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17話 新たな標

 魔王さまの言われた通り、草を口の中でみ唾液と半固形状になった草を手のひらに吐き出して、ローナンの傷口に塗っていった。

 先ほどまで意識を取り戻していたローナンだったが再び昏睡状態に陥ったらしく、大きく肩を上下させては苦しげな呼吸を続けていた。

 それでも今回ばかりは意識がなくてよかったと思う。

 いくら人命救助のためとはいえ、他人の口の中から『出したもの』を自分の肌に塗られている姿は見たくないだろう。

 ノアとしてもできればそんな姿は見られてうれしいものではない。

 それでも文句も言わず、魔王さまの命令を実行し続けているのはきちんと理由がある。


「魔王さま。この草は――」


『ん? ああ、前に解析した時に成分を検出してな。ほとんど微弱ながらポーションと同じ効力を得られることが分かったのだ。――と言っても傷を完全修復できるような類のものではないが、出来損ないの血止め薬くらいにはなろう』


「じゃあ、助かるんですね?」


『予断は許されない状況だがな』


 魔王さまの一言にホッと息を吐き出した。

 とりあえず命に別条がないならそれで十分だ。


 あれほど血の気が薄れていたローナンの顔がほんのりと赤みを帯びていった。

 体内に薬草の汁気がしみ込んでいるのか、短剣の効力で再び出血するという事態は起こらないようだ。魔王さまが言うにはこの薬草には除菌効果もあるらしく、術後の感染症も心配ないらしい。

 それでも、こんな不衛生な場所にずっと彼を置いておくことなどできない。

 とりあえず現状は、魔力操作でマントを包帯のように腹部に巻き付けていく。いつまでも傷口を外気に晒しておくよりかは幾分もマシだろう。

 痛みに顔をしかめるローナンに、ノアは慌てて顔をのぞき込んで反応を確認した。


「ローナンさん、聞こえてますか。聞こえてたらこの手を握ってください。ローナンさん!!」


「――うぅ、ん……」


 ピクリとわずかに右手が反応して、弱々しくだがノアの指先を包み込むように握りしめた。

 もう完全に意識が戻っているらしい。僅かに見開かれた焦点はしっかりノアを捕らえており、声も呼吸もはっきりしている。

 胸の中で決壊するような思いが遅れてやってきて、目じり一杯に涙がたまっていた。


 涙を拭うことはせずローナンの胸の前に顔を擦りつける。本当に助かってよかった。すると、震える右手が小さな白い頭にポンと置かれた。


「すま、ない。助けるどころか、迷惑をかけ、ちゃったな」


 弱々しい言葉に、ノアは首を振って答える。


「そんなことありません!! 貴方は僕を守ってくれました。迷惑だなんてとても……」


「勝手に、身体が動いちゃって、はは、センバスさん、怒ってんだろうなぁ、……迷惑かけんな、ドジって――痛ッ!?」


 震えた声が腹部に響いたのかあからさまに顔をしかめるローナン。

 だが、ここまで意識がはっきりしているのなら峠は越えたはずだ。

 僅かな安堵と、後悔。そして、言葉にならない想いがごちゃ混ぜになってノアの肩を震わせる。

 とにかく助かってよかった。その真実がノアの心を締め付けていた何かを開放した。


『おい人間、後ろを見てみろ。面白いものが見えるぞ』


「なにかって――」


 魔王さまの声に顔を上げると、後ろからセンバスの声が響いてきた。

 振り返れば、センバスとファッジがこちらに向かって来ている。

 まだ距離はあるが、その頬や鎧には僅かな返り血がついていた。やはり上でも戦闘があったのだろう。それでも元気に手を振って走ってくるあたり、怪我はないようだ。

 ゼィゼィと息を切らして、膝に両手をつくセンバス。きっとかなりの距離を走ってきたに違いない。若干、顔色が悪く大きく肩で息をしていた。

 それにしても一体――


「どうやってここに!?」


「コイツを使って下りてきたんだ。本当に僅かだが、古びた回廊が見つかってな。おそらく川上から水を汲むための施設だったらしい。おかげで遠回りになっちまった」


 思わず口に出た言葉に、センバスがロープの束を見せつけ、天井を仰ぐようにして大きく息をつく。

 それでもその深刻そうな表情は明らかにローナンの安否を気にしており、どこか覚悟めいた表情がノアに向けられた。


「それで、ローナンはどうなった」


「ローナンさんは無事ですたったいま意識を取り戻しました」


「無事。……そうか。無事か……そいつは、よかった」


 まるで脱力するように、その場にへたり込み大きく息をつく。その太い腕で目元を拭っては、小刻みに肩が震えていた。

 後ろでは駆け付けたファッジがローナンの容体を診ているらしく、治療された腹部の傷を見てはほっと息を漏らして、柔らかい表情を浮かべていた。


「ノア君、君がいてくれて本当によかった。君がいなかったら彼は助からなかった。よほど上手な方から手ほどきを受けたのでしょう。処置は完璧です」


「い、いえ。そんな――」


 内心、嘘をつくのはつらかったが実際に手を動かしたのはノア自身だ。実はもう一人の『友人』が手伝ってくれたんです、と言っても疑問を浮かべるだけだろう。

 素直にお礼を言うと、控えめな笑顔のあとにやや困惑した視線がノアの身体に向けられた。厳密には肘関節から溶け落ちた袖というべきか。ジッと一点を凝視してから、話題を強引に変えるかのように舵を切った。


「――そういえば身体は大丈夫ですか? センバスから聞いた話では地面に直撃だったって聞いて心配していたんですけど」


「えっ!? ――ああ!! マントを下敷きにしてクッションにしました。この通り怪我はありません、大丈夫です」


「でも、もしかしたらという事もあるので診せてもらえませんか? 轟音がしてみれば、獅子蛇が倒されていますし、――その袖。毒牙にかかったのでしょう? 多分大丈夫だと思いますが念のため」


 おそらく確実な安心が欲しいのだろう。ノアの性格を知ってか、もしかしたら毒のことを隠していると疑われたのかもしれない。

 言われるがままに服を脱ぎ、袖の傷を診たり背中を診察して、厳しく眉根を寄せたファッジの表情がやんわりと緩んでいった。


「異常はなさそうですね。獅子蛇の毒は人体に入り込めば血液と結合して新たな毒を生み出すこともあるんです。それこそ感染力の高い毒を」


「そんなに恐ろしい毒だったんですね。ただの酸性の毒かと」


「ええ、でも診た限り肌が傷ついた形跡はないですし、服についた毒はそれこそただの毒です。もちろんそれ単体でも危険ですが洗い流してしまえば問題ないでしょう」


 そう言って、水筒の水で袖口を簡単に洗い流すファッジ。軽くもみ込んできつく絞ると、ほとんど乾いた状態の上着がノアの手元に返ってきた。


 他人に身体を診てもらうのはこれが初めてだが、どうやら本当に人間と大して見た目は変わらないらしい。

 自分が『人間』だと認められたようでなんだか温かい感情が胸の内に溢れてきた。

 シャツに袖を通し、ジャケットを羽織るように袖のない仕事着を身に着ける。

 いそいそとボタンを留めていくと、突然後ろから重い一撃が降ってきた。

 主にセンバスの厚い手のひらなのだが、よろけるようにして後ろを見ると、目元を赤くしたセンバスがノアを見上げていた。


「そうだぞ坊主、おめぇはすげぇことをやって見せた。獅子蛇を前に逃げずよくぞ、一人でやり遂げてみせた」


「そんな、褒められることなんてしていません!! ローナンさんが傷を負ったのも、もとはと言えば全て僕の性なんですし……」


「なに言ってやがる!! 謙遜は美徳だが、おめぇの場合は遠慮しすぎだ。現に俺たちがこうして無事にここに来れたのだってあの獅子蛇を退治したから無事にわたってこれたんだ。――なぁ?」


「ええ、そうですね。ノア君、君があの主を退治してくれたから他の創生獣は尻尾を巻いて逃げ出したんです。――それとも、小物しか倒せなかった我々を批判しているんですか?」


「いや、そんなこと。センバスさんたちは――」


 慌てたように訂正すると、真摯な目がノアを貫き、言葉を濁させる。まるで、怒ったように向けられた視線はある種、ノアを叱るような色を秘めていた。


「なら素直に喜びなさい。君はそれだけのことをして見せたんだから」


「まったくだ。……改めて、俺の部下を救ってくれてホントにありがとう」


 胡坐をかいたまま、額を擦りつけるように頭を下げる。

 見ればファッジも同じように頭を下げている。どうすればいいかわからずオロオロしていると、頭の中でノアの狼狽ぶりを愉しむかのように笑う魔王さまがいた。


『素直にどういたしましてと言えんのかお前は』


 そんなこと言ったって、こんなこと初めてでどうしたらいいのかわからない。


『ならば、早々に顔でもあげさせろ、ほら、お前の反応を二人して待ってるぞ』

 

 小さくつばを飲み干し、乾いた口が喘ぐように動き出す。

 かろうじて言葉にした「どういたしまして」は虚しく空気に流され、顔が火照るのがわかる。

 それでも二人にはきちんと届いたらしく、ノアの顔を見ては苦笑したように頬を歪めて見せた。


「それで、その――ジェイさんは」


「ああアイツか、連れてきたよ。ローナンが死んでたらお前を殺すって脅してな」


 顎をしゃくって見せると、暗がりからゆっくりとジェイがゆっくりと顔を出した。

 頬は赤くはれており、おそらく一発だけではないのだろう。僅かに眼鏡のフレームが歪んでいた。


 最悪、センバスに殺されたんじゃないかと心配していたが、どうやら生きているらしい。


 その表情は正気に戻っているのか、どこか怯えたような表情を浮かべていた。


「――ったく、俺が止めなきゃそいつ死んでたぞ」


「えっ? センバスさんがやったんじゃないんですか」


 意外な言葉に声を上げると、心外だと言わんばかりにセンバスが大きく息をついた。

 その顔には疲れの色が浮かんでいる。


「ファッジがブチ切れてな。止めるのに苦労したぜ。あいつがあそこまで切れたのは久しぶりで止めるのに苦労した」


「あのファッジさんが!?」


「ああ、鬼のような形相だったぜ」


 そう言うなり、ファッジに目を向けると満面の笑みが返ってきた。センバスは本当に疲れたように脱力して天井を仰ぎ、小さく震えていた。

 あのセンバスさんをここまで疲れさせるほどの激怒。

 当の本人はいつも通り穏やかな表情をしているのだが、ジェイを見る目だけは凍り付くほど冷たかった。


「とりあえず、これからどうしますか? ローナンさんはまだ動けそうにありませんけど」


 未だに横たわったローナンを見て、ノアはあえて『三人』に語り掛けた。

 ノアとしてもジェイのことはぶん殴りたい衝動に駆られたが、センバスがジッと堪えている以上、ノアが手を出せば八つ当たりになる。

 

「俺は、いつでも、大丈夫ですよ」


「バカ野郎、んな訳あるか!! 救われた命だ、黙って寝てろ!!」


「はは、了解……」


 片手をあげて返事をして見せるが、ローナンはまだ完全に身体を動かせると言いにくい。

 少なくとも、半日は寝ていないと身体は回復しないだろう。

 それに、ぶら下げた懐中時計を見れば地上は深夜の零時を過ぎている。


 しばらく悩んだ末、センバスが勢いよく膝を打ち、結論を見出した。


「今日はここで野宿するか、どうやらここいらにいるのは蛇公だけじゃないらしいが、俺たちを警戒して襲ってこないようだしな」


「そうですね。食料もあることですし、私も賛成です」


「そいつを食うのかよ……」


「蛇の毒は大抵が頭にあるんです。これは末端の尻尾ですし問題ないでしょう」


 そう言って、切断された尻尾をパンパン叩き、野営の準備を始める。

 ノアとしても刈り取った命だ。ただ放置して終了というのも気分が悪かったので、食べるのには大いに賛成だった。

 なにせ、魔王さまが蛇の尻尾肉に興味津々なのだ。この腹ペコ魔王さまにかかれば、きっと毒スープですらごちそうに違いない。

 そんな無礼なことを考えていたら、当然お仕置きが飛んできたので、ノアは声にもならない悲鳴を上げる事となった。


『ほほぉう、成長したと思ったらこのざまか仕置きも久しぶりだからな。もう一つ派手なのいってみるか?』


「勘弁してください魔王さま、いま人いるんですよ!? お仕置きは時と場合を考えましょう、これ大事!!」


 こしょこしょーッ!? と小さな声で自分に話しかける。

 多少ご立腹の魔王さまだが、未知の食べ物の誘惑には敵わないらしい。与えられた薪拾いを完遂して、食事にありつくべく、せっつくようにしてノアの脇腹を突いてきた。

 

 蛇の血の恩恵なのか、それとも枯れ果てた大地に水気を含んだせいか、獅子蛇の横たわる周辺では緑が旺盛に生い茂っていた。

 成長の速度は、地下大地を思わせ、蛇の身体から血液を吸収しているのかぐんぐんと成長していく。ノアは打ち捨てたロングソードを拾い上げると、成長していく木々の枝を伐採して薪にしていく。

 水分の含んだ生木は薪には向かないと聞くが、刈り取る傍から枝は水気を失い、枯れ木に変わっていく。


「これってどういう原理なんですかね魔王さま」


『どうやら、ここは地下大地に近い植生のようだな。植物の死と成長が異様に速い』


「奈落の? でも、入り口なんて見つかりませんよ? あるのは僅かばかりの植物に絶壁の谷。秘密の隠し通路なんてどこにも――」


『ん? ……おい人間!! 指輪が何か反応していないか?』


「――へ?」


 薪を取り落として、人差し指にはめた指輪に視線を落とす。

 カランカランと乾いた音が幾重にも聞こえるが関係ない。

 確かに金色の鈍色の指輪の中に埋め込まれた透明な石が、赤い点滅を始めていた。

 まるで鼓動するように点滅を繰り返す指輪。何かに反応しているのか、それは動脈に触れる血管のようにリズミカルに躍動していた。

 息を呑んで右手を軽く振ると、


「これが、ステータス表――?」


 通常表示されるはずの半透明のパネルがブラックアウトする。

 そして、そこには見慣れない文字が浮かび上がていた。


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