余の知ってる勇者と違う。
魔王と呼ばれる男は混乱していた。
幾度も繰り返される勇者との戦い。その度に封じられ、時が過ぎればまた復活することを繰り返してきた魔王であるが、彼は今、混乱の坩堝に叩き落とされている。
月明かりを弾く白銀の長髪をさらりと靡かせ、就寝用の柔らかな衣服に袖を通した偉丈夫である。
だが、人とは異なる証として、その耳は長く、コメカミの少し上、頭蓋から立派なツノが生えている。
息を飲み、じわりと冷や汗を滲ませる魔王は、目の前の存在に理解が及ばなかったのだ。
彼の中で勇者と言うのは、いつでも真っ向から向かってきては数多の配下を倒し、満身創痍で魔王の前にやって来て最後の力を振り絞って仲間と共に魔王を打ち倒す。
そんな熱いまでの情熱を持った存在だった。
生来持った正義感から、街々の苦難に心を痛め一つ一つを解決し、その旅の進行すら筒抜けな男。
それが勇者だ。
だが、今代の勇者はどうだ。
魔王の復活と同時に神託を授かり、勇者として聖剣を賜った男は先ず、仲間となるべく集まった他の面子を置き去りに姿を消した。
その時点ではぁ?となる。
そして、勇者不在のパーティは着々と旅路を歩んでいるのは情報として入って来たが、肝心の勇者は影も形も捕まらない。まさか逃げたのか?否、そのような男が勇者として神託を授かる筈もない。では一体どうしたことか。
そのように、復活してから先最早三月は経とうという頃か。
唐突にそれは飛来した。
今日も勇者見つからなかったな、どうなってんだ。と、もやもやした気持ちを抱えたまま就寝しようとした魔王の寝室に。
空気の揺らぎ、風を斬る音。
気配も極僅かに、微かな月明かりを反射させて振り下ろされた刃を咄嗟に躱した魔王は、訳がわからなかった。
何故ならこの魔王城に、侵入してきた挙句に、魔王の寝室まで入り込む暗殺者など見たことも聞いたこともないからだ。
そして、その暗殺者はあろうことか、その背中に見たことのある剣を背負っていた。
――聖剣。
魔王を唯一切り裂く事のできる、神より授けられし神器。
歴代の勇者しか、その剣を振るう事もできなくば、持ち運ぶ事もできない代物だ。
となれば、この暗殺者は、
(ゆ……うしゃ……?)
と言うことになる。
闇夜に映える艶やかな短い黒髪。鋭い瞳は鳶色で、まるで感情を感じさせない温度のなさでもってそこにある。
シャープな輪郭が作り上げる顔立ちは美男であるのに、纏う空気が冷たく無機質でまるで人形のようであった。
しかし、その身体はしなやかに先の一太刀を繰り出してきたのだ。
そして躱された刃を意に介さずに、二の太刀を振るうその男の追撃に咄嗟に結界を展開し、受け止めてしまえばギリギリと結果に食い込ませてくるその凶刃。
沈黙を守り、その刃を振り下ろす男の顔は無であった。
(余の知ってる勇者と違うんだが……?)
そこには正義感も、情熱も、なんなら生物としての感情も、何も読み取れなかった。
恐ろしく淡々と魔王を仕留めようとする意志だけを感じ、ゾッとする。
「……待て待て。お主、勇者と言うよりそれでは暗殺者ではないか」
とりあえず声を掛けてみれば、チラと目線を寄越したかと思えば、
「大将首を獲れば戦は終わるものだ」
と。温度のない声で返された。
(え、なにこれ怖い)
つまり、道々の配下は全てガンスルーして、魔王一点集中でこの勇者はここまで辿り着いたと言うことになる。
「いや、理屈は解るがどうやってここまで侵入してきたと言うのだ」
「お前が知る必要はない。疾く死ね」
すらり、と。背の聖剣を片手で抜き放ったかと思えば横薙ぎに結界を切り裂く。
が、そこで僅かに眉を顰めて小さく舌打ちをして見せた。
「……西洋剣は使い難い。一太刀で首を落とせんだろうが、それは俺の咎ではない」
「不穏過ぎる発言ではないか!?大体お主、勇者と言うよりこっち寄りであろうその佇まい!どう考えても魔物寄りであるぞ!?勇者の前は一体どんな職についておったのだ!?」
一太刀で首を落とすだとかあまりに自然に発言するもので、思わず魔王は思った。
コイツの方が余程魔物ではないか、と。
何の感情の揺れも無く、命を奪う事に慣れすぎた者の発言だ。何ならうちの軍団長の方がまだ人間味があるのでは?と。
トン、と軽い踏み込みで繰り出された聖剣の刺突を身を捻って避け、己の魔剣を喚び出しながら叫んだ魔王にことりと首を傾げた勇者は、ああ……と、何の感慨もない声で、
「前世の経験を活かして、暗殺や諜報の仕事を……」
と。
(やはり暗殺者ではないか!?何故これが勇者なのだ!人選ミスにも程があろう!)
そもそも前世の経験って何だ!時々前世の記憶を持つ勇者も居たが、やはり正義感に溢れた大概甘っちょろい好青年だったぞオラァ!と、魔剣を振りながら胸中で叫ぶ。
さて、この勇者だが前世は忍として戦国の世を駆けた経験がある。
此度の勇者専任を受けた時に、集う仲間を一瞥したかと思えば使えねぇなと判断して聖剣だけ背負って一直線に魔王城を目指したのだ。
息を潜め、静かに、じわりじわりと障害となる存在はそっとその首を刈り取りながら進めた旅路。
使えねぇなと思った連中がどうやら耳目を集めているらしく、己の存在にフォーカスが当たる事が無かったのも幸いした。
西洋の城は隠れる所も多い。忍び込むのもそれ程苦労せねば、死角から魔王に切り掛かってイマココである。
しかし流石は魔王。このままバタバタと無駄な時間を掛ければ誰かしらが来てしまうだろう。
それまでに仕留められるか。
最初の一太刀を躱されたのは痛恨だった。
そもそも刀と西洋剣は扱いが違う。握りも振り方も、切れ味すらも。
(……好かんな。やはり)
しかし魔王と言うのは饒舌なのだな、と。勇者は思う。
ただ戦い、どちらかが死ねばそれで終わりであろうに、益体も無い事をぐだくだと口にするものだ。
重い金属音をさせながら、魔剣と聖剣がぶつかり合う。
しかし、真っ向勝負なぞ勇者はそもそもするつもりは無かった。
目潰しよろしく、懐から出した聖水の瓶の蓋を親指で弾いて飛ばし、その中身を魔王の顔面目掛けて振りかける。
「ぬぁっ、お主卑怯な真似を……!」
バッと後ろに跳び下がり文句を吐き出せば追い縋るように聖剣の一太刀が見舞われ魔剣でそれをいなして流す。
「お前の首が目的であらば、手段なぞどうでも良い」
「こ、このひとでなしがぁっ!」
「忍を前に、人であると思うておるのか。甘い事をぬかすものよ」
避けられた聖剣を気にする事なく脇から突き上げられる短刀を、上体を捻って避けたものの、魔王の長い髪が一房切り落とされる。
(忍って何!?)
勇者を相手にしている筈であるのに、と。
魔王は混乱し続けていた。
そもそも勇者に甘い事をぬかす、などと未だかつて言われた試しが無い。どちらかと言えば魔王が勇者に言ってきた台詞だ。
この悪魔!とか、極悪非道の親玉め!とか、お前の悪事もここまでだ!とか、色々言われてきたが、甘いとか初めて言われたんだが、と。
魔王はちょっと新鮮な気持ちを抱いた。
長らく生きてきたが、こんな新鮮な気持ち久方ぶり……とか少し現実逃避をするくらいには衝撃だった。
なんなら勇者に向かってひとでなしだなどと言ったのも初めての事だった。
そしてこの勇者、恐ろしく強い。
躊躇いのない斬撃と、手段を選ばない戦い方。
何ならナイフや針なども投げつけてくる。
宣言通り、手段なぞどうでも良いのだ。勇者にとって結果が全てであった。
名誉では飯は食えない。
名声でも飢えは満たされない。
結果を持ち帰り、金に替えて初めて価値がある。この魔王の首に掛けられた報奨金。
それこそが勇者にとって唯一の価値であれば、躊躇いなぞそこに一欠片も介在しなかった。
対して復活して三カ月、本来ならば勇者の旅路と共に力を蓄え全盛期まで持っていく魔王は現在割と弱い。格好よく魔法でぱぱっと追い払いたいというのに現段階ではそれすら叶わない。
ちょっと誤魔化し程度の魔法と肉体言語で対応するより他ないのである。
お互いあまり魔法を交えない、実にアナログな戦闘が繰り広げられる結果となった。
「……くっ、余の知ってる勇者と何もかもが違うぞお主!」
再びかち合う互いの刃。ギチギチと拮抗する力に刃が鳴き声を上げる。
「そうか」
「そうか、ではないわ!勇者ぞ勇者!お主ちょっと我が身を振り返るべきであろうが!」
「些末な事だ」
「些末であってたまるか!余はなぁ!勇者との戦いを割と楽しみにしておるのだぞ!毎度毎度青臭い理想を語り熱苦しいまでの正義感でもって勝利を掴み取るのが勇者であろうが!」
幾百年の眠りを経て、毎度復活する度に、様式美のように成すやり取り。
存外魔王は嫌いでは無かった。
そもそもそう言う役割であると理解していれば、封じられるまでが仕事なのだ。
世に溢れる負の感情を消化する為の儀式が、魔王と勇者の戦いであらば、これではいけない。
いきなり勇者の魔王暗殺なぞ、意味が無いのだ。
とにかく魔王軍に対するフラストレーションを上げるだけ上げて、勇者御一行による死闘からの輝かしい勝利こそが求められる結末なのだ。
こんな正義も慈悲も、人の心すら希薄な勇者にころっと仕留められるなぞあってはならない。
「ちょっとそこに直れ勇者ぁぁっ!」
「煩いぞ、お前」
「何その迷惑そうな顔!迷惑してるの余の方だよね!?女神今回人選ミスにも程があるのでは!?」
すこぶるうざそうに眉を寄せて文句を吐き出した勇者に、心底魔王は思った。
これはあかんやつ。と。
「やり直し!やり直しだお主!こんなやり方で魔王討伐など意味がない!出直せ!主旨を理解してやり直してこい!」
「お前を殺せと言われたが?」
「ちっがーう!魔王軍の討伐であろうが!」
「だから大将首を獲りに来た」
「そうじゃないんだよぉぉっ!馬鹿なのお主!?辛酸苦難の旅路を経て討伐することに意味があるんだろうが!」
「無駄は省く。当然だろう」
「無駄!じゃ!ねぇーんだよ!それが必要だからって説明しておけ女神のクソボケ!人選ミスったんなら説明責任果たせよあのクソ女ぁぁっ!」
腹の底から叫んだ魔王の声は、城内に響き渡り、なんなら天におわす女神にも伝わったのか、次の瞬間勇者の足元に眩いばかりの光が湧き上がった。
そうして、光が魔王の寝室を包み込んだかと思えば、ふつりと勇者の姿がそこから消えたのだ。
ぽかん、と。
魔王はまた混乱しながら口をあけて先まで勇者がいた場所を見つめていた。
そうしたならば、ひらりと一枚。
愛想も素っ気もない一枚の紙切れが落ちてきて、それを拾い読み上げたならば、
『ごめーん、言い聞かせてからリトライさせるね!今回のはノーカンで!』
「……いや、リトライではなく勇者をすげ代えるべきだ」
ぼそり、と。その紙に向かって呟いた。
言い聞かせた所であいつまた来るの?
その場合、数多の配下をきっと無慈悲に非人道的なやり方で仕留めてくる想像しかできない。
あんなのは勇者ではない。認めない。
長年魔王をしてきたが、かつてないほどろくでもない勇者だ。あれは勇者と言うより勇者(?)と表現すべきだろう。
あんな奴を好敵手とするのは度し難い。
とりあえず、女神に抗議文を送ろう。
それから寝よう。寝る前に部屋を片付けなければ。
やたらと滅茶苦茶にされた室内は至る所に刃物が突き刺さり、割れた小瓶の破片が飛び散りとてもではないがくつろげない。
地獄のような溜息を吐き出して、魔王は額を抑えた。
勇者って何だっけなぁ……と、思って。
前世の経験を活かして暗殺や諜報の仕事を……と言う電波を受信したので。