第三話 ご老人の後悔を晴らすことができるなら
美味しくできたパンプキンパイとハーブティーをお供に、顎が痛くなるほど四人でおしゃべりをして、もう夕方です。
思ったよりもずっと楽しく、私も含めてまるでずっと友達だったかのように親しんでいるイヴは、とても一の大国の王子様には見えません。まだ子供だからここへ来ることも許されているのでしょうか。いずれは許されなくなる、それは例の婚約者との結婚を境に——ということでしょうか。
王城へ帰るイヴを見送りに、四人で玄関へ向かいます。
夕日が玄関の扉を眩しく照らしていました。遠くでは鐘楼の鐘がいくつも鳴り、まもなく夜がやってくると王都中へ知らしめています。
「ごちそうさま、ミセス・グリズル」
「はい、お粗末さまでした。暗くなるから、まっすぐ帰ってくださいね」
「はっはっは、もうイヴ様も十三歳だ。いつまでも子供扱いしてはいけないよ」
あらいやだ、とミセス・グリズルは笑います。イヴは不服そうですが本当に不機嫌というわけではなく、私へ顔を向けたときにはころっと表情を変えて、嬉しそうに、ちょっと寂しそうに、こう言いました。
「エスター、お前と話すのは面白かった。またな」
晴れ晴れと、イヴはそう言って帰っていきました。その様子を見ていると、どう見たって王子様ではなくて、年相応の愛らしい少年です。密偵とか、婚約がどうとか、そんな話は関係なさそうなのに、なぜ彼を逃さないのか、と思ってしまうくらいに。
「やれやれ、イヴ様もすっかり大人になられたなぁ。アマンダ嬢と見合いの前日など、行きたくないと駄々をこねてここのクローゼットに隠れていたのに」
「本当ですねぇ。お互いどうも不満なら、結婚もやめておいたほうがよさそうなものですけど」
ミセス・グリズルと先代ブレナンテ伯爵が廊下を歩きながら交わす会話に、私は耳を傾けます。
イヴは、プレスキ公爵令嬢をあまりよくは思っていないのかもしれません。少なくとも、親しい間柄にあるミセス・グリズルと先代ブレナンテ伯爵でさえ分かるくらいに、です。
私はつい、口を挟んでしまいました。
「やめられないのですか? 聞けば、プレツキ公爵令嬢もテネブラエにつけ込まれるくらいには、イヴ様との結婚を嫌がっているようですが」
うーん、と二人は唸っています。とりあえず、とリビングのソファに連れていかれて、先代ブレナンテ伯爵は私へ説明をしてくれました。
「何といっても、先代国王陛下が……ああ、これはエスター嬢の母君の悪口を言うわけではないのだが、十五年ほど前にオーレリアを王城から追放したことで王家が揉めに揉めて、それが遠因で先代国王陛下は退位してしまったほどだったのだよ」
「そ、そんなにですか。母は一体何を」
「いやいや、オーレリアは何も悪くない。むしろ、被害者だ。王城で働いているとき、偶然にも当時の第二王子ユーグ殿下とアフリア侯爵令嬢との密会に遭遇してしまって、それを逆恨みされて圧力をかけられ、辞めさせられてね」
その話に、私は、唖然としてしまいました。そんな理由で母が王城を辞めさせられたなんて、信じられません。
「王城を辞めて、それから父と出会ったとしか聞いていませんでした」
「まあ、別に言い触らすことでもなし。オーレリアはド・モラクス公爵閣下とは馬が合って、結婚まで上手くいったようだから、王城でのことなどどうでもいいだろう。私もそう思うよ」
「はあ、なるほど」
「とはいえ、貴重な光魔法、それも王城全体を照らせる使い手を突然辞めさせた王城は大混乱してね。宰相閣下が差配して今では光魔法なしでも何とかなっているが、その分、王家は宰相閣下に頭が上がらなくなった、というわけだ」
お母様、自覚はまったくなかった、というか当時は想像もつかなかったのでしょうが、巡り巡って色々な因果が生まれていたのですね。結果的にリュクレース王国王城は光魔法を失い、国王さえも宰相閣下に逆らえず、さらにはド・モラクス公爵家には子供から見ても仲のよい夫婦が生まれた、と。
運命の悪戯とは、かくも無慈悲に、かくも可笑しいものです。私はちょっと学びました。
「ド・モラクス公爵領は政治的にも経済的にも大規模で、半ばリュクレース王国から独立しているようなものだ。それだけの大貴族の離反を招くわけにはいかない、幸いにしてド・モラクス公爵家はそのようなつもりもなく、しかし諸侯に影響が出ないとも限らない。だから、せめて王家の基盤を盤石にするため、二番手のプレツキ公爵家と王家の繋がりを作っておきたい、という宰相閣下の思惑なのだろう」
政治音痴の私の考えが当たっているとも思わないがね、と先代ブレナンテ伯爵は付け足します。
あの宰相閣下の胸中など私だって見抜くなんてできっこないので、何か遠謀深慮があるのでしょう。婚約云々、それはまあ、今考えてもしょうがないので、いいのです。いいのですが——私が今気になっているのは、先代ブレナンテ伯爵です。
母が王城を辞めさせられた経緯を、当時の母の上司であった先代ブレナンテ伯爵は、おそらくどうすることもできず、今でも悔やんでおられるのでしょう。それがどうにも、私は気になって、心配で、何とかしたい気持ちに駆られました。こんなにも母へ負い目を感じたまま、このご老人は十五年以上も悔いているのです。
だから私は、少しでも先代ブレナンテ伯爵が救われるよう願って、私が知っているかぎりの、母の実家と我が家の話をすることにしました。
「父と結婚したことで、母はロスケラー男爵家を保てると思っていたのですが、当時のロスケラー男爵である母方の祖父と伯父がもう爵位はいらない、と家を潰すことを決めて、母を自由にしたそうです。だから、母だけが貴族で、母方のプレヴォールアー家は平民、というちぐはぐなことになってしまって。でも、そのおかげでプレヴォールアー家も王都に留まる必要がなくなり、ド・モラクス公爵領に引っ越して、祖父と伯父は警察官を続けていたのです。高い税や貴族の体裁を保つための維持費を払わなければならない王都よりはずっと暮らしやすい、と祖父はよく言っていました」
決して、プレヴォールアー家はド・モラクス公爵家の支援を受けることなく、独立して生きていくその道を選びました。家のためにと働いてきた母のため、これから幸せになる母のため、そういう決断に踏み切ったのです。
その決断は、きっといいことだったのです。だって、私はたまにプレヴォールアー家を訪れますが、皆幸せに、充実した日々を送っています。母も、父や私たち家族とともにいられて幸せだ、と言っていました。母が王城を辞めさせられたことは、悪いことばかりではなかった、災い転じて福となし、いい未来を切り拓いたのです。
それを、私は後悔の念に囚われた先代ブレナンテ伯爵に伝えたいと思いました。
「そうか……それなら、いや、やはり私は、オーレリアとその家族の窮状を知っていながら、助けられなかった」
「お気になさらず。母は、結果的には父とともに幸せなのですから、大丈夫です! 私も母のように運命の人と出会いたいものです!」
私は精一杯、元気に、本当にそう思っていることが伝わるように、訴えます。
ミセス・グリズルが頷いてくれました。
「そうよね、そうだわ。エスターちゃん、応援しているわね!」
先代ブレナンテ伯爵は——どことなく、表情が明るくなった気がします。少しでも、その心が救われてくれれば、と私は願ってやみません。
それはさておき、私は自分の今の運命を振り返ったとき、こう思うのです。
「なのになんで私はテネブラエを捕まえるなんてことに協力することになっているのでしょうか……」
「まあまあ、恋に障害はつきものよ。これが終われば、宰相閣下がどこかの貴公子を紹介してくださるかもしれないわ」
「うむ、そうだね。期待していていいと思うよ」
「はーい、期待します」
本当に、期待したいです。
話をそこそこに切り上げ、私はミセス・グリズルと夕食の支度をすることにしました。