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20.阿南姫の呪詛

 須賀川城天守閣の大広間──武装した10人の伊達武者が、ひとりの女性と対峙していた。女性の額の右側には紺碧色の鬼の角が伸びていた。

 青黒く長い髪の女性は荒れ狂う波模様の着物を身にまとっており、黄色い瞳には青い"鬼"の文字を光らせていた。


「阿南姫様、正気にお戻りくだされ! 貴殿は政宗様のおば君でござろう。なにゆえ、このような狼藉をなさるのか!」

「──お黙りなさい、無礼者」


 阿南姫と呼ばれた女性は青い爪が伸びる人差し指を伊達武者のひとりに指し向けた。

 爪先に凝縮した水滴が高速回転しながら放たれ、武者の喉を貫いた。


「……ッ!? カハ──!」


 喉を両手で押さえた武者は目を見開いたまま畳に崩れ落ち、畳を赤く血で染めて絶命した。


「須賀川城は、二階堂の城……なれば、二階堂に嫁いだ私の城です。仙台で居眠りをしている政宗に伝えなさい……阿南姫が鬼となって帰城したと」

「……鬼!?」

「やはり、鬼に身を堕としていたか! みなの者、伊達の血族であろうと躊躇するな! 相手は鬼ぞ! 臆せずかかれいッ!」


 刀と槍で武装した9人の伊達武者が、怒号を発しながら阿南姫に向かって一斉に攻めかかった。

 阿南姫は冷ややかな笑みを浮かべ、黄色い目に浮かぶ青い"鬼"の文字を強く光り輝かせた。


「"波羅の力"の前には──すべてが無力」


 不敵な笑みを浮かべながら告げた阿南姫は、掲げた右腕の全体に大量の水滴を凝縮してまとわせた。

 薙ぎ払うように振るって、鋭い刃と化した水しぶきを伊達武者の集団目掛けて高速で飛ばした。


「がぁッ──!?」


 水の刃が黒い鎧を切り裂くと、9人の武者が一斉に血しぶきを上げて倒れた。一瞬の出来事だった。

 倒れ伏した伊達武者たちの死に顔を見下ろしながら、阿南姫はうっすらと笑みを浮かべて口を開いた。


「まったく……これでは誰が、政宗に報告するのですか」


 阿南姫が苦笑すると、チリンチリンという金輪の鳴る音とともに役小角がふすまの向こうから姿を現した。


「かかか。さっそく使いこなしておるようじゃのう──阿南姫殿」


 特徴的なしゃがれた声を耳にした阿南姫は、〈黄金の錫杖〉をつきながら大広間にやってくる役小角の姿を見た。


「行者様、おいでになられたのですか」

「うむ……血のにおいが城の外までぷんと漂っておるでのう。かかか」


 役小角は、倒れ伏している伊達武者の亡骸を見回すと、満面の笑みを浮かべた顔で阿南姫を見やった。


「してどうじゃ、"波羅の力"は。気に入ってくれたかのう?」

「はい。こうして一日足らずで須賀川城を奪還することが叶いました──心より感謝しております、行者様」


 阿南姫がうやうやしく頭を下げると、役小角は頷いた。懐から空になった"波羅"の文字が書かれた小瓶を取り出した。


「おぬしの存在は知っておったよ、阿南姫殿──伊達の一族に生まれながらにして、誰よりも伊達のことを憎んでおりますわいの」

「はい、その通りでございます」


 阿南姫は遠い目をして語り出した。


「私は伊達晴宗の長女として奥州に生まれました。弟は輝宗……政宗の父にございます──若き日の私は、父上の命によって蘆名の武将、二階堂盛義のもとに嫁がされました」


 阿南姫は話しながら、大窓の向こうに広がる猪苗代湖を見つめた。


「"政略結婚"……確かに望んだ婚姻ではありません……ですが私は、二階堂で"成すべきこと"を見つけたのです」


 かつてこの湖は希望に満ちた未来を映していた。今は復讐への想いを映すばかりだった。


「それは、伊達と蘆名の両家に"一滴の血"も流させることなく、"和睦一体"となること……私はそれを夢見て、子を産みました」


 阿南姫は破顔しながら、実に嬉しそうに胸元に青い爪をした両手を当てて語った。


「名は平四郎……彼は蘆名家の跡継ぎとなり、蘆名盛隆とあい成ったのでございます……これで、伊達と蘆名は"一体"となれる……"女の戦い"は成就したのだと──ああ、なんと嬉しかったことでありましょうか」

「…………」


 役小角もまた漆黒の眼を細めながらその話を聞いた。


「しかし、その幸せは10年しか続かなかった……平四郎が……私の可愛い平四郎が、暗殺されたのでございます!」


 黄色い瞳をふるわせた阿南姫は、荒れ狂う波が描かれた着物の胸元を強く掴み、爪を布地に食い込ませた。


「伊達と蘆名の関係は急速に冷え込みました……それでも、私は抗いました、まだ希望はあると……その切なる希望を完全にぶち壊したのが──私の甥、独眼竜・伊達政宗でございます」

「……かかか」


 阿南姫の声が憎悪にふるえ、美しかった顔が歪んだ。役小角は阿南姫の苦悶する顔を見つめ、まるで美味い酒でも味わうように低く笑った。


「……平四郎が死んでから5年後、政宗の大軍勢が蘆名領に攻め入ったのです。そして……蘆名も二階堂も、すべて滅ぼされてしまったのです……嗚呼ッ!」


 嘆いた阿南姫はその場に崩折れると、顔を両手で覆って涙を流した。役小角は歩み寄ると、その肩に手を置いた。


「辛かったのう。だからこそわしは、放心状態で磐梯山を放浪するおぬしを見つけ出し、"波羅の鬼薬"を飲ませて"八天鬼人"としたのだ」

「はい、感謝しております……このような素晴らしい"鬼の力"を授けていただいて」

「しかしのう、阿南姫殿。政宗はおぬしに戻ってくるよう説得したというではないか。それでもおぬしは戻らなんだ……なぜじゃ?」


 役小角の言葉を聞いた瞬間、阿南姫の顔を覆っていた両手がゆっくりと離れた。現れた顔は、もはや人ではなく鬼そのものだった。


「──なぜ、私が政宗に降らねばならぬのです?」

「……ぬっ」


 恐ろしく冷たく低い声を投げかけられた役小角は、思わず阿南姫の肩から手を離してたじろいだ。

 母親の愛情が憎悪へと変わった恐ろしい気迫は、千年を生きる役小角ですら怯ませた。


「私は二階堂に嫁ぎ、孤独の中で女の戦いを続けました……それを踏みにじったのは政宗なのです」

「しかし、阿南姫殿……おぬしも知っておられるとは思うが、政宗はすでに──」


 役小角の言葉をさえぎるように阿南姫は立ち上がると、役小角の眼前まで顔を近づけた。


「──政宗の"すべて"を死滅させるのでございます──」


 役小角より背の高い阿南姫は身をかがめるようにして漆黒の眼をのぞき込みながら告げる。


「行者様が教えてくださった、"羅刹変化"……あの"超常なる鬼の力"を用いれば、それが可能かと存じます」

「うむ……阿南姫よ。おぬしの目を見て、わしはおぬしをこう呼ぶことにした──鬼の波の姫、"鬼波姫"とな」

「……"鬼波姫の戦い"、どうぞお楽しみくださいませ」


 不敵な笑みを浮かべながら告げる鬼波姫の言葉を聞き受けた役小角は、〈黄金の錫杖〉を掲げて別れの挨拶とすると、チリンチリンと金輪を鳴らしながら大広間から立ち去っていった。

 その後ろ姿を見送った鬼波姫は、須賀川城の天守閣の大窓の外に広がる猪苗代湖と磐梯山が連なる雄大な景色に視線を移してから静かに口を開いた。


「この"八天鬼・波羅の力"……この世から政宗の痕跡をすべて洗い流すため、存分に使わさせていただきます」


 復讐への誓いを口にした鬼波姫の青い唇が残酷に歪むと、黄色い瞳に宿った青い"鬼"の文字が冷たく光り輝くのであった。

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