はじめて
「やぁ、目を覚ましたみたいだね」
高貴な女性と一緒に部屋に入ってきたのは、白髪交じりの、緩い服装の壮年男性だった。
恐らく女性の父親、この家の当主だろう。失礼の無いように、俺は白いフワフワの上で姿勢を正す。
「あぁ、いや、そんなかしこまらないでおくれ。まだ体が痛むだろうから、楽にして楽にして……」
と気遣ってもらうも、こんなときどうしたらいいのか悩む。
正直なところ、たしかに背筋を伸ばすだけで脇腹あたりがズシと痛む。姿勢を崩していいのならそうしたいが……。
「面を上げよ」と言われても目線だけは下を向いてなければならないのが、領主様をはじめ貴族と接するときのマナーだ。
そんな俺を知ってか知らずか、この家の当主は俺の前に膝をつき、驚くことに深々と頭を下げた。
「むしろかしこまるのはこちらの方だ。この度は娘の危機を助けてくれて、本当にありがとう……。君がいなければ、この子は一生癒えない傷を負うところだった。感謝してもしきれない。ありがとう……」
「ありがとうございました。凄く怖かったときにあなたが来てくれて、本当に助かりました」
高貴な女性も、父親に続いて膝をつき、深々と頭を下げた。
これは焦る。
「や、やめてください! 僕は半端に首を突っ込んだだけで、何もできませんでした! 高貴なお二人に、そんな頭を下げられるなんて……!」
「コウキ……? ……ともかく、君がいなければ警官が来る頃には手遅れになっていた。君が五人相手に一人で体を張って、時間を稼いでくれたおかげだ。誰にでも出来ることじゃない。ボロボロになってまで、見ず知らずの娘を助けに来てくれて、本当に頭が上がらない。ありがとう」
そう言って、二人は頭を上げる様子が無い。
こうなると、いよいよ本格的に困ってしまう。なにせ、他人にここまで感謝されるのは生まれて初めてだ。どう対応したらいいのか分からない。胸を張るのも偉そうだし、対価を要求するのも意地汚い……。
なにより、高貴な女性はとんでもなく美人なのだ。そんな人に感謝されては、どうしたって戸惑ってしまう。さっきの夢のこともあって、まだ変な違和感を勝手に感じてしまうのが残念だが。
(ちなみに警官ってのは治安を守る人だよ。騎士団みたいな感じ!)
アテューが補足を入れてくれた。
なるほど。だから黒服の男たちは一目散に逃げていったのか。
(君のスキルは、自分を助けてくれるかもしれない人を呼び寄せるっぽいね。 あの警官、君がスキルを使った瞬間急に方向転換してきたんだ)
なんだそれ……。戦いにもサポートにも使えない正真正銘のゴミスキルじゃないか。どおりで不発するわけだ……。
ひとまず気まずさを紛らわすためにアテューの声に耳を傾けていると、ようやく二人は頭を上げてくれた。
「どう恩返しをすればいいのか分からないが……。ひとまずお腹が減っているだろう。いまこの子が夕食を用意しているから、よかったら食べていってくれないか?」
それはめっちゃくちゃありがたい。行く当ても無いし金も無い。借りる土地も畑も無いから、この後どうしようかと思っていた。
「いいんですか……?」
「もちろんだよ。うちも富豪なわけじゃ無いから大したものは出せないが……」
「いえ、本当にありがたいです」
「それは良かった。それじゃあ、私は店番と、娘は夕飯の支度があるから一旦失礼するよ。この部屋は好きに使ってくれたらいいから、食事までゆっくり体を休めておくれ」
「ありがとうございます」
支度が出来たら呼びに来ると言い残して、二人は部屋を出ていった。
店番、ということはお店を経営しているのだろう。貴族ではなく商人の家か。それなら身分の低い自分に高圧的にならないのも納得がいく。
「ふぅ~……緊張したぁ……」
(……あのね、君何か勘違いしてるけど、あの人たち一般人だからね! 高貴な人とかじゃないから! しがない雑貨屋の主人と普通の女子高生なんだよ!)
「ザッカヤ? ジョシコ? よく分かんないけど、商人の一家なんだろ?」
(まぁ間違っちゃいないけど……。早く常識を学んでよ~! 共感性羞恥で死んでしまうよ~!)
アテューが胸の中で悶えている。
「キョウカ? アテューは見かけによらず難しい言葉を沢山知ってるんだな」
(見かけによらずってなんだい! 僕は凄いんだからね。 これくらい知ってて当然なのさ!)
今度は威張っている。忙しいやつだ。
なんとなく愛着が湧いてきた。ニクイが可愛いヤツだ。何が目的なのか本当に分からないけど、自分から出てくるまでは諦めて共生するしかないだろう。
(ま、今は大人しく寝とくのが吉だろうね。もう日も暮れてきたし、彼らも家まで送るか一晩泊めるくらいはするつもりだろうし……)
「と、泊める!? そんなこと許してくれるか!?」
(許すというか……大事な一人娘の一大事を救ってもらったんだ。それくらいしてくれるんじゃないかな?)
……うーむ、よく分からない。そういうものだろうか。
(いいからいいから! とりあえず寝てみよ! 泊まるかどうか以前に、君はここを出たらキツイ生活が待ってるんだ。 体力は確保しとかないと!)
まぁそれもそうだ。ここはひとまず、呼ばれるまで眠らせてもらおう。こんなフカフカな場所で寝られることも、あと何度あるか分からない。
そういえば、ここに来る前も散々働かされて……、ようやく祭りかと思ったらここに来て……、黒服にやられて……。全然休めていなかった。
身体は正直だ。横になれば驚くほどあっさりと意識はまどろんでいく……。
(一名様、夢の世界にご案内~!)
アテューの不穏な発言を聞きながら、俺は再び眠りについた。
――――
「ここは……?」
「やぁ! よく来たね!」
あれ、俺は今さっき寝始めたはず。なにが起こったんだ?
さっき見た夢とよく似た場所、水色の空間にいる。ただ違うのは、アテューが目の前にいること、俺の体があること。
そして、眼下に膨大な数の建物がそびえたっていること。つまり、空の上だ。
「えっ! なにこれ!? 落ちてる!?」
「あはは~! 落ちないよ! 空に浮いてるの! ほらほら!」
そう言ってアテューは空中でくるりと宙返りを器用に決める。
「どういうこと……。俺は寝てたんじゃないのか……?」
「くっくっく……。ずばり言おう! 君は今から僕の生徒! 現代日本の常識ってやつをレクチャーしてやるのだー!」
「……」
だから、どういうことなんだ……。宙に浮いてる……。凄い速さで走る“何か”や、煌びやかな服を着た人たちが砂利くらい小さく見える。足場が無いのが不安を駆り立てる。
アテューの仕業らしいが、こいつに任せるのはかなり不安……。大丈夫なのか……。
「……あ、あれ!? 怒ってる!?」
「いや……。ただ、寝てた方がいいって言ったのはアテューだし……」
「それは大丈夫! これは僕のスキルの効果で、君の体はぐっすり寝てるよ!」
「はぁ……」
とにかく、このお子様のわがままに付き合わねばならないのだろう。
この世界のことを教えてくれるつもりらしいし……。
身体は休まっても、心は疲弊して起きることになりそうだ。
――かくして、アテュー先生による現代日本お勉強会が始まったのだった。
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