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15話 大きすぎる犠牲

 それからしばらく、三十分ほど長めの休憩を取り、探索を続けることとなった。

 はじめはジェイも反対するかと思ったのだが、帰れなくなったことが相当ショックだったのか、ノアたちの提案をあっさり引き受け、死んだ眼はどこか関係ないところを向いていた。

 

 あまりのショックで精神が崩壊したかと思ったが、どうやら生きるだけの気力はあるらしい。非常食を食べてはノアですら読み取れない感情の渦が彼のなかに渦巻いていた。


 一方センバスといえば可能な限り周囲の壁画や地面、そして、四体の像を見て回り、ファッジもそれに着いていく。きっと興味の尽きないことには体力もなにもないのだろう。

 「あの人たち化け物かよ」と若い同僚に言わしめるほど、休憩時間を利用して現在発見した建造物の仕掛けなんかを調査していた。


 唯一疲れを見せたローナンも、携帯食料を齧って一休みしたら元気が戻ってきたのかだいぶ顔色がよくなっていた。


 そうして再び探索を進めること三十分。


「だんだん、奥に行くたびに明かりがいらなくなってくるな、――おい。こりゃ目的地が近いってことでいいのか?」


「そうだといいんですけどねーそう思いません? ……ファッジさん?」


「青白い光。これは地下大地に散布される不思議な灯りの正体に似ていますが……でもどこか違う気がするのはなぜでしょう気になりますね」


「あらら、ファッジさんの研究魂に火がついちゃったよ。――ねぇ、ノア君はどう、思う――?」


 そう言っていたローナンの言葉が不意に途切れた。

 探索者一行は、唖然とした表情で『谷』を見下ろしていた。


「道が、ない」


 ノアの心を誰かが代弁してくれた。

 それは谷だった。元々は橋が架かっていたのだろう。欠けた根元は柱と同じ岩を削った装飾が施してあるらしく、風化して朽ち果てさえいなければ荘厳な雰囲気を醸し出していたかもしれない。

 それでも長い年月には耐えきれなかったのか、橋だったと思しき残骸が深い谷底に溜まっていた。

 谷底はそこまで深くはないが、川が流れていたのか、隆線を描くように所々削れた跡が窺えた。

 

 向こう岸まで距離にして二百メートルはあるだろうか。

 超スピードで突っ込むことのできるノアなら問題なく飛び越えることができるかもしれないがしれないが、常人のセンバスたちには不可能だろう。

 

「うーん、センバスさんどうしますこれ? ノア君ならともかく俺たちじゃあ――」

「黙ってろ、とりあえずお前らはロープをつないで、長縄を作っとけ。俺は坊主と話し合ってくるからよ」


 そう言って、腰に結わえ付けたロープの束をローナンに押し付けると、センバスはノアを連れて崖下をのぞき込んだ。

 水が枯れているのは幸いだ。高さはそこそこあるが、下りられない高さじゃない。

 だが、それでも十分危険だし、谷の絶壁に手を伸ばせば、岩が風化して脆くなっているのかかなりボロボロだった。


「ほら、見たことか!! 行き止まりだ!! 我々は帰れない!! 私たちはここで死ぬんだ」

「喚くなよジェイさん。まだ渡れねぇと決まったわけじゃねぇ。……高さは約百メートルってところか」


 苦しそうに息をひそめるセンバスの言葉に、ジェイの表情がサッと青くなるのを感じた。

 きっとノアと同じことを考えていたのだろう。震える唇が青を通り越して白くなり、ジェイは少し離れた場所で作業しているローナン達とノアを見比べて、戦慄きはじめた。


「ま、まさかここから降りるなんて言い出すんじゃないだろうな!!」

「おお勘がいいなジェイさん。その通りだ、もうこりゃ下りるきゃねぇだろ」

「冗談じゃないぞッ!!」


 ジェイから上がる悲鳴が一層強くなった。

 まぁ確かに否定したくなる気持ちはわかる。ノアだって地下大地にいた頃は、訓練と称して魔王さまののイタズラで崖からよく飛び降りたものだ。落下の恐怖やトラウマなら嫌というほど理解している。

 頭を振りかぶり、ずれた眼鏡を必死に直しては地団太を踏むジェイ。

 まるで信じられないものを見るかのような目つきでセンバスを見て、谷底を指さした。


「この高さから落ちれば間違いなく死だ。そ、それに下になにが待ち受けているのかもわからん。君達が早死するのは勝手だが―――こ、この私まで巻き込むな!!」

「じゃあ、ここで大人しく野垂れ死ぬか? どっちにしろ前に進むしか道はねぇんだ。むしろこの短い時間のなかでここまでこれたのは上出来だ。――まぁ残りたいんなら残ればいい。俺たちは先に行くぜ」


 それができないとわかっているのだろう。

 恨みがマシそうな視線を向けるジェイだったが、センバスの一睨みでシュンと大人しくなる。

 まるで煽るような口調に、ノアは心から感謝した。

 ジェイはノアの護衛対象だ。自分の仕事は彼を命の危険から守ることであり、無事に地上に送り届けることでもある。

 駄々をこねられて置き去りにするわけにはいかないのだ。それをセンバスはあえてプライドの高いジェイの自尊心を傷つけることで奮い立たせているのだ。


「すみません。僕の仕事なのに……」


「なぁに気にすんな。足手まといなのはこっちも同じなんだ。せいぜい坊主の邪魔にならんようにしねきゃ部下に示しがつかねぇよ。それにしてもどうやって下りるかだ」


「足場はかなり不安定です。一人ずつ下りるにしても慎重に行かないと崩れるかもしれません。他にルートは――」


「残念ながらざっと見た限りじゃあ、見当たらねぇな。――ここに隠し通路でもあるってんだったら話は別だが……何かわかるか?」


 期待を込められた視線がノアに注がれるが、あいにくとそんな仕掛けは感知できなかった。

 瞼を閉じてゆっくりと首を振ると「そっか」という、どこか覚悟めいたため息が聞こえてきた。


 後ろでは何本もの丈夫なロープを張っているローナンとファッジだが百メートル並みの頑丈なロープは持ってきていないようだ。

 全員の手持ちのロープを合わせてもせいぜい四十メートルというところが限界だ。

 すると――


「――おいクズが!! 私を無視するな、聞いているのか」


 感情に任せて息を弾ませ、伸びた右手がノアの髪を掴んだ。

 わずかに顔をしかめて小さく呻く。だがジェイはそんな姿に同情も抱かないのか、奥歯を鳴らして 

右手を握りしめた。


「私を舐めるのもいい加減にしろよクズが……。今すぐ私をここから出せ。――いいか? これは命令だ。お前等みたいなクズは偉大なものの指示に従って生きていればいいんだ。お前の主はあのクズの雌犬だろう? こんな出来損ないを私に掴ませやがって――何をしている!! 早く救援信号を出して、私をここから救い出せ!!」 


 これが彼の本性なのだろう。吐き出される言葉には一切の敬意がなく、剥き出しの感情がノアに向けて飛んでくる。

 肌に食い込む指先がジェイの感情を示しているのか、彼はもう限界のように見えた。

 目は血走り、歯をむき出しにしてノアを睨みつけている。

 何度も肩を上下させ、荒い息を吐き出しては返事がないことにいら立って何度も何度も同じことを繰り返した。


「いいか? 私はあのジェイ=キシュハルトだぞ。こんなところで野垂れ死んでいい存在じゃない。ゴミをあさり、盗みを働き、まともな生き方すらできない出来損ないのクズとは違うんだ!! ――さぁ早く出せ、出せと言っているだろう? できないなどとは言わせない。さっさと俺のために働け!!」


 ついに感情が暴力に変わりジェイの拳が高々と振り上げられる。


「やめろ!! また殴られてぇのか!!」


「うるさい黙れッ!! こいつは私の護衛だ。どんなことがあろうと私を守るのがコイツの役目だ。殺されたくなければ部外者は引っ込んでろ!!」


「――んだとうぅ」


「二人ともやめてください!!」


 ノアの叫びに、腕を捲し立てて、握りこぶしを作ったまま固まるセンバス。

 あっけにとられたような表情でノアに視線を下ろし気まずそうに、拳を下ろした。


 自分の代わりに怒ってくれるのはありがたいが、それに甘え続けるわけにはいかない。

 確かに他人からあみればノアの身体はまだ子供だ。だが、それでもノアはお金をもらって仕事をしている。これ以上、誰かの優しさに甘えるわけにはいかない。


 それにこれ以上仲間内で軋轢を生めば、のちの探索で何が起きるかわからない。ジェイを殴って、センバスが訴えられるような目にあえば、それこそ本末転倒だ。

 

 鼻息荒くセンバスをなだめるようにジェイから引き離し、小さく息をつくとノアは改めてジェイに向き直った。

 視線が合った瞬間に、眼鏡の奥の光が怪しく揺れている。

 だから、ノアはもう手遅れだとわかっていても深々とジェイに向かって頭を下げた。


「すみませんでした。僕ではジェイさんを守るのに力不足だったみたいです」


「ほほう――クズにしては殊勝じゃないか。なら、当然、責任は取ってもらえるんだろうな」


 愉悦に頬を歪ませるジェイ。まるでそうなることが当然かのように小さく鼻で息をつき、ノアを見下ろした。だから、ノアは小さく息を吐き出し、ゆっくりと顔を上げた。


「僕の命に代えてでも責任は果たします。ただ、クローディアさんからの救援は来ません。――僕の命に代えても貴方をお守りします。いまだけは、僕を信じて頂けないでしょうか?」


 火に油を注ぐことはわかっている。だが、簡単な気休めを口にすることほど残酷なものはない。

 もう一度、深々と腰を折って謝罪するノアの姿を見て、安堵した表情がたちまち激情に変わっていった。


「この――クズの劣等種の分際で私を愚弄するかッ――」


 掴みかかるように飛び出したところを、今度こそセンバスに羽交い絞めされ地面に押し倒される。


 ノアのためを思って手は出さないでくれたのだろう。激しく抵抗するジェイを押さえつけて、二人の怒号が洞窟に木霊する。


 確かに自分は護衛失格かもしれない。

 護衛という命を守る方にばかり気が向いていて、彼の精神にまで気が回っていなかった。

 こんな恐ろしい目にあって普通でいられるわけがない。精神的に追い詰められるに決まっている。

 これは自分の失態だ。

 ジェイが自分を毛嫌いしているからと言って、彼の精神的不安を取り除けなかった。

 きっとトールやシオンならもっとうまく立ち回れただろう。


「これは、僕の責任です。僕の力不足で迷惑をかけて申し訳ございませんでした」


 ついに観念したのか、絶望に正気を失ったのか。糸が切れた人形のようにおとなしく鳴るジェイを見下ろし、小さく悪態をつくセンバス。

 その口が「恩知らずが」と動いた気がして、ノアはできるだけ地面に転がる彼から目を逸らすようにしてセンバスに向き直った。


 腰を浮かせて成り行きを見守っていたローナンも、状況が落ち着いたことに安堵したのかホッと胸を撫でおろして、縄の束を抱えてセンバスのもとに走ってきた。


「長縄の用意できました。こっからどうしますか?」


「うるせぇ、それをいま考えてるとおころだ。さっさとそいつをファッジに渡してこい。……大丈夫か坊主。顔、白いぞ?」


「そう、ですか? ……大丈夫です。それより、どう渡り切るかを考えましょう」


「坊主……」


 センバスのため息にも似た声をあえて無視する。

 そうだ。いまは自分のことなんかより、みんなをどう無事に帰すかだ。

 谷底に視線を走らせ、ノアは考え込む。

 別ルートを探すのはもう不可能だ。なんども感覚を尖らせて周りを探っては見たが、隠し扉らしき反応は見られない。それどころか生き物の気配が多すぎて今のノアには識別しきれないのが現状だ。

 今すぐ襲ってくるという訳ではないが、確かに何かがいるような気配を感じる。一応、みんなには武器を常に構えるように指示を飛ばしているので咄嗟にやられるという事はないだろう。

 

 ノア一人で渡り切れる谷も、彼らは渡り切ることができない。

 

 ならいっそ、自分がみんなを一人ずつ抱えて、何度も往復してしまえばいいのではないだろうか。

 少なくともその余力はあるし、鎧姿で日頃慣れてない動きを無理強いして崖を下らせるよりかはずっと安全かもしれない。


 顔を上げてセンバスにたったいま思いついた案を口にしようと顔を上げ、


『――人間ッ!!』


「――危ないッ!?」


 魔王さまと誰かの声が同時に跳んできた。

 一瞬の出来事だった。何がどうなったかなんてわからない。

 ただ、横から飛び出したナイフが身体に突き刺さっていた。


 ――僕でない、誰かに。


 僅かに飛び散る血しぶきがノアの頬に張り付つく。地面に滴り落ちる粘着質のある音。頭上からわずかに空気の洩れた声が聞こえる。

 生温かい。これは、いったい――。そんなことを思う暇もなく、背中から飛び出るナイフの切っ先を見つめ、ノアは叫んだ。


「ローナンッ!!」


 言葉が飛び出たときにはもう遅かった。身体をかがめて苦しそうに呻くローナンがもつれる様に倒れ掛かってくる。そして、その奥に目を真っ赤に血走らせ、狂気の笑みを浮かべるジェイの姿があった。

 なんで、どうして彼がローナンを――。そんな思考が頭を掠め、ジェイが自分を狙っていたのだと気づかされる。

 ローナンは、僕を守ってくれたのだ。


「ローナン、なんでッ!?」


 それでも答えは返ってこない。よろけるローナンの身体を必死に支えようとして手を伸ばし、足場が崩れた。

 ゆっくりと襲う浮遊感が、ノアの身体を硬直させる。


「――ッ!?」


「――つかまれ坊主……!!」


 ゆっくりとこちらに手を伸ばそうとするセンバス。それでもノアの短い手では届かない。とっさにマントに手を伸ばすが、落下と同時に寄り掛かったローナンの身体を支えるので反応が遅れた。

 まるで時間がゆっくり流れているようだ。センバスの必死な形相に、こちらにロープを投げ捨てこちらに駆け寄るファッジ。ジェイは依然と自分の真っ赤な手のひらを見つめて怪しく笑っているこちらを見ようともしていない。

 そして――


「ローナンッ!!」


 センバスの力強い声にピクリとも反応しないローナンが、腕の中でぐったりしている。

 浮遊感が遅れてやってきた。この景色には覚えがあった。そうだ、僕が死ぬ瞬間のあの景色。死ぬ直前に見た絶望の瞬間だ。

 空中でもがくこともできず、かといってローナンを見捨てることなんてできない。

 絡まる思考が、ノアの身体を奈落へと引きずり込む。

 どんどん小さくなっていくセンバスを眺め、ノアはローナンの身体をぎゅっと抱え込んだ。


 せめて、彼だけは守って見せる。


 マントに手をかけ、魔力操作をもってローナンの身体を厳重に包む。

 そうして、ノアは迫りくる地面を見つめた。

 迫りくる衝突まであと十数秒。

 死者を飲み込むように口を開ける谷間が二人の探索者を飲み込んだ。


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