幸福
あらたに発明されたこの装置は、特殊な電流を特定部位に流すことにより使用者に眠る潜在的な幸福を感知し、実現させる装置である。
とはいえ、装置の干渉可能な範囲は使用した本人のみであるため、他者をどうこうするとか、宝くじで1等を当選させるといったことは不可能である。
しかし、反対に自分についてのことで潜在的な幸福が届く範囲であれば、あらゆる病気が治り、どんな時でも最高のパフォーマンスが得られるのだ。
わたしはこの装置〝ハピタゴニスト〟を発明した偉大な博士の助手である。
しかし、博士はこの装置を発明した直後に行方不明になってしまい、一般販売後のハピタゴニスト流通による各メディアへの対応をわたし一人で受け持つはめになってしまった。
「社会現象になっているハピタゴニストですが、中には使用して十分な効果を得られなかった人もいるとのことですが」
「何度も説明している通り、使用者本人の潜在的な幸福を感知するため、限度はあります」
「企業では同僚がハピタゴニスト使用により著しく業績が上がり、その同僚に追いつけないと苦情があるそうですが」
「簡単な話です。あなたもハピタゴニストをお買い求めください。購入費用がなければ、もよりの銀行でハピタゴニスト資金の借用をおすすめします。手軽に用立ててくれます。日々の体調の改善程度であれば間違いなくハピタゴニストの効果はあらわれます」
「ハピタゴニストにより軽度の、人によっては重度の疾患が手軽に治ってしまうことで、医療の需要が低くなってしまうのではという声もありますが」
「それは逆です。自身の潜在的な幸福で許容できない疾患であるからこそ、医療の手助けが必要なのです。今後、医療はそういった重度の疾患について研究、発展する余力をもち、今まで助かることのなかった人が助かる未来が来るでしょう」
「世間では健康上の問題はないのかと...」
「一般販売の前に試験期間を十分に設けており...」
「米国ではこの装置を...」
「その件に関しては現在...」
「ハピタゴニストを発明した最高責任者が現在失踪しているとの報道がありますが、それは事実でしょうか」
博士、本当に、どこにいってしまったのですか。
ハピタゴニスト販売から1年が経ったが、博士の消息はいまだに掴めなかった。
現在、ハピタゴニスト流通によってあらたな社会問題が生まれつつある。個人によって潜在的な幸福に差があるため、数日なら気にならなかった差が積み重なり、1年経った段階でいわゆる幸福格差がおこったのだ。
常に自分の幸福の最大値を引き出せるということは、裏を返せば限界値も容易に知れてしまうということだ。幸福格差によって加速した社会に追いつくことができないと分かってしまった人がみずから命を絶った、という報道も流れる始末であった。
使用者に問題があるのであって、装置が悪いわけではない、という言い訳は加速度的に増える自殺者の数にかき消されてしまった。
そして、ついにハピタゴニストにトドメをさす事態がおとずれた。
ハピタゴニストは、自身の死を望んだ際にそれを叶えてしまうのだ。わたしはハピタゴニストによる自殺の責任を追及された。
わたしは、ここまできて、1つの仮説にたどり着いた。
博士、あなたはハピタゴニストで早々に自分の幸福の上限を知ってしまい、絶望したのではないでしょうか。
そして、ハピタゴニストに自分の死、もしくは自分の存在の抹消を願ってしまったのではないでしょうか。
ハピタゴニストに使用者の身体を消滅させるまでの機能があるのかは定かではないが、きっと近いうちに報道で知ることができるだろう。
ハピタゴニストによる大量自殺が起こった後の世界はとても静かだった。
しかし、だれもいなくなったわけではなかった。そこには確かに人が残っていたのだ。
彼らの多くは、自分の意志でハピタゴニストを使わなかった人々。
自分の意志で、幸福を実現することのできる手段を用いなかった、不幸な人々。
不幸な人々が今日という日を必死に生きていた。