21話 不可解な結末
飛び出し、構え、なぎ倒す。
闇の奥から這い出てきたのは大量の蜘蛛の群れだった。
それもただの蜘蛛じゃない。鋭い鉤爪が八本あり、糸を出すべき腹部はサソリの尾のように鋭い刃を揺らしている。
カチャカチャと刃物を鳴らすような音が連続して聞こえ、赤く鈍く光る複眼がゆらゆら光って見えた。
二人の間から真っ先に飛び出したノアは、脇目も降らずにロングソードを構えると目の前に群れる蜘蛛を一体一体切り裂いていった。
「ギャッ!!」
短く吐き出されるガラスをすり合わせたような声。
中央に躍り出るように身体をねじ込み、一息に刃を振り払った。
「ふっ――」
まるで空気を切るような衝撃波がまっすぐ暗闇に向けて放たれた。剣圧は数ある蜘蛛をかき分け、道を作る。しかし、薙ぎ払うように繰り出された衝撃は黒い霧に阻まれて拡散する。
それでも、縦に割れた境界線さえ確保できれば十分だ。
鉤爪を振りかざし、鋭い牙を突き立てようと接近してくる蜘蛛のバケモノ。
それを切り払い、鉤爪を躱し、頭を落とす。深緑の体液が顔に跳ぶが関係ない。
二十体余りの大群を一手に引き受け、シオンとトールの走る道を確保した。
『一体一体に時間をかけるな。傷を負わせて注意を引き付けるだけでいい。あとは奴らが何とかするだろう』
魔王さまの言葉通り、隙間を縫うようにして走り去るトールやシオンはできるだけ塊になって、暗闇の奥にいる親玉に向かって走り去る。
時に銃弾を撃ち込み、拳で怯ませ、出来た隙間に飛び込んでいく。
息の合った連携というものは生き物を思わせる。
まるで群がる蜘蛛をものともせず、ほとんど目も合わせずにまっすぐと親玉に向かっていく二人に迷いなどなかった。
「……負けてられないな」
小さく呟き、化け物を縦に切り裂く。
体液を払って、別の個体の首を落とす。腕に伝わる硬質な感覚が生々しく伝わってくる。骨を断つような音と肉を断つ感触。
断末魔のような叫びをあげることなく地面に伏せる蜘蛛を一瞥して、ノアは再び剣を振るった。
そして一体一体を『簡単』に殲滅していくうちに何か嫌な予感が頭をかすめた。
その不可解な事象を魔王さまも理解したのだろう。眉を顰めるようにして呻く彼女の声が頭の中に響いた。
『なんだこいつら。まるで手ごたえがない』
飛び掛かって、牙を剥く。けれどそこには生物特有の最期のあがきが見られなかった。
抵抗も、悲鳴も、恐怖もない。
まるで自分から殺されに来ているような嫌な錯覚を覚えるのだ。
粘着質な音が次々と、地面に落ちては動かなくなる。
蜘蛛のバケモノを半数駆逐したところで、頭を殴られたような感覚がノアを襲った。
寒々しい感覚が背筋を震わせ、奇妙な罪悪感が胸を締め付けた。
一方的な虐殺がただひたすら気味悪い。
一太刀一太刀振るうたびに、抵抗することなく切られていく様を見つめるとノアは初めて聞く声に顔をしかめた。
――殺して
不意に頭の中に響く女性の声が、掠れたレコードのように聴こえてくる。
霞むように視界がブレ、剣を振るう。
「いまの声は……」
眼を見開いて、堪らず突き刺したロングソードが蜘蛛の頭を捕らえる。
ズルズルと力なく倒れていく呆然と見つめ、震える両手をじっと見つめた。
恐怖ではない、この感覚は――、
「……うっ!?」
頭を叩く悲鳴が脳を、心臓も、臓腑も締め付ける。
まるで内側を蝕むように、魂の端が齧られていく感覚。
――殺して
――殺して殺して殺して
――殺して殺して殺して殺して殺して
――やめて助けて死なないでどうしてどうして痛いイタイイタイどうしてどうしてやめてやめて助けて生きたい生きたい死にたい。
女性の悲鳴のような、それで死神のような掠れた叫びが聞こえてくる。
グチャグチャと自分の口が赤くなる。
『人間、おい人間!! どうしたッッ!!』
魔王さまの声が頭を叩くが、気を失ってしまわないようにするのが精いっぱいだ。
天地が、前後が逆転するような浮遊感がノアを襲った。
うずくまり小さく呻く。
自分のものではないのに暴れる感情はノアを内側から壊すように、荒れ狂った。
悲しみ、苦しみ、そして――ここではない白い部屋が頭を過ぎった。
「キャァアアアあアアァァぁアアアアアアアアああアアアアアアッッッッッ!!?!!!!!!」
叫びが拒むように唐突に湧き出たイメージが遠のく。手を伸ばし溢れ出る涙が頬を伝う。
弾かれたように顔をあげ、慌てて暗闇に視線を投げた。
シオンの声でもトールの声でもない。まるでガラスをすり合わせたような音が聖堂を震わせる。
痛む頭を押さえつけ、歯を食いしばって走り出す。
ここで悩んでいたって仕方がない。それでも足にまとわりつく罪悪感が足枷のように絡めとる。
一歩が、重い。
「(それでも、嫌な予感がする。それも……)」
囲うように飛び掛かってくる蜘蛛を一薙ぎで切り払い、シオンとトールの飲み込まれた闇を見つめる。
◇
闇の霧を払いのけると、そこは粗削りに破壊された大きな洞穴だった。
整った柱や、白い外壁が崩れもとの美しい聖堂は見る影がない。暗がりに包まれていた霧は不思議な光に照らされ、そこだけ明かりを灯していた。
そして、ゆっくりと視線を上げると、悲鳴を上げていた主は『そこ』にいた。
体長約十メートル。不定形な身体はいびつに膨れ上がっており、鈍色に光る紅い眼光はぎょろぎょろと蠢いている。
蜘蛛のようで『蜘蛛でない』。どこか歪に膨れ上がった身体は何かを取り込んでいるのか不規則に脈動していた。腹部が大きくめくりあがり、なかから緑色の液体が溢れ返っている。
それでも、まるで縫い留められるかのように壁に張りつき、シオンとトールを睨みつけていた。
暴れるように打ち振る攻撃を、トールが真正面から止めていく。地面が割れる音が響く。それでも二本の腕は押しつぶされていることなく鋭い爪を受け止めていた。
あの細腕にどれほどの力が宿っているのか。
爪を掴み打ち払い、決してシオンに攻撃が届かないように迎撃する。そしてシオンは両手に掲げた拳銃を撃ち放っては身を翻し、わずかにできた隙間を潜っては素早くリロードした。
突き出された鉤爪は全てシオンに向けて放たれる。飛び退き、払い、蹴り上げる。メイド姿のトールが宙に舞い、無防備だ。
間髪入れずに三本の鉤爪が振りかぶられる。
「――ッ!!」
見ている場合じゃない。
飛び出し、ロングソードで切り払う。火花が飛び散り、重い衝撃が肩に食い込む。空中では踏ん張りも利かず、弾かれるように吹き飛ばされた。
衝撃は伝わらない。傷もつかない。それでもノアの背中から小さなうめき声が聞こえた。
「トールッ!! 大丈夫?」
たて続けに空薬きょうがはじけ飛ぶ。
ブシュブシュッと液体が傷口から吹き出し、振り上げられた化け物の爪が鈍く止まった。
「準備完了。トール、ラストお願い!!」
「はいッ!!」
ノアを押しのけ、立ち上がる。
間髪入れず銃弾を何発も打ち込んでいくシオンが小さく頷き、トールがポシェットから取り出した包みを蜘蛛の顔面目掛けて投げつけた。
まっすぐ軌跡を描いて飛んでいく灰色のガラス瓶に標準を合わせ、シオンが素早く引き金に指をかける。
「伏せて!!」
シオンの叫びに、トールがノアの頭を地面に押し付けて強制的に伏せさせる。
ガラスが砕ける音と共に、燐光があたり一面に広がる。そして――
硬直するように身を固めた蜘蛛の関節から爆雷が弾けた。
空気を叩く爆発が崩れた聖堂を揺らし、蜘蛛のバケモノの悲鳴が洞窟を揺らす。
振り回される鉤爪がちぎれ、大地を揺らす。土ぼこりをまき散らし、緑色の液体が地面を濡らした。
「ここは危険よ。はやく退避を」
「はい、立てますかノア君、……ノア君?」
トールに手を引かれ、その場を離れるノアは額に手を当てて小さく呻いた。
途端に、先ほどまでノアたちがいた場所に鋭い爪が振り下ろされた。
頭の中でイメージが次々と溢れてくる。
白い部屋。たくさんの子供。叫び声、悲鳴、赤、赤、赤ッ!!
ノアにはない記憶の数々。こびりつく感情が後を引くように纏わりつく。
込み上げた胃液が喉元まで押し上げられ、ぐっとこらえる。
饐えた匂いが鼻につき、頭がかき混ぜられる。
「トール。重力換装!!」
そう言ってトールが投げてよこした塊をシオンは拳銃のグリップで叩いた。正方形の黒い箱は空中で分解し、銃身に換装していく。まるで銃そのものがひとりでに分解され、再構築されていく。
ものの二秒も経過しないうちに、シオンの小さな掌にあった拳銃が一回り大きくなった。
「これで最後」
「待って――」
口から洩れた言葉も虚しく、銃口から放たれた黒い弾丸がまっすぐ蜘蛛の胴体に吸い込まれるように消えていく。
直後に胴体を消し飛ばす穴が開いた。
「キャアアああアアァァぁァアあアアアアアアアアッ!!!?!?!?」
最期の断末魔の叫びが、臓腑をひっくり返す。
群がるように積み上げられた人間の山。そして震える身体。
過ぎるように駆け巡るイメージが頭を叩く。
この記憶は……あの蜘蛛の?
蜘蛛の身体が壁から崩れ落ちると同時に、ノアの身体もまた、地面に崩れ落ちた。




