26.秘め事
(どういうことなの……?)
室の外、遠からずの距離にある柱の陰に身を潜ませて、夏蓮は様子を窺っていた。
あの男が、いったい何を知っているのかはわからない。けれど、決して自分に良い感情を抱いていないことだけは確かにわかった。
妃の第一の役目は、御子を生み参らせることである。
だというのに、その兆しはない。そもそも閨を共にすらしていないのだから当然なのだが、そんなこと想像もしていないだろう男にとって、夏蓮は不適合と思えて仕方がないのだろう。
だが、「兄君たちとは違う」とはどういうことだろうか。
性格だとかなら夏蓮にも頷ける。
しかし男が口にするそれは、どうして意味合いが違うように思えてならなかった。
そっと、夏蓮に触れる手があった。
飛び上がって後ろを振り返れば、険しい面持ちで忍ぶ鳳泉。それにほっとしたのは束の間のことで、鳳泉は限界まで潜めた厳しい声音で語りかけた。
「感づかれる前に、お早く。私一人では御身をお守り申しあげること、確約致しかねます」
誰から、と問うことは、ついに叶わなかった。
手をひかれるまま、人目を避けて回廊を抜け、しばらく籠りきっていた室への途を辿る。
その間も、彼女は鬼気迫るといった風で、常に周囲を警戒していた。
鳳泉がようやく肩の力を抜いたのは、完全に室に収まってからだった。
「夏蓮様、本当にご無事で何よりでございます」
心配致しました、と麗しい顔を切なくさせる彼女にわずかならぬ罪悪感がこみ上げる。
「心配させて、ごめんなさい。…………ねえ鳳泉、いったい何が起きているの?」
教えてちょうだい、と願うと、鳳泉は幾許かの逡巡の後、空しく首を振った。
「私の口からは申し上げられません」
「じゃあ誰なら答えてくれるの!?」
「…………皇子でしたら、あるいは」
またか。
夏蓮はふつふつと熱くなるのを自覚した。
いつもいつも、皇子皇子皇子。なんでもかんでも、皇子が決めつけて従わせてくる。弄ぶ。
「――わたしは、人形じゃないのよ……」
「夏蓮様……」
言っても無駄なことは分かっている。そう言いながらも、自分一人では何もできないのだから。
それでも、話だけでも聞かせてほしいと思うのは、間違っているだろうか。
気遣わしげに見る鳳泉に、悲しく微笑む。
「本当、大っ嫌いよ。あんな最低最悪の背君なんて、大っ嫌い」
一人で全部抱え込むこと、ないじゃない。
響く声音は寂しく、切なく、やるせなさが滲んでいて。それと同時に、甘やかな色も孕んでいた。
「――でしたら。いつか、思いっきり文句の十や二十、申し上げてやりましょう」
冗談めかす彼女に、夏蓮の気持ちも俄かに浮上して、ようやくくすりと、明るい笑いが零れ出た。
「あら、だめよ。十、二十だなんて、とんでもない。百を言ったって全然言い足らないわ」
楽しそうに話す彼女に、鳳泉も、そうですわね、と賛同してくすくす笑った。
「ですが、気が向きましたら、皇子の弁明も聞いて差し上げてくださいませね」
「ええ? うーん、本当は嫌だけど、他でもない鳳泉のお願いだものね。……でも、本当に気が向いたらよ?」
「ええ、気が向いた時に」
にっこりと彼女は頷いた。それから、まだ何も食べていないことに気づかされた。
「もう昼餉も近いですから、軽食を用意させましょう。ご希望のものはございますか?」
「お饅頭……って言いたいところだけど、今から作るには時間がかかるものねぇ」
しかしそれ以外に思い浮かぶものもなく、結局は鳳泉に任せることになった。
せっかくだから茶の準備もすると言って退室され、ひとり取り残された室で夏蓮は寝台に身を放り投げる。
日中でも薄暗いはずの室は、気分が明るいからか普段と違って見えた。
「お生憎様、わたしもなかなか強情なのよ」
挑むように独り言ちて、目蓋をおろす。走るという行動は思いのほか疲労を蓄積させていた。
負けない。負けるもんですか、絶対に。
敵が誰かなんて知りもしないけれど、心でだけはそう決めた。




