分かれ道
(ほぅら! 女の子のピンチだ! バッタバッタとなぎ倒せー!)
人智を超えた建物の群れ。その隙間の暗がりに導かれ見たもの。それは――。
「さっきの高貴な方……」
自分を助けてくれた心優しい女性が、厳つい男たちに囲まれるところだった。怯えた顔をして、男たちの話に首を振っている。
俺はとっさに近くの物陰に身を隠して、その集団を観察する。
黒い服を着た男は五人。ガタイのいいリーダー格の男、黒髪長髪の男、痩せた男、金髪の男、そして気の弱そうな太った男。
(さぁ助けにいこう! 今日から君はヒーローになるんだ!)
女性は明らかに困っている。アテュ―の言う通り、確かに助けに行きたい。だが。
「助けになんていけません……。あれは……。あれは俺が関わっちゃいけないものです」
断った。
(ええぇっ!? なんで!?)
理由はある。
「よく見てください、あの男たちの服装を。真っ黒な上着に銀のボタンが付いてます。 ボタンには細かな装飾が施されていて一目で高価なものだと分かりますし、その下に着た白い服も、高貴な身分の特徴。 真っ白な服なんて、村長クラスでも手に入れるのが難しい高級品ですよ……」
(いや、ただの学ランだし、シャツの襟もちょっと黄ばんでるよ……?)
「ともかく、貴族同士の問題にただの農奴が首を突っ込んじゃいけないんです」
(えー! 助けようよ助けようよー!)
「助けません。 それに、俺はもう自分のために生きるんです。 人助けで危険な目に遭いたくありません」
(えー……つまんないの……)
アテュ―は萎んだ声で呟いた。そうだ。これでいい。
そもそもの話、助けに入ったとして勝てる見込みも無い。相手は貴族。ということは、とんでもないスキルに恵まれている可能性もある。俺の〈招き猫〉がどんなスキルかは未だ不明だが、太刀打ちできると思わない方がいいだろう。助けられたとして、その後の安全が保障されるわけでもない。
俺が助ける必要はないのだ。
(でもさー……)
なんだ。まだごねるつもりか、アテュ―。
(でも、さっきこの御恩は忘れませんとか言ってたよね……?)
「……」
オウダンホ、なんとかで助けられたときのことだ。確かに言った。だがあれは……。
(あの子が、君みたいに報われない想いをしてもいいのかなぁ……?)
「……」
アテュ―の言うことにも一理ある。けれど俺は決めたのだ。死に目にあうよりか、自分のために生きたほうが絶対にいい。
だがアテュ―も引き下がらない。
(そもそも彼らは貴族じゃないよ。ブッツォよりも格下の……)
俺の中の水色少女が、なにか言いかけたそのときだった。
「いいから付いてくるんだよ! ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ!」
いままで聞こえなかったリーダー格の男の声がここまで響いた。
「やめて! 離してっ! ねぇ!」
「でけぇ声出してんじゃねぇ! 殴られてぇのか!」
男は女性の腕をつかみ拳を振り上げる。
「ひっ!」
危ないッ! そう思ったときには、もう遅かった――――。
そう。遅かった。
「待てッ!」
俺は……。俺は思わず飛び出していた。
「あぁ? 誰だお前?」
「そ……そ、その人を離せ!」
やった。やってしまった。自分のために生きると決めたばかりなのに……。
いや、これは自分のためだ。ここで助けに入れば、この世界のことを教えてもらえるかもしれない。相手は高貴な身分の女性。お礼の品や金を弾んでくれるかもしれない。後々自分が困らないための伏線。右も左も分からない状態をなんとかするための最初の賭け。受けた恩を、少し多めに返すだけ。
決して人助けなんかではない。
「その人は命の恩人だ……! 傷一つ付けてみろ、ゆ、許さないぞ!」
(ヒュー! いいぞ! それでこそ男ってもんだ! いけー!)
アテュ―が場にそぐわない茶々を入れる。
「アテュー、少し黙っていてください。今はこの男たちをなんとかする方法を考えたいです」
(ちぇー。しょーがないなー……)
「なにブツブツ言ってんだ気色わりぃ。ヒーロー気取りかガキ」
「厨二病のお坊ちゃんは引っ込んでようね~。これは俺ら大人の問題だからさ」
黒髪長髪の男が女性の顔を掴み引き寄せる。
「なぁ? そうだよな?」
女性は目に涙を浮かべて首を横に振り、か細い声で答える。
「やめて……その人に酷いことしないで……」
「さぁ……どうなるかはコイツ次第だ。だよなぁ? ヒーロー気取り君?」
「ひ、引き下がれません!」
出てしまった以上は仕方が無い。今更逃げ出すことはできない。
「痛い目見てぇようだな……」
「おい! コイツを捕まえとけ。逃がしたらてめぇも痛い目見るからな」
「わ、分かりました!」
リーダー格の男は女性を仲間の一人にあずけ、指を鳴らしながら迫ってくる。ここまでくればあとはやるだけだ。やるしかない。男を見せるんだ、やるんだフート。
「いくぞオラァ!」
刹那、リーダー格の男が一気に距離を詰めてくる。俺はまず最初の一撃をよけて……。
「ガッ……ハッ……」
避けられなかった。体の中心部に強く、鈍い痛みが走った。
なんだ? 何が起きた? 顔面への一撃を避けようとした瞬間、強烈な一撃が腹部へと炸裂した。
全く見えない。捕らえきれなかった。
「なっ……何が……」
「わりぃなぁ。俺ぁちっとキックボクシング齧ってんのよ。素人のガキが勝てると思うなよ?」
キックボクシング? なんだそれ。スキルか魔道具の一種か?
「オラ!もっと楽しませてくれよ!」
軽快にステップを踏むガタイの良い男。次の瞬間、追い付けない速さで視界の外へ消え……。
「ッウギィ……!」
俺の顎の下側を思い切り殴り上げた。脳が。脳が揺れる。思い切りのけぞる。そこへ更に。
「もう一発ッ!」
「ッ……!」
もう一度腹部へ強烈な一撃。内臓を直接殴られるみたいだ。頭のガードに気を取られ、完全に無防備だった腹部への一撃。意識が飛びそうだ。
脳を揺らされ、腹を押しつぶされて、急激な吐き気がこみ上げる。
「オエ゛ッ……オエエエエ!」
思わずうずくまって、胃の中身をぶちまけた。
なんだこれ。なんだこれ! なんだよこれ! 全然歯が立たないじゃないか! たった一人にこの有り様。やっぱり勝ち目なんて無かったのか!?
「おいおいもう終わりかぁ? ったく、だから言ったのに……。締まらねぇな」
「あれ、純ちゃんもういいの?」
「あぁ。こんなザコ殴っても仕方ねぇ。もう歯向かう気もねぇだろ」
「ふ~ん。じゃあ俺がトドメ刺しちゃっていい?」
「好きにしろよ」
「やりぃ!」
トドメ……? 殺す気か……?
「ゲホッ……グッ……」
また殺されるわけにはいかない。もうあんな思いはごめんだ。
「やめて! その人は関係ないでしょ!?」
「大丈夫、殺しはしねぇよ。ただな。俺らに歯向かった代償がこれぐらいで済むと舐められちゃあ困るわけよ」
黒髪長髪の男が、リーダー格の男とバトンタッチして近づいてくる。表情を見る余裕はな
い。だが、悪魔のような笑みを浮かべていることは確かだ。
ヒヒヒと笑いながらカツカツと足音を鳴らし、腹を抱えてうずくまる俺の横に立つ。
そして……。
「ぐぎぇっ……!」
横腹。横腹だ。腕の隙間から覗く横腹を、容赦なく蹴り上げられた。
「オ、オエエッ! ……ハァ、ハァ……」
もう胃には何も残っていない。胃液も全部吐き出した。それでも体は何かを吐き出そうとして、思い切りせき込む。
「ガハッ、ゲホッ……ゴッッホッ……」
蹴り飛ばされ、横たわり、激しくせき込む俺に長髪の男が再び近づいてくる。
「ひっ……」
思わず頭とお腹を抱えて丸くなった。情けない。情けないが、致し方ない。
首とお腹に力を入れて、蹴られても出来るだけ痛くないように構える。これ以上の苦しみから逃れるために。出来る限り体を丸め硬くする。
そんな俺を長髪の男は、ゴミを見るような目で見降ろす。彼は俺の横にしゃがみ込み、俺の髪の毛を掴み、思い切り引っ張り上げる。あまりの痛みに、俺は顔を上げるしかない。
「いいか? 俺らに歯向かうってのはこういうことだ。 よく覚えておくんだな」
「グッ……」
「返事はどうしたァ!」
ガン!と思い切り地面にたたきつけられた。痛い。硬い地面が思い切り頬骨を殴りつけた。痛い。滅茶苦茶痛い。自分の吐いた胃液に叩きつけられ、裂けた頬の傷にそれが染みる。痛い……。汚い……。痛い!
「おい、頭はやめておけ」
「へっ、このくらいで死にはしねぇさ」
リーダー格の男が長髪を諫める。ありがたい。正直ありがたい。もうこんな思いはしたくない!
「これに懲りたら二度と歯向かうんじゃねぇぞ、ヒーロー気取り君。 ……さ、俺らはこれから一緒に楽しもうか」
男たちは気が済んだのかこの場を去ろうとする。心優しい女性も、あまりの有り様に抵抗できそうにない。怯えた顔で引っ張られていく。完全に俺のせいだ。余計なことをしたから、女性の抵抗する気力すら奪ってしまった。
やっぱり、立ち入るべきじゃ無かった……。
(あーあ。ダメじゃんフート君。戦いにすらなってないよ。ちょっと弱すぎない?)
うるさい。黙ってろ……。
(このままじゃ連れてかれちゃうよ? いいの?)
ダメだ。ダメだよ。分かってる。分かってるさ!
でも、だって、どうにも出来ないじゃないか……。一撃も相手に与えられなかった。かないっこないじゃないか……。なんだよキックなんとかって……。聞いてないよ……。
俺はただ、去っていく奴らを睨むことしか……。
うずくまりながら去っていく彼らに目を向ける。
そのとき、連れられていく女性と目があった。
――絶望の瞳。どうにもならないことは分かっているが、希望にすがろうとする瞳。俺が助けたあの少女の瞳が思い出される。
生を諦め、死を望む漆黒の瞳。映るものすべてが無意味に見えているような、そんな、暗く深い闇を宿した瞳……。
心優しき女性の目は、少しずつその目に近づいている。徐々に光を失い、俺という希望に縋ることを諦め、これから起こる凄惨な未来を受け入れようとしている……。
頭の中に、強烈なあの一文が蘇ってくる。
「――どうして死なせてくれないの」
ダメだ。そんなのはダメだ。絶対に言わせちゃいけない。死にたいだなんて思ってほしくない。
危険な場所に眠る俺を起こし、安全圏まで導いてくれたあの人を。美しい顔で笑いかけて、助けてくれたあの人を。
同じ気持ちにさせてはいけない……!
「…………待てッ!!!」
立ち上がる他にないじゃないか……。 ここで、今やらなきゃ、なんの為に助けに入ったんだフート! それにまだ秘策がある……。一度も使ってない、ゴミスキル『招き猫』……。これに懸ける道が、まだ残されている!
「ま……まだだ……まだ終わっちゃいないぞ!」
痛みに支配されそうな心を奮い立て、震える脚を押さえつけて立ち上がる。
ここが、天国と地獄の分かれ道だ……っ!