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腐ったパプリカ

作者: 木山花名美

 

「お母さん、ただいま!」


「うーん……ああ、来たの?」


「うん、マホも来たよ」


「マホちゃん……来てくれたの。さあ、こっちにおいで。よく来たね」


「お母さん、暗いから雨戸開けるよ?」


「ああ……閉まってた?」


「うん。ずっと寝てたの?」


「うん……寝てたかな……いつ寝たんだろう。折角あんた達が来てくれたんだから、そろそろ起きなきゃね」


「うん、つまらないから起きて。何か一緒に食べよう」


「そうだね……お腹空いたでしょ? 何か作ってあげようね」


「うん、嬉しい! 何作ってくれるの?」


「……何がいいかなあ。冷蔵庫に何かあったかなあ」


「買い物行こうか?」


「うーん……何かしらあると思うよ。ある物でよければ」


「うん、何でも、ある物でいいよ。……あっ、アスパラ?」


「うん……」


「アスパラで何を作るの?」


「どうしようか……どうしようかな……切ろうね」


「茹でる? サラダ?」


「うん……」


「その椎茸はどうするの?」


「焼こうかな……全部。鮭も焼こうか」


「魚のグリルで焼くの?」


「うん……」


「美味しそうだね」


「あれ……でも、あれ……あれがないの。どこにいったかな」


「あれって何?」


「あれ……あれ、ここに入れるやつ。あれがないと焼けないよね?」


「ああ、網?」


「うん……そんな名前だっけ? それはどこだろう」


「手に持っているやつじゃない?」


「ああ……そうか……でも入らないから違うみたいよ」


「逆さまだね。ほら、こうしたら入るよ」


「そっか……よかった」




「どう? 焼けた?」


「うん」


「味付けはどうする?」


「お醤油でいいんじゃないかな……」


「そうだね……わっ、かけすぎじゃない?」


「味がしない……美味しくないから」


「しょっぱくない?」


「うん……」


「椎茸、焼き加減が丁度いいね。アスパラも」


「そう……」


「ねえ、鮭だけもう少し焼いてきてもいい?」


「うん……」




 魚焼きグリルで焼いた、アスパラと椎茸。それと生焼けの鮭の切り身。


 それが、娘と孫の為に作った、最後の精一杯の手料理だった。




『ああ、もう放射線治療は無理ですね。何度やっても、もぐら叩きみたいにピョコピョコピョコピョコ出てくるだけですから。これ以上やると、脳が腐りますよ』


 まだ生きている、生きたいと願う人間に対し、『腐る』という言葉を平然と吐いた若い医師に、娘は憤る。


『仕方ないよ。怒ってくれて、ありがとうね』


 悲しい顔で微笑む母は、やはりどこまでも母親だった。



 一時は酷く呪ったあの医師の宣言通り、母の細胞は反抗的な態度を取り続け、ピョコピョコと増殖しては、脳の神経を圧迫し蝕んでいった。


 日に日に、母から大切なものを奪っていく。

 何気ない会話、家族との記憶、そしてあんなに好きだった料理の手順も。

 朝起きて排泄して食事を摂る……そんな普通の生活さえ出来なくなった時には、自宅を離れ入院することになった。



 食材を整理する為、娘が冷蔵庫を開けると、そこにはラップにくるまれた赤い物体が。

 全体的にねちょねちょと良くない水分が滲み出ており、断面は白くなっている。それは恐らく、包丁で半分に切られたパプリカだった。


 母がこれを冷蔵庫にしまったのは、あの最後の手料理を振る舞ってくれた、もっと前のことだろうか。


 食材を決して無駄にしなかった母。

 サラダか、炒め物か……この半分のパプリカを、何かに使うつもりでいたに違いない。

 この時の母には、確かに『明日』があったのだ。



『これ以上増えたら、あんたたちも焼かれちゃうんだよ? ずっと私の中に居ていいから。一緒に生きよう』


 共存しようと差し伸べられた手を払い続けたばかりに、愚かな細胞達は『明日』を失い、とうとう母と共に灰になってしまった。




 もう二度と食べられないと思っていたアスパラも、椎茸も、鮭も……そしてパプリカも。

 あれから何年も経った今では、普通に食すことが出来る。


 私は絶対に腐ったりなんかしない。


 噛み砕いて、飲み込んで、どこかの細胞に逞しく養分を贈るのだ。


 『明日』の為に。


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― 新着の感想 ―
先に逆葬を読んでいたので、「あ、ヤバい」と思い、警戒しつつ読み進めていたら、別の意味でヤバい作品だと気づいた。 泣いてまうやろっ!? こういうの弱いんだよ、く~~っ! 脳腫瘍はなあ………症状が凄い時…
[一言] ラストまで読んだ後、もう1度冒頭から読み返すと、懸命に娘たちに料理を振舞おうとしているお母さんの姿が目に浮かんで、胸が熱くなりました……。 「共存しようと差し伸べられた手を払い続けたばかりに…
[良い点] 冒頭の会話の意味を、作品の半ばで知ったとき、言葉になりませんでした。 心ない医師の言葉、歯止めのきかない細胞、奪われていく日常。残してあったパプリカに、母親の想いと、そこにたしかにあったは…
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