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10話 少しの失敗

 空気が重さを孕んでいるような気配を感じ、ノアは小さく身震いした。

 息を吸い込めば、わずかだが空気のなかに鋭く刺すような匂いが混ざっている。鼻をつまむほどの匂いではないがそこは明らかに『上』とは違う気配がした。


 明かりを頭上に向ければ、洞窟の中は『上層階』と違って、不気味な雰囲気に満ちていた。

 壁は岩だけではなく、何かの苔や、生き物が生息していたであろう爪痕が残されている。僅かに湿っぽい空気の中に死の匂いを感じるのはノアだけではないらしい。

 『下を見てみろ』と促され地面に視線を走らせれば、生き物の骨の一部だろうか、鋭い何かに引っ掻かれたような跡がうかがえた。


「どうだ坊主!! 何かあったか!!」

「問題ありません。ただ、少し匂いがおかしいんで気を付けてきてください!!」


 飛んできたセンバスの声に、ノアは大声で言葉を返した。

 もうここは指輪の機能が使えない地点まで来ているらしい。この指輪が使えるとしたらあとは『入口』を見つけたときだけだろう。


 四人分の足音がゆっくり聞こえたと思ったら、わずかに顔を歪める声が混じっている。

 やはり慣れなければ相当きつい匂いらしい。明かりの上ではきつく顔をしかめるセンバスたちの姿があった。


「――うッこいつは、確かにきついかもしれねぇな。あたりに魔素が充満してやがる」

「へー、これが魔素ですか。いつも無臭だから全然気づかなかった」

「いいから早く、浄化薬呑んじまえ、ファッジお前もだ。だんだん奈落に近づいてやがる」


 もはや率先して指示を飛ばすのはセンバスになったようだ。

 確かに彼の言うことは的確だったし、乱暴な物言いだが周囲にきちんと気も配れる。さきほどまでリーダーを務めていたジェイも恨めしそうにセンバスを睨んでいるが睨むばかりで何かしようとはして来なかった。

 きっと、その逞しい体躯がそうさせているのだろう。

 ポーチから取り出した錠剤を口に放り込んでは、その矛先はノアの方に向きだした。

 慌てて視線を逸らし、周囲を警戒していると、センバスの手のひらがノアの背中を勢い良く叩いた。


「おい坊主。お前さんも浄化薬呑んだか?」

「浄化薬、ですか?」


 何を言っているのか堪らず首をかしげると、センバスの目が慌てたように見開き、その太い手がノアの肩を掴み、そして揺らした。


「おいおいまさか嬢ちゃんから何も聞いてねェ訳ねェよな!? 探索者にゃ必須の薬だ。まさかそのポーチに入ってねぇのか!?」

「えっと……。これ、ですか?」

「おおそれだそれ。早いとこ呑んじまいな。じゃねぇと化け物に変わっちまう」


 ノアが取り出したのは常備薬のようなフィルムに保護された緑の錠剤だった。透明なフィルムを押すと反対側から飛び出る仕組みで、生前のノアには馴染みのある作りだ。説明されるがまま、フィルムを押すと中身が飛び出し、小さな丸い薬がノアの手のひらに転がった。


『……身体に害があるものでもなさそうだな。どれ、物は試しだ一思いにいってしまえ』


 楽しげに観察する魔王さまの声に、周囲を見渡す。どうやら全員ノア待ちのようだ。ジェイなんかは「さっさとしろ」と言いたげな表情でノアを見ている。

 なんだか嫌な予感がするが、頭に響く呑んでコールは鳴りやまないので、一思いに口に放り込む。

 そして――。


「――うっ!?」


 盛大に吐き出した。

 慌てたように飛び退くセンバスと入れ違い走ってくるファッジがノアの背中をやさしくさすり始めた。

 目を白黒させて、無理やり飲み込もうとするが吐き気は治まらない。

 吐瀉物はびちゃびちゃと嫌な音を立て、何度も咽るノアにファッジが水の入った水筒を差し出してきた。

 短くお礼を言い、一気に水筒の水を煽る。苦しかったのは一瞬で、水を飲むと嘔吐感はすぐに治まった。


「どうしたんですかファッジさん!? なんで薬を飲んだだけでノア君が、こんな――」

「いや、それがわからないんだ。確かにこれは浄化薬だったんだが……大丈夫かい、ノア君」


 当惑した表情で駆け寄るローナンの言葉に、ノアの手にあった錠剤を確認するファッジ。

 だいぶ落ち着いてきて、呼吸も安定してきたころ。頭のなかで驚いたような表情の魔王さまが、その浄化薬をジッと見つめていた。


『……なるほど、おそらく拒絶反応だろう』

「拒絶、反応?」

『――ああ、そうだ』


 喘ぐように全てを吐き出し、勢いよくせき込む。

 それでもかまわず、顎に手を当て考え込む魔王さまは冷静だった。

 ゆっくりと吐き出される言葉が混乱するノアを逆に落ち着かせ、ノアは理解できるように耳を傾けるように努めた。


『いま身体のなかで成分分析してみたところ、どうやらこいつは『魔素』を打ち消す効力があるらしい』

「魔素を?」

『ああ、言ってみればこの身体のなかの魔素に過剰に反応したといった所だろうな。人間、この身体が元々誰のものだったか思い出してみろ』


 ハッとなって自分の胸に手を当てる。

 そうだ、この身体はもともと魔王さまのものだった。一見人間のような造りをしているが、この身体は魔族そのものだ。

 ――で、あれば魔素を打ち消す薬などこの身体にとっては毒に決まっている。


 心配そうにこちらを見やるファッジだったが、大丈夫だと言って立ち上がると大きく息を吸い込んだ。

 それでも魔王さまの言葉は続く。


『魔素は私が生きていた時代でも人間には害悪だった。元々この周囲に充満する『魔素もどき』を打ち消すための薬だったのだろうが、さっきの嘔吐感は、この身体のなかにある純粋な魔素に反応したゆえの現象だろう』


 一瞬だけ魔素が喪失するだけで、体に害はないらしい。

 ようは一種のしゃっくりみたいなものだと説明され、ほっと胸を撫でおろした。


 しかし、視線を上げれば混乱した四人の表情は変わらない。

 彼らの反応からして、劣等種がこの薬を呑んでもいまみたいな拒絶反応は起こらないらしい。

 現に、壁に張りつくように目を見開いているジェイがカチカチと歯を鳴らしている。


『まぁ当然の反応だろうな。例の噂を信じている者にとっては』


 魔王さまの言葉に小さく頷き、同意する。

 魔素を打ち消す薬を呑んで拒絶反応が起こったのだ。

 魔族の再来を信じ、劣等種を遠ざけるジェイが恐れるのも無理はない。


 ただ、このままノアが『魔族』であると疑われるのは絶対に避けなくてはならない。なにかないかと頭の中で考えを巡らせていると、ある考えが頭を過ぎった。


「おい大丈夫か坊主」

「はい、お騒がせしてしまってすみません。もう落ち着きました」、

「それは別に構わねぇがお前さん大丈夫なのか? ずいぶんと顔色が悪りぃが……」

「じきに戻ります。地上にいる前は長い間地下大地にいたもので……体質が変わってびっくりしたのかもしれません」

「地下大地に!? どのくらいの期間だね」

「大体一か月くらいです」


 するとあからさまに目を見開いたファッジの言葉にノアは正直に答えた。

 ファッジの視線がセンバスに向けられ、センバスは考え込むように顎に手を当てはじめた。

 そして、ややあって手を打ち鳴らし何処か納得したような声を上げた。


「ううむ、もしかしたら坊主の身体は奈落に対応できるように何らかの変化が起きてるのかもしれねぇな」

「そんなことあるんですか?」

「ああ、相当昔の話だがな。浄化薬を一か月以上飲まずに奈落で過ごしたもんがどんな末路をたどったのか俺は知ってる。だいたいが人の形でなくなっちまうんだ」

「じゃあノア君は――」

「そうなるかはわからねぇよローナン。坊主はいい意味で俺たちとは違う。もしかしたら薬なしで奈落で過ごしてもそこまで身体の変化が顕著に起こらねぇのかもしれねぇ。……おい兄ちゃん。いつまで震えてんださっさとこっち来い」


 まるで化け物を見るような視線でノアを見るジェイ。

 やはり魔族とはそこまで恐れられる存在なのだろう。嘘をついてやり過ごすことはできたがやはり正体がバレていいことはなさそうだ。


 向き直ってノアを見下ろす三つの視線を静かに受け止める。


「とりあえず大丈夫なんだな、坊主」

「はい。なんともありません!!」

「よし、そんだけ元気がありゃ大丈夫だろう。ファッジ、この子に何か異変があったらお前が頼む。……さぁ、さっさと進んじまうか」


 よしきた、と意気揚々と頷くファッジに支えられ、背中にしょい込まれた。


「あの、ファッジさん。護衛があるんで下ろしてもらえると助かるんですけど――」

「いいからいいから。もう少しおぶさってなさい。護衛の仕事はローナンにやらせるから」

「えー!! ……冗談です冗談。だからそんなに睨まないでください」


 言うなりローナンはジェイの横に立ち周囲を観察し始めた。初めは冗談のように小さく声を上げて、ジェイを脅かしていたローナンだったが、センバスの「うるせぇぞ!!」という一喝でまじめに警護し始めた。

 その姿はあまりにもおかしくて、思わず小さく笑っていると、ファッジの穏やかな声が背中の鎧を通して響いてきた。


「そうそういまはリラックスするといい。いざって時に動けなくなるのが一番困るからね」

「……すみませんご迷惑をおかけして。護衛は僕の仕事なのに――」

「ふふふ、気にしなくていい。――それにこういうことは初仕事ならよくあることさ。いままで一番気を張っていたんだから、いまくらいは休んだって誰も文句はいわないよ」


 照れくさくなって顔が赤くなり、見られなくて本当によかったと心から思う。

 こんなに穏やかな声をかけ慣れていないノアにとっては、何よりも気恥ずかしい言葉だ。

 勝手に張り切って、勝手に失敗する。

 それなのに彼ら三人は至って普通に、ノアに接してくれる。それがいまはありがたかった。


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