19話 茶番の一休み
出会いは衝撃だった。
何が来たかもわからず、とっさに持ち上げた右腕に衝撃が加わった。
暗がりで周りがよく見えない状況。かといって、完全に見えないわけではない。
だが、反射的にセンバスの襟首をつかんで後ろに引き倒すくらいには緊急事態だった。
殺気が駆り立てるように突然現れた。
間髪入れずに飛んでくる拳がノアの肘を捕らえ、次の攻撃に身構えると、
「――へ? ノア、君?」
聞き覚えのある声にノアも目を丸くした。
お互い拳を振るうような格好で制止する。
それは、奈落の危険地帯にも拘らず肩だしゴスロリメイド服を着たトールだった。
濃い青藍色の髪に右耳の後ろから頭の形に添うように立派な角が一本だけ生えている。
一見してみれば女の子のような可憐な姿だが、残念ながら中身は男だ。
青藍色の瞳はいっぱいに見開かれており、口をあんぐりしたまま、ノアに掌底を繰り出していることに気付いてワタワタと慌てだした。
「え、あれ、えっ!? なんでノア君がここに……」
「それはこっちの台詞です!? いきなり攻撃してきて、一体どういうつもりだ」
「その、妹君さまの命令で動く標的は軒並み行動不能にしてほしいと……」
「だからって、問答無用で闇討ちはやりすぎでしょう」
どうやら本気で敵味方関係なくなぎ倒すつもりだったらしい。
確かに、繰り出された掌底はトールの手で手心が加えられていたものの人間の意識を断ち切るには十分な威力だった。
もし、これがセンバスに向けられたのかと思うといまさらながらにゾッとする。
「でもなんでトールがここに。確か、最後尾だったよね?」
そう、少なくとも三時間の差はあるはずだ。一番先頭のノアたちがここまでようやくたどり着いたのに、彼らのグループが先回りしていたとは考えにくい。
通路の一部は封鎖してしまったし、あの豪勢な聖堂は明らかに『あたり』の道だ。他に正式な通路があるにしてもここに繋がるのはおかしい気がする。
戸惑うようにトールを見上げると、彼は意外にあっさりと答えを教えてくれた。
「はい。妹君さまが秘密の通路を見つけてくださりまして、ぼくらはその道を通ってきました」
「秘密の通路って……どこに?」
「あれがその通路になります」
そう言って、立ったいま柱の横から飛び出してきた空間を指さした。
認識疎外の『なにか』が込められているが、よく見れば隠し通路なのか柱のなかにぽっかりと穴の開いた空間があった。
暗がりはどこまでもまっすぐ続いており、先は見えない。
それでも風がヒューヒューとかな切り声を上げていることからどこかに繋がっていいることがうかがえる。
「元々、何かあったときの非常通路みたいでして、中は並んで二人通れるかどうかの抜け道ですけど……」
「じゃあ、シオンは」
「負傷した他の方々と一緒にいます。ここから四百メートルくらいで先で待機しているはずです」
それならば安心だ。
ノアと初めて会ったシオンの印象は、どこか戦闘には向かない儚げな少女だった。
蝶よ花よと愛でられるお嬢様がお似合いの雰囲気で、内心、探索者のプロとわかってもその小さな容姿ゆえに心配していたのだが、どうやら杞憂に終わったらしい。
彼女が怪我せずここまで来たという真実は、いままで縛り付けていた心の緊張をほぐすちょっとした弛緩剤になった。
「――本当によかった」
そっと息を吐き出し、胸を抑える。すると後ろから軽く肩を叩かれて、センバスの困惑した表情がノアとトールに注がれた。
「それで坊主、この子はおめぇのなんなんだ」
「なんなんだと言われましても……」
そう言われて初めて、ハッとなってトールと顔を見合わせた。
あまりに突然のことで、彼を紹介するのを忘れていた。
トールやシオンを紹介していた時、センバスたちはまだ合流していなかったのだ。
どう説明すべきか思わず口を開け閉めしていると、横から凛と自信ありげなトールの声が響いた。
「申し遅れました。ぼくはティタノエル家の当主、クローディア様の妹君に仕えるメイドのトールと言います」
「おお!! こりゃ丁寧にどうも。俺はディアハートから派遣されたセンバスってもんだ。この中年がファッジで、そこの若いのがローナン。――で、あんたはそこの坊主と同じ探索者でいいんだよな?」
「はい。いまはノア君をお手伝いするためにクローディア様から直々に命を仰せつかっております」
「ほう、あの嬢ちゃんから。ならさぞ腕の立つ実力者なんだろうな」
「いえ、ぼくなどメイド長に比べればまだまだです。センバス様こそ腕の良い鍛冶職人だそうでクローディア様が提供してくださる武具をよく褒めていました」
「よせやい。そんなおべっか言われたって嬉しくねぇよ」
明らかに喜んでいるように見えるのはノアだけじゃないだろう。見ればファッジもどこかくすぐったそうな表情でトールを見ていた。
やはり職人というのは人柄より、丹精込めて作った作品を褒められるのが嬉しいのかもしれない。
見事に人心掌握を完了したトールとの距離は、出会い頭に襲われたころに比べ格段にくだけたものになっていた。
さすがあのメイド長に訓練されたメイドである。先ほどまでの動揺が嘘であるかのような綺麗な受け答えだ。
対して、アドリブに弱いノアはというと、目の前で商談が成立するようにスムーズに情報交換が行われる間、空気になるしかなかった。いわゆるポカンである。
深々とお辞儀するトールを見て、慌てて腰を折って右手を差し出すセンバス。
完全に会話の主導権を握られたのか、彼にしては珍しくなんだか視線を泳がせて不自然な挙動を取っている。
まぁ、センバスが戸惑う様子も無理はないと、ノアは思う。
なにせ、こんな危険地区にメイドがいるのだ。鎧で固めた装備ならまだしもメイド服である。そりゃ困惑するだろう。
ややあって、豊かな髭を一撫でするセンバスは小さく咳払いする音が聞こえた。
「あぁなるほど、クローディアの嬢ちゃんとこの雇われか。つーと坊主とは」
「はい。ぼくの頼れる同僚です。そして――」
そこで言葉を区切り、視線を逸らすと
「はじめての……友達、『でも』あります」
熱い一言がその場を凍らせた。
…………………………あれっ?
「……あれ、あれ? 『でも』ってなに? なんですかトールさんその紛らわしい言い方。なんで目が潤んでるの? なんでモジモジしてるのッ!?」
「坊主、お前……」
「ちょっとタンマッ。タンマですセンバスさん。ちょーっと待っててくださいね!?」
ギギギッ!! と機械じみた挙動でゆっくりと首を動かすノア。腕を引いてセンバスと距離を取る。
その背中には詮索じみた鋭い視線がいくつも刺さるのを感じたが今はとりあえず置いておこう。とりあえずこちらが問題だ。
「ト、トールくーん? なんでそんなに顔を真っ赤にするのです? そしてなんでそんなにチラチラこっちを見てくるんです? 男の子でしょうあなたッ!!」
「そんな、だってその。ノア君は恥ずかしくないんですか?。ぼくなんかがノア君の、その――と、友達だなんて」
「それで頬を真っ赤に染める必要はありませんよね!? 友達ですよ友達!! マイフレンドですよトールくん!?」
「そそそそそ、そんなッ皆さんの前で連呼しないでください!! そんなに認めてもらえると、その――、嬉しい、です……」
か細く漏れた言葉にノアは完全に固まる。
壊れたテレビのように目を白黒させて、頬が真っ赤に紅潮していくのが傍目でわかる。
これが本物の女の子だったらそれこそもろ手を挙げて万歳なのだがそうはいかない。
きっと本人も『そういう意味』で言っているのではないだろうが、状況がまずい
何がまずいかっていうと、決まりが悪そうに指をくっつけたり離したりしてトールから時折、熱い視線がノアに注がれているのだ。
それじゃあまるで、勘違いしてしまうじゃありませんか。
ノアが、――ではなくセンバスが。
案の定、センバスさんはしっかり誤解してくださいました。
おそらく気を遣って今まで静かにしてくれたのだろう。その気づかいがいまは果てしなくノアを傷つけていた。
キョトンとした表情でノアを見てからファッジ、そしてローナンに視線を向けてセンバスは高らかに笑い声を響かせた。
「はっはっはっは!! なんだ嬢ちゃん。坊主のいいひとか!! そりゃ疑って悪かったな」
「……センバスさん?」
「いいっていいって。格好つけたいのはわかるがそう照れるなって坊主。なんだお前結構やるじゃねぇか」
「センバスさんッ!???」
身を乗り出すように慌てて、がくがくとそのふとましい身体を揺すってやる。
なんだか生温かい目で見られているのは気のせいではないはず。ここは何としても誤解を解かねば後々面倒なことになりかねん。
「違います違いますからね!! トールとは友達。それ以上の関係はありませんって!?」
「そう隠すな隠すな。若い時分にいはよくあることだ。それにしてもいまどきの若いもんは進んでるなぁおい」
「遠い目しないでください!! あとファッジさん、なんであなたはそんな初孫の結婚式みたいな顔してるんですか!!」
そう言っても、この状況を打破するに値するアドリブは思い浮かばなかった。
実は男の娘なんですーなんて言ったら傷つくのはトールだ。ノアじゃない。
ダラダラと嫌な汗が全身から噴き出て、悪い彼女に捕まり外堀からじわじわ追い詰められる某彼氏さんが思い浮かぶ。
「(言えない!! そんな残酷なこと言えませんよ!! なんて言い訳すればいいの、実は彼の趣味なんですー? 馬鹿か貴様は!! そんなこと言ってみろ、間違いなく悪者になるのはお前だぞノア=ウルムッッ!!!?)」
『まあ、袋叩きになること間違いなしだろうな』
「(できない!! 僕にはできません魔王さま!! あんな純粋無垢な子を貶めるなんて僕にはできませんってば!?)」
挙句の果てにはローナンがファッジに支えられて「子供にも先越された」とさめざめと泣いてしまう始末。助けを求めてトールに視線を飛ばせば、頬を真っ赤にして指先をもじもじしていた。
真綿で首を絞められるとはこのことか。
すごい気まずい。
キリキリキリーーッ!!!? っと痛む胸を押さえつけ大きく項垂れると、明らかにからかう調子の声が頭に聞こえてきた。
「(助けて魔王さまッ!! 世界がッ、世界が僕をいじめるぅぅッ!?)」
『なんだ人間。語彙力が焼失した赤子みたいになりよって。モテモテではないか。これはあれだだな、お前にとっては嬉しい悲鳴というやつなのだろう?』
「(ニヤニヤして他人の不幸を喜ぶのはやめましょう魔王さま!! なんですか貴女は、悪魔ですかッ!?)」
『魔王さまだ!! ……それにいいじゃないか人間。お前の世界でも衆道だったか? BLとかいう素晴らしい愛の文化が存在するのだろう。もう、楽になってしまえ』
「(だとしてもそっちの道に振り切れるほど精神図太くありません!!)」
少なくともノア=ウルムは健全な少年です!!
しかしこのままでは帰ってからも他の方々にもあらぬ誤解が広まってしまう。
主に、クローディアさんとか!!
お悩み相談とかで、確実に彼女に知れ渡る可能性大だ。それだけは阻止せねば、今後の生活は文字通り地獄と化す。
茶化されるか、汚物の目線で見られるか。
『あのリュコスという少年あたりだったらいい蔑みの目で見てくれるのではないか、人間?』
「拳で語り合った友と、そんなBL展開いりません!!」
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる魔王さまを心のなかで一喝し、小さく嘆息する。
この魔王さまはシリアスであろうと、ノアを変態に仕立てたがるお茶目さんなのをすっかり忘れていた。最近ないなーと思ってたらこれだよ畜生め!!
『で、どうする人間。このカオス』
一人はむせび泣き、一人はショートし、もう二人はなんだか温かい目で見られている。あの劣等種嫌いのジェイですら哀れみの目でこちらを見てくるのはなんだかつらいものがある。
頭を抱えるようにして振りかぶり、ワッシャワッシャと自分の髪を掻き揚げる。
「(……思い出せ、ノア=ウルム。お前は何しにこんな危険な地下までやってきた。少なくとも変態道を突っ走るためだけじゃないだろう。お前にはもっと崇高な使命があったはずだッッ!!)」
『諦めが肝心だぞ、人間?』
ここで諦めたらそれこそ試合終了です魔王さま!!
世界を呪いつつ、色々な方向で労力を割かれることになったノアは溢れ出る感情を振り絞り、遥か彼方へと走っていった。




