サピエンス、ドラゴンを触る
「……手続きは以上です。問題なく入国は許可されました」
リィルアは、とある島に立ち寄るため、入国審査を行っていた。
若い男の審査官が、慣れた手付きで書類に判を押す。
「ありがとうございます」
一言言って、リィルアは書類を受け取った。
彼らの周囲は、港で働くさまざまな人や機械の出す音に包まれている。巨大な飛行船から積み荷を降ろすコンベアーの音、それを運ぶ車両の音、保管場所に荷物を積み上げるクレーンの音、そしてそれらの合間で働く作業員の声等など。その様子から、島内がいかに工業化されているのか、容易にうかがい知ることができる。
一連の事務作業を終えた審査官は、ふう息を吐くと共に肩の力を抜き、表情を崩した。
「いやあ、竜連れの旅人さんの審査は久しぶりですよ。街中でも、もしかしたら注目されるかもしれませんね」
そう言って、目線をリィルアの後ろに向ける。
「そう……なんですね」
答えながら、リィルアもその視線を追った。すると、別で検査を受けていたジェインが、担当の審査官に引かれて歩いてくるのが見える。
「こちらの竜についても、問題ありません。国内に持ち込んでいただいて結構です」
ジェインを担当していた審査官が、リィルアに告げた。
リィルアは手綱を受け取る。ジェインを担当していた審査官は、すぐに立ち去った。
男の審査官に視線を戻すと、彼は少し奇異なものを見るような目で、ジェインを見上げている。
「そんなに竜が珍しいんですか?」
リィルアが尋ねた。
審査官は我に返る。そして、頬を掻いた。
「港の様子からも分かる通り、この島は機械産業が強いんです。私の親世代が子供のころには、竜舎も多くあって、よく使われてたらしいですが」
「なるほど」
リィルアはもう一度、港を振り返る。先ほどと変わらず、さまざまな機械が忙しそうに駆動していた。
そんな港の逆、リィルアの傍で、ガラガラと音がする。街への門が開かれたのだ。
「お時間をいただきました。どうぞ、お通り下さい。それと、もしモーテルをお探しになるつもりなら、良い場所を紹介しますよ」
門を開いた審査官は、リィルア達を振り向いて言った。
――
リィルア達の眼前には、整理の行き届いた小ぎれいな街が広がった。
大通りには自動車や二輪車が行き交い、その両側に広くとられた歩道も、さまざまな服装の民衆で賑わっている。道は全てアスファルトで舗装されていた。そして道沿いに並ぶ建物も、基本的にはコンクリート造のモダンなものばかりだ。工業化の具合がよくわかる。
「……俺は、空から向かった方が良さそうだな」
通りを一瞥して、ジェインが言った。
先ほど審査官が言っていた通り、街にドラゴンの姿はほとんどない。
リィルアも通りを見渡し、苦笑する。
「そうだね。この島じゃ別行動が多くなりそうだ」
広い歩道があるとはいえ、ドラゴンの図体はそれなりのスペースを占領する。ドラゴンの多い土地ならともかく、この島のような環境では、往来の邪魔になることもあると考えたのだ。
ジェインは翼を広げ、数歩駆けた後に空へと飛び立った。
ジェインを見送るリィルア。その刹那に微妙な違和感を持った。というのも、やけに往来からの視線を感じたのだ。
ドラゴンが少ない島では、ドラゴン乗りやドラゴン自体が目立つことは珍しくない。ただ、今彼らがいるのは港町である。ドラゴンは交易においても利用されるため、街の住人が全くドラゴンを見たことがないというのは、考えにくい。
それにしては、自分たちへの注目が多い、という感覚があったのだ。
周囲を見てみると、直接目を向けないまでもこちらを意識しているような人が何人か見受けられた。
しかしジェインが飛び立つと、その気配は雑踏に飲まれて消えていく。
ジェインを見送ったリィルアは、一先ずモーテルに向けて歩を進めた。
――
整備が行き届いた街は、落ち着いた活気に満ちていた。雑踏や車の往来は絶えず、しかし騒々しさは感じられない。街並みの印象もそうだが、人々も秩序だっているのがわかる。
モーテルに向かう道中、雑踏の中で異質な騒めきが聞こえ、リィルアは思わず足を止めた。
音のする方向を見ると、その先には鉄道駅がある。隣接する広場に軽く人だかりができていた。演説車両の上に建つ男が、拡声器で何かを呼び掛けている。距離が離れているため、何の話をしているのかは、聞き取れなかった。
数秒その様子を眺めたリィルアは、視線を戻し、再び歩を進める。
程なくして、説明された通りの場所に、モーテルが見つかった。軒先には、ジェインが待っている。
リィルアはジェインの姿を確認すると、少し歩調を速めた。
「お待たせ」
ジェインに近づくと、リィルアは彼につけられている手綱を手に取る。そして下がったジェインの頭を軽く撫でた。
「こういう街だと、矢張り俺は目立つな」
待っている間、往来の目があったのだろう。
「まあ、滞在中はモーテルの中で休んでても大丈夫だし」
リィルアが答えてすぐ、モーテルの扉が開き、中から人が出てきた。
出てきたのは、大柄な壮年の男。モーテルの主人らしい。白髪交じりの髭面に仏頂面が合わさり、一瞬話しかけるのを戸惑うような容貌をしている。
「入国管理所から連絡が入っている。入ってくれ」
そういうと、主人は扉の傍にある操作盤のスイッチを押した。すると扉の横側のシャッターが開いた。
リィルアとジェインは、促されるままシャッターを潜り、中に入る。
モーテルの中は、掃除が行き届き小奇麗な様子だった。しかし全体的に古びた印象がある。調度品や壁、照明などさまざまなものが、よく見ると年期を感じさせるのだ。
シャッターが閉まると、暖色系の薄暗い照明の光が室内を包む。一部の窓から日光が入ってはいるものの、全体を照らすには至っていない。
「見ての通り、古いモーテルだ。如何せん使う人がめっきり減ったもんでな」
シャッターを閉めた主人が、受付台に歩く傍らでぼそりと言った。
「入国審査所で、竜乗りが珍しいという話を聞きました」
主人に続いたリィルアは、受付の手続きをしながら話す。
「竜用のモーテルが残ってるということは、俺たちを見なくなったのは比較的最近のように思えるな」
リィルアの後ろから、ジェインが会話に参加する。
主人は肩をすくめた。髭の中で皮肉な笑みを浮かべたのが見て取れる。
「十数年前は、ドラゴンの置き場所が問題になるくらいだった。モーテルも繁盛してたが、今は皆自動車用のものしか残ってないよ。私の実家ではドラゴンの育成をしていたが、そちらも閑古鳥らしい」
室内の薄暗さと相まって、自嘲的な響きがより強調されていた。
そしてリィルアは手続きを済ませる。
主人はドラゴンを運ぶためのエレベーターへと、リィルアとジェインを案内した。
「ここは各階が全て部屋になっている。鍵を使えば自動的に部屋に行くようになっているから、後は自由に過ごしてくれ」
それだけ告げると、主人は事務室へと入っていく。
「何か、忙しそう……か?」
主人には聞こえない声で、ジェインが呟く。
「さあ。もしかしたら儲からないモーテル経営は副業で、何か本業があるとか」
エレベーターに乗り込みながら、リィルアが答えた。
リィルアの後に続くジェイン。確かに、といったような言葉を、口内で発する。
エレベーターの内部には、扉の横に鍵穴があった。渡された鍵を差し込んで回すと、やや年期を感じさせる駆動恩と共に、箱が上昇を始める。
少ししてエレベーターは停止し、扉が開かれた。
扉の外は少し広い空間になっていて、エレベーターの正面には衝立が立っている。その奥は、主人の言う通り客室になっているらしかった。
「中々珍しい形式だな」
室内の構造を見回しながら、ジェインが言う。
「そうだね。今まで見てきた島だと、ドラゴン用のモーテルが全くないか、平地に部屋が横並びになってるモーテルだけだった。都市部にドラゴン用のモーテルをつくると、こんな構造になるんだね」
リィルアは衝立の奥に進む。その先では部屋が左右で人用、ドラゴン用の区画に分かれていた。ドラゴンと人が同じ空間で宿泊するというのは、モーテルの基本的な構造通りだ。
室内に入ると、リィルアは軽く荷ほどきをした。そして、ジェインの装備も外す。
「さて――」
一通りの作業を終えると、リィルアはベッドに腰掛けた。ベッドのすぐ横にはベランダに通じている大きな窓があり、外の街並みを見ることができる。
「これからどうする? 僕は一先ず街を見て回るつもりだけど、付いてくる?」
ジェインは部屋の反対側で、リィルアが眺めているのと同じ窓から、外を見る。
「……いや、ここで待っていることにする。どうにも、難儀する場所が多そうだ」
「そっか……」
リィルアは、ベッドから立ち上がった。最低限の荷物をまとめた後、ジェインに歩み寄る。
リィルアが手を伸ばすと、座っていたジェインが首を下げた。リィルアの手がジェインの頭部に触れる。
ジェインは目を細め、顔をリィルアの顔に摺り寄せた。
少しその状態が続け、リィルアは手を離す。
「じゃあ、ゆっくり休んでて。一応、ご主人に留守を頼んでおくよ」
「わかった」
リィルアは、部屋を後にする。
衝立の向こうでエレベーターの扉が閉まる音がすると、室内は静けさに包まれた。
ジェインは蹲り、目を閉じる。少しして、大きく口を開いて欠伸をした。
――
リィルアは宿を出た後、暫く街を散策した。
街の様子は、最初に見た時の印象通りだ。港町らしく、多様な店が軒を連ねている。街の人もとても明るく、いかにも旅人然とした出で立ちのリィルアに声を掛ける者もいた。
まず彼が立ち寄ったのは、竜具の取り扱いがある道具屋だ。その店は、モーテルを出発する際、モーテルの主人に紹介されていた。
店があるのは、大通りから少し入った小道。竜具だけでなく、工作や園芸に使う道具も多く売っているらしく、モーテルのように寂れているという様子は感じられない。
「ああ、モーテルに宿泊されている方ですね」
店に入るなり、店主がリィルアの姿を見て言った。モーテルの主人が連絡を入れるという話をしていたため、ことがスムーズに進む。
「そうです。旅用の道具や、竜具があれば、見せていただけませんか?」
リィルアの返答に対し、勿論ですと歩み寄る店主。二十代後半から三十代程度の若い男だ。非常に明るい態度だが、一方で露骨な商売っ気は感じさせない。あくまで自然体といった様子が、とても良い印象を与えている。
リィルアは、店主の案内で店内を見て回った。大小様々な道具や家具が、床や棚に陳列されている。細かく見ていくと、あっという間に時間が過ぎていきそうな密度と品ぞろえだ。
まず、リィルアは竜具が陳列されている区画に案内された。
かなり精工でしっかりしたつくりの竜具が、棚や床に陳列されている。しかしその場所は店の一番奥、最も目立たない場所だった。区画自体も、他の商品と比べて広いとは言えない。
「この街だと、一番の品揃えと自負しています。といっても、これだけですが……」
店主は、少し申し訳なさそうな表情になる。
「いえ、街を見る限り必要な人も少なそうですし。売られているだけでもありがたいです」
リィルアはそう答えながら、商品を吟味していった。
「いやあ、私が子供の頃……父が店主をしていた頃は、まだまだ需要があったんですけどね。十数年ですっかり様変わりしてしまって」
入国管理所やモーテルの会話と併せて、この島で竜が利用されなくなったのは、比較的最近の事だというのが感じられる。
「もしかして、ドラゴンの運用に関わる人の雇用とか、色々問題があったんじゃないですか?」
ふと浮かんだ疑問を、リィルアは口にした。
店主は大きく頷く。
「そりゃあもう。一時期はテレビやラジオでその手の話題が毎日流れていましたよ。なんなら、今も続いてますし」
「そうなんですか?」
「ええ……。あ、そうだ」
何かを思いついた様子で、店主は手を打った。
「一つ、この島で起きてる話題を聞いてくれませんか? 竜乗りの旅人さんなら、違った視点の意見を聞けるかもしれない」
その表情からは、いいことを思いついたという心境が容易に見て取れる。
「……はあ」
やや気圧されながら、リィルアは頷いた。
――
店主が語ったのは、近頃巷を賑わせている話題だった。
端的に言えば、ドラゴンを愛玩動物として販売できるよう法律を変えるか否か、という話題である。
事の発端は、ドラゴンの繁殖、飼育に関わる人物が、各種メディアに問題提起の文章を送ったことだ。島内の多くの竜飼育関係者が、これに賛同した。
他方、反対の声も続出することになる。様々な立場の人間が、それぞれに反対意見を述べた。
「――最近じゃ、街頭演説やデモみたいなことをする人も居る位、盛り上がってるんです」
締めくくりに言った店主の言葉に、リィルアは少し前に見た光景を思い出す。モーテルに向かう際に見かけた人だかりは、この論争に関わるものだったのだろう。
「そんなことが起きてるんですね。ご主人はどう思われてるんですか?」
リィルアが聞いた。
「そりゃあ勿論、反対ですよ」
きっぱりとした口調で、店主は答える。
「ドラゴンの扱いは難しいって言いますからね。いくらしつけを徹底させたとしても、絶対にどこかで怪我や事故が起こるに決まってます。……まあ、ウチは竜具以外の商品で商売ができてますしね」
「なるほど」
「旅人さんはどう思われますか?」
その問いに対し、リィルアは少し考えこんだ。数秒、視線を中空に向ける。
「……僕はこの島の暮らしに詳しくないですし、何とも言えない……ですね」
返答を聞いた店主は、一瞬意外そうな表情になった。そして、直ぐに元のにこやかなっ表情に戻る。
「確かに、そうですよね。余計な雑談でした」
その言葉を、リィルアは軽く止める。
「いえ、とても興味深いお話だと思います。一つ気になったんですが……」
「何でしょうか?」
店主は首を傾げた。
「事の発端になった主張をした人というのは、どのような人なんですか?」
その問いに対し、店主はああ、と相槌を打ち、笑みを崩さずに答える。
――
エレベーターの駆動恩で、ジェインは目を覚ました。
緩慢な動きで周囲を見回す。ベランダに通じる窓から昼時の陽光が差し込んでいた。リィルアが宿を出てから数時間ほど経過しているらしい。
衝立の向こうで、エレベーターの扉が開く音がした。
リィルアが帰ってきたのだろうか、とジェインが思った矢先、
「失礼する」
と、壮年の男の声が聞こえる。宿の主人の声だ。
「リィルアは今外出している」
「ああ、君に用がある」
そういえば、と、ジェインは宿を出る直前のリィルアの発言を思い出す。リィルアは主人に自身の外出を告げていた筈だ。
人ではなく、ドラゴンへの用事とはどういったものだろうかと不思議がりつつも、ジェインは主人を部屋に入れる。
やはり主人は、思考を読み取れない仏頂面をしていた。
「……変わりはないか?」
ジェインの様子を一瞥し、声を掛ける。
「ああ。お陰様で休めている」
「そうか」
ぶっきらぼうに相槌を打つ主人。一度衝立の裏に戻り、簡素な椅子をもって戻ってきた。それをジェインの横に置いて、座る。
「ここのようなモーテルは初めてか?」
主人が聞いた。
ジェインは頷く。
「そうか。……昔ながらの平屋のモーテルと違って、こういった造りだとドラゴンの様子が分かりにくい。だから騎手が留守の時は、こうして留守番をするようにしている」
主人は自分の顎鬚を触りつつ、どこか遠くを見るような目つきで語った。
「……まあ、お前のような図体がデカくて大人しい奴なら、別に無くても良いんだが」
その言葉を付け加える時、主人の目線は移動し、ジェインの身体を頭から尾の方までを追う。
「……暇なのか?」
主人の様子から察したことを、ジェインは尋ねた。
その問いに、具体的な返答はない。ただ、雄弁な沈黙だけがあった。
少し時間を置いて、主人が口を開く。
「無駄話に付き合ってくれるか」
その様子に、先ほどまでと一切変わった所は無かった。たった今、ふと話題を思いついたといった様子である。
「……どんな話だ?」
ジェインも、何気なく答える。
――
「どうですか、旅の方。当店自慢の料理は」
買い物を終えた後、リィルアはレストランに入っていた。店を出て少し街を散策した時に、モーテルの主人の知り合いだというレストランの店員に、声を掛けられたのだ。
今リィルアが食べているのは、ジャガイモを使った料理。茹でたジャガイモに、チーズをベースにした辛味のあるソースが掛かっている。ウェイトレス曰く、島の伝統料理らしい。
「……とても、美味しいです」
リィルアはため息交じりに言った。落胆ではなく、感動のため息だ。
柔らかいジャガイモに、とろけるソースが見事にマッチしている。チーズや塩、唐辛子の風味が、ジャガイモの甘みを引き立てる完璧な役割を果たしていた。
リィルアの感想を聞き、ウェイトレスは満足そうに微笑んだ。
そして同じく満足げな表情を浮かべている人間が、もう一人。
「そうだろう。ここの料理は間違いなく、この街一だ」
リィルアの隣席に座る、中年の男だ。彼はリィルアが入店した時点から、リィルアに声を掛けていた。この店常連の、口数の多い客らしい。
「厨房にも感想を届けてて来ます。ごゆっくり召し上がってください」
ウェイトレスがそう言って、店の奥へと戻っていった。
その後、リィルアは黙々と料理を平らげる。
常連の男も、その様子を半ば誇らしげな表情で見守っていた。
「美味しかった……。ご馳走様です」
一気に間食したリィルアは、満足げに呟く。
「お気に召していただけて、本当に嬉しいです」
店内に戻ってきていたウェイトレスが、にこやかに言った。その手には、パンが入ったバスケットが下げられている。
「食後にパンを出すのは変かもしれませんが、お皿に残ったソースに付けると美味しいので、ぜひ」
そう言って平皿を置き、パンを乗せた。
「それは……最高の提案ですね」
リィルアは早速パンを手に取り、言われた通りにして食べる。美味以外の感想が出る筈が無かった。
パンを飲み込み、感想を言おうとした時、店外から騒音が響く。
ウェイトレスと常連客を含め、店内に居た全員が店の外に目を向けた。
騒音の正体は、デモ隊の行進だ。皆が手に拡声器やメガホンを持ち、主張を訴えながら歩いていく。その主張は、件のドラゴン愛玩化に反対するものだった。
「今日もか……。言っていることは理解できるんだが、人様の貴重な食事時は邪魔しないで欲しいもんだ」
常連の男が顔を顰める。
ウェイトレスも、同感という表情をしていた。
「そんなに頻繁にこういう活動が起きてるんですね」
リィルアが呟く。
それに気づいた常連の男が、論争の説明をしようとした。リィルアは、先ほど道具屋で聞いたことを話す。
「ああ、やっぱり旅の方の耳にもすぐに入りますよね」
ウェイトレスが、少し困ったような表情で言った。
「お二人は、どういう立場なんですか?」
ふと浮かんだ疑問を、リィルアが投げかける。
「私は、ああいった活動に参加するほどではないですが、反対ですね」
「俺もだ」
二人は、いたって普通の事という様子で答えた。
「私は仕事柄、衛生状態が気になってしまって動物全般が苦手なんですが……。ドラゴンのような大きな生き物を連れる人が増えると、やっぱりその面で不安になってしまいます。勿論、旅の方のように扱いを熟知されている方なら安心なんですけどね」
「それ以前に――」
ウェイトレスの言葉に被さるように、常連の男が語気を強める。
「ドラゴンは乗り物なんだ。その扱いを変えるのは根本から間違ってると思う」
「なるほど」
二人の主張を聞く間に、リィルアの手にあるパンは大きさが半分になっていた。
「この話を聞いた道具屋の人も反対派でしたけど、皆さん色々な理由で反対されているんですね」
ウェイトレスが、困ったような表情を継続しつつ同意する。
「そうなんです。なので反対をしている人の中でも、対立が起きたりしていて……」
「ま、こういう社会問題には、そんなのがつきものなのかもしれないけどな」
常連の男は、他人の話を引き継ぐように話す癖があるらしい。
しかしウェイトレスは、その発言に共感を示していた。
「一つ、伺ってもいいですか?」
リィルアは、ウェイトレスと常連の男の目を交互に見る。
二人は、発言を聞く姿勢を見せた。
「この問題の切っ掛けになったのは、一体どんな人なんですか?」
――
リィルアがモーテルに戻ったのは、空の色が変わりきった夕刻だった。レストランを出た後も、街の色々な場所を散策していたのだ。
「ただいま、ジェイン。長い間一人にしちゃってごめんね」
部屋に戻るなり、ジェインの傍に歩み寄る。
ジェインは言葉を発する前に、顔をリィルアに擦り付けた。
リィルアは両腕で、ジェインの両頬から首にかけての鱗を撫でる。
その状態が、暫くの間続いた。
「街はどうだった?」
ジェインの言葉で、リィルアは手を離し、数歩下がる。
「中々面白かったよ――」
リィルアは、その場に座った。そして出先での出来事をジェインに語る。
「なるほど……。俺を留守番してる間に、いいものを食べていたんだな」
「そこ?」
拍子抜けした表情になるリィルア。
ジェインは右前脚を、リィルアに伸ばす。人差し指を丸め、甲でリィルアの頬を撫でる。
リィルアは、その手に自分の手を添えた。
「まあ、兎も角だ。その社会問題とやら、そんなに大きな話になっていたんだな」
頬を撫でながら、ジェインが呟く。
「あれ、ジェインも聞いたの?」
「ああ、様子を見に来た宿の主人にな。しかし、矢張り俺達と直接関係ある人間以外は、反対している者が多いんだな」
ジェインの言葉を聞いて、リィルアは皮肉な笑みを浮かべた。
「そうだね、特に今日僕が話した人は、多少なりともここのご主人と顔見知りだったんだ。まあ、推進している人達にとっては前途多難なんじゃないかな」
リィルアは立ち上がり、ベランダに通じる窓へと近づく。
既に日は完全に暮れていた。ベランダで通りまでは見えないが、繁華街らしい電光が空を照らしている。窓を通して、薄っすらと雑踏が聞こえていた。
ジェインは、視線でリィルアの背を追う。
「中には過激な事をしでかす層もいるらしい。それを見越して、あの男も名前を明かさずに意見を述べたんだろう」
「あの男って?」
窓から視線を外し、ジェインを振り返るリィルア。
「ここの主人だ。そもそもの提案をしたと、昼間話してくれた」
その言葉に、リィルアは目を丸くした。
「え、そうなんだ」
ジェインは首肯する。
数秒驚いた表情で固まるリィルア。その後へえ、と呟き、窓の前を離れた。ベッドに腰掛ける。
「どうかしたのか?」
奇妙な態度に、思わずジェインが尋ねる。
するとリィルアは、上体を後ろに倒し、ベッドに寝転んだ。ジェインの視界からリィルアの顔が見えなくなる。
「いやね、今日話した人に全員に聞いたんだ。切っ掛けの声明を出したのはどんな人かって」
「それで?」
「全員、どんな人か全く知らないって答えたんだ」
言い終えると、リィルアは大きく伸びをした。
ジェインは数秒押し黙った後、
「そうか……」
と無表情に呟く。
その後二人は軽く言葉を交わした後、いつものように眠りに就いた。