〈母の味〉
「それじゃあ改めて、この度はウチの娘の危機を助けてくれてありがとう。豪華なものは用意出来なかったけど、おかわりもあるから沢山食べていっておくれ」
「あ、あ、アリガトウゴザイマス……」
ついに食事が始まってしまった。アテュー曰く(八畳くらいだね)という広さの部屋に背の低い丸テーブルが置いてあり、その上には見たことないくらい豪華な食事が並べられている。
(突撃、JKの晩御飯! ふむふむ……つやつや光る真っ白なお米にジュワッパリッと焼いてある白身魚の切り身、ホカホカの肉じゃが……。具だくさんの栄養たっぷりお味噌汁……。そしてたくあん……。あ~、おいしそぉ~! これぞ和風! これぞ家庭料理! いいな~フート~! 僕も食べたいよ~!)
アテュー先生が有難いことに料理の解説をしてくれた。
こいつには悪いが、しっかり堪能しようと思う。ん? 味噌汁? それって、母さんのスキルの? ……気になるが、ここでアテューに聞くわけにもいかないか。
さて、俺の正面には二人が並んで座っている。ジョシコウセイとザッカヤのご主人の親子だ。
二人は手をあわせて何か呟いたので、見よう見まねで真似しておく。
さて、問題のスプーンだ。
一応、席に着く前にスプーンはあるかと聞いたら用意してくれた。だが……。
(まさか全部和食とはね……。それならせめてお寿司があれば……)
なんだか図々しいことを言っている気がする。
それはともかく、スプーンを握る人はここに自分しかいないようなのだ。和食?とやらはスプーンを使わないらしい。見本がないのでは真似も出来ない。
困った……。
困ったので、飲み物を飲んで一旦間をとる。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は伊柳啓介。啓介さんとかケイさんとでも呼んでおくれ」
「ケイさん」
イヤナギケイスケさんか。ケイさんの声は低いけど穏やかで、聞いてると不思議と緊張がほぐれていく気がする。
「そしてこっちが、娘の優芽だ」
「優芽です! 今日は助けてくれてありがとうございました!」
「優芽ちゃんと呼んであげておくれ」
ふむふむなるほど。
「優芽ちゃん」
「ええっ!? ちょっとパパ!」
「ハハハ。冗談だよ」
優芽さんはムーと頬を膨らませている。
仲のいい親子のようだ。
「えっと、フートです。そのまんまフートと呼んでください。それと、手当もしてくださって、ありがとうございます」
「うん。フート君だね。気にしないでいいんだよ。君は恩人なんだから」
「そうですよ! フートさんがいなかったら、私酷いことされてたと思うので! 命の恩人です!」
「そ、そうですか……」
優芽さんは身を乗り出して訴えてくる。あんまり褒められると恥ずかしい。夢の中に出てきた優芽さんはなんだったんだってくらい、明るくて眩しい人だ。
「でも、何も出来なかったというか、殴られただけっていうか……」
「そんなことないです! あんな怖そうな人たちに殴られて、勝てないかもしれないのに立ち向かって……! 普通出来ることじゃないです! ホント、ヒーローとか勇者みたいでした!」
ゆ、勇者だなんてそんな……。
顔が赤くなっていくのを感じる。耳が熱い。
(やーい! フート照れてるー!)
うるさいぞアテュー。
そんなこんなで、夕食は進んでいく。スプーンのことはもう諦めて普通に掴んで使うことにした。二人はそんなに気にした様子も無い。
そして会話は、僕があのときどんな状態だったか、優芽さんからどう見えてたかの話に移った。
「もう凄かったの! 叩きつけられて蹴られて、もうダメだーって思ってたのにね! 立ち上がって、相手のことを弱虫って注意を引き付けて時間を稼ごうとしてくれたの。凄いよね。私なら出来ないと思う……。それとね、私もあの人たちは弱虫だと思うの。きっと心が弱いからすぐ暴力に頼っちゃうの。でもフート君は心が強いのね!」
もう大絶賛である。
恥ずかしさで死んでしまいそうだ。ただでさえ赤かった顔も、耳どころか余すところなくアツアツだ。
確かにあの時は熱くなってたし、恥ずかしいことを言ってしまった気がする。あんまり掘り返さないで欲しい……。
でも、嬉しい……。
「優芽、ご飯が冷めてしまうよ」
「いいの! 私が作ったんだから!」
「やれやれ……」
ケイさんが察してか優芽さんを諫めるも効果は無いようだ。
「すまないね。この子は一度話し出すと止まらないんだ」
「だ、ダイジョウブデス……」
ケイさんも優芽さんも、二人とも笑顔が素敵だ。いい家庭だ。何も出来なかったかと思ったけど、この笑顔を守れたのなら体を張ったかいがあった。
ご飯も美味しい。芋ばかり食べていたからか、食べたことのない料理の数々が心に沁みる。それに、この味噌汁だ。
これが味噌汁……。美味しい。これが母さんのスキルの味噌汁なんだな……。これが〈母の味〉なんだな……。
父さんと母さんは今どうしてるだろうか。俺は故郷では死んでしまったようだし、二人は悲しんでくれているだろう。出来ることなら伝えたい。俺は無事だってことを。新しい場所でまだ生きてるってことを。
「ええっ!? あ、あたし変なこと言っちゃった!?」
「どうしたんだい?」
「え?」
どうやら、気づかないうちに涙が出ていたようだ。言われて気づいた。頬を涙が伝っている。
「あれ? なんでだろう……?」
自覚すればするほど、涙が溢れてくる。
拭っても拭っても止まらない。
優芽さんもオロオロしている。ケイさんは少し驚いているが、優しい顔をしている。
どうしよう。注目の的だ。止めなきゃ。でも、止まらない。なんでだろう。
「……ご、ご飯が……美味しくて……」
「ええええっ! 泣くほど!?」
なんとか言葉を絞り出したが、余計に混乱を生んでしまった。ケイさんもついにクスクスと笑いだしてしまった。
「よほど追い詰められていたんだろう。人間、心の疲れには気づきにくいものだからね。どうだい? 優芽の手料理は沁みるだろう?」
泣きすぎて、うんうん頷くしか出来ない。
沁みる。沁みました。最高の料理です……。
もはやどっちが助けられたのか分からない状態だ。優芽さんはオロオロしているし、ケイさんはニコニコしている。
平和だ。これが平和なんだ。
――――
俺が落ち着きを取り戻し、和やかな食事を再開してしばらくしたころ、ケイさんは少し躊躇うように口を開いた。
「フート君。これから行く当てはあるのかい?」
「……?」
それを皮切りに、場はシンとした静寂に包まれた。
なぜ、そんな質問を? 普通の人は帰る場所があるのが当然なのに。確かに俺に行く当てなんかないが、唐突な質問に面食う。
「えっ……と、行く当てはないです」
「ふむ……学校は?」
「いっ……たこと無いです」
「なるほど……。優芽、そういうことだけど、構わないね?」
「うん。命の恩人だもん。大丈夫だよ」
「……?」
「うん。というわけでフート君」
「はい」
ケイさんは改まった様子でこちらを向いて切り出した。俺も思わず背筋が伸びる。
「しばらくの間、うちに住み込みでアルバイトをしないかい?」
……なんだって?