獣害を防ぐために熊を見つけたら殺処分しなければならない理由について
命は大事、命は大事。
じゃあそれは、誰の、何の命ですか?
「人こそ上で、故に他の命を守らねばならない」という自然庇護崇拝主義と、「当事者でもないのに当事者顔をする」という思い込み当事者論は、すべて人の思い上がりに他ならぬのですよ、うん、傲慢だと思うんだが?
まず、「人」が「近づかなければいい」ではなく、「熊」を「人」に「近づかせないようにしなければならない」なのである、という前提を忘れている。
「熊が寄ってきたら人間が避ける」ではなく、「熊が人間を避けるように誘導する」を保たねばならない。
これは絶対の命題である。
だって「熊が寄って来てること」を「人間が感知する」より、「人間が寄って来てること」を「熊が感知する」方が圧倒的に早いんだから、こっちが避けるより向こうに避けてもらう方が効率的なのである。
そもそも、熊害の増加において、近年引き合いに出される「熊のいるところに人が住んでるから」論は誤りであり、「かつて人がいたことで熊が避けていたところから人がいなくなったから、人の中心地の近くに熊が出没するようになった」と言われる。
つまり、論理的に逆なのだ。
言わば、「人の地として管理していた」のが廃れたから「熊が進出してきている」のである。
従来、「熊の地(ほぼ手つかずの山奥)」→「人の管理する山(要は入会地とか)」→「人里の中心地」だったのが、緩衝地帯でもあった「人の管理する山」がなくなり、「熊の地(ほぼ手つかずの山奥)」→「人里の中心地」が地続きになってしまったのだ。
また、忘れてはならないのは「熊は常に保護しなければならないほど脆弱な動物ではない」。
というか大体の動物がそうなんだけど、ここ多くの人間の傲慢ポイント。あくまで「常に」だから時と場合によっては必要だけどさ、自然と人工の二項対立は強弱、善悪ないし良悪の対立とは全然別物で、自然は「弱」くも「善」くも「良」くもなく、ただ弱肉強食であって、優勢になれば人工を侵食しだすので、そんなか弱くて戦えない今時じゃないヒロイン像みたいな扱いする対象とは違うんだ。
熊の体長、体重、毛皮や骨の特性、牙や爪の鋭さを考えてみれば、向こうはじゃれつくつもりでも、人は一瞬でぐしゃぐしゃの肉塊である。
熊や多くの野生動物が人間を恐れるのは、普段体高でデカさ判定するから、常に二足歩行で体長=体高の人間は「デカい=怖い」って認識されてるだけで、どんな動物も純粋な筋力や自前の凶器という戦闘力では常に向こうのが上だからな。
コアラで失明したかもしれない私が言うんだ、それより大層デカい熊なんて何をか言わんや。
※私、十ウン年前にオーストラリアでコアラを抱いて写真取るスポットで、メガネと反射での避けがなければ、右目から頬にかけてをざっくりやられてたヒヤリハット経験アリ。まあアレは嫌がるコアラを抱かせてきた向こうの管理者責任ではあるが。
だから、熊には人を恐れてもらわねば困るのである。
「人がいる場所」=「危険、避けるべき場所」と思ってもらわねばならぬのである。
人が避けるべき論は、「人がいる場所」=「安全」と認識された結果、熊が大挙してきたらどうなるか、そこをわかっていない論なのである。
それに、そもそも、熊は野生動物である。
野生動物は基本自身の命を守るために常にステルス能力を発揮している。
「人が近づかなければいい」と言うなら、ステルスする熊を死角からでも人が察知して避けねばならない。非現実的であることははっきりしているだろう。出会い頭でこんにちはして避けられるか大馬鹿野郎という話である。
あるいは常に第一犠牲者を出せというなら可能かもしれないが、そうなったら熊は人間をべろんべろんに舐めて、最悪は獲物として手にかけるようになる。
ちなみに一定の知性ある動物は、「遊び」行為を身に着け、それは時として獲物に対して発揮されるという。熊も確かそうじゃなかったかな? つまり、犠牲者は一思いに死ねるわけでもないのだよ、怖い。
熊撃退スプレーも多く市販されてはいるが、あれは熊の鼻面に噴射しなければ、効果が得られない。
もちろん、効果が出れば、熊は「人間に遭う→イヤな目に遭う」と学習して、その熊は人を避けてくれる。
そして、熊よけの鈴は、こういう熊に人の存在を告げて避けてもらうというシステムであり、人を恐れぬどころか舐めくさって遊び道具と認識した熊には遊び相手の場所を告げるだけになる。熊が人を恐れてなければ、熊よせの鈴に早変わりしかねんのである。下手すりゃご飯がこっちにやってくる認定である。
とはいえ、鼻面に噴射しなければならない、熊撃退スプレー。つまり、熊の至近距離で噴き付ける必要がある。
いや、これ、暴れられたら死が見えるよね、怖……カプサイシンは熊の健康には害がない(つまり一時的な刺激しか与えない)ので、「熊を生かして人を恐れるようにさせる」のには有用なんだけど、噴き付けた刺激で暴れられたらもう目も当てられないのでは……?
何にしたって割とハードモード。
麻酔銃についてはその難しさを図解してる方がTwitter(頑な)にいらっしゃったはずだが、麻酔なので医者(この場合獣医)しか扱えないし、銃だから猟銃免許とか大量の資格の壁があるし、射程距離短いし、麻酔が効くまでの着弾からのタイムラグ、そもそも着弾によって興奮して凶暴性が増す可能性という大量の課題があるので、ベリーハードモード。
あと、テレビで取材された熊に会った時の対処法の中で「まず一撃目はできるだけ軽くなるように」って言ってて、それはそれでめちゃくちゃむずいよね? ってなった。何にしてもハードモードに変わりないので、熊は山に帰って。
で、一度熊に「人間は遊び道具、餌」と思われたら終わりなのだ。三毛別がそれ。ツキノワだってヒグマと比べて温厚で小型ったって熊には変わらん。
向こうは自前のステルスと気配察知を使って、そうした感覚が鈍い人間を殺しにくる。もはやニンジャだよ。
だから、熊と人の適切な距離感のためにも、そう思いそうな可能性の芽、人里を恐れずにやってくる熊は瞬時に摘まなければならない。
結果としてそれが「殺処分」という形をとるのである。
以下ただの無用な煽り。
……というか、熊ほぼ出ない(出るのはイノシシとかアナグマぐらい。まあイノシシは怖い)地域の人間でも知識というパーツが揃ってればここまで順当に考えられるのに、この考えに普通は至らないんですか!?
ねえ、貴方の言う大事な命ってなんの命なんですか!?人の命<熊の命かな!?!?そうじゃない?熊=自然が弱いと言うのは、人工と自然の二項対立を強弱の二項対立という別軸に当てはめて、熊を舐めてる傲慢だよ!?
DHMOで惑わされて人の命が危うくなるから規制しろって騒ぐ無能な種族が人なのに!?過剰摂取で毒性が出るけど通常量なら大丈夫なものも規制するほど人の命を守ろうとするのに!?!?
傲慢を傲慢だとわかった上で「それでもせねばならぬ」と、傲慢の無知は違うんですよ!?!?
無用な煽りするほど、「わかんないの!? わかんないの!?!? 少々の知識と一匙の想像力!!!!」ってなっちゃった。
熊さんにアサシネイトされればわかると思うけど、それで人をおもちゃ認識する熊さんが増えても困る……