13話 失態の代償
「――すみませんでしたッ!!」
「……まぁ、なんというかうん。派手にやったなぁおい」
「ほぼ全壊ですもんね。上にいた探索者はご愁傷さまでした――ですかね?」
「いや、案外階層の間が結構あったから無事のような気もするが、現状は何とも言えんな」
三人のため息がいまはただ苦しかった。
土下座で済む問題ではないが土下座せずにはいられない。
あれだけ和やかなムードだったセンバスたちも状況を理解する能力が戻ってくると、出口を見つめては渋い声を浮かべている。
顔をあげれば、小さく苦笑するセンバスが土砂で埋まった『出口』を見ている。その後ろではローナンとファッジが怒れるジェイを宥めてはいるが上手くいっていないようだ。引き攣った笑顔は隠せていない。
『まぁ帰れなくなったばかりか、この先い切れ帰れるか保証できないわけだ。まぁこうなるわな』
「――うう、いまそれを言わんでください魔王さま」
これも全てノアの責任だ。
岩盤がもろかったのか、それともノアの一撃が強力すぎたのか、それとも両方だったのだろうか。どちらにしても言い訳できない。いま考えてみれば、壁に叩きつけるのではなくもっとやり方があったように思えてくる。
例えば一体一体を迅速に潰していくとか、壁に叩きつけるのではなく骨を壁に投げつけるとか。しかし、いまさら後悔したところでやらかしてしまった過去は戻らないのもまた事実なのだ。
センバスのため息にも似た声が洞窟に一人木霊する。
「どうすっかなこれから、――まぁやることは変わんねぇし進むっきゃねぇのはわかってんだけど。それにしても帰れねぇってのはちときついな」
「まぁまぁセンバスさん。どっちにしろあの大群じゃあノア君の力を借りなきゃどうにもならなかったんですし、こうしてみんな無傷で事なきを得ました。目的もはっきりしていいじゃありませんか」
「……確かにこういう手合いの洞窟は大抵いくつかルートがあるもんだ。――が、それは入り口あっての話だ。入り口がどこにあるかわからない以上、こりゃ生きて帰るには本当に入り口を見つけるしかねぇって訳だ」
「もう、ほんっとうにすみませんでした!!」
頭を地面にこすりつける。こんなことをしても問題が解決することにはならないのはわかっている。それでも土下座せずにいられないのは、少しでも罪悪感から逃れるためだ。
結局、自分のために
それでも頭を撫でるように置かれた大きな手は、優しかった。
「まぁそんな落ち込むな坊主。失敗は誰にでもあらぁな。むしろ目的がはっきりしただけでもがぜんやる気が出るってもんだ」
「そうそう。ついでに言っちゃえば俺たちも死ぬ気で探索活動に集中できるから、もしかしたら他の組より一番に入り口を見つけられるかもしれない」
「――となるとまずは食料の確保からですかねぇ。あの骸骨、どうやら外側の骨は人間のものですが、なかは創生獣のようですね。ほら見てください。この緑色の粘菌が骨を動かしていたんですよ。――となるとやはり入り口は近いってことになります」
あの乱戦で持ってきたのか。ウジュウジュと蠢く粘菌は空気に触れて苦しむように溶けて消えた。
確かにファッジの言葉はどこまでも冷静で状況を見ていた。
一人で何かをしなければ。そんな強迫観念にいつの間にか駆られていた自分に気が付いて、ノアは耐えきれない想いで目を伏せた。
みんなに頼られて少しだけ調子に乗っていたかもしれない。
認められるのが嬉しくて。ほめてもらえるのが心地よくて、つい出しゃばった行動をとってしまった。
彼らだって考えて、この危険な依頼を受けているのだ。当然、奈落の知識だけなら彼らの方が上だ。
もしかしたら、彼らに助言を求めていればこんな結果を招かずに済んだのかもしれない。
握る拳が石を砕き、ぐちゃぐちゃな感情が胸の中でないまぜになっていく。
強い力を持っていて浮かれていた自分が恥ずかしい。
もっと頼ることを覚えないと。――これじゃあ昔となにも変わらない。
『まぁそうやって学んでいけばいいさ人間。今回はいい薬になったな』
諭すような魔王さまの声に、ノアは静かに頷いた。
この感情は忘れないでおこう。
魔王さまの忠告を心にとめつつ、ノアはローナンに促されるままゆっくり立ち上がる。
そこで護衛対象のジェイだけが見当たらないのに気づいて慌てて首を振って探すと、四人から一番離れたところで、ジェイの鎧が地面を叩く音が聞こえてきた。
「……目的がはっきりした? 君たちはそんな理由でこの暴挙を許すのかね!?」
フラフラと立ち上がるジェイが幽霊のような生気のない目でノアを見た。
一瞬、狂ったような虚ろな瞳がノアを射すくめる。まるでこの世の終わりを見たような表情は、亡者の肌より白く震えていた。一歩一歩歩き出す両足は頼りなく、どこか生きる屍を思い起こさせる。
その諦めの籠った視線が気に入らなかったのか、目尻を尖らせるセンバスの口調に棘が混じった。
「――んだよ、ジェイさん。あの状況で命が助かったんだぜ、探索者ならよくあることだろ」
「はっ、よくあること!? 洞窟で生き埋めになることがよくあることなのかねセンバスさん。あなたはどうやらオツムが足りていないらしい。――状況を見てみろ!!」
捲し立てるように吐き出される言葉はどれも空気を狂わすようで、語調を強めた言葉でさえ虚しく聞こえた。鈍色に輝く指先は出口の完全にふさがった通路を指さし、壊れた笑みが洞窟を木霊する。
「出口はない。救援など期待できない。食い物だってあと三日持つかどうか怪しい。こんな状況で希望が持てるあなた達は狂っている!! あなた達は本当に生きて帰れるとでも思っているのかね!?」
「いちいち声を荒げるんじゃねよ。だいたいその期間内に見つけりゃいい話だ。何も問題ねぇ」
「はっ!! 低能なあなた達は本当に気楽でいい。……本当にわかっているのかいまの状況が!! 我々は死ぬんだよ、ここで!! ――そう、全てこの出来損ないのせいでな!!」
言葉が重くのしかかり、一瞬息が止まったかとさえ思った。
ジェイの蒼白な表情がこの状況をどれだけ危険なのか知らしめている。
ただでさえ地上と隔絶された世界にいるのだ。地面に落ちた深度計を見れば、そこは4000メートルをオバーしている。指輪の通信機能も使えないのであれば確かに、救援など期待できるはずもない。
「初心者にゃよくあるミスだ。第一俺たちも坊主に頼りすぎていたところもあった。同罪だよ同罪」
「だが、こいつは元々私を守るための護衛だ。あなたがどう庇おうと関係ない。このクズは主人を危険に晒して殺しかけた!! ――お前はどう責任を取るつもりだ!!」
いきり立つ肩を上下し、鬼の形相でセンバスを押しのけた。バランスを崩して尻もちを着くセンバスの苦悶の声が耳に届いた。それでもノアが駆け寄ることができなかったのは、ジェイの細い両手がノアの首に伸びたからだ。
足が空中に浮き、気道が僅かにつぶれる。バタバタともがいてもその両足が地面に触れることはなく、血走った眼のジェイから締め付けられる両手が緩むことはない。
締め上げる両手に一層力が入り、痛みではない熱がじわりと細い首を焼いていった。
振りほどくことなど簡単にできる。ただ、一瞬でも力加減を間違えれば、ノアは護衛対象を傷つけることになる。それでは本末転倒だ。
ひび割れた眼鏡の奥がどす黒い感情で揺れている。あれほど自身に満ちあるれていたジェイは見る影もなく怯え切った表情でノアを見ていた。
堪らず小さく呻くと、慌てて立ち上がるセンバスの太い指先がジェイの腕を捕らえた。
「おいあんたそりゃやりすぎだぜ。坊主は立派に役目を果たしたばかりか俺たち三人の命も助けたんだ。何もできず震えてたあんたが言っていい言葉じゃねぇよ」
「――はっ、だがこのクズが原因で我々は今や生き埋め同然だ。帰れる保証もなく救助を待つことも期待できない。このクズの責任だ!! 何か言ったらどうなんだええッ!? ――この、役立たずがッ」
時計と同時に拳が飛んできた。
地面に叩きつけられ、反射的に身体を丸める。痛みはない。それなのに胸の奥がこんなにも痛いのはなぜだろう。……きっと、罪悪感があるからだ。
立て続けにノアの身体に踵が落ちて、何度も何度も踏みつけられた。
バウンドする身体を押さえつけるように踏まれ、顔をその冷たい足が蹴りつける。
傷つきはしない身体に、痛みが遅れてやってくる。
同調外傷。
この程度でこの転生体に傷などつかないが、それでも『痛み』だけなら何度でもやってくる。
そもそも魔王さまが痛覚を遮断してしまえば、痛みなど感じる必要はないのだ。一瞬の痛みがなくなればとっさの判断も容易にできるし、身体の痛みを心配することなく行動できる。
一見、いいことづくめのように思えるが、ノアは魔王さまに頼み込んで痛覚だけは取り除かないように懇願した。
理由は単純だ。痛みは『人間』にとって必要な刺激だ。誰かの痛みを共感するのも、誰かを傷つけるのも『痛み』が伴う。肉体的にも精神的にもただ都合のいい『痛み』を消して生きていこうなど、どうして思える。
そんな『つまらない』人生など送りたくないし、第一魔王さまに失望される人生など送るつもりもない。
だけど今だけは、胸の痛みを消してほしいと心から思う。
それでも、この痛みを受ける義務がノアにはある。言い訳を口にして逃げる資格などない。
それでも痛いものは痛い。
振り下ろされたつま先がノアの額を直撃し、ノアは堪らず顔を庇うようにして身体を丸めた。すると、鈍い音と共になにか生温かい飛沫が飛んできた。
ノアの口から吐き出されたものではない。なら一体、この鉄臭いにおいは――
目蓋を持ち上げ、目を見開く。眼鏡を掛けていたはずのジェイの口元から血が漏れていた。眼鏡はノアのすぐ目の前に転がっており、今度はセンバスがジェイの胸ぐらをつかみ上げているのが見えた。
滴り落ちる血液にも構わず、センバスの拳が硬く握られている。その額には青い筋何本も浮かんであった。
「おい恩知らず。テメェ、なにガキに手上げてんだこの野郎」
「この手を離せ薄汚い老害が!! わたしを誰だと思っている。この世で最も偉大なジェイ=キシュハルトだぞ、誰に手を挙げたかわかっているのか!?」
「ガキに手ぇ上げるクソ野郎のことなんぞ知るかッ!! ――おい離せローナン!! おめぇどっちの味方だ!! 邪魔だ離しやがれ!?」
今にも振り下ろしかねんばかりの拳を何度も振りかぶり、突進しそうになるセンバス。
ローナンがセンバスを引き離しかかっているが、抑えきれていない。鼻息荒く拳を握るセンバスは、徐々にジェイとの距離を縮めていった。
それでも眼中にないのか、それとも痛みに現実を受け止めきれていないのか。その場にへたり込むジェイの唇から抑揚のない声が漏れる。
「だ、大体私がこんなところ薄汚い場所にいるのがおかしいんだ。こんな雑用、他のものに任せればいいのに、なぜ私なんだ。そもそも社長の命令でなければこんな化け物と地下に赴くなんてこと――」
身体を掻き抱くように震える両腕は鎧の金具を震わせカタカタと虚しい鳴き声を上げる。あれほど整った顔や髪は土で汚れており、今にも両目を抉り出しかねない両手で頭を掻き乱した。
「どこで狂った。――こんなはずではなかった。順調に入り口を見つけて、社長に認められ重役にまでのし上がるはずだったのに。……私の人生はここで終わりなのか? こんなくだらないクズ共一緒に?」
「――ッ。おい、もっぺん言ってみやがれ!? 誰が化け物だって!! 坊主をそんな風に言うんじゃねぇよ臆病者が!! それに諦めてんじゃねぇまだ終わったわけじゃあ――」
「どうどう、二人とも落ち着いて――って力強ッ!? ああもう、ファッジさん助けてくださいこの人止まんねぇ!!」
これ以上問題を広げないように押し留めるローナン。額には汗が浮かんでいて、ノアと視線が合うと小さくウインクして見せた。すると、イザコザに巻き込まれないように待機していたファッジが急いでノアのもとに駆け寄ってきた。
「身体は大丈夫かい? 痛かったろうに」
「あ、その。大丈夫です。――でも皆さんにご迷惑をかけてしまって、僕……」
「迷惑なんてかけちゃいないさ。センバスの言う通りだった、むしろ我々の方が足手まといだった。……これで冷やすといい、私は彼らをなだめに行くから。――ほらほら、仲間割れしている場合じゃないとりあえず離れた離れた」
ファッジが今にも殴り掛かりそうなセンバスを無理やり引き離しにかかる。
多少の乱闘はあったものの、全員は無事だ。無事なはずなのに、こんなに落ち着いている自分がいまは嫌になる。
ファッジから受け取った冷却材を頬にあてる。冷たい、と同時に胸から熱い感情があふれてくる。
迷惑をかけてしまった。出しゃばってしまった。失敗した。
久しく感じなかった感情が、血液を通して全身に廻っていく。
それでも前に進まなくてはいけないのが、いまはただただ苦しかった。