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14.書庫での遭遇

「春鈴。書庫に行くので、少し付き合ってもらえますか?」


 息抜きも兼ねて、と誘いをかけた夏蓮に、春鈴は二つ返事で頷いた。

 鳳泉や姚佳と何処かへ行く時は彼女たちが先導するのだが、まだ後宮の地理に詳しくない春鈴は物珍しそうにあちこちに視線を投げながら夏蓮の後に付き従う。

 初々しい反応に「逸れないでくださいね」と揶揄いまじりに言うと、仔猫のように飛び上がったのがまた可愛らしくて顔も綻んだ。


「春鈴は見習いとして上がったのでしょう? やはり花嫁修業に?」

「はい。でも、私は八女であまり期待されていなくて……働きながら、いつか女官の試験を受けられるように勉強したいと思ったのです」


 自分で決めた目標を持って踏み出したのだ、と強い意志を持つ春鈴の目は、夏蓮にはとても眩しく見えた。


「頑張ってね。気の良い人が多いから、きっと親身になって教えてくれるわ」

「はい!」


 輝くような笑顔で頷いた春鈴に、夏蓮も自然と笑顔が浮かんだ。

 そうして、家族の話や、夏蓮の知らない女官同士での噂話などを話種に歩いていくと、書庫までの道程もあっという間だった。


「読んでいかれますか?」

「うーん、今日は返却と貸出だけにしておこうかしら。あまり室を空けていると、殿下が拗ねるのよ」


 子供でもないでしょうに、と溜息混じりに愚痴を零すと、春鈴は堪らず吹き出してしまい、慌てて口を手で覆った。


「いいじゃない、笑っても」

「夏蓮様は正妃様ですからそんなことが言えるんです! 私なんかがそんなことしようものなら、不敬罪でどんな目に遭うか……!!」


 女官になるためにも私はまだ死ぬわけにはいかないんです! と言い募られて、夏蓮は苦笑とともに「はいはい」と適当にあしらった。


 と、その時だ。


「あら? 随分と楽しげですわね」


 嫋やかな微笑とともに、個室から女性が現れた。絢爛な衣。豪奢な簪。

 薄衣を幾重にも重ねた目にも綾な衣装に身を包んだ女性は、色とりどりの宝石(いし)で彩った(かんざし)()している。美貌も相俟って、さながら天女のようだ。

 手には牡丹の花の描かれた扇。ほっそりとした手でそれを取り、柔らかな動作で口元へと運ぶ様は同性でも見惚れてしまうほど優雅だった。


(うわぁ、なんて美しい……)


 鳳泉の凛とした美しさとも、姚佳の花のような可憐さともまた違う、理性を蕩かせてしまうような美しさ。

 思わず見惚れてしまったが、はっと我に返った夏蓮は慌てて誤ちを詫びた。


「騒がしく致しまして申し訳ありません」

「あら、構いませんわ。それよりあなた方は、どちらの宮の方々ですの?」

「申し遅れました。第三皇子陵清翔殿下の正妃、円夏蓮と申します。隣は、私の許で行儀見習いをしております春鈴と申します。」

「第三皇子の……まあ、あなたが?」


 女性は微笑んでいた目を見開いて、それから改めて微笑した。


「懐かしいわ、鳳泉はお元気かしら?」

「は、……ええ、良く仕えてくれています。……失礼ですが、鳳泉とお知り合いですか?」

「あら、わたくしったら。失礼しました。私は(ちょう)媺苑(びえん)と申します。鳳泉には以前世話になりましたの」


 趙の家名を名乗った媺苑に、夏蓮は平静を装いながらも驚いていた。

 趙家は十公と呼ばれる、建国の折から皇室に仕える十氏族のうちの一つだ。

 家の格は夏蓮の生家円家とは比べ物にならない、誉れ高き家である。

 まさかこんなところで出会すとは思いもよらなかったが、第一皇子か第二皇子かの妻女なのかもしれない。


「ああ、わたくしはそろそろ失礼しますわね。お二人は、どうぞごゆっくり」

「お気遣いありがとうございます」


 見苦しくならぬよう、丁寧な所作で会釈する。夏蓮に続いて、春鈴も深く首を垂れた。


「また、お会い出来ましたらお茶でも致しましょう」


 媺苑は終始美しい微笑を崩すことなく、ささやかな衣擦れの音とともに書庫を去っていった。


「なんだか、優しそうなのに気迫のある方でしたね……」

「……本当、に。ああいうのを威厳って言うのかしらね」


 流石大貴族の姫君と言うべきか。夏蓮が溜息とも感嘆ともつかない息を吐く。

 本当なら媺苑を見習った方がいいのだろう。けれど、正直なところ、気は進まない。春鈴の手前だから威厳といったけれど、あれは威圧に近い気がした。


(もしかして、これから後宮に輿入れなさる、とか?)


 ありえない話ではない。

 媺苑は身分を名乗らなかった。夏蓮は身分も含めて名乗ったというのに。

 生家の家柄が劣ろうとも、第三皇子の正妃になった以上は夏蓮も皇室の人間である。皇室の人間でないならば、夏蓮を目上と扱うのが通例でありながら、媺苑はそうはしなかった。

 それは、媺苑が後宮入りを控えているからではないか?


 夏蓮は皇室の面々を思い出す。

 媺苑がもし本当に輿入れする場合、皇帝陛下に輿入れすることはありえない。貴妃とするには身分が高すぎる上、皇后陛下は十公の(おびと)である(りょう)家の出だ。建国当初から最も皇室に近い立ち位置で仕え、降嫁の記録も多い家の方を、正当な理由なく降格させるなどありえない。


 だとすると必然的に、三人の皇子のいずれかに、正妃として輿入れするということになる。

 夏蓮は背筋に冷たいものを感じた。


 順当に考えるならば、第一皇子の正妃だろう。けれど、彼の方にはすでに正妃がいる。家柄こそ趙家に劣るもののれっきとした上流貴族を生家に持つから、非の打ち所はない。


 第二皇子には、また正妃はいない。が、内定として(よう)家の姫君が挙げられている。楊家もまた十公に数えられる家だ。


 そして、残るは第三皇子。正妃は中流貴族の娘である、夏蓮。

 第三皇子に寵愛されているわけでもない、何かに特別秀でているわけでもない小娘など、降格するにも角は立たないだろう。


 妾妃として残されるか、もしかしたら後宮を辞することになるかもしれない。


(っは。何を今更)


 全身を襲う冷気を吹き飛ばすように、夏蓮は首を振った。

 実家に帰りたがっていたのはそもそも自分だ。不名誉な形ではあるが、後宮を辞せるなら願ったり叶ったりというもの。怖がる必要など無い。


 なのに、どうしてこうも胸の奥が騒めくのか。



「……夏蓮様? どうかなさいましたか?」

「……いいえ、何も。何を借りていこうかと、悩んでいただけよ」

「ああ、こんなにもたくさんありますからね、迷う気持ちもわかります」


 自分も何か借りていこうか、と無邪気に視線を走らせる春鈴に、少しずつ肩の力が抜けていく。

 夏蓮は小さく息を吐き、聳え立つ棚に手を伸ばした。

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