英雄
ハリソンは床に寝そべり、部屋の上の方に取り付けられている小さな窓から空を見ていた。薄いすじ状の雲が空の高いところに浮かび、空は少しかすみを帯びながらも、その青さを誇るように四角い窓いっぱいに、暗い部屋とのコントラストを描いた。外からは、学校の鼓笛隊の音楽がリズムよく聞こえてくる。部屋の外に植えられた木の葉っぱは、乾いた風に吹かれて爽やかな音楽を奏で、その音と風がゆっくりと窓から入り、そっとハリソンの体を包む。なんていい気持ちなのだろうか。ハリソンは五月の草原にいる自分を想像し、静かに目を閉じた。
「現憲法を改正し、我が国は全ての戦争を放棄し、武器を捨て、永久に中立国家の立場を取るとともに、話し合いによる世界平和の実現を目指すものとする」それは二年前に大統領が高らかに宣言した言葉だ。広場に集まった国民はいっせいに歓声を上げ、平和憲法の制定を喜んだ。大学に入学したばかりのハリソンもその歓声の中に身を浸し、自分も一緒になって大声で歓喜の声を上げていた。
もちろん、反対意見がなかった訳ではない。スイスは中立を保っているが武器を捨てた訳ではなく、いざという時には国民が家庭に配置された武器を取って戦うシステムになっており、決して武力を放棄したのではない。自分の国を守るための軍事力は最低限必要である。といった意見があったのも事実だ。しかし、そういった声はマスコミや国民の大きな流れの中に飲み込まれてしまった。
憲法が改正されて、国民はつかの間の平和に浸っていた。三方を海に接し、北に面した隣国との関係も良好で、この国には永久に戦争など起こるはずはない。我が国は世界に先がけて平和憲法を制定した。そして、これからはこの小さい国が世界の模範となって、話し合いにより紛争や諸々の問題を解決し、世界平和をリードしていくのだ。国民はそう信じていた。もちろんハリソン自身もそう考えていた。
憲法が改正されて一年程経ったある夏の朝。ハリソンはいつものようにパンをコーヒーで胃袋に流し込んでいた。
「ザーザー」朝食を食べながらハリソンが新聞を読んでいると、突然テレビから雑音が聞こえ画面は砂の嵐になった。ハリソンはリモコンのボタンを押してあちこちチャンネルを変えてみたが、どこのチャンネルも同じ状態だった。まったく、不良品を売りつけやがって、あの電気屋に文句を言ってやる。ぶつぶつ言いながら、ハリソンが電気屋の電話番号を電話帳で調べていると、急にテレビの画面が元に戻った。しかし、そこにはネクタイを締め髪を短く切ったいつものアナウンサーではなく、ベレー帽を被り迷彩服を着た、いかつい男が映っていた。
「私はダグラス大佐だ。この国は私の軍隊が制圧した。現憲法を停止し、これからは私がこの国の憲法だ。この放送が終了次第、戒厳令を敷く。市民は許可があるまで外に出てはいけない。もし、外に出るものがいたら反乱分子とみなし警告なしに射殺する」ハリソンは、最初はその話を信じられず、チャンネルを何回も変えた。しかし、どこのチャンネルも同じ男が同じ内容を話していた。何度か同じ話を繰り返すと、男は、「以上である」と言ってテレビから姿を消した。そして、テレビの画面はまた砂嵐になった。
ハリソンは電気屋に電話を掛けた。テレビのことで文句を言うためではない、とにかく、今の話は嘘であって欲しい、いや、もしかしたら映画のワンシーンを間違えて放送してしまったのかも知れない。きっとそうに違いない。それを誰かに確認したかったのだ。しかし、電話はうんともすんとも言わなかった。実家や友達にも電話を掛けたが同じだった。携帯もつながらなかったし、ネットにも接続することが出来なかった。不安になったハリソンは窓から外を見た。見慣れた通りには銃を持った兵士がうろついていた。「さっきの話は本当だったのか!」ハリソンが、窓から右目だけ出して兵士がアパートの前を通り過ぎるのを見ていると、ジョギングから帰ってきたアパートの隣の部屋に住む男性が兵士に捕まった。ハリソンは、一瞬、やばいと思った。しかし、兵士は男性を数回殴ると、大声でなにか叫んだだけで解放した。男性は殴られた顔を抑えてアパートに逃げ帰った。「良かった」ハリソンは部屋の中で呟いた。兵士がいなくなるのを待って、ハリソンは隣の部屋をノックした。
「隣のものです、開けて下さい」男性はそっとドアを開けた。「すみません、ちょっといいですか」とハリソンが言うと、男性は顔を引きつらせたまま頷いた。
「一体なにがあったんだ」マイケルと言うハリソンとは別の大学に行っている隣の住人は、青ざめた顔でうなだれていた。ハリソンはさっきのテレビの話をした。
「信じられない」マイケルは何度も何度もそう言って首を振った。
「僕も信じられないさ。でも、今の兵士を見ていると、信じたくなくても、信じるしかない」
「一体、この国はどうなるんだ」マイケルはすがるような目でハリソンを見た。しかし、ハリソンにもそれは分からないし、それを知りたいのはハリソンも同じだ。それから二人は部屋で下を向いてずっと黙り込んでしまった。
翌日の朝、これからテレビを見るようにと、街宣車が大きな音で何度も繰り返した。外に兵士がいないことを確認し、ハリソンはマイケルの部屋に行った。一人でテレビを見るなんて出来ない程、不安でたまらなかったからだ。マイケルも同じ気持ちだったようで。どことなくほっした顔でハリソンを部屋に入れた。しばらくすると、テレビにダグラス大佐が映った。
「私はダグラス大佐だ。私は国家権力の全てを掌握し、この国の大統領になった。これからは私に忠誠を誓うのだ。そして、共に力を合わせて、我が国を発展させようではないか」ダグラス大佐は、声高らかに、身振りも大げさに叫んだ。
少し間を置いて、今度は落ち着いた口調でダグラス大佐は話し始めた。「残念なことに、大統領である私に対し忠誠を誓わない人物がいた。新しい国家の誕生を喜んでいない人物がいたのだ。私は、彼に考えを改めるよう何度も説得を試みた。しかし、彼は頑として私の説得を受け入れなかった。彼のその態度は気高く、何事にも屈しない意思の強さを感じさせるものだった。だが、彼は過った判断をした。我が国が発展するために必要なのは、そんなちっぽけな正義感ではない。私に対する忠誠こそが、この国の未来には必要なのだ。私は、その誇り高い男を断腸の思いで罰することにした」
すっと画面が切り替わり、国会前広場の広葉樹にくくりつけられている男が映し出された。その男は、恐怖に顔は引きつり、目は落ち着きなく上下左右を漂っていた。それは見たことのない男だった。画面が引かれると、銃を構えた兵士の後ろ姿が見えた。五人の兵士はその男に照準を合わせている。右端にいた兵士が旗を振り下ろすと同時に銃声がした。その哀れな男はがくっと首を垂れ、ぴくりとも動かなくなった。
また画面が切り替わった。「不幸は繰り返してはならない。私は、全ての国民が、大統領である私に忠誠を誓うのを切に願っている」ダグラス大佐が手で十字を切ったところでテレビの映像は途絶えた。
ハリソンとマイケルは顔を見合わせた。二人とも渋い表情をして首を左右に振ることしか出来なかった。射殺された男は、見せしめのために殺されたのだろう。その辺にいた人間を連れてきたに違いない。つまり、このセレモニーを演出するためなら誰でもよかったということだ。
ハリソンは、平和だったこの国を自分の欲望だけで操ろうとしているダグラス大佐に対して怒りを覚えた。腹の底で煮えたぎった怒りは、胃を通り越し口から飛び出した。「ぶっ殺してやる!」。マイケルはハリソンを見た。兵士に殴られたマイケルのまぶたは腫れ上がったままだったが、その奥にある目はハリソンと同じ思いを写していた。二人はお互いの目を見て黙って頷いた。昨日初めて話した仲だったが、同じ目的を持った二人は時間を飛び越して固い絆で結ばれた。
しばらくすると、国民の生活も通常通りに戻った。大学の授業も再開し、店の前にも商品が並べられ、朝は仕事や学校に向かう人達が通りを埋め尽くした。変わった事といえば、税金が異常に高くなり、銃を持った兵士が通りで国民を監視するようになったことだ。テレビは一切の番組がなくなって、ダグラス大佐がいかに素晴しい人物であるかを延々と流すようになり、学校の授業でも、それがカリキュラムに入れられるようになった。一日一回のニュースは、顔写真入りで今日逮捕された反乱分子は何名、処刑何名ということしか放送しなくなった。
ハリソンとマイケルは、極端に情報がシャットアウトされた状況の中で、地道に情報を収集した。しかし、無作為に電話や携帯が盗聴され、ネットのメールも同様に監視されている状況下での情報収集は困難を極めた。時には危険な目にも遭ったが、それでも正義感に燃えていた二人は、それを止めることは考えもしなかった。そして、ダグラス大佐は、大佐とは名ばかりで、実は、某国で詐欺師として服役したことのある人間だと分かった。刑務所から出ると傭兵を雇いこの国を乗っ取ったのだ。武力を持たないこの国を乗っ取るのは簡単なことだっただろう。警察は拳銃やライフル程度は持っていたが、本格的に装備した軍隊にかなうはずもない。当然、ダグラス大佐には金などある訳はなく、俺について来れば、一生いい思いをさせてやるぞ、とでも言ってうまく傭兵を丸め込んだのだろう。確かに、この国を乗っ取った傭兵はいい思いをしているだろうから、それはうそではない。傭兵にとってダグラス大佐は詐欺師ではなく、金持ちのパトロンに見えているに違いない。他にも、この国の大統領や、国会議員、高級官僚は事前にダグラス大佐が軍隊を率いてやってくるとの情報を得て、隣国に亡命し、国連を通じてこの事態を収拾しようと、各国に働きかけていることが分かった。
ハリソンとマイケルのように、地下で活動している人間もいるようだが、横の連絡を取るのは困難だった。下手に動いて、芋づる式に逮捕される可能性もある。そこで、ハリソンとマイケルは各個撃破作戦を取ることにした。この国にいる傭兵はおよそ五百人。しかし、指揮系統はばらばらで、それぞれが勝手に動いているのが分かったからだ。それに、自分達が立ち上がることにより、それぞれ個別に活動している同士がいっせいに立ち上がることも考えられる。
しかし、問題はどうやって傭兵をやっつけるかだ。ハリソンとマイケルは銃を持ったこともなければ、目の前に銃があってもどうやって弾丸を装填するか分からない。しかも、銃をどこで手に入れたらいいのか。二人は知恵を出し合った。そして、二人が導き出した答えは、ゲリラ戦法で通りに立っている傭兵を一人づつ片付けていこうということだった。
ハリソンは建物二階のトイレの影でガソリンの入った袋を持ち傭兵が来るのを待っていた。しばらくすると二人の傭兵がやってきた。ハリソンは向かいのビルのマイケルと目を合わせた。マイケルは力強く頷いた。ハリソンは二人の傭兵目掛けてガソリンの入った袋を投げつけた。傭兵に当たった袋は破けて、傭兵はガソリンまみれになった。それと同時に向かいのビルからマイケルが火炎瓶を投げた。火炎瓶は地面に叩きつけられると勢い良く燃え広がり、その火は傭兵に燃え移った。傭兵は道路を転げまわった、そして、断末魔の叫び声を上げると息絶えた。ハリソンは向かいのビルにいたマイケルを見た。マイケルは右手をぎゅっと握りしめハリソンに見せた。他にも、点火装置をつけたラジコンカーを傭兵に体当たりさせたり、毒を塗った矢を吹き矢で吹いたり、二人は考えられるゲリラ戦術を全て駆使した。
二人のゲリラ戦術が成功し、傭兵の顔に緊張感が漂い始めた頃、ハリソンとマイケルは通りに一枚の紙を落とした。それもなるべく目立つように。ハリソンとマイケルは一つ目の角を曲がり立ち止まった。そして、建物の陰から様子を伺った。二人の傭兵がやってきた。一人の傭兵は無線でなにか話しており、もう一人の傭兵は辺りを警戒していた。警戒していた傭兵が二人の落とした紙を見つけて取り上げた。それを見て驚いた顔をした傭兵は、無線機をポケットにしまっている傭兵にその紙を見せた。その傭兵も驚いた顔をして、また、無線を取り出し何か話し始めた。
「反乱分子の仕業に見せかけて、やつらを葬りさる作戦は順調にいっている。あいつらはもう用済みだ。今度は一気に肩をつけようと思う。これで、この国はお前らの部隊と俺達のものだ。くれぐれも失敗することのないように、作戦を遂行してくれ」二人は傭兵同士の内紛を引き起こそうと、そう書いてある紙を落としたのだ。
次の日は朝からあちこちで銃声が聞こえた。ハリソンが双眼鏡でその様子を見てみると、傭兵たちは内輪もめを起こして互いの部隊を攻撃していた。
「よし、行こう!」ハリソンとマイケルは力強くドアを開け、ダグラス大佐のいる国会を目指した。途中、死亡した傭兵から拳銃を奪い、銃撃戦に巻き込まれないように建物の影に隠れ、下水も通りながら国会にたどりついた。物陰から内部を伺ったが内部からは人の気配は感じられなかった。しかし、どこに傭兵が隠れているか分からない。じっとりと汗をかき、息を十分に吸い込むことも出来ないくらいに緊張しながら二人は国会の中に入った。しかし、傭兵の姿もダグラス大佐の姿も見えなかった。おそらく傭兵は、それぞれの部隊へ行って戦っているのだろう。利害が一致している時には見方だが、所詮は欲に目がくらんだ烏合の衆だ。ダグラス大佐などかまっていられないのだろう。ではダグラス大佐はどこにいるのだ。二人は国会の案内図を見た。そして、大統領の執務室を目指すことにした。
一番奥に大統領執務室はあった。二人は中の様子を伺ったが物音一つしない。ハリソンは目をつぶり神に祈った。そして、執務室のドアを足で思い切り蹴飛ばした。大きな音と共にドアは開いた。しかし、そこには誰の姿も見えなかった。二人は拳銃を構えながら執務室に入った。扉の陰、高級なウイスキーが並んでいる棚の後ろ、全て調べたがダグラス大佐はいなかった。最後に残ったのは大きな茶色の机の下だ。二人はそーっとその机に近づいた。そして、机の下で小さくなっているダグラス大佐を見つけた。
「出ろ!」マイケルが怒鳴った。ダグラス大佐はハリソンとマイケルの顔を交互に見ながら、手を上げてゆっくりと立ち上がった。
「お前たちは何者だ」ダグラス大佐が顔を引きつらせながら言った。
「お前のようなくずに名乗る必要はない。どうせお前はここで死ぬんだ」マイケルが拳銃をダグラスに向けた。
「待ってくれ。俺が悪いんじゃない。俺はあいつらに担がれただけなんだ。本当だ」ダグラス大佐は額に大粒の汗を浮かべた。
「そんな話を信じるものか。ハリソンお前は信じるか?」マイケルはダグラス大佐から目を離さずにハリソンに聞いた。
「信じないさ。お前は、自分の欲望を満たすためだけに、この国を乗っ取った。そして、無実の人間を何人も殺したんだ。今更、そんな言い訳を言っても無駄だ」ハリソンがマイケルの脇に立ち、ダグラス大佐に銃を向けた時、流れ弾が執務室の窓をつきやぶりハリソンの左足をかすめた。ハリソンは「うっ!」とうめき声を上げた。マイケルがハリソンに目を向けた瞬間、ダグラス大佐は横に飛びポケットから銃を取り出し、マイケルに向けて引き金を引いた。同時にマイケルも体を横に向け引き金を引いた。乾いた音が執務室に響き渡った。マイケルはそのまま後ろに倒れた。ダグラス大佐も腹を撃たれて床に倒れていたが、歯をくいしばり鬼のような形相でハリソンに拳銃を向けた。ハリソンは横にステップして銃口から体をそらすと、ダグラス大佐に向けて銃弾を発射した。銃弾はダグラス大佐の頭部に命中、ダグラス大佐はうめき声をあげることもなくその場で動かなくなった。
「マイケル!しっかりしろマイケル!」ハリソンはマイケルの体を抱え起こした。マイケルはハリソンを見た。
「あいつは?」マイケルは苦しい息をしながらハリソンに聞いた。
「あいつは死んだよ」
「そうか、死んだか。これでこの国は救われるんだな」そう言うと半開きのマイケルの目は、視線が泳ぎ始めた。「ハリソン、悪いが水をくれないか」マイケルは静かに言った。
「分かった。待ってろよ」ハリソンは高級ウイスキーの脇にあるミネラルウォーターを取りマイケルの側に行った。
「ほら、マイケル、水だ。マイケル?・・・マイケル!」静かに眠っているような顔をしているマイケルの目は二度と開くことはなかった。ハリソンはマイケルの体を仰向けにし、手を胸の前で組ませた。ハリソンは立ち上がり、マイケルを見ながら言った。「マイケル。お前はこの国の英雄だ」
ハリソンは、傭兵の死体がごろごろしている通りを通って、テレビ局に向かった。さっきより銃声はだいぶ静かになり、ところどころで散発的に聞こえるだけになった。
テレビ局にも人の姿はなかった。しかし、地下の倉庫に行くとテレビ局のスタッフと思われる人間が五六名身を隠しているのを見つけた。
「あなた達は、ここのテレビ局の人ですか?」ハリソンが聞いた。
「ええ、そうです」年長のヒゲを生やした人間が答えた。
「それじゃ、今、テレビを放映することも出来ますね?」
「ええ、一応出来ますけど・・・」
「それじゃ、これからダグラス大佐は死んだ、とニュースを放送して下さい」
「ダグラス大佐が死んだのですか」そこにいた全員が驚いた顔をした。「そうです、ダグラス大佐は、さっき死にました」それを聞くと、スタッフは首を左右に動かして顔を見合わせた。
「早く、放送して下さい!」ハリソンは怒鳴った。
「しかし、それが事実と分からないと・・・」
「早く放送しろと言ってるんだ!」いらいらしたハリソンは拳銃をスタッフに向けた。
「分かりましたから、落ち着いて下さい。今、準備しますので」スタッフは両手を上げながら言った。
ハリソンとスタッフはスタジオに向かった。そして、ハリソンはいつもニュースキャスターが座っている椅子に座った。スタッフが合図をするとハリソンは話し始めた。
「国民の皆さん。ダグラス大佐は死にました。この国を恐怖に陥れた独裁者は死んだのです。今、ダグラス大佐と一緒にこの国の平和を奪った傭兵達も、内輪もめを起こし、殺し合いをしています。皆さん!今こそ立ち上がりましょう。この国に平和を取り戻しましょう!」ハリソンは何度も何度も同じ言葉を繰り返した。
放送を終え、スタッフとハリソンがテレビ局から外を見ていると、人々が大声を出しながら集まってきて、通りを埋めつくした。生き残っていた傭兵は、多くの国民に取り囲まれ、恐れをなし次々に捕らえられた。それを見てハリソンは窓の近くにあった椅子に腰掛けて「はー」と深いため息をついた。
「君の話は本当だったようだな」スタッフが声を掛けた。ハリソンは黙って頷いた。「さっきは悪かったよ。でも、すぐには信じられなかったんだ」ヒゲを生やしたスタッフが謝った。
「いいんですよ。僕も拳銃を使って脅したりして、すみませんでした」
「もしかして、君がダグラス大佐を殺したのかい?」
「正確には、僕達です」
「仲間はどこにいるの?」女性スタッフが聞いた。
「死にました」
「そう・・・でも、その人達もきっと天国でこの光景を見ていることでしょうね」
「いえ、仲間は一人だけです。マイケルは本当にいい奴でした。この国に平和を取り戻したい。いつもそう言ってました。あいつの笑顔が目に浮かぶようです」ハリソンはそう言って目に涙を浮かべた。
「じゃあ、君とそのマイケルの二人で、ダグラス大佐を殺したの?」
「そうです」ハリソンは頷いた。
ハリソンは、また普通の生活に戻っていた。マイケルが住んでいたアパートの隣の部屋にも別の大学生が住むようになった。ハリソンは今日から夏休みということもあって、目覚まし時計をいつもより遅い時間にセットしていたが、早朝から玄関のチャイムに起こされてしまった。誰だこんな朝早くから。ハリソンは寝癖のついた頭を手でなでつけ玄関を開けた。そこには背広を着た強面の男が三人立っていた。そして、ハリソンはこの部屋に閉じ込められたのだ。
ハリソンが爽やかな風に包まれていると、それをびりびりと破るようにこつこつと足音が聞こえた。かちゃかちゃと鍵を開ける音が聞こえ鉄の扉が開いた。「これから刑を執行します」。その声を聞いてハリソンはゆっくりと立ち上がった。刑場に向かって歩きながら、ハリソンは裁判官の言葉を思い出していた。
「我が国は平和憲法を制定し、話し合いによる問題解決を一番に掲げていた。しかし、被告は、危険物取扱法違反、薬事法違反、銃刀法違反を犯しただけでなく、同行使により外国人を多数殺害し、さらに国民を扇動した罪は許しがたい。よって、被告を死刑に処す。法治国家である我が国では、被告の罪は重罪である。例外は認められない」一審で、われ先に隣国へ逃げ出した裁判官にそう言われて、ハリソンは最初こそ、ダグラス大佐に対する怒り以上のものを覚えた。マスコミも世論もハリソンを擁護したが、二審でも同じ判決が出た時には、ハリソンはもう諦めた。ただ、自分が命を掛けてまで守り通したものは一体何だったのか、この国の平和だったのか、国民なのか、それともこの国の体制だったのか、それとも自分自身なのか、それを思うとやりきれない寂しさがハリソンを襲った。最終審でも結果は変わらなかった。もうハリソンは何も言わなかった。
刑場で、執行官が申し訳ない顔でハリソンに言った。「すまない。生き残った傭兵のことなんだが・・・」
「外国人を死刑にする法律はない。従って、全員国外退去処分とする。ということですね」ハリソンは執行官が全て言い終わる前に話した。執行官は黙って頷いた。
ハリソンの首に麻縄が巻かれた。「我が国の英雄に対して敬礼!」と声が聞こえると、刑場にいた執行官全員がハリソンに対して敬礼をした。それを見てハリソンは静かに目を閉じた。