顔で小屋に駆け込んだ。妻の腕に抱かれた赤ん坊の姿を見て、我が目を疑った。
生まれた赤ん坊は氷雪のような白髪と、燃えるような紅い瞳を持っていた。
「氷炎と名づけましょう」
妻がほほ笑みながら夫に告げた。産婆が険しい顔で夫を外へ連れ出した。
「忌み子です。巫女王様の御神託が必要でしょう」
夫は産婆の忠告に同意した。その夜、夫は眠る妻の腕から氷炎を奪い取ると、小屋の外で待機していた女神官に手渡した。
氷炎の顔を確認した女神官は夫に頷くと、邪馬台国の中央にそびえ立つ大神殿へと運び去っていった。
そんな光景を五郎八姫が見届けていると、小屋から絶叫が響き、血相を変えた妻が飛び出してきた。遠ざかる女神官の一団を見つめる妻に、夫が慌てて状況を説明した。
妻は狂乱した。壁に立てかけてあった犂で夫を刺し殺すと、小屋に火を放って炎の中に身を投じた。
一方、大神殿に運ばれた氷炎は、白布で顔を隠した巫女王・卑弥呼の前に差し出され、"生殺"の御神託が執り行われることとなった。
それは神の化身である大蛇の前に氷炎を置くという儀式だった。大蛇は氷炎の周囲を何度も回った後、夜明け前に氷炎を護るように静まった。
卑弥呼は氷炎を"生かす"ことを決定した。そのとき、信託の間に兵が駆け込んできて、塗犂夫妻が亡くなったという報告をもたらした。
氷炎は大神殿近くの屋敷に預けられた。やがて少年となった氷炎は、門番兵長の息子・影鳩と親友になる。14歳を迎えたふたりは揃って警護兵に着任した。
五郎八姫は、柵で囲われた剣術場で互いに汗を流しながら剣の腕を磨き合うふたりの少年の姿を眺めた。過酷な生い立ちながらも真っ直ぐに育っていく氷炎。五郎八姫はどこか姉のような気持ちになりながらほほ笑んだ。
3年後、17歳になった氷炎は白い長髪をなびかせる美男子へと成長を遂げていた。影鳩との間で行われた"隊長争い"にも見事に勝利し、警護隊長に就任していた。
美男子・氷炎の自信に満ちた立ち居振る舞いは、卑弥呼に仕える女神官や女呪術師の羨望の的だった。さらに剣の腕前も邪馬台国随一となれば、氷炎は飛ぶ鳥を落とす勢いで中央での地位を高めていった。そんなある日、事件が起こった──。
親代わりとなってくれていた女神官・痲苹に呼び出された氷炎は、その晩の"隊長権限"を影鳩にわたして痲苹の待つ屋敷へと向かった。
屋敷の中庭に足を踏み入れた氷炎は、痲苹と昔話をしながら出された薬湯を一口飲んだ。すると途端に体が痙攣し始め、氷炎は地面に倒れ込んだ。
体の制御が効かない氷炎が困惑していると、痲苹の従えている女呪術師が屋敷の扉を開けて中庭に姿を現した。
両手で印を結んだ女呪術師の目が妖しく紫光すると、その目を見た氷炎は勝手に体が動き出して立ち上がった。
「あなたの目は"傀儡操呪"によって支配されたわ。これからあなたは卑弥呼様を殺すのよ」
痲苹は隣に立つ女呪術師とともに不穏な笑みを浮かべる。
「次代の巫女王は私が継ぐべきなのに、あの方は私を信頼してくださらない」
痲苹の声には深い怨嗟がにじんでいた。
「あなたも私を見捨てるのね、氷炎」
痲苹の言葉に氷炎は激しい怒りを燃やした。わずかに動く首で中庭のかがり火を見つめる。
「さぁ、役目を果たしてきなさい……私のかわいい氷炎」
女呪術師に操られた氷炎が出入り口に立ったそのとき、かがり火に向けて首を差し出し、紫光する両目を焼き潰した。
顔面に走る激痛とともに、またたく間に視界が闇に染まる。それと同時に、目を支配することで相手を操る"傀儡操呪"が解かれて、体の自由を取り戻した氷炎。
左腰に帯びている鉄剣を抜いて右手に構えると、中庭で息を殺した痲苹と女呪術師の気配を暗闇視界の中で探った。
「巫女王の暗殺を企てる者は、それが育ての親であろうと……容赦しない」
氷炎は左手でかがり火を掴むと、火の粉を中庭に振り撒いた。女呪術師が熱気に耐えきれず走り出して、氷炎の脇を通り抜けようとした瞬間、剣を振り抜いて胴体を寸断する。
痲苹が悲鳴を漏らすと、氷炎は即座にかがり火を投げつけた。壁から走り出した痲苹は、目をひん剥きながら絶叫した。
「殺される!」
氷炎は剣を振り払い、鋭い切っ先でその背中を斬りつける。
「ぎゃあ!」
短い悲鳴とともに倒れ込んだ痲苹は、血を流しながら這いずって逃げようとした。焼けただれた顔を怒りと悲しみで歪めた氷炎は痲苹の背中に剣を突き立てた。
五郎八姫はその光景を、1400年の刻を越えて静かに見届けていた。
「氷炎、何をしている」
影鳩の引きつった声が氷炎の耳に届く。警報の鐘が鳴らされる音が響き渡り、数十人からなる警護兵の足音が近づいてくるのを氷炎は耳にした。
「聞け影鳩。痲苹が巫女王の暗殺を企て、私を暗殺者に仕立て上げようとしたのだ」
屋敷の外で氷炎は弁明した。しかし影鳩は氷炎に剣の切っ先を向けた。
「黙れ、逆賊」
敵意を剥き出しにした友の声に、氷炎は絶句した。集まってきた警護兵に向かって、影鳩は声高々に告げる。
「塗犂氷炎は、女神官を斬殺した。親代わりの女神官をだ。どのような理由があっても赦されることではない。そうだろう、みんな」
剣を掲げながら声を発する影鳩。一部の警護兵は影鳩に賛同してがなり立てた。氷炎を慕う者もいたが、その凄惨な姿に何も言えなかった。
「今の警護隊長は俺だ。返して欲しければ、力づくで奪い取ってみろ」
「愚かな真似はやめろ、影鳩」
「愚かなのはどちらか、今ここで決着をつけよう」
影鳩は目が見えない氷炎に余裕の笑みを浮かべると、まだ剣を構えていない氷炎に向けて駆け出した。
暗闇の中、氷炎は迫りくる影鳩の殺気を感じ取った。身をかわしながら剣を振るうと、うめき声とともに血しぶきが飛び散る。怯んだ影鳩の剣を左手で奪い取った。
そして氷炎は影鳩の首を刎ね飛ばした──地面に倒れ伏した影鳩の前に、二振りの血ぬれた鉄剣を握りしめた氷炎が立つ。
唖然とした表情で見届けた警護兵たち。氷炎は両手の剣を左腰に差すと、痲苹と影鳩の亡骸の前から静かに歩き出した。
警護兵が開いた道を歩く氷炎は、大神殿から見下ろす卑弥呼に横顔を向けた。しかし、何も言わず前を向き直すと立ち去っていった。
五郎八姫は氷炎の後を追いかけると、くるりと回り込んでその顔をのぞき込んだ。氷炎は焼けただれた両目を固く閉じ、嗚咽を漏らしていた。
その顔を見た五郎八姫は氷炎への深い共感によって知らずのうちに"心身一体"となっていた。
氷炎は邪馬台国を離れ、"盲目の双剣士"として各地をさすらった。傭兵や用心棒をしながらも、人間同士の争いに心を疲弊させ、ついに奥州の森で隠遁生活を始めた。
妖との交流で心の平安を得た氷炎は、妖術"心眼"を習得し、白濁した眼にも視界が戻った。100歳を迎える頃には、すでに人から妖へと変わり始めていた。
奥州の妖からも一目置かれるようになった氷炎は、さらに長い年月をかけて妖怪となり、"奥州妖怪頭目ぬらりひょん"としての頭角を現していく。
それからは目くるめくぬらりひょんの1300年の刻が過ぎ去り、ついに1400年の"追体験"の終着点へと五郎八姫はたどり着いた。
ぬらりひょんが"刻命の儀"を開始して五郎八姫の心が"真眼"に吸い込まれた瞬間、入れ替わるようにして、"心身一体"となっていた五郎八姫の心がぬらりひょんの体から抜け出すと、紫光する海を浮上していく。
「──"刻命の儀"、これにて完了じゃ。話しかけてもよいぞ」
ぬらりひょんが告げると、光が戻った五郎八姫の瞳を桃姫が心配そうな顔で見つめた。
「いろはちゃん」
「──ッ!?」
呼びかけられた五郎八姫は息を呑みながら桃姫の瞳を見つめ返し、そして左手で握りしめる温かなその手に力を込めた。
「……もも。拙者、1400年……やりきったでござるか?」
「やったよ、いろはちゃん!」
感極まった桃姫は涙を浮かべ、五郎八姫の手を胸元に抱きしめた。
「伊達の娘……刀を見てみよ」
実感のわかない五郎八姫にぬらりひょんが告げると、五郎八姫はようやく自身の右手が握りしめるその刀の変容を見やった。
「──刻命刀〈氷炎〉、おぬし専用の"破邪の剣"じゃよ」
ぬらりひょんの命を刃に刻むことによって鬼を断ち切るまでの妖力を得たその刀は、神秘的な蒼銀色を放っていた。
刀身にはぬらりひょんの真名"ぬらりひえん"の六文字が、神代文字にて紅く浮かび上がっている。
ぬらりひょんが生きた1400年の刻を"追体験"した五郎八姫だからこそ振るうことを許された、〈氷炎〉の名に相応しい冷たく燃える一振りであった。