09話 隠れた技術
結局、長い時間をかけて洞窟の探索を続けたが休憩から四時間かけても入り口らしい入り口は見つからなかった。
元々、先住民か大昔の人が使った洞窟なのだろう。
造り方は荒いが、所々にキャンプをしたような跡が見受けられる。それでも昔はいまのように昇降機といった高度な技術をまだ持っていなかったようだ。よく見れば何度も通った後なのか線路のように平らな岩が二つ、車輪を転がせるように間隔を開けて並べてあった。
「なにか変化はないか」
「……特に問題ありません」
曲がり角や分岐を進むたび注意深く聞いてくるジェイの言葉に、ノアは淡々と事実を返していく。
後ろを振り返れば、ノアの待遇に未だ納得していないのかぶっちょ面のローナン達がジェイを睨んでいる。しかしノアもこればかりは仕事なのでジェイを非難することもできないし、護衛対象である彼を真っ先に危険に晒すことなどできない。
書き込む地図はどんどん複雑さを増しており、とぐろを巻いた蛇というよりかはひび割れた大地のように複雑な一本線がつづられていた。
深度計を見やれば深さ3000メートルを指しており、この短時間で潜った割には随分と深くまで来た方だと思う。
もともと当てのない道を探し出しているようなものなのだ。時間がかかるのは仕方ない。
それでも、彼は気に入らないらしい。
ブツブツと念仏のように唱えられる呪詛が背中を叩き、睨まれているような気さえする。
「……また分岐にたどり着きましたが今度はどうしますか?」
「次は中央、いや――右だ。……もしかしたら左の脇道かもしれない」
「なぁジェイさんよ。ちょっといいかい」
堪らずといった様子でセンバスが会話に割り込んできた。
神経質に目尻を尖らせ、セバスを見る。後ろから気安く背中に手を置かれたのが嫌なのか、振り払うように肩を動かし、刺々しい声で振り返った。
「なにかねセンバスさん。見てのとおり私はこ忙しいのだが」
「いやなに。お前さんが忙しいのは見ていてわかる。――だが、少しは俺たちの意見も聞いちゃあくれねぇか?」
「それは、なぜだね」
「なぜってそりゃ、なにせ俺たちゃチームだ。あんたんとこの探索隊ではどうか知らねぇが少なくとも俺たちも色々考えてるんだ。肩ひじ張らずにいっしょに考えようぜ、……な?」
「――ほぉ、この私よりいい代案が浮かぶ。あなたはそう言いたいのだねセンバスさん。この中で誰よりも賢い私よりも」
「ああ、少なくとも一人で考えとるあんたよりかはいい代案だと思うぜ」
肩をすくめて言い放つ言葉に、ジェイの顔があからさまに引き攣ったのがわかった。
まるで恥辱に耐えかねるように染まる顔はダルマのように赤く、パクパクと虚空で言葉にならない声を吐き出しているようだった。
センバスの後ろではローナンが小刻みに震えているのがわかる。頬を膨らませて必死に耐える姿はどこか健気で、隣に立つファッジは呆れたように肩をすくめていた。
「ほ、ほほぅ、ならばぜひご教授願いたいものですな。あなたのような老・い・ぼ・れの知識が聞くに値するかどうか」
「まぁ俺もあいつらもおめぇさんみてぇにたいした学はねぇ。……ただ一つ言えるのは、あんたみたいな若造よりかは色々見聞きしているってことだ。それで、聞いてくれるのか?」
「もちろん。もちろんですともセンバスさん。あなたの提案がこの停滞した状況を打破できるのであればいくらでも聞きましょう!!」
のらりくらりと交わすようにセンバスの言葉に、身体を振るわせるジェイの言葉が洞窟に響き渡る。
どう見てもどちらがリーダーにふさわしいかなどわかり切っている。
一方は言葉を深く心に沈め、もう一方は反発するように怒鳴りつけているのだ。
それでもあえてジェイをリーダーに仕立て上げることで、センバスはこの場をとりなそうとしているのだろう。
うんざりした表情が髭の奥で隠れているが、ノアとしてはジェイが「この愚か者を切り捨てろ」とか言わなくて本当によかった。
間違いなく面倒なことになりかねない。まぁその命令だけは従う気はないが。
すると頭のなかで響く笑い声に続いて、ローナンも堪え切れずに大きく吹き出した。
きっと色々堪えられなくなったのだろう。
プルプルと子犬のように震えるジェイの右手が腰のベルトに向かってゆっくりと動くのが見え、ノアは音もなく腰を落とした。
センバスもその動きを察知したのだろう。「静かにしてろ!!」とローナンを一喝すると、小さく「ウチのもんがすまねぇ」と咳払いその場をとりなした。そして、センバスの視線がジェイから一瞬外れ、ノアを捕らえたような気がした。
「あー、俺の提案は至って簡単だ。そこの坊主にやらせてみたらどうだ」
「『これ』にですか? あなたはこんな子供に重要な選択を任せるというのですか?」
「ああ言いたいことはわかっとる。――が、俺の頭はいたって正気さ。ただあんたも言っていた通り、坊主は劣等種だ、それは変わらねぇ。――ただ、坊主は俺たち以上に優秀な感覚を備えてるのもまた事実だ」
「それで?」
「わからねぇ振りはよせよジェイさん。どうせ一か八かなんだ。この坊主の力を信用しても悪くはねぇんじゃねぇか?」
「俺はセンバスさんに賛成!!」
センバスの提案に弾かれたようにもろ手を挙げて声を上げるローナン。対して、小さく肩を落とすファッジは、顔に手を当てて小さく項垂れていた。その目は呆れたようにセンバスを見ているが、それでも右手だけはしっかりと上がっている。
三対一。
少なくとも数の暴力にかなわないと悟ったのか、腰に手を当てたジェイは顔を真っ赤にしてノアを睨みつけた。
「そうか、それが君達の総意なら仕方ない!! どうせ、一か八かだ。ノア君に任せよう。――ただし、私は有事の際の責任は一切負わないからな」
言うなり大きく鼻を鳴らすと、ジェイは身体を半回転させて壁に寄り掛かった。
腕を組んで睨みつけるようにセンバスを眺め、ぶつぶつと呪詛を繰り返している。そんなジェイの姿を気にも留めず、気まずそうにノアに向き直るとセンバスはその太い指で自分の頬髭を掻いていた。
「あんなこと言っちまったが、できるか坊主」
「――はい!!」
「よっしゃ、それでこそ男だ」
ニカッと豊かな髭が持ち上がり、その太い指先で乱暴に頭を撫でられる。
ここまで言われたからには期待応えねば男が廃る。
センバスが一歩後ろに下がったことを確認すると、ノアは三本の分岐路の前に立ち、ゆっくりと腰をかがめて膝をついた。
小さく息を吸ってゆっくりと吐き出す。そんな動作を何度も繰り返していくとノアの身体から外へ力が抜けていくのを感じた。
身を任せるように静かに目を閉じ、身体を研ぎ澄ませる。
『手伝おうか?』
「いや、……自分でやってみます」
魔王さまの提案をやんわり断り、自分の感覚が鮮明に研ぎ澄まされていくのを感じていった。
集中するにつれて、頭頂部で白髪が一房持ち上がり、呼吸に合わせて左右に小さく揺れていく。
すると、目を閉じているはずなのに、見えるはずのない景色が鮮明に頭の中に飛び込んできた。
後ろに立つセンバスに、それを心配そうに見つめるくローナンとファッジ。胡散臭そうにノアを一瞥するジェイだったが、何かを観察しているのか呼吸だけは落ち着いていた。
小さく息を吸い、呼吸を止める。
その瞬間、地面についたノアの手が地面に同化するように境界が解け、様々な情報が頭を駆け巡った。
まるで自分の身体が地面と混ざり合ってしまったような奇妙な感覚に、慌てて目を見開いた。浅く肩を上下させ、視線を手のひらに落とす。そこにはいつも見慣れた小さな両手があった。
『情報酔いだな。……まぁ初めてにしてはよくやった方だろう』
「情報酔い、ですか」
『そうだ。まぁ、慣れてくればそれこそ千メートル先の様子まで自分のことのように探れることができる。まだ慣れてないせいか、いまはだいたい半径四百メートルの情報ってところだろう。気分はどうだ?』
魔王さまの満足そうな言葉を反芻するように、言葉を口のなかで転がしていく。
誰かの話し声に人工物のような油のにおい。錆びた鉄のような香りと僅かな死臭。
まるで目の前で見て、聞いて、感じたような感覚だった。となれば、あの聞きなれない声はまだ上にいる探索者たちのものだったのかもしれない。それでも今自分がどこにいて何をすべきなのかだけは理解できた。
思わず目を丸くして固まっていると、ゆっくりと顔をのぞき込むセンバスと目があった。
その瞳はどこか不安そうな色を灯している。
「坊主。その、大丈夫か?」
「――あ、はい。歩くべき道がわかりました」
「でかした!!」
興奮気味に背中を叩かれ、思わずよろける。
すまんすまんと掌を合わせ、センバスの手を取って立ち上がる。これまた力加減をミスったのか大きくよろけるノアだったが、その逞しい腕で支えられ、今度はノアがお礼を言うことになった。
「すみません。ありがとうございます」
「なぁにいいってことよ。――それで、俺たちはどの道を進めばいい」
期待を込められた目がノアに落ちて、わずかに言い淀んだあとノアは中央の道。――ではなく、その下の床を指差した。
「その床です。正解の通路は、下にあります」
「床下だと?」
センバスがそう言った途端、弾かれたようにジェイが身を乗り出してせせら笑った。
どうやら期待外れの答えが嬉しいらしい。先ほどまでの硬い声とは裏腹に、どこか冗談が入り交じるような声色が混ざっていた。
「聞きましたかセンバスさん。彼は正しい道が下にあると言いましたが、我々は地下を目指しているですよ。正解の通路が下にあるのは当然でしょう?」
「兄ちゃん、この坊主は何かおかしいことを言っているのか?」
「だってそうでしょう。道は三つしかない。それなのに彼はあるはずのない道を指し示している。これが笑わずにはいられますか」
あざけるように唇をゆがめ、肩をすくめて見せるジェイ。
どうやら彼は気付いていないらしい。ローナンに視線を向ければ彼も理解できないのか、小首をかしげて不思議そうな目でノアを見ていた。
ただ、ノアの意図を理解しているであろうセンバスとファッジは小さく頷いて、続きを促すように顎をしゃくって見せた。
「ジェイさんあなたは勘違いしています。ここに確かに道があるんです」
「……なに?」
不快そうに眉を顰めるジェイの視線がこちらに向けられる。
ノアがゆっくり立ち上がるとその動きに合わせてジェイの首が僅かに動く。ノアはローナンとファッジの間をかき分けて通り過ぎると、その後ろにあるやや不自然に切り揃えられた岩を一瞥し、右足で踏み込んだ。
ガコンッ!! と地面が割れるような音と共に、地面が僅かに震えだす。まるで獣の断末魔のような軋む音が洞窟内に響き渡り、足元が微かに震えだした。
その様子をただ静かに見つめていたノアは、響く震動と共に中央の通路に続く道がゆっくりと下に落ちていくのが見えた。
天井から落ちる砂埃をマントで庇いつつ、ジェイの困惑気味な視線が説明を求めている。
「ようは隠し通路です」
「隠し、通路」
揺れと同時に慌てて飛び退いたジェイの震えた声に、ノアは大きく頷いてたった出来上がった新しい通路を見下ろした。
まるで全てを飲み込まんとする口が床下に開かれ、呼吸するようにヒューヒューと鳴る音はぽっかり空いた洞の先から吐き出され、その口内は暗闇で満ちていた。
ずれた眼鏡を慌てて戻すジェイに、センバスが小さく頷いて
「まぁ相当昔の技術だ。ここが太古の遺跡だと勘違いしているあんただったら無理はねぇ。いまはほとんど使われていない技術だからな」
「な、なぜあなたがその技術を知っている」
「ああん? あんた俺たち『ディアハート』の仕事が何なのか知らねぇわけじゃあるめぇ。技術の継承と復活。あんたならよく知っていたと思ったんだがな」
そう言って強引に肩をよせ、旧知の仲のように連れてくると入り口の正面に立たせた。
ヒッと先ほどまで自身に満ち溢れていたジェイの顔が恐怖で歪み、面白そうに口元を歪めるセンバスの表情はどこか満足げだ。
おそらく散々馬鹿にされてどこか腹に据えかねていたのだろう。ようやく溜飲が下がったとばかりに息をつき、ノアの隣に立った。
「まぁいまはほとんど隠し通路っつっても、魔術で隠したり、隠ぺい術式なんかで隠しちまうのが主流でここまで大がかりな仕掛けを知ってるのはホントにごく一部なんだがな」
「ええ、だからここで気付けたのは本当に幸運でした」
「ん? というと?」
「……おそらく三つの通路とも行き止まりです。僅かに脂の匂いが微かにしたので罠かなにかが仕掛けられているのかもしれません。……ファッジさん。ちょっとすみませんがそこをどいていただけませんか?」
注意深く隠し通路を覗くファッジに声をかけ、手頃な小石を拾い上げる。三つの石をお手玉のように弄ぶと、ノアは三つの穴に向かって全力で一つずつこぶし大の石を投擲していった。どれもさほどしないうちにゴンッ!! と壁にぶつかる音が反響し、何かの仕掛けが発動したような鈍い音が遅れて聞こえてきた。
近づかないとどうなっているのかわからないが、あれが迎撃装置なのだろう。
センバスの唸るように声に続いてローナンが勢い良くノアに飛びついてきた。まるでと子犬を撫でるように髪をわしゃわしゃと撫でまわされ少しだけくすぐったい。
「それにしてもよく隠し通路があるなんてよくわかったね。俺には全く分からなかった」
「おめぇは知ってなきゃいけなかったんだよ。このスカポンタン!! 帰ったらみっちり勉強だからな覚悟しとけ」
「――いったッ!?」
ゴツンと重い拳骨がローナンの頭に落ち、呻くようにして頭を押さえるローナン。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「もーそんな本気で殴らないでくださいよ。これ以上馬鹿になったらどうしてくれるんですか!!」
「でも、一週間前にしかけ扉の話はしたよねローナン君? ……それにしてもわたしとしては、君があの仕掛けに気付いていたのが驚きだよ。いまの若い子はほとんど知らないのに……」
「ほんとに偶然かもしれないんです。ただ、あの先に進むのは危険だなと思っただけで、確証は――」
「ああ、ごめんごめん。そんなに捲し立てなくても大丈夫だよ。誰も君が力を隠していたなんて疑ってないし、むしろ助かったくらいだ。――ねぇ、ジェイさん?」
ファッジの言葉に飛び上がらんばかりに目を見張り、たったいまできた通路とノアを見比べるジェイ。
ランタンに照らされる顔は心なしか青かった。
「そ、そうだな。――うん、よくやった褒めてやる。では正しい道も分かったことだし、引き続き探索をつづけよう」
ノアを先頭に押し出すように、隠し通路に押し込むジェイを非難するような視線がジェイに向けられる。誰かが「恥知らず」と口走った気がするが声の質からしてローナンかもしれない。
彼らの心遣いは本当にありがたいが、任務を終えたあと、ジェイがどんな風評被害をクローディアに口にするかわかったものではない。
自分が傷つくなら構わないが、噂が広がり彼女たちの名誉に傷をつけるわけにはいかないのだ。
これ以上空気が悪くなる前に慌てて、なだらかな坂を下りる。
そこは先ほどまでとは違う『奈落』の雰囲気が微かに漂っていた。




