03話 『三守義幸』は死にました ~その2~
対してアイスクリームに飽きたのか、空になった容器を後ろに放り捨てる魔王さまは、紅茶に口をつけながら僕の様子を見て、もう一度不思議そうに小首をかしげていた。
「え、死んだんでしょ? 僕」
「うむ、お前は死んだよ。人間」
はっきりと頷く魔王さま。
「じゃあ、あの世とかには」
「どうして、いまのお前があの世に行くんだ?」
睨めっこ状態でお互い首をかしげてしまうという珍事。
どこか、どこかがおかしい。というか噛み合っていない気がする。
確かにちょっと話しただけで、この魔王さまがとんでもなく理解の速い頭のいい人だというのはわかる。
『こちら』の世界ほど発達していないであろう文明機械を推測だけで用途を理解し、そして用いているくらいだ。
魔王さまの世界にはないであろう箸の扱い方が日本人より完璧だったりと、例を上げてしまえばきりがない。
魔王さまが間違っているとは思えないが、そうするとなぜ『三守義幸』が死んでいないことにつながるのかが理解できない。
「だからな。『三守義幸』は死んだのだ。人間」
「……人間、人間と言えば随分前から気になってたけど、どうして僕を『三守義幸』ではなく『人間』と?」
そう問いかけると、明らかに魔王さまの表情が渋くなった。
というかダメな子を見るような目つきになった。
確かに、超イケメンという顔でもなければ、才色兼備、文武両道とまでいかないかもしれないがそれでもそこそこ勉強はできた。
それが創作活動に大半費やされているっとはいえ、そんな残念な子を見るような目で見られるいわれはない……はず。
「人間。そういうところだぞお前。人の自己紹介を何だと思ってる」
冷めたような声色が、いまはただただ怖い。
「うぃえ!? 確かに長ったらしい名前でぜんぶは覚えてませんけど、少なくともきちんと聞いて――」
「ひとーつ」
突然始まったクイズ形式。どこから出したそのシルクハットそうです僕ですわかります。
どうしてこんな――はい。答えればよろしいのですね。ですから、そんなに睨まないでください。
「気を取り直して、――ここはどこでしょう!!」
ボク自身の魂の内側
「ふたーつ。この私はなんでしょう」
(元)魔王の魂。もとい、他者の魂に接触できるくらい高度な存在。
「よろしい。では、みーっつ。その前に、私はなんといったでしょうか」
「……………………あっ」
転生体。持ち主。それすなわち――。
思わず漏れた声に、魔王さまの唇の両端が怪しく吊り上がる。それでも声は至って変わらない明るいままだ。
「では、哀れなる正解者にはお仕置きを」
え、ちょっとなにするの。なに口パクパクさせてるの!! お仕置きって、ちょっ――
「いってぇぇえええええええええええッ!!?!?!!」
信じられない痛みが身体中を襲う。腕の内肘に物をぶつけたとかそんなものじゃない。全身に鋭い痛みと痺れが走った。
悶えようにも、椅子から動けない。足は動かないし、どっちにしたってしびれて動けない。
五秒くらい痛みの余韻に頭がくらくら揺れ、テーブルに突っ伏していると頭上でやや満足したような声が降ってきた。
「ここは私の作った『転生体』のなかだ。つまるところ、生死云々の前に、お前はもう『別の個体』として転生しているんだ」
「だ、だから呼び方が人間なんですね」
「ようやくわかったか愚か者。やはり人間という種族は、こう知性と配慮に欠けるのが問題だな」
立ち上がって、後頭部をツンツンしてくる魔王さまは、額に手をやって大きく嘆きのポーズをとった。
左手では、何が面白いのかサラサラと掻き分けるように黒い髪の毛を触って遊んでいる。
ちょっと黒焦げになっているところまで、細かい演出ありがとう。生きたまま焼かれるってこういうことなのか。自分の演出が憎い。
未だに痺れの取れない知性と配慮に欠けた人間? こと僕は突っ伏した身体を無理に動かして、魔王さまを見上げた。
「そ、それでいまの一撃は――」
「なんてことない。お前の魂に干渉しているのは私だからな。ちょっと魂の出力を上げてやれば、この程度の痛みを直接魂に与えてやることなど造作もない」
その目は完全に主導権を握っている狩人の目であり、さしずめ僕は生死を握られた家畜同然というわけだ。
そして、このまま不機嫌になられてもこちらが持たないので、大量のシュークリームを召喚することで、とりあえず矛先を納めて貰えた。
「――つまり、『この身体』には私のほかに『お前』という余分な魂が入っているということだ」
要約してしまえば、このシュークリームを大胆にも一口でモッショモッショしている魔王さま専用の身体に誰かが勝手に入っており、自分も死んでいざ入ってみれば知らない人間がいるわ。二人分の魂を内包するように作っていないから動かないわでとにかく――
「すみませんでしたッ!!」
「わかればよい」
頭を思いっきり、テーブルに叩きつけて謝罪する。
こんな簡単に許してもらっちゃってるけど、これはまずいのではないだろうか。
異世界転生ものとか、よく目にする小説家としてはかなりおいしいというか熱い展開に違いないだろうがそれを現実にやっちゃうとすごく不味いわけで、死んでも他人に迷惑をかけるとかホントもう、死にたい。
読者なら、きっとこういった本を読んでいる読者様ならきっと受け入れてもらえるであろう現実もこう実現すると、マジで居たたまれない。
「お、いまお前も変な電波を受信したか」
「いや、小説家は読者目線で書いていかないと成り立たない商売でして、こういった本が出るのならきっと喜んでってなにを言っているのかわかりませんけど、ほんとすみません!!」
全力で土下座できるものなら、スライディング土下座とかやってみたい。
どんなの? と聞かれて、とあるアニメのワンシーンを臨場感たっぷりの液晶で見せてやったら、面白がって期待されてしまった。
「まぁ、もともと魔王さまの身体ならこのまま魂ごと焼き切っちゃっても構わないのでは?」
「ん? 人間。お前は死にたいのか?」
「いや、できることなら死にたくないけど、元々この身体? の持ち主は魔王さまだし、僕がいるせいで動かないっていうならそれはそれで――」
「申し訳ない、か」
考え込むように視線を走らせ、深紅の瞳が僕を射抜く。
生きることを放棄したわけではない。ただこの人に恩返しがしたい、ただそれだけだ。
この気持ちは本心のつもりだし、ヒロイズムに目覚めただけでもない。
ただ、『生前』の生き方とは違う『生き方』を見つけただけだ。
たとえそれがどんなに刹那で短い『生』だったとしても、魔王さまの役に立てるのなら満足だし、そうなるべきだだと思う。
もちろん生きるすべがあるならそれでもいいが、問題はこのままではどっちにしろ二人とも動けないといことだ。
引き延ばすだけ引き延ばして満足したら消えるなんてのは、卑怯者のすることだ。
小説にもあるように、始まりがあれば終わりがある。これは必然的に決まっている。
ならば、やっぱり我が儘を言うべきではないだろう。
これも全て魔王さまに筒抜けなんだろうけど、少なくとも本心で話しているつもりだ。
「そんなことはわかっているわ、愚か者」
「え、なんですか?」
「なんでもないッ!!」
なんだかぼそりと小さく呟かれ、なにを言ったのかわからなかった。もう一度聞き返そうにも「何でもない!!」と言われてしまえばもうお手上げだ。
しばらく、目を閉じて考え込む魔王さまは、やがて大きく疲れた息を吐き出すと、その白髪を鬱陶しそうにひるがえして立ち上がった。
「おい人間。お前はできれば死にたくないといったな」
「そりゃあせっかく魔王さまに好きなように『生きてもいい』なんて言われたんだ。今更だけど、少しは生きたいと思ってる」
「それが、車いすという障害者の証を背負ってもか?」
「それは――」
僅かに言い淀む自分が恥ずかしい。あんなに立派なことを言っておいて、いまさら元の生活に戻れるかと問われてしまえば躊躇してしまう。
その程度の覚悟なのはわかっている。
でも――。
「たとえ、障害者であってももう昔ほど、苦しくはないよ。貴女が理解してくれるってわかってくれたから、もうだいじょうぶ」
「いい顔で笑いおって、……それがたとえ『普通』の身体でなくともか?」
「どんな身体だろうと、答えは変わらない。生きているうちは、この記憶があるうちはどんなことをしたって『変われない』」
例え、生きている間にたった一人しか自分の生き方を理解してくれなくても。
誰もいないよりはずっといい。
こんな考え方ができるようになったから、もう怖くたって一歩踏み出すことに怯えたりはしない。
誰かから認められるように媚びへつらい、他人の価値だけに振り回されたりしない。
自分の『価値』は自分からつかみ取るものだと知ったから。
「及第点、といった所か」
「ん? なにが」
「何でもないと言ってるだろう。……ふっこれだから、人間という生き物は面白い」
小さく呟き、そして魔王らしく高らかに、嬉しそうに笑う。
白く、白くどこまでも美しいこの魔王。おおよそ、魔王とは程遠い性格をしている癖に、笑みを浮かべるたびに現れる片鱗は心を焼く。
ついていきたいと思わせる。
それはまるで魔性だ。
きっと彼女の配下たちは幸せ者だろう。
こんなにも他人を慮り、受け入れ、そして寄り添う王の下にいれたのだから。
「なにを不気味な笑みを浮かべている人間」
「全部わかってるくせに。顔真っ赤だよ」
「んな!?」
慌てて見せる魔王さまに、鏡を投げ渡すと、鏡を叩きつけられてしまった。
今際の際にいいものを見せてもらった。もうどうなろうと迷いはしない。
彼女が死ねと言えば死ぬし、生きる方法があるのならすがりたい。
そしていつの日か――。
無謀とも呼べる大望の胸にそっとしまい込み、僕は小さく微笑んだ。
生きるというのは、こんなにも苦しくて、こんなにも愛おしいものだなんて。