12話 一難去って――
「いきます!!」
そう叫ぶなりセンバス、ローナン、ファッジの三人がまるで示し合わせたかのように、ジェイに背を向けてスムーズに防御の陣形を作った。
僅かな隙間を縫い付けるように伸ばす『灰色の腕』が円を描くようにとぐろを巻く。
それ瞬間もつかの間、まるで鞭のごとくしなる『腕』は全ての骸骨を余さずその『爪』に納めると、総勢三十余りの骸骨を一切の容赦なく壁に叩きつけた。
バキボキメキャッ!? と枝を折るような音と壁に『爪』がめり込む音が同時に響き、壁一面に白と緑の染みを作った。
浮遊感が遅れてやってきて指を天井に突き立て、天井にぶら下がる。
細く短い左手はノアの身体を容易につるし、下を見れば全員が無事なことにノアはホッと息をついた。動く骸骨は一片たりとも押しつぶし、薙ぎ払った。
これで危険は去った。
――そう思ったのもつかの間、頭の中で魔王さまの鋭い声が飛んできた。
『ぼぉっとするな人間!! 老朽化で壁が脆くなっている」
「――えっ!?」
ピシッと緊張の糸が切れたかのような音が頭上から聞こえ、背筋に嫌な予感が走る。
すぐさま異音がする方向に視線をやれば、老朽化して脆くなっていたのか、ひび割れた『爪痕』に亀裂が入っていた。
まるで岩を紙屑みたいにちぎれる音が、洞窟を揺らしパラパラと崩落の予感を知らせた。
「……もしかして強く叩きすぎた?」
『おそらくな。早く逃げろ。崩落に巻き込まれるぞ!!』
そうだ、ここは洞窟だ。しかも何百年と放置された脆い洞窟。人の手が加えられてはいるが当然、耐久性など考えられていないだろう。そんな洞窟の壁に何かを叩きつければどうなるかなどわかり切っている。
後悔よりも先に身体が動いた。咄嗟に身体を持ち上げ、天井を足場に飛び出した。
呆気にとられたような顔で頭上を見上げるセンバスたちの視線がノアに向けられた。
「ここは崩落の危険があります!! 脱出するので捕まっていてください」
「だ、脱出っつたっていったいどこに――」
センバスの言葉はもっともだ。しかしここでもたついていては助かるものも助からない。
「このまま突き進みます。これに捕まってください」
もうそれしかない。
形成したマントを広げ両腕に巻き付け、飴細工のように引き延ばす。ノアの腕が『灰色の爪』で四人の大人を抱えるのに十分な長さまで延長された。
ほとんど直感的に形成したがうまくいってよかった。丸太のように太い灰色の腕は元となった『マント』からは想像できない程、膨張し、大きさを維持している。これも魔力操作の一端なのだろう。原理はよくわからないが魔王さまの転生体の身体の一部ならできたとしても不思議じゃない。
「――捕まって!!」
戸惑うような表情を見せるセンバスたちだが、これ以外に全員を助ける手立てはない。
天井はすでに細かい亀裂が走っており、いまにも崩れ落ちそうだ。
一刻の猶予もない。一瞬ためらう仕草を見せるセンバスだったが男気を振り絞って力強く『爪』に抱き着くと、残りの三人も飛びつくように左右の腕にしがみついた。
魔力操作を用いて、全員の身体を固定する。驚きの声がそれぞれ上がるがもう構ってなどいられない。脱力と同時に姿勢を落とし、踵にかかる全体重のベクトルを変換すると、一気にその場から飛び出した。床がひしゃげる音と崩落は同時に襲ってきた。
後ろで上がる悲鳴に構わず、速度を上げる。
怒号を叫ぶ魔窟は、まるで震える怒りを体現するかのように、容赦なくノアたちを飲み込もうとした。そうはさせまいと必死に足を動かすノアだったが、身体にかかる負荷が予想以上に大きく、出力認識の齟齬の違いか身体にまとわりつく同調外傷の負荷に小さく呻いた。
「――重ッ!?」
四人を運びながら爆走するなど『生まれて』このかた試したことなどないのだ。ノアの言葉も無理ないだろう。
現に重心が後ろにとられ、走りにくい。
魔力操作で四人を持ち上げているもの、それでもこの身体を動かしているのは魔王さまなのだ。ノア以上に細心の注意を払って『全て』を操作している魔王さまに比べれば、同調外傷の痛みなど屁の河童だ。
歯を食いしばり、洞窟を駆けまわる。それでもノアの不安の種は尽きない。
なにせ、全ての運命は自分の意識と決断にかかっているのだ。
少しでも足をもつれさせればたちまち土砂に飲み込まれるし、力加減を少しでも間違えれば運んでいる四人を圧殺しかねない。それにノア自身に耐えられる風圧でも、もしかしたら腕にしがみついている四人にはひとたまりもないかもしれないのだ。
「皆さん大丈夫ですか!!」
振り向けば、絶叫と共に響くどこか楽しげな叫び声が返事の代わりに聞こえてくる。
どうやら無事のようだ。一瞬だけ、ジェイの泣き叫ぶような声が聞こえたが、無事ならそれでいい。なにせ後ろから迫りくる土砂は一切の容赦なく、砂と岩とを吐き出しノアたちを生き埋めにかかるのだ。命あっての物種。あとでいくらでも謝罪すればいい。
それに圧巻なのは、洞窟の崩落ではなく魔王さまの魔力操作だ。意識的に操作しているはずの灰色の腕がノアの意識に反してさらに二股に別れ伸び『四本の腕』を作り出している。その個別に動く『四本の腕』は落ちてくる落石や岩を躱し、受け流し、砕いていく。
『四本の腕』がまるで意識を持ったように動くさまは無駄がない。むしろ、その程度の余興片手間でできると言わんばかりの芸当に声を失っていると、頭の中で魔王さまの怒号が響いた。
『よそ見している余裕があるなら集中しろ馬鹿者!!』
バチンと耳元で電気が炸裂するような音が響き、ハッとなって我に返る。
そうだ感心している場合じゃない。ノアも落ちてくる落石をよけ、時に崩れた壁の隙間を滑り込み、前に進んでいく。
亀裂はあと百メートル先まで続いているらしい。
ノアが付けた爪痕を皮切りに侵入者を飲み込むような洞窟の崩落が迫りくる。
そして――
「おい坊主!! あれ行き止まりじゃねぇのか!!」
センバスの叫びに、ノアは小さく舌打ちした。
おそらく隠し通路の一種だろう。だがそんなものを解いている暇など一秒もない。
一瞬でも立ち止まればたちまち飲み込まれる。
どうすれば――。
『――ええい人間、余計なこと考えず魔力操作なら私に任せろ。お前を壁を打ち壊すことだけ集中しろ!!』
ここまで激しい剣幕の魔王さまを見たのは初めてかもしれない。
そんな場合ではないのに、胸の内側から笑いが込み上がり、ノアは魔王さまに全てを託した。接続していた『腕』の意識を切り離して両手を自由にする。
それでも灰色の腕は背中越しで接続され、四本の腕は維持されたままだ。
心のなかで最大限の感謝を呟き、迫りくる壁にスピードを一切緩めることなく突っ込むと、
「吹っ飛べえぇぇえええええ――――ッ!!」
雄たけびと共に右拳を全力で振りぬいた。
通路を隔てていた岩壁が吹き飛んだあとに、衝撃音が遅れてやってくる。
一瞬、この通路も崩壊するのでは以下と思われたが、身体を滑らせるように通路に飛び込むと、そこは先ほどまでの洞窟よりさらに広い空間が広がっていた。
「――抜けた!!」
『あ、馬鹿!? いま気を緩めると――』
言われて自分の愚かさに目を見張った。
一瞬の気の緩みが致命傷だった。もつれる足が絡まりバランスを崩して転がる。時速百キロはくだらないスピードで錐もみ状に転がればどうなるかなどわかり切っている。頭の片隅で、四人の身体が合いびき肉になる想像が駆け巡り、魔力操作の集中が途切れた瞬間に臓腑のなかのすべてが冷えるのを感じた。
暗転する視界、轢きづるように地面に擦りつける肌は一切傷はない。ただそれはノアの身体が特別だからだ。身体に走る同調外傷にも構わず立ち上がると、後ろを振り返るとノアはゆっくりとへたり込んだ。
そして大きく息を吸い込み、無言で大きく脱力した。
転んだ瞬間に魔王さまが魔力操作で転倒に巻き込まれる前に開放したのだろう。所々擦り傷はあるものの目立った怪我はない。全員無事だ。
よかったという安堵感が遅れて胸の内にあふれて、そっと撫でおろすと、頭の中であからさまに威張ったような魔王さまのため息が聞こえてきた。
『ふん、誰に物を言っている馬鹿者。任せろと言ってこの私が失敗するわけなかろう』
「そうですね。――うん、そうでした。ありがとうございます魔王さま、おかげで全員無事に助かりました」
『まぁ最後の方は本当にギリギリだったがな』
「珍しく狼狽えてましたもんね」
『うるさい、これは貸しだからな。あとで何かで返すように』
きっぱりと言い放ちそっぽを向いてしまう魔王さま。
それでも、魔王さまが手助けしてくれなかったらそれこそ全員が押しつぶされていたに違いない。
何がいいですかと聞くと「帰ったらアイス一つ」と言われてノアは小さく苦笑した。
要求があまりにも安すぎる。魔王さまにとってはその程度の貸しなのかもしれないが、その程度の出費でこの大きな借りが返せるのなら安いものだ。
パフェもつけます、と約束するとあっさりと手のひらを返して上機嫌になる魔王さまだった。
『それにしても、ずいぶんと派手にやったな人間』
「こちらとしましても不可抗力なんですけどねぇ」
崩壊した洞窟を眺め、大きく息をつく。
出口が土砂で完全にふさがってしまった。これで一時帰還という希望は断たれてしまったわけだ。
「……僕が言うのもなんだけど、もう進むしかないんだろうな」
もしかしたら入り口は一つではないかもしれないし、階層ごとにいくつもルートが別れてあるのかもしれない。
希望観測を胸にノアは大きく息を吸い込むと、そっと感情を吐き出した。
すると、センバスたちも自分たちが助かったことをようやく実感したのだろう。白い顔をお互い見合わせ地面に転がる彼らの声が洞窟に響いた。
「――た、助かったあああぁぁッ!!」
その大半は「死ぬかと思った」やら「危なかった」というものだったが誰もノアを批判する者はいない。もしかしたら忘れられているだけなのかもしれないが、子供の用に先ほどまでの冒険譚を語り合う三人の姿は、大人というより興奮気味に瞳を輝かせる少年そのものだった。
そんな姿を想像し、不謹慎だと思いながらもノアは込み上げる笑いを抑えられなかった。
ポカンとノアを見つめるセンバス達もつられて笑いだすと、四人分の笑い声がやがて大きく鳴り響き、洞窟を震わせるのだった。




