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第六話 隠し通路に秘密のアジト、私は手をかざす

 ある夜、私はウォールドネーズ宰相閣下に呼ばれ、迎えに配下の密偵の一人を寄越してもらいました。


 ブレナンテ伯爵邸にやってきたのは、三十を過ぎたくらいの、どこにでもいそうな男性、ダナエです。


「お嬢様、閣下のご命令でお迎えに上がりましたよっと」


 さらに砕けた口調で、本当にこの人は密偵なのだろうか、と思ってしまいます。


 そんな私の不安を察してか、ミセス・グリズルはこう言いました。


「密偵らしくないでしょう? そういうものなのよ、一目見てこいつは密偵だ、なんて分かっちゃ商売上がったりだもの」


 なるほど、そういうことでしたか。納得です。


 私も公爵令嬢に見られないよう、ミセス・グリズルの服を借りて、どこにでもいそうな街娘に変身です。というよりも、髪型にさえ気を付ければ、私はその『どこにでもいそうな街娘』となるのです。ブラウンの髪と目に、平均的な顔立ちとあっては、誰もド・モラクス公爵家の令嬢だなんて思いません。自分で言っていて悲しくなりますが、そうなのです。


 それが功を奏して、私はダナエと並んで歩いていてもおかしくない風貌に、見事変身を遂げました。


「うん、よし。これでただの街娘よ」

「よかったです。それじゃ、行ってきます、ミセス・グリズル」

「行ってらっしゃい。ダナエ、怪我させたら承知しないわよ」

「分かってますって、姐さん」


 私はダナエに連れられて、ひとけのない道をなんでもないふうに歩いていきます。堂々と、ここを通る恥ずかしくない理由はちゃんとあるのだ、とばかりに、です。


 しかし、薄暗さが増してきたと思ったら、三、四階建ての建物に囲まれた、ゴミが散乱している小道へいつのまにか入っていました。ダナエを疑ったり頼りにしていないわけではありませんが、このあたりはあまり治安はよくなさそうです。私はダナエへ尋ねます。


「こんなところに、閣下が?」

「ええ、王都中には王城と繋がる隠し通路がいくつもあるんですよ。閣下は王城に勤めて歴が長いんで、全部把握してるそうで」

「ははあ、それはすごいですね」


 つまり、秘密の隠し通路を使って、とても宰相閣下がいそうにない場所にある秘密のアジトに行く、ということでしょう。あとでイヴに羨ましがられそうな体験ができそうです。


 しかし。


 私は考えを整理するため、今の状況に多少は詳しいであろうダナエに問うことを思いつきました。声をひそめて、ダナエの袖をそっと引っ張ります。


「あの、ダナエさん。お伺いしたいことがあるのですが」

「何です?」

「テネブラエがプレツキ公爵令嬢を籠絡する理由って、何なのですか? 考えたのですが、ニュクサブルクが王子の婚約者に何をしたいのかよく分からなくて」


 もちろん、私だって将来の王妃という人物の重要性くらい分かっています。しかし、籠絡したその先はどうするのか。不貞を勧め、意のままに動かせるようになって、そのあとは? そこまでは、私はいまいち想像がつかなかったのです。


 ダナエはそんな私を馬鹿にすることなく、ちゃんと説明をしてくれました。


「そうですねぇ、テネブラエが将来の王妃アマンダの愛人の一人に収まって、操り人形のようにして、リュクレース王国の政治に影響を及ぼす、ってのが一番の理由でしょう。もう一つ、ニュクサブルクは焦ってるんです」

「焦る?」

「これはあまり口外したかないんですが、リュクレース王国は翳りが見えてきてます。一の大国だからって胡座をかいていられる時代は、もう終わりなんです。だが、ニュクサブルクはリュクレース王国に倒れてもらっちゃ困る」

「困るんですか? 敵なのに?」

「大国が弱ると、隣接する小国はとんでもない影響を受けます。第二の大国であるシャルトナー王国、クエンドーニ王国なんかは覇権争いに名乗りを上げて、軍民の動きを活発化させるでしょう。すると、ニュクサブルクにとっては南方のそれらからの盾となっていたリュクレース王国がなくなると、どうなります? 一気に攻め込まれたり、道路や海路を封鎖されて圧力をかけられる可能性だってある。そうなると商業都市であるニュクサブルクは食糧を止められて、干上がる恐れさえ出てくる。ニュクサブルクにとっちゃ、リュクレース王国にはまだ存続してもらわなきゃならないんです。ただし、ニュクサブルクにとって都合がいいように、ね」


 私は今の話を、半分も理解できたかどうか、というところです。ただ、ニュクサブルクは弱体化していくリュクレース王国に存在していてほしくて、上手く操りたいのだ、そのためにテネブラエを送り込んでいるのだ、ということは分かりました。


 リュクレース王国は、この先、一の大国の地位を守っていけなくなる。それは、誰が知っていることなのか。民衆の多くは知らないでしょう、貴族だって知っているかどうか。でも、ウォールドネーズ宰相閣下なら知っているでしょうし、イヴもそうかもしれません。密偵の皆さんだって、自分の国の状況くらい分かっているはずです。


 世界は変わる、常識だって変わる。なら、変化していかなくてはならない、と私は思うのです。


「あの、とりあえず今のテネブラエ対策としては、イヴ様とプレツキ公爵令嬢の婚約をなかったことにすればいいのではないのですか?」


 ダナエは噴き出しました。口とお腹を抱えて、笑い声を押し殺しています。


 私はなんだか、馬鹿にされたような気がしました。


「笑わないでください……私、世間知らずで」

「いやいや、そういうわけじゃありません。確かに妙案だ、それが一番いいでしょう」

「そ、そうなのですか」


 私は胸を撫で下ろします。馬鹿にされたわけではないようです、よかった。


 ですが、とダナエはこうも言いました。


「ただ、今じゃあないんです。タイミングってもんがあります」


 どういう意味でしょう。今、困っているのだろうに、と私は首を傾げます。


 すぐに秘密のアジトである住宅の前に辿り着いたので、その先は聞けずじまいでした。






 入るまでは一般的な住宅、しかし入るとリビングの本棚に隠し扉があり、そこから二階へ行ける仕組みでした。別の部屋の扉には、他の家屋と繋がる通路もあるとか。秘密のアジトらしく、いかにもな工夫の凝らされた場所です、わくわくしますね。


 二階に上がると、偏光ガラスの大型ランプが四隅と天井にある窓のない部屋に、ウォールドネーズ宰相閣下がいました。男女四人の部下とともに、部屋の真ん中にある大きな長方形のテーブルに地図や書類を広げ、私が顔を見せると全員が期待の目を向けてきました。どうやら、私の光魔法に相当期待を寄せておられるようです。私は緊張しつつ、テーブルに近づきました。


 私がダナエが持ってきた椅子に座ると、ウォールドネーズ宰相閣下は指示を出します。


「さっそくだがエスター、ここにある書類、これらを照らしてくれ」


 私は頷きました。右手をテーブルへと掲げ、書類のすぐ上にほの暗い光を作り出します。


 すると、黄緑色と紫色に光る文字が現れました。羽ペンで書かれた文字、判子、何かの絵図。隣にある書類も同じようです。ここにある書類すべてが、見えないインクで書かれたものでしょうか。


「維持できるか?」

「しばらくは大丈夫です。ちょっと範囲を広げますね」

「うむ、頼む」


 私はほの暗い光の範囲を、テーブル全体へと広げました。そのくらいなら簡単です、このくらいの光なら維持だってお安い御用です。


 次々と、紙の上に浮かんできた光る文字や絵図を見て、テーブルを囲んでいたウォールドネーズ宰相閣下、部下の密偵たちは驚きを隠しません。


「これは……あの事件のときの指示書か。既存の文書にこんなインクを仕込んでいたとは」

「ここにある絵柄の用途は、指示書の真贋把握のためかもしれないな。手の込んでいることだ」

「さすがに、ニュクサブルクの息のかかった商館や宿に届く書類すべてを調べるわけにはいかないとはいえ、こちらにも判別するための照明があればいいのだが」


 皆さん、真剣に書類と格闘しています。テネブラエ関係の押収した書類なのでしょう、指を差し、読み取り、確認し、一つ一つがどのような意味を持つのかを検討しているようです。それに関しては私は門外漢なので、光の維持だけ担当です。隅々まで文字のウムラウトやピリオド一つまで読み取れるように、光を行き渡らせます。


 一人の男性が、何かを発見したようです。書類をテーブルから持ち上げ、急いでウォールドネーズ宰相閣下の横へ持ってきます。


「宰相閣下、これをご覧ください」


 ウォールドネーズ宰相閣下は受け取った紙を、ほの暗い光の下へ下ろします。


 そこには二行だけ、でたらめなアルファベットの文字列がありました。ふむ、とウォールドネーズ宰相閣下は指を差し、行ったり来たりして、一見なんの意味もなさそうな羅列をあっさり解読してしまいました。


「エンジャンルー通りの古時計。あそこには時計職人がいたな」

「調べますか?」

「万全を期して、取り囲め。違っていればそのときはそのときだ、今は急を要する」

「了解しました!」


 男性はきびきびと動き、どこかへ去っていきました。テネブラエに関する有益な情報だったのでしょう、私はほっとします。もしここまでやって、手がかりはなにもなかった、なんてことになったら、私のせいではないにしても、申し訳ない気持ちになってしまうところでした。


 二、三十分ほどして、ようやくウォールドネーズ宰相閣下は全員に休憩の指示を出しました。私も光を消して、椅子に深く腰掛けて一息つきます。そこへ、ウォールドネーズ宰相閣下がやってきて、疲れも見せず、私を気遣って話しかけてくれました。


「ところでエスター、イヴリース王子殿下はどのようなご様子だった?」

「お元気そうですよ。街を歩きながら、焼きたてのパンを分けていただいて、一緒に食べました」

「けっこう、殿下に仲良くしていただけるならそのほうがいい」


 たとえ、プレツキ公爵令嬢を揺さぶるためだとしても、仲良く関係を築くほうがいい。確かに、仲が悪いよりは、はるかにマシです。


 そう、仲良くなったからこそ、私はイヴを心配して、ウォールドネーズ宰相閣下へこうお伝えしなければなりません。


「ただ、イヴ様はやはりご結婚に関しては、気が乗らないご様子でした」


 ウォールドネーズ宰相閣下は、この婚約を止める気はないのだろうか。


 イヴが聞けないのなら、私がどうにかできないだろうか。


 差し出がましいのは分かっている、でも、皆が幸せにならない方策を、ウォールドネーズ宰相閣下は許容するのか、と思ってしまうのです。


 ところが、ウォールドネーズ宰相閣下は、婚約に関して肯定も否定もしません。


「だろうな。だが、ここで手を間違えるわけにはいかぬ」


 先にダナエは言いました、今ではない、タイミングというものがある、と。


 今は、ウォールドネーズ宰相閣下は、手を間違えるわけにはいかない、とおっしゃいます。


 この二つの言葉の意味は、相反するというわけではありません。どちらの意味も内包する、私には分からない事情があるのです、きっと。


「手を間違える……それは、どういう」


 私が尋ねようとしたところに、ウォールドネーズ宰相閣下の前へ部下の女性が進み出てきました。


「失礼します! アマンダへ不審な人物が接触を図っていることが確認されました」

「ふむ。貴族ではない、ということか?」

「はい、外見や肩書きは商人のようです。しかし、これまでプレツキ公爵家と取引のあった商人ではなく、直接アマンダへ何度か接触を試みています。来週の月曜日、アマンダが外出するその際に、会う予定とのことです」


 部屋中が、ざわ、と色めき立ちます。


 ウォールドネーズ宰相閣下は動揺することも興奮することもなく、淡々と部下を褒めます。


「よく調べた。では、当初の手筈どおり、証拠を集めろ。ただし、まだ手を出さぬようにな。テネブラエかどうかも確定していない」


 またしても、部屋中が忙しくなります。


 この時期にプレツキ公爵令嬢に接触を図る新しい商人、それは確かに怪しいです。ただし、テネブラエかどうかなんて、どうやって見分けるのでしょう。本人に尋ねてそうだと言ってくれるわけなどなく、違うと言い張られても面倒です。


 そこで私は、またしても、昔の遊んでいたころのことを思い出して、何かヒントはないかと考えます。


 見えないインクで本国とやり取りをするニュクサブルクの密偵テネブラエ。見えないインク、それをどうやって使っているのか——と不思議に思ったところで、私はあることを思いつきました。


 私はウォールドネーズ宰相閣下に訴えます。


「宰相閣下。ひょっとして、なのですが」

「うむ?」

この「ほの暗い光を紙に当てて不可視インクを光らせる」という行動ですが、短時間なら人体に影響はありません。大丈夫です。むしろ不可視インクの成分でアレルギー反応が出るほうが問題な気がします。


明日の更新は7:00です。

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