04話 はじめの一歩
「人間。お前は思い込みが激しいというか、時々ロマンチストだよな」
「もう殺して」
消え入りそうな僕の願いを、意地の悪い魔王さまがはやし立てる。
羞恥心などもう限界を超えている。真っ赤にゆだった顔は自分の者でないくらい熱く感じられた。
だいたい人の頭を勝手に覗くというのはどうかと思う。というか自分はこんなにもロマンチストな生き物だったのだろうか。
もういっそのこと、穴があったら入りたい。
それともさき程の意趣返しなのか。ニヤニヤと笑っては目の前で人間ごっこに興じ始める。
『生きるというのは、こ、こんなにも苦しくて、こんなにも愛おしいものだ、だなんてッぷふー』
「もういっそのこと殺せえええぇえぇええッ!!」
ジタバタする僕を見かねて、腹を抱えて大爆笑する魔王さま。
ヒーヒーと繰り返しては床に転がって、身をよじるようにして笑い転げる。
楽しそうで何よりですね。ボクはもう死にそうです。というか殺してください。
ヤカンのように頭から煙が立ち込めるが、それでもやっぱり僕は男だった。
目の前のチャンスにどうしても目が離せない。というか、どういう原理だ。ヒラヒラと宙を舞うスカートが絶妙な角度で邪魔をして、見えない。
なにが、というのは名誉のため伏せておこう。
「完璧に計算された動きに無駄などあるわけなかろうが、このムッツリめ」
「殺せ!! いまならどんなお仕置きが来たって死ねる自信がある。さあ一思いにサクッと」
「そんな真顔で言われてもな。第一、本人の望むことをやって何が魔王か」
よろよろと立ち上がる魔王さんは、目元の涙をぬぐいながらそれでも堪え切れない笑みを吹き出す形で、笑いつくした。
楽しそうなのはこっちとしても本当にうれしい。
それでもこっちはつい最近まで対人関係ゼロのボッチさんだったのだ。もうちょっと手加減してくれてもいいのではないだろうか。
「もう、ダレもシンジラレナイ」
真っ白に燃え尽きたよ。
このまま、砂になって消えたりしないかな、しないだろうな。
目尻から零れた涙をぬぐう魔王さまは、優雅にテーブルの上に腰かけると未だに痙攣するお腹を押さえて、苦しそうに呻いていた。
「まさか、死んでからここまで笑わせることになろうとはな」
クックックッと小さく口にのなかから洩れる声を楽しそうに噛み殺す魔王さま。
ああ楽しそうでいいですね、こっちは憤死しそうだっていうのに。
「心を閉ざすな閉ざすな。いい加減、読者も飽きてくるころだろうし話を進めんとな」
「さっきから気になってるけどなにを受信しておいでで?」
「人間のお前が気にする話ではない。害はないからまぁ安心しろ」
はぐらかされてしまった。
まぁ、おおよそ何を言っているのかなどわかるはずもないのはわかっていた。
何せ目の前にいる相手は、魔王さまなのだ。
本能からわかる通り、魂の格が違いすぎる。例え、人間がどれだけ肉体を改造しようと、魔王さまの得られる情報の百分の一も知ることはできないだろう。
テーブルに突っ伏しながらもそんなことを考えていると、改めて新しい紅茶に口をつける魔王さまに呼びかけられ、思わず背筋を伸ばした。
「ところで人間。お前はまだ見ぬものは好きか?」
「へ?」
ポンと話題が突然、遠くに行ってしまったような気がして思わず首をかしげて魔王さまを見上げた。
「何度も言わすな。お前はまだ見ぬものは好きかと聞いている」
そう言ってテーブルから飛び降り、緩やかな動きで椅子に座る魔王さまの表情はなぜかご機嫌な斜めだ。
一瞬、アイスクリームでも出したほうがいいかと言う考えが頭を過ぎるが、その思考は魔王さまのさっさと答えろ、と言う有無言わさぬ鋭い視線で消し飛んだ。
「ええっと、それは自分の知らない事って認識で?」
「そういった認識でいい。別に気取った答えは期待してないから、早く答えろ」
「そういうのは割と好きかな。漫画の続きが気になったり、次の展開はどうなるのかなんて夜も眠れない事もあったし」
「そうか」
魔王さまのような高貴な人にはわからないような感覚だと思ったが、意外に納得してくれたらしい。
静かに紅茶を啜るだけが響き、しばらくの静寂のあと。あれほど自信に満ち溢れた魔王さまの瞳が唐突に揺らいだ。
「わたしはな、その。そういうことを考えるのが好きなのだ」
語尾がドンドンと小さくなっていく。
なにか恥ずかしいのか視線をあちらこちらに飛ばす魔王さま。
ここまでわかりやすい動揺というか反応は初めて見た。あんなに凛とした雰囲気だった魔王さまが突然子供みたいに狼狽えだしたのだ。
あまりの変化に思わずこちらまで動揺してしまう。
それでも魔王さまにとっては勇気がいる話題だというのは、なんとなくだが把握できた。
雪以上に柔らかな肌が、ほんのりと紅潮していくのが見てとれる。
身体を小さく動かしては気まずそうに視線を逸らす。
その意外な姿に、微笑ましい半分、貴重なものが見れた半分くらいの気持ちが思いがけずに胸の内側からあふれていった。
コホンとわざとらしい咳払いが静寂を打ち、僕は慌てて姿勢を正す。
「お前は、その。自分が死んだあとのことを考えたことはあるか?」
「死んだあと?」
「ああ。自分の消えた世界に、興味はあるかと聞いている」
「……ああー、なんとなく言いたいことが分かった気がする」
言わんとしていること。何がそんなに恥ずかしいのかわかってしまった。
つまり、自分の死後。つまり敗北を前提にした戦いをしていたのが、魔王さまにとっては恥ずかしくて仕方ないらしい。
いや、魔王としてはそこそこギリギリアウトかもしれないが、保険という意味では別に責める道理はないのだろうか。
そんな事を考え顔を上げると、僕の思考を先読みするがごとく魔王さまはテーブルを揺らしてまで身を乗り出してきた。
まるで理解者を得た、そんな表情。
そのきめ細かい肌が、真っ赤な瞳が、希望に満ち溢れた光のように輝き放つさまを近くでマジマジ見せつけられ、激しく動揺する自分に驚いた。
そしてそれ以上に揺れる双丘が目の前に迫り、慌てて視線を逸らすが、頭上から降ってくる魔王さまらしからぬ拗ねたような声色に、またしても心臓が激しく高鳴った。
「おい、目を逸らすな。お前は本気でおかしくないと思っているのか。嘘ではないな? 私に誓えるか?」
「誓う、誓いますからちょっと離れて!? ラッキースケベの後は怖いって相場が決まってるから、お決まりのパターンだから!?」
「そうか!? そうなのか!? 昔、精霊王に相談したらあいつ『敗北前提に何言ってるんですか、どれだけ生き汚いんですか』なんて言われてな。それっきり誰にも相談できずにいたんだが――そうか、おかしい事ではないのか!!」
「わかった。わかりましたから!? とりあえず、落ち着いてください!! なんか空間が変なことになってますグニャグニャいってます!?」
思春期の子供じゃあるまいし慌てるようなことじゃないじゃん、とか小説の中で馬鹿にしてたけど、ごめんよ。いまならわかる。人間、思ってもみないハプニングには弱いらしい。
いまにも崩壊しそうなこの空間より、目の前の豊かな果実に目を奪われてしまうとは。男の性とは言え情けない。
少年時代ろくに他人と触れ合ってこなかったことがこんなところでしわ寄せが来る事になろうとは思いもしなかった。
無意識に頬が熱くなる自分が恨めしい。
それも横入りとはいえ、魂をかくまってくれている命の恩人に対してなんて、本当に死にたい。
幸いにも興奮している魔王さまにこの下世話な思考は読まれなかったようだ。
落ち着こうと何度か深呼吸を繰り返す魔王。
よく見れば、どこか遠い存在のはずなのに身近に感じるのだから不思議だ。
長い年月を生きてきた支配者というイメージよりかは、どこか子供っぽいところが抜け切れていない大人みたいな感じだ。
そんな人間臭い魔王さまの姿が少しだけおかしくて思わず小さく笑ってしまった。
「なにがおかしい?」
「いえ、なにも」
ジロリと睨まれたような気がして僕は、慌てて目を逸らす。
それでも、そんな強がりな一面を見れて嬉しいと思ってしまった自分がいるのだからやっぱり不思議だ。なにかの病気にでもかかったのだろうか。
いいや、それよりも今は考えなきゃいけないことがあるだろう。
余計な邪念を振り払うように頭を振り、それでも魔王さまを横目に眺めて、僕は僕なりの結論を導き出した。
それは確かに前線を鼓舞している魔王としては情けない話だ。
他人を前線に送り出しておきながら、自分は死ぬことを考えている。
魔王さまがどういった経緯で魔王になったのかは知らないが、それでも『魔王さま』自身は『その先のこと』に興味があっただけのことだ。
それに小説家なんてみんなそんなものだろう。
毎度、ありもしない幻想を妄想して、それを文字に書き起こして物語とする。
もしも自分が死んだら。
学校にテロリストが襲撃したら。
そんなことを授業中に考えてよく妄想したりするものだ。
別に、恥ずかしい話じゃない。
若干、落ち着いたのか咳ばらいを大きく一つ打ち、魔王さまは表情を引き締めてそっと唇を動かした。
「そういう訳で、私は知的好奇心を抑えられない。知りたければ全力で知らべなければ気が済まない。それが例え、自分の『終わり』であり『その向こう側の世界』であってもだ」
「まぁ、わからなくもないかな。知りたくないと言えばうそになりますもんね」
死ぬのが怖くないから、というわけではきっとないのだろう。
ただ単純に知りたくなったから。それだけの理由で、転生体まで作ってしまうのだから、その思いはじゅうぶん尊敬に値する行いだ。
実際、自分が死んだら周りが悲しむだろうとか答えの出ない妄想を繰り返している時期もあった。
であれば、ボクが魔王さまを責めることなどできるはずもない。
しかも彼女の場合、必ず誰かの命が付いて回るのだ。自分一人の命で終わるボクと違い、自分の死が前提の目的ということは、それまで自分に尽くしてきた誰かの死を侮辱するに等しい行為だ。
だからあんなにも、顔を真っ赤にして恥を忍んで訊ねているのだ。
死後の世界に興味はないかと。
「……理解に感謝する」
そう静かに言われて、僕は慌てて首を振った。
「いや、気付かないでこっちも配慮が足りませんでした。なにぶん、まだ魔王さまが魔王やってたなんて想像もつかなくて」
「それは馬鹿にしているのか? うん? ……まぁいい。とにかく私がこの転生体を作ったのは自分の死後の世界を見たいがためだ」
それならば、ぼくは邪魔でしかないだろう。
話を聞く限り、一つの身体に二人の魂はいらないらしい。
魔王さまが作ったこの身体も、本来は魔王さまのものなのだ。誰かに乗っ取られる、または横入りされるなど考えてもみなかっただろう。
でなければ、わざわざ僕の魂に介入することはない。
興味がわいたということなら、話は別だろうが、それでもこんな脆弱な人間に時間を割く理由などない。
余計な魂があるせいで体が動かないのなら、その余計なものを焼き切ればいい。
余計な魂が邪魔なら、それこそ消してしまえばいい。
ぼく自身、大人しく消えることに未練はないし、後悔もない。
生前、生きていたころ以上の喜びをもう貰ったから。
「何を早とちりしている人間。話は終わっていないぞ。だから私は先ほど聞いたのだ。『生きたいか』と」
目蓋をしばたかせ、脳が理解するまでに時間がかかった。
魔王さまの言葉、それはすなわち――生きれるということ?
「人間。お前はさきほど『できることなら生きたい』。そういったな」
「魔王さまの邪魔にならないのであれば」
「馬鹿者。他人に自分の生き死にをゆだねるな。……お前は生きたい、ならばここがどこだかわかって、そう言っているのか?」
それは、どういう意味だろう。
思わず首をかしげると、魔王さまは手に持っていたティーカップを置き、静かにそっと息を吐く。
「転生した、とさっきも言った通り、ここはおそらくお前の知る世界ではないだろう。私の世界、すなわち私が死んでから後の世界ということになる」
それはつまり、僕からしてみれば『異世界』に転生しているということに他ならないということか。
日常の風景も、常識も全く異なる世界で、それでも生きたいのか。魔王さまはとそう問いかけているのだ。
「そうだ。何の力もない人間が私の知る世界で生きられるとは到底思えないし、そうでないかもしれない。そのうえで聞いている。お前は生きたいのか、と」
異世界に行きたいと願う人であれば、二つ返事で答えるような問い掛け。
だけれど、非日常を夢想しながらも現実に縛られて生きてきた僕からすれば、それはどれだけリスクのある問い掛けかよくわかっている。
見知らぬ土地で、見知らぬ人とゼロから関係を作っていく。
生前の僕なら考えられないくらいの恐怖だ。
「僕の魂がこの身体に存在しても、動くんですか?」
「いいや。これも言ったが元々、私が死んだときに使うために作った私の身体だ。二人の魂を内包して動くようには作っていない。二つの意識が身体を取り合って動作不良を起こすだろうな」
「だったら、僕は――」
「だが、そこは問題ない。私はこれでも(元)魔王だ。代案などいくつもある。あとは、お前の言葉次第だ。」
ぜんぶなんとかできる。
そう理解したうえで魔王さまはボクに問いかけているのだ。
生きたくはないか、と。
凛とした深紅の瞳が、僕の心をとらえる。まっすぐとその美しい瞳は僕の存在全てを飲み込むように注がれた。
爛々と輝く眼差しは、まだ見ぬ未知の世界を夢想しているのか、その視線だけで魔王さまの感情がありありと伝わってきた。
こんなにも勇気をくれる魔王さまがいる。
今すぐにでも頷いて、手を取ってしまいたい。
それなのにどうしてもこの手を取れずにいる自分がいた。
振り切ったはずの恐怖は、いまも手を伸ばし僕を飲み込もうとする。
――せっかく自分を理解してくれる人に、また迷惑をかける気か?
――また、うまくいかなかったら醜く他人のせいにして生きるつもりか?
不意に『自分ではない自分の声』が脳裏をかすめ身体をすくませる。
どこからともなく聞こえた声は、魂の内側を反響させ、僕を取り込もうとする。
陰口のように永遠と響き渡る言葉。耳を塞いで声を上げて抵抗しても、生きるのを諦めるように呪詛は僕を冒し続けた。
「やめろやめろやめろッ!!」
震える拳をテーブルに叩きつけ、荒い呼吸を繰り返す。
こんなこと思っていない。思っていないはずなのに――。
否定しきれない自分がいるのが酷く悔しい。
ここは僕の魂の世界だ。ならこの数々の呪詛が僕の本心なのではないのか?
疑心暗鬼に囚われ、どんなに拒絶しても突き刺さる言葉の数々が酷く息苦しい。
黒い空間を満たす呪詛は勢いを増して僕を飲み込もうと襲い掛かる。
「――僕は」
その時、全てを理解したような静かな吐息が穏やかに僕の耳を打った。
顔を見上げれば、瞼を閉じた魔王さまがこの反響する数々の呪詛全てに耳を傾けていた。
不安も苦しみも恐怖も、おおよそ知られたくないこと全てを。
その上で、彼女は慈しむようにティーカップを口元に運んでいく。
「――そうか」
冷めきった紅茶を全て飲み干し、小さく息をついた。
喧騒とする呪詛は未だ止むことはない。けれども、閉じた瞼をゆっくりと持ち上げると、彼女は静かに唇をそっと動かした。
「私は魔王だ。それは死んでも変わらない」
堂々たる、威厳に満ちた声が黒い空間を満たす。
瞬間、何かに干渉される様ような鋭い痛みが僕の腕に走った。
それは赤い、赤い『なにか』
これは僕自身が思い描くイメージなのか、それとも魔王さまが僕に見せるイメージなのか。
深紅の紋様が侵食するように右手から伸びていく。肩、胸、足に至る身体中のすべてに、複雑奇怪な紋様が刻まれていく。
温かくもあるし、冷たくもある。
ただ不思議と恐怖はない。
「人間。もう一度お前に尋ねる」
立ち上がり、静かにボクを見下ろす。
その柔らかな唇から洩れる威厳に満ちた声に、僕は静かに返事を返した。
うまく、言葉にできただろうか。
それでも、紋様より深く赤い瞳が射抜くようにボクを捕らえ、離さない。
「お前は新しい世界を見たくはないか。そこには恐怖が待っているかもしれない。苦痛が待っているかもしれない」
それは、本能的に刻み込まれた、王としての言葉。
けれども、どこまでも他人を気遣う優しい、彼女の言葉。
「それでもなお、新しい世界を見たいという覚悟はあるならば、……私と契約を交わせ」
偽りのない本心が、僕の脳を。心を。魂を揺さぶり、突き抜けるがごとく僕を打つ。
どんな恐怖。どんな苦痛があっても貴女となら乗り越えられる。
そんな当てもない確信が胸の中で満ちていく。
全ての闇が掻き消え、とある感情が止めどなく溢れてきた。
気付くと感情が口から零れていた。
「生きたい。貴女と一緒に新しい世界を見てみたい」
「ふッ、迷いはなしか。いいだろう」
引き締まった唇から洩れる柔らかい笑み。
ああ、そうか。
魔王さま。本当に短い付き合いだったけれど、僕は気付いていた。
貴女から、こう問いかけてもられるよりも前に、僕は気付いてしまっていたんだ。
おこがましくも強欲な願い。僕は、貴女と一緒に生きてみたいと。
「人間よ。お前に三つの願いを叶える権利を授けよう。その代わり、最後の一つを願った暁にはその身体をもらい受ける」
悪魔のような誘い文句が甘く、心に刻まれる。
脈動する紋様は熱を持ち始め、それでもボクの魂を焼くことはない。
それは、始まりがあり、終わりのある、優しい契約。
「そうだ。これは契約だ、人間。厳正なる魂の契約だ。なぁに期限が何だなど設けん。好きな時好きな願いを口にするがいい。私の魔力はおおよそ万能だ。お前の望むものすべてをかなえてやろう」
おどけた様子で言い放つその言葉に、嘘偽りの欠片などない。
ただ純粋に、短かろうが、長かろうがいつでも待つ。
好きな時に生きて、好きに死ねと。貴女はそう言ってくれている。
十分だ。これ以上もないくらい出来すぎた話だ。
魔力。この身体に満ちていく魔力が全て魔王さまの魔力なのだとしたら、なんて温かく安らぎに満ちているのだろう。
想像していたものよりはるかに、禍々しく、そして喜びに満ち溢れた力。
震える唇は何度も喘ぎ、空気を求めて口を動かす。
自然と目頭からあふれた、涙はみっともなくテーブルに落ちては消えていく。
「さぁ人間。お前の願いを口にしろ」
その言葉は、まるでボク自身に『生きろ』と言っているように聞こえる。
だから僕は答えなくてはいけない。
真摯に、けれども全幅の信頼を込めて――。
自然と口から零れた言葉は、決まっていた。
「……僕と、友達になってください」
溢れた言葉は、祈るように発せられた。
それは魔王さまの欲しかった言葉なのかわからない。ただこんな機会が許されるのなら、僕はこう願いたいと思っていた。
「……お前はそんな願いのために貴重な願いを一つ無駄にするというのか? それとも私の気まぐれは契約で縛らねば、安心できぬほどか弱いものとでも?」
全身を刺すような痛みが、魂を震わせる。
まるで失望した。そんな感情の込められた痛み。
はちきれんばかりに空間が揺らぐのがわかる。
焼ききれそうになる魂は、身体に走る紋様に沿って激しく命脈する。
それでも、僕は嬉しかった。
違いが許される。僕と魔王さまは同じではないからこそ、うれしかった。
苦しいけど、言葉にしなければ伝わらない。そんな関係だからこそ、うれしかった。
「……これは、魔王さまが教えてくれたことだから。自分を理解してもらいたかったら僕自身から、一歩踏み出さなきゃならないって教えてもらったから」
失望させる気はない。
契約なんかで縛るつもりもない。
「……だからこれは、そのはじめの一歩」
魔王さまが好きに決めてもいい。友達になるならないだけなら、それは契約で縛る必要もない事。ボクがほしいのは『その答え』なのだから。
差し伸ばされた手を一瞥し、もう一度ボクの瞳をジッと覗き込む。
この聡明な『魔王』はきっと僕のすべてを理解してくれる。
その思考も信念も全てを理解し、受け入れたうえで高らかに、けれど嬉しそうに笑うのだ。
「ふっ――、はは、はははっはっはッ!! なるほど。――なるほどな。これは私の知らない結末だ。……人間。やっぱりお前は面白いよ」
激しく、喜びに満ちた手が硬く握られる。
握手。
それの意味するところはつまり――。
「契約は結ばれた。我が友よ。私と共に新たな世界を垣間見ようではないか」
勇ましく、けれども優しげに宣言する彼女の姿が、真っ暗な闇を打ち払うように白く、白く輝いていく。
例え、どんな困難苦難があろうとも、僕は彼女と共に生きていく。
そこに一切の後悔はない。どんな結末になろうと、僕は貴女を離す気はない。
これからは一人じゃない。『僕ら』二人で新しい世界を歩いていく。
まだ見ぬ未知の世界へと、ともに。
自然とこぼれた笑みは、今まで生きていたころのどの笑顔より、眩しく、喜びに満ちていた。