ぼく、会社員!『きくらげラーメン』
小学校、中学校、高校、大学。
特に問題なく生きてきた。
パッとするような活躍をした訳ではないけれど、特に何かこれといって失敗したような気もしない。
小学4年の時からずっと野球を続けてきた。
でも人生を賭けて野球で生きていくかと思えるほどは好きじゃなかった。
だから野球に関連する職に就こうと思った事は無かったし、特別どこかの球団を応援しているという訳でもない。
実家にいたときは、テレビで野球がやってればとりあえず観る程度。
一人暮らしになってからはテレビも無いし。観てないな、最近は。
地元を離れ、本社で半年OJTを受け、福岡にやって来た。
OJTが終わり、福岡に配属される前には工場見学にも行った。
煤まみれで働く人達を分厚いガラス越しに眺めながら、自分にはできないと思った。
怖かった。
運良く倒産の心配をしなくても良さそうな会社に就職できた。
自分でも理由はわからない。
面接官を前に、ハキハキと海外でのボランティア活動について語る他の就活生を見ながら、『終わった』と思っていた。
グループディスカッションも最悪だった。
自分はすごくバカで、特に何も考えずに生きて来たのかもしれないと思った。
『バカだからいいんだよ。何も考えずに突っ込んでいけ。期待の新人なんだから』
野球部でピッチャーをやっていたらしい熊田課長は、よくそう言って俺の背中をバシッと叩く。
ピッチャー以外に最適なポジションが思いつかないような体型の課長の平手打ちは正直言ってめっちゃ痛い。
家に帰ってからも背中に残っている真っ赤な手形を鏡越しに眺めてから、特に何も入ってない冷蔵庫を開ける夜を想像して胸が痛い。
自分の体づくりのためだと言い聞かせ、プロテインと鶏胸ブロッコリー生活を続ける。
ブロッコリーは当然冷凍だし、鶏肉もブラジル産。
生きるために生きている。
そんな気がしてきた。
めちゃくちゃ不幸じゃない。でもそんなに楽しくもない。
いや、楽しいことはある。あるけど、学生みたいには楽しめてない。
数時間後に月曜が来ると思いながら過ごす日曜。
これが40年以上続くんだろうかと思うと頭が痛い。
「何やってんだよ」
「いやー、ホントきっしょ」
「私あの人苦手なんですよね」
「なんか一瞬止まる時があるな」
そして最近1つ悩みが増えた。
派遣の高橋さんだ。
高橋さんは3ヶ月前にやって来た。
産休に入った社員の代理ということで。
その前の人は2週間で辞めていた。
繁忙期以外にはほぼ仕事がない。
そんな特殊な業界ということもあるかもしれない。
『絶対関わるな』とアドバイスしてくれたのは、本社の人事と連絡を取ってる菊池さんだった。
コンプライアンス、社内の過ごしやすさ。そんな理想のオフィス作りを任されているハズの菊池さん。
実際には支社長みたいな要職じゃないから、福岡支店の人達に意見することは出来ない。
学校ではみんな苗字で呼び合うことになっていたし、わりとそういうことにはいろんな場所で厳しくなってきたはずだ。
そんな中、子供も成人して、後数年で無職のおじさんになってしまうような人たちがそういうことをしているのは衝撃だった。
厄介でヒステリックで有名な顧客に電話をかけて、わざと高橋さんに繋いだり。
そばまで行ってわざわざ早く辞めてくれないかなって聞こえるように言ったり、邪魔だから退くように指示したり。
衝撃だった・・・・・・けど、何もできない。
産休で抜けた人のヘルプのように入っている人なんだから、社員が産休から戻ればこの状況も無くなる。
でもこの状況が外に漏れるとまずい。
せめて漏れた時に自分たちには火の粉がかからないよう、黙って見ているしかない。
菊池さんの目がそう言っていた。
自分が菊池さんでもそうするだろう、という気はする。
だから自分には誰も非難する事はできないし、その資格も無い。
家賃と光熱費、奨学金の返済もある。
きっと高橋さんにもあるんだろう。
2週間で居なくなった人と違って、高橋さんは若くない。
お互い逃げられないんだな、と思うと少しだけ親近感が湧く。
そうするとそういうことが他人事じゃ無くなってしまう。
勘弁してほしい。
自分はすごくバカで、特に何も考えずに生きて来た・・・・・・はずなんだ。
何も考えたくない。考えたら出来なくなる。
タバコ休憩が許されるんだから、少しぐらい許されるだろうと思いながら12時ちょっと前に会社を出る。
今日はチートデイだ。
寒くなってきたし何か温かいものを食べよう。
そういえば、と思って裏通りのラーメン屋の暖簾をくぐる。
「はい、いらっしゃい。何にします?」
まだ昼休みに入ってないから、店内には誰も座っていなかった。
「じゃあ、きくらげラーメンで」
油の匂い、日に焼けた漫画本、ダラダラと流れるテレビ。
この店はもう何十年とこのエリアで働く人達と過ごしてきたんだろう。
「いらっしゃい。何にします?」
ガラガラと入り口のガラス戸が開くか開かないかのタイミングで、快活なおばさんの声が響いた。
「あ、高橋さん」
「鈴木くん」
少し気まずいけど、何だか不思議な巡り合わせだ。
「あら、2人ともお知り合い?ちょっとカウンター詰めてもらっていいかしら。そろそろビルの人達来るからね」
そう促されて、特に話すこともないのに隣に座る。
「・・・・・・今日、寒いですね」
恐る恐る話しかけると、高橋さんはふふっと笑ってグラスの水を1口飲んだ。
少しでもミスをしないように緊張しているオフィスでの様子とは違う。
何も助けになれるようなことはできないし、バカみたいなことやめませんかと言えない自分が思うことではないけれど。
「寒いね。子供ももう冬服持ってきてって言われてさ。昨日大急ぎで冬服準備して持たせたんだよね」
「お子さん、保育園でしたっけ」
「そう。もう4歳になるんだけどね、結構喋るようになってきて」
高橋さんが頑張れるのは逃げられないからだけじゃないのかも。
子供の写真を見てる高橋さんの表情を見てたら何だかちょっと胸がチクリと痛んだ。
「高橋さん、あの、俺・・・・・・」
「・・・・・・気にしないでいいよ。夫ね、土木系の会社で働いてるんだよね。だから橋とかトンネルとか出来たらすぐ別な場所に行かなきゃいけないし、短期の派遣ってちょうどいいんだ」
「そうなんすね」
きっと、高橋さんの家は幸せなんだろう。
「でもやっぱヤベーとこですよね、ウチの会社」
「・・・・・・ちょっとね」
「えっ、いや、ちょっとじゃなくないすか?」
「まあいいじゃない、気にしないの。ラーメン伸びちゃうよ」
ラーメンをすすると少し気持ちが軽くなった。何も変わらないかもしれないけど、この瞬間はちょっと特別で、新しい友達ができた気がした。




