21.ぬらりひょんの過去
「すごいでござる! 拙者、空を飛んでるでござる!」
五郎八姫は独眼を輝かせながら歓声を上げた。
五色の浮き木綿をつないだ"大浮き木綿"の背に乗り、眼下に広がる奥州の山々を見下ろしている。頭上では梵天丸が並んで滑空していた。
「これ、はしゃぐでない。落ちたら洒落にならんぞ」
あぐらをかいたぬらりひょんが苦言を呈した。脚を崩して座った桃姫が、朱い浮き木綿を撫でる。
「ぬらりひょんさん、ありがとうございます。これならすぐに着きそうです」
「ほほほ。よかったのう、わしが瑞鳳殿におって」
「さすが頭目様です」
正座する夜狐禅がおだてると、ぬらりひょんは満更でもないという表情で頷いた。
空からの景色に夢中になっている五郎八姫の背中を白濁した眼で見やったぬらりひょんがおもむろに立ち上がる。
「のう、伊達のむすめ。おぬしにわたしておきたいものがある」
「何でござるか?」
振り返った五郎八姫に、ぬらりひょんが手招きをする。
「怪しいものなら受け取らないでござるよ」
「まぁ見てみろ」
"大浮き木綿"の上を這うようにして近づいてきた五郎八姫。ぬらりひょんが黒杖を振ると、紫煙の中から一振りの刀が現れた。
「伊達のむすめよ。こいつで桃姫の力となるのじゃ」
歴史を感じさせる黒鞘に包まれた刀を五郎八姫が受け取った瞬間、不穏な気配が全身を駆け抜けた。
「……この刀は」
「妖刀〈夜桜〉じゃ」
「えっ!?」
ぬらりひょんの言葉に驚いた桃姫。それは妖々魔がぬらりひょんの館を退館するさいに、ぬらりひょんにゆずった妖刀であった。
「桃姫は知っておるよな。そう、この〈夜桜〉は日ノ本有数の妖刀にして大業物。こいつをおぬしの愛刀とするのじゃ」
「待つでござる! 妖刀なんぞ、拙者はほしくない!」
五郎八姫は慌てて〈夜桜〉を体から遠ざける。
「わしもおぬしを"妖刀憑かれ"にするつもりはない。そこで一つ、手を加えようと思う。ほれ、鞘から抜いてみせろ」
「……うう」
抜刀を促された五郎八姫は黒鞘を見つめて躊躇した。
「はよせぬか。須賀川城に着いてしまうぞ」
「……くッ」
ぬらりひょんを睨みつけた五郎八姫は、覚悟を決めて黒鞘を引き抜いた。
顕わになったのは、禍々しい波動を放つ黒銀色の刃。五郎八姫は慄きながらも、妖しい刃から目を離すことができなくなっていた。
「ふん、早くも妖刀に魅せられておるか……まぁよい。そのまま刀を掲げ続けるのじゃぞ」
ぬらりひょんは深く息を吐くと、黒杖を握りしめて告げた。
「妖刀では鬼は殺せぬでな。ゆえにわしの命を刃に刻み、破邪の剣へと真化させる──それが"刻命の儀"じゃ」
「……命を刻むって、そんなことして」
心配そうな顔を浮かべた桃姫。
「案ずるな、桃姫。わしの目利きが確かならこの刀、相当に頑丈と見た」
ぬらりひょんは〈夜桜〉の刃を見ながら鼻を鳴らした。
「折れれば当然、わしの命は消えることになるが──そんな無茶な扱い方はしまい?」
「……ん、何の話でござるか」
ぬらりひょんの問いかけに五郎八姫はハッと顔を上げて聞き返した。
「なんか心配になってきたぞ……」
ぬらりひょんが呟くと、五郎八姫は苦笑した。
「冗談でござる。ちゃんと大切に扱うでござるよ。さぁ、桃姫とともに戦える刀に変えてくだされ」
五郎八姫が〈夜桜〉を掲げながら胸を張ると、ぬらりひょんは渋い顔を浮かべた。
「のう、伊達のむすめ。おぬしは何もせんで済むと思うたら大間違いじゃぞ」
笑顔を見せていた五郎八姫の顔がぬらりひょんの言葉を受けて引きつった。
「"刻命の儀"は、わしとおぬしで交わす"命と心の契り"……わしは命を〈夜桜〉に刻む。代わりにおぬしは、わしが生きてきた刻を、心で"追体験"することになるのじゃ」
「……は?」
ぬらりひょんの口から告げられた言葉の意味が理解できず声を漏らした五郎八姫。
「それって……何年分でござるか?」
「──1400年」
ぬらりひょんが答えると、五郎八姫と桃姫は愕然とした。
「──せ、せ、せ、1400年!? 17年しか生きてない拙者が、1400年を"追体験"するでござるか!?」
「そうじゃ。なに、せいぜいが80倍ちょっと。別に問題ないじゃろ」
「──問題大有りでござるよッ! ……うわぁああ!」
"1400年"という考えも及ばない壮大な年月を前にして思考が処理しきれなくなった五郎八姫は、天を仰ぎながら叫んだ。
「落ち着け。実際に過ぎる時間は"14秒"ほどじゃ。"刻命の儀"が完了したとき、おぬしは微塵も歳を取っておらん──ただわしの1400年が記憶に残るだけじゃ」
「とんでもないこと言ってないでござるか!? 拙者の人生、その大事な記憶の数々が1400年で"上書き"されるなんて起きないでござるよな!?」
五郎八姫が尋ねるとぬらりひょんは首を傾げた。
「さぁな……ただ、一度"儀式"を始めたら中断することはできないとだけ言っておこう──1400年、途切れることなくぶっ続けで味わうことになる」
「……恐ろしすぎるでござる」
ふるえる声で呟いた五郎八姫は深くうなだれた。そんな五郎八姫の肩に桃姫の手がやさしく置かれる。
「いろはちゃん。やらなくていいよ」
「……っ」
五郎八姫は桃姫の穏やかな顔を見た。
「大丈夫、鬼退治は私がするから。いろはちゃんは私と一緒に戦ってくれれば、それだけですごく勇気がもらえるんだよ」
「もも……」
桃姫の言葉を耳にした五郎八姫は独眼を涙でうるませた。
「すまんのう、桃姫……わしは自らの命を刻んでもよいと覚悟を決めたのじゃが……はぁ、伊達のむすめがこうも怖気づいてしまってはのう」
ぬらりひょんは言いながら、白濁した片眼を開いて、責めるように五郎八姫の顔を見やった。
「そんなこと言わないでよ、ぬらりひょんさん。いろはちゃんは私のためを想って──」
「──やるでござるッ!!」
桃姫の言葉を遮った五郎八姫が吠えるように声を張り上げた。
「拙者、"刻命の儀"やるでござる!! 1000年でも2000年でも、1万年でもかかってこいでござるよッ!!」
「いろはちゃん……」
五郎八姫の鬼気迫る表情を見た桃姫が声を漏らす。
「ほほほ。二言はないな? 伊達のむすめ」
ぬらりひょんはにんまりと笑って告げた。
「やると決めた以上、最後までやり抜くでござる。それが父上への手向けでござるからな」
「心得た。では始めようではないか──」
ぬらりひょんは頷くと黒杖を宙に浮かばせ、両手を揉み合わせて妖力を練り始めた。
「もも。拙者の覚悟、見届けてほしいでござる」
「ぬらりひょんさん、いろはちゃんの手を握っていてもいいですか?」
桃姫がぬらりひょんに尋ねた。
「構わん。ただし声などかけるでないぞ。儀式中の"1秒"は、伊達のむすめにとって"百年"じゃ……心が乱れる原因になるでな」
「はい」
ぬらりひょんの警告を聞いた桃姫は答えた。ぬらりひょんは揉み合わせていた両手を開くと、その手のひらを妖刀〈夜桜〉の黒銀色の刃に向ける。
「実を言うと、わしも初めてする儀式でな……知識では理解しておるが、実際おぬしの心がどうなるかわしにもわからぬのだ」
ぬらりひょんが低い声で告げると、右手で〈夜桜〉を掲げ、左手で桃姫と固く手を結んだ五郎八姫が独眼を細めた。
「もしも心が壊れそうになったら、わしに"取り憑け"……"心身一体"となって刻の大波を乗りきるのじゃ」
「それはまるで──"亡霊"でござるな」
五郎八姫が苦笑しながら呟くと、桃姫の手を強く握り返した。
「いかにも──これよりおぬしは、"亡霊"となるのじゃ」
「──ッ!?」
ぬらりひょんの大きなハゲ頭に紫光する四つの"真眼"が見開かれていく。
「──真眼妖術・真眼ぬらり──刻命心刻──」
ぬらりひょんの声が木霊すると五郎八姫の心が"真眼"に吸い込まれた。紫光する海の中に落下して、どこまでも深く沈んでいく。
そうして五郎八姫の心は1400年の刻をさかのぼると、九州・邪馬台国の地で"亡霊"として顕現するのであった。




