〈招き猫〉発動――。
「ま……まだだ……まだ終わっちゃいないぞ!」
「あぁん?」
震える脚に拳をうちつけ、逃げ出したくなる自分の心に喝を入れ立ち上がる。
ここで逃げちゃ男じゃない。助けようとした女性の目の前で、悪党に手も足も出ず、ゲロ吐いてうずくまって……。
ここで諦めてしまったら、本当に「情けない男」になってしまうじゃないか!
「……その人を離せ!」
「なんだぁ、まだやる気かお前」
「当然だ……。お前たちみたいな心の弱い人間に怯えてちゃあ、俺は何者にもなれない……。俺は俺になれない!」
「はぁ?もういっぺん言ってみろやガキ。行き過ぎたヒーロー願望は身を滅ぼすぜ!」
「その人を離せと言っている!」
よし、食いついた! 今ここで一番困ること、それは俺を無視してこの場を去ってしまうことだ。彼らのようなすぐに暴力に走る連中は、弱者の挑発を見過ごせない。俺はよく知っている。ブッツォという理不尽な幼馴染によく教わってきた。だから俺は続ける。挑発を続ける。
「どうした……。来ないのか……? 怖いのか! 俺みたいな弱いやつに負けるのが! だからフェイントに頼るしかない! 弱った相手をいたぶるしか出来ないんだろう! 違うか!」
勿論わかっている。リーダー格の男のキックなんとかは、れっきとした技術だった。だからこそ、この挑発は効く。この手の輩にとって、物わかりの悪い弱者に自分の実力を認められないことほど屈辱なことは無い。
「調子に乗りやがってクソガキィ……」
「長髪のお前も、リーダーに引っ付いてばかりなんだろう! 相手が膝をついてからじゃないと戦えない弱虫のクセに、威張るのは得意なんだな!」
「いい加減にしろよ……。お前、一生立てなくなっても後悔するなよ……」
驚くほどあっさりと挑発に乗ったリーダー格の男と長髪の男。
怯える高貴な女性から手を離して、こちらに全ての意識を向けてくる。臨戦態勢。調子に乗ったザコ、現実の見えていない相手を完膚なきまで潰す意志がその目に宿っている。
恐らく、俺の〈招き猫〉が決まらなければ容赦なく暴行を加えられ、宣言通り腕や足の一本や二本折られてしまうだろう。
だから考える。〈招き猫〉が力を発揮できるように。どうすれば彼らを退けられるか。足りない技術と力を知恵で上回るんだ。
「おおおおおおおぉぉぉ!」
まずは先手必勝。さっきと同じようにフェイントをかけられたら間違いなく負ける。だからその芽をまず潰す。目標はリーダー格の男。
痛む体に鞭を入れて、一気に接近する。勢いよく突進すれば、相手は避けるかカウンターしかない。
「やけくそか!? なめんなよクソガキィッ!」
かかった! やはりこの男はブッツォと同じだ! プライドの高さ故に、格下相手に逃げる選択肢はとらない! 腰を低くして迫る俺の顔面目掛けて拳を握って応戦しようとする。隙だらけの俺にわざわざフェイントをかけることも無い。ここだ。このチャンスをつかみ切る!
カウンターのパンチを避け、掌をリーダー格の男の顔面に向けて振りかざす。
「くらいやがれぇ! 〈招き猫〉発動おおおおお!」
渾身の力で、奥の手〈招き猫〉を発動する。 招き猫という名前なのだ。わざわざスキルになるってことは、まさか猫と戯れるだけのスキルじゃあるまい。この謎のスキルに対して俺の考察は二つあった。猫を招くのか、俺が「何か」を招くのか。
前者ならただの猫のはずがない。そう。精霊術の類。例えば猫又とか、猫にまつわる精霊を呼び出すことが出来る。ブッツォのよりは弱くとも、そこそこ強い精霊術の可能性。だが、これはかなり望み薄だ。こんなものは殆ど幻想にすぎない。
俺の予想は後者だ。
アテュ―が言っていた。「君が死の間際招いた者だよ」と。
であれば、俺が望んだものを引き寄せる力。俺が望んだ人を引き寄せる力。そう考える方が筋が通る。つまり。このリーダー格の男を思い切る引き寄せる!
「くらえええええええええ!」
イメージ通り招き猫を発動し、男を自分の掌へと引き寄せ……。
引き寄せ、引き寄せて……。その末に聞こえた音は……。
――――ペチ。
「……え?」
不発。威力など皆無な、無気力の一撃。一撃というのもおこがましい、情けない音が聞こえた。
場が凍り付く。
「……おい」
リーダー格の男はこめかみをピクつかせ、10センチ程下にある俺の顔を睨む。
「この期に及んでまだ舐めてかかってくるとはいい度胸だなぁ……」
そう言って、思い切り拳をひいて……。
「ゴハァッ……」
当然の結末。また殴られた。それも叩きつけられ裂けた左の頬を、思い切り。視界が明滅する。視界が思い切りぶれて、世界が一周したような感覚。平衡感覚のバグ。強烈な痛み。歯と頬の内側が衝突して、口の中に不味い鉄の味が広がる。立っていることもままならず、おもわずうずくまる。
なぜだ。
倒れこみながら必死に考えた。
なぜ、何も起こらない……。〈招き猫〉の名前はシンプルで、何かを呼び出すスキルなのは間違いないはずなのに……。
確かに発動した感覚はあった。体の奥深く、父が「スキルの核があるんだ」と言っていた心臓の近くで、確かにスイッチが入る感覚があった。間違いなく、このリーダー格の男を引き寄せたはずなのに……。
最後の賭けまでも負けて、強烈なパンチをくらって、頭もろくに回らない。
故郷では結局無い頭で必死に考えられるのは、所詮この程度。喧嘩なんて殆どしたこともないし、人を強く殴る方法なんて知らない。そんな俺の、最後の頼みの綱だったというのに……。
ここまで全ての賭けに負けた。全ての考えが浅はかだった。〈招き猫〉が不発だったときのことなんて考えてなかった。大なり小なり、発動くらいはすると……。せめてコイツだけは、自分の味方だと願っていた。だが。だが。
無様に負けて、立ち上がることも出来ない俺は、丸くなるほかに選択肢が無い。これが力。圧倒的な力量の差の前に、弱者はひれ伏すしかないのだ。
またこれだよ。
人の為に何かしようとしたって、碌なことにならない。同じなんだ。俺の故郷も、ここも。
「大口叩いて一発で終わりかテメェ!」
「虫見てぇに丸くなってんじゃねぇぞ!」
胸倉を無理やり掴まれて、引っ張り起こされる。クサくて脂ぎった顔面が至近距離まで近づいてくる。
「言ったよなぁ。もう立てなくなっても知らねぇぞってなぁ」
「折られるのはどっちの足がいいんだ? 待ってあげるから言ってみよっか?」
長髪の男が俺の足を小突きながら言う。
「や……、や、やめて! 私は大人しく付いていく! 言うことに従ってるじゃない! その人は関係ないわ!」
女性が俺を庇う声を上げてくれる。きっと勇気を振り絞ってくれている。弱くて惨めな俺を守るために。悔しい。自分が情けない。
「うるせぇ! てめぇは黙ってろ!」
だが、そんな尊い女性の願いも男の一喝で霧散する。
「よく言ってくれたじゃあねぇか。え? 弱虫だって言ったのか? 俺たちがそう見えたのか?」
「……し」
「あぁ? 聞えないねぇ!」
「……くたばれ弱虫!」
煽っても仕方ないが、心だけは負けたくない。
「よーしよく分かった! 決めた! 両足だ! リョウ、こいつを抑えろ!」
「おっけぇ」
リーダー格の男は俺の胸倉を離して、ずっと退屈そうに見ていた金髪に預ける。俺は身体に力が入らない。頭が揺さぶられた結果ふらふらしてしまい、まともな抵抗も出来ない。
されるままに体を抑えられ、両の足を掴まれる。最後の抵抗として、なんとか体をよじらせるも、自分の貧弱な体では何も出来ない。無理もない。まともな飯は殆ど食えず、日の出てる間はずっと働かされてきた。どれだけ鍛えたって、食事がなければ肉はつかない。
「離せッ! クソッ、離せえええええ!」
――折られる。
もう覚悟を決めるしかない。自分の足を諦めたそのとき――
「何をやってるんだ!!!」
青い服を着た中年の男が薄暗い道へやってきた。
「チッ! サツだ! タイミングわりぃ!」
「おい! 早く逃げるぞデブ!」
「は、はい!」
黒服を着たガラの悪い連中は、その男を見て一目散に逃げていく。俺はそれをただ見ていた。
ただ、見ていた。
なんとか足を折られずに済んだ。女性も助かったみたいだ。
でも。
俺はなにも出来なかった――。