第四話 分からないことを知りたいと思う気持ち
二日後、イヴがブレナンテ伯爵邸にやってきました。何やら書類の詰まった箱を持ってきています。それはミセス・グリズルの伝手でイヴが持ってきた王城の機密文書の一部だと分かると、何だか私は緊張しました。どんなものなのでしょう。
リビングのテーブル上に整然と広げられていく書類の表紙には、『機密』とか『論文』とかいくつも赤い判子が押してあります。ただ、二重線が入ったものばかりで、すでに機密指定が取り消されたもののようです。国家機密に触れる、とわくわく身構えていたのに、なんだか肩透かしを食らった気分です。私、勝手に期待して勝手に落ち込んでいますね。しょぼん。
「実はね、二年前、私がニュクサブルクに潜入していたとき、機密指定の最新の論文を入手したのよ。ただ、リュクレース王国はあまり科学技術が進んでいるとは言い難くて、当時の王城の研究者たちもさっぱりだったみたいなんだけど、その後シャルトナー王国の協力者のおかげで多少は理解できた、らしいわ」
ミセス・グリズル、さりげに密偵らしいお話をしてくれています。私もイヴも密かに羨望の眼差しです。
とはいえ、論文をぱっと渡されて、これではいけないと気を引き締めます。ただ、私は表紙をめくろうと思って、どうにも難解な単語がいくつも並んで——それも外国語——指を動かすことを躊躇ってしまいました。
「これが……うーん、私もあまり頭がいいほうではないので、読めるかどうかも」
「貸してくれ」
イヴの求めに応じ、私はすぐにイヴへ手渡します。助かった、と内心ほっとして。
すると、イヴはあっさりとページをめくり、素早く目を通していました。慣れた本を読むかのように、どんどんページが進んでいきます。
「なるほど。特定の波長の紫外線に蛍光反応をする物質、紫外線の照射によって硬化する樹脂……そんなものが」
イヴはそうつぶやきながら、最後まで読み終えてしまいました。
まさか、そんなに簡単に読んでしまわれるとは。もしかして、ここにいる三人のうち、読めないのは私だけでしょうか。そんなはずはないと信じたいです。
なんとか話に置いていかれまい、と慌てて私は質問することにしました。
「紫外線、ってなんですか?」
私の問いに、イヴはすらすらと答えます。
「太陽の光には、紫外線というある波長の光も含まれている。いわゆる日焼けを起こすのは、この光の一種のせいだ」
イヴ様、その説明で私が分かるとでもお思いでしょうか。分かりません。申し訳ございません、私は皆様の予想よりだいぶ頭の悪い娘なのです。ただし、その降参文句を口に出すことは私のなけなしのプライドが阻止したので、なんとか平静を保とうとします。
「待って、イヴ様、もしかしてとても頭がおよろしい?」
「なんだその表現は。別に、家庭教師をやっているシャルトナー王国出身の若い科学者に教わっただけだ」
イヴは謙遜します。実際にそうだとしても、科学技術の発達していないリュクレース王国でそれで理解できるのは、一握りの人間だけですよ。
「というか、お前のあの文字を光らせる光、あれも一種の紫外線だぞ」
「えっ!?」
なんと、私も『紫外線』というものを発していたようです。光魔法はそんなこともできるとは、王都に来てから私程度の光魔法でも悪戯以外に使えたという衝撃の事実を何度も突きつけられます。思えば、家では母も兄も普通に光魔法を使えていたので、なんとなしに非力な光魔法しか使えない私は卑屈になっていたのかもしれません。やはり、ものは使いよう、ですね。気付かされました。
しかも、イヴはちゃんと私のあのほの暗い光と浮かぶ光る文字について、調べようと思い立ったようなのです。
「あれから王城で科学者に聞いて、調べたんだ。お前の言ったとおり、シナモンなどに含まれるクマリンという成分は、特定の条件下で光を受けると蛍光反応をするらしい。ただ、その特定の波長の紫外線を人工的に照射できる照明器具は、今のところリュクレース王国にもシャルトナー王国にも存在しない」
ははあ、なるほど。私とミセス・グリズルはすっかり、イヴの年齢に見合わぬ知識と知恵に感心します。単純な頭のよさではなく、好奇心から知って考えることに繋げることができる、それを人は賢いと言うのでしょう。
とはいえです、賢くない私でも、疑問に思ったことがあります。
「あれ? じゃあ、テネブラエはどうやってあの文字を読んだのでしょう?」
それはごくごく根本的な話です。文字は読めて伝わらなければ意味はありません。紙に書いた文字を普通の手段では読めなくする、なら解読するための手段が必要です。それは私の工夫した光魔法だったり、リュクレース王国やシャルトナー王国にさえ存在しない技術で作られた道具だったり——後者はちょっと冒険小説の読みすぎでしょうか。
しかし、ある種専門家であるミセス・グリズルはその私の疑問と考えを、否定はしませんでした。
「普通に考えれば、ニュクサブルクの新技術か、テネブラエはエスターと同じ光魔法の使い手なのかもしれないわね。それ以外となると、現状、私たちの想像を超えているし、そこまで突飛なものまで考慮しなければならないというのは、現実味がないわ」
「まあ、この論文によれば、技術的には確かめる方法自体はあるようだ。ただ、密偵が使うほどのものが、どのようなものか……そこまでは分からない。そんなものがあるなんて、うらやま」
うらやま、なんです? なんて言いました、イヴ様?
私とミセス・グリズルの視線から逃れるように、何事もなかったかのように、イヴはこほん、と咳払いをして顔を背けました。顔が若干赤らんでいます、可愛いですね。
「とにかく、見えないインクで書いた紙を使って伝達を行う方法は実在する、ということは確実で、ニュクサブルクはそれを使っている。それが宰相閣下の見識やエスターちゃんの魔法以外の知識でも、確定しているってことね」
「ええ、私や兄の他にもそんなことを考える人たちがいるのですね。びっくりしました」
私の言葉に、ふふっ、とミセス・グリズルは笑っていました。私としましてはジョークのつもりはなかったのですが、そう聞こえたかもしれません。
そうこうしていると、イヴが強引に話を終わらせます。
「まあいい、このことはこれ以上ここで考えても分からないだろう。しかし、十分に知識を得て納得はできた。それでいい」
イヴはミセス・グリズルの伝手で王城でも機密だった外国の論文を入手し、今回の事件のキーである見えないインクで書かれた文字に関する仕組みを知りたかった、ということらしいです。確かに気になりますし、いちいちそんなことをウォールドネーズ宰相閣下や忙しい密偵の方々に聞くわけにもいきませんから、イヴほど賢ければ自力で知ろうというのは当然なのかもしれません。
「分かったわ。じゃ、この話はおしまい。二人はお買い物に行ってきてね、これがおつかいリスト」
図ったかのように、ミセス・グリズルは私へメモを一枚、それと小銭入れを渡しました。街のベーカリーで午後三時に焼き上がるパン詰め合わせ二袋、と書いています。
「えっと……パンですね、承知いたしました」
私はおつかいに行くくらいなんともないのですが——なぜか、メモを覗き見たイヴが、しかめつらしい顔をしていました。
「ミセス・グリズル」
「なぁに?」
一瞬、二人の間に火花が散ったような気がします。微笑むミセス・グリズルと顔をしかめるイヴ、その視線が合わさり、そしてイヴが頭を横に振りました。
「いや、いい。行くぞ、エスター」
「はい!」
イヴを先頭に、私はメモと小銭入れを持って、街へ繰り出します。
よく考えると、私は王都の街中に買い物へ行くのは初めてです。どんなパンがあるのでしょう、わくわくします。あ、でも、ド・モラクス公爵領以外では小麦粉によく混ぜものをしていると聞きます。蕎麦粉とか、中には商品にならないじゃがいもを茹でたものとか、時々食べ物じゃないものを混ぜて捕まる小麦の取り扱い業者やベーカリーもあるとか。そういうのじゃないといいのですが。
光魔法の光から紫外線が出る件に関して
・そもそも光って紫外線を含む
・ただLEDなどは蛍光灯の200分の1程度の紫外線しかなく、虫を寄せ付けない作用もあるので、展示ケースなどものの劣化などを防ぐために使用されている。博物館や資料館なんかも使ってる。
・ただし赤緑青の色が出るやつは紫外線を出す。赤外線や紫外線のみを出す仕組みのLEDもある。
解説はこちらが分かりやすいのでURL貼っときます。LED電灯を扱っている「大塚商会」のHP。
https://www.otsuka-shokai.co.jp/products/led/qa/uv.html