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04話 宴のあとは

 爆発があったかのようにノアの耳に多種多様な声が飛び込み、目を見張る。

 それが形を伴い、歓声であると理解するのにたっぷりと十秒かかってしまった。


 反射的に繰り出した拳がノアの手から離れた瞬間、振り切った拳が力の調節を失敗していることに気づいた。

 冷や汗のような冷たいものが背筋を凍らせ、間に合わないことを悟る。


 祈るように目蓋を固く瞑っていたがどうやら大惨事になっていないようだ。


 僅かに浮かせた身体を地面に下ろす。

 戸惑うように周囲を見渡していると、魔王さまの声が頭を叩く。


『勝敗は喫した、人間。まぁあの状況でよくやった方だろう、十分な成果だ。……それがたとえ引き分けであってもな』

「引き、わけ……ですか」


 ポカンと情けなく口を開けてリュコスを見上げれば、確かに面白くないように顔をしかめて手首の調子を見ている。

 ノアも自分の右手を見ると、よほど強く握られたのかうっすらとメイド長の手形が浮き上がっていた。


 当然、かなり痛い。


『まぁ大事に至らなくてよかったな。あとでメイド長にでも礼を言うといい。危うくミンチが一つ出来上がるところだった」


 やはり危なかったらしい。

 小さく脱力して、ほっと胸を撫でおろす。


 とっさの判断はどうにも力加減ができないようだが、とりあえずは大事に至らなくて本当によかった。

 すると、大きな輪のなかから二人分の足を都が聞こえて、顔を上げた。


「おつかれさま、ノア君。リュコスも、いい試合だったわ」

「ああ、なかなか見ごたえのある試合だったよ」

 

 パチパチと手を打ち鳴らし、歩み寄ってくるシオンとクローディア。

 その表情はどこか満足げで穏やかだった。特に、クローディアのリュコスを見る目がまる何かの成長をねぎらう親のように柔らかい。

 そしてその視線はノアの方にも向けられ、クローディアの手が伸びてきた。


「お勤めご苦労。どうだい我が社のエース候補は、なかなか苦戦したんじゃないか?」

「あ、どうも」


 差し出された手を取り、起き上がる。身体についた土ぼこりを手で払うと、ノアは大きく

 

「どうだった、うちの稼ぎ頭との組手は」

「どうだったも何も、実際に何もできませんでした。いいようにやられて終いです」

「のわりには、最後の方はいい攻撃だったが」

「あれはクローディアさんの戦法をまねたにすぎませんよ。純粋な技量だったら彼の足元にも及ばない」


 興味深そうにのぞき込む月明かりのような瞳に、ノアは頬を小さく掻いて正直に答えた。

 実際に何もさせてもらえなかったのは本当だ。

 ただ、丸腰でも一つだけ優位な相手を出し抜くすべを知っていただけだ。

 

「成功する確率だっていいところで二割程度でしたし、あのスピードについていくには経験不足でした」

「――だそうだが、どうだリュコス。この子の感想は」


 黙ってこちらを見ていたリュコスの表情があからさまに曇る。

 だがそれも一瞬で、小さく息をつくリュコスはクローディアの方に向き直ると語調を強めてはっきりと唇を動かした。


「全体的には弱い。技術は追いついてねぇし、何より戦闘中に気を抜く癖があるな。……関節を決めたと思ったら一瞬だけ油断した。地下のバケモノを相手にするんだったら致命的な欠陥だ」


 早口に捲し立てる言葉はどれも的を得ていて、反論の余地がない。

 実際、ノアのリュコスの上げた数々の欠点に思い当たる節がないわけでもない。素直に認めるのはなんだか悔しいがさすが探索のプロだ。よく見ている。

 どうやら魔王さまも同じ考えだったらしくあからさまに何度も大きく頷いているのがわかった。



 「――だが」と言葉を区切り、言いにくそうに言い淀むと、彼は諦めたように長い溜息を吐き出し、認めたくないように言葉を一気に吐き出した。


「機転を働かせる頭はあるみたいだな。地力もある。なにより、俺の本気の蹴りを受けて正気を保っていられたのは、評価できる」

「うん、よく見てる。さすがリーダーだ偉いぞ」

「やめろ、頭撫でんな鬱陶しい!!」


 珍しいものを見たように、おおー!! というどよめきが周囲に広がり、クローディアの手を慌てて振り払い、髪を掻き揚げるリュコス。

 彼の眉間のしわが一層深くなり、機嫌を損ねたように見えるが、頬が少しだけ赤くなっているがわかる。


 あ、照れてらっしゃる。まぁあんな美人に迫られたらそりゃああなりますよ。


「魔王さまなんだか僕、彼と仲良くなれそうです」

『妙な仲間意識を持つのはいいが、睨まれてるぞ人間、ほれ」


 何度も頷いて温かい目で見守っていると、ありもしない念波をキャッチしたのか、こちらをキッ!! と睨みつけられ、ノアは慌てて視線を逸らした。


 触らぬ神に祟りなしだ、ここは何も言わないのが吉と見た。


 仲睦まじい家族のだんらんを見せつけられ、あれほど上司と部下だった二人がまるで『下の子をからかう姉』と『弄られる弟』のように見えて、おかしくなって小さく噴き出した。

 やっぱり血は繋がっていなくても家族なんだ、と考えていると三人の視線が一斉にノアの方を向いた。


「まぁ何にせよ、だ。企みはうまくいったというとこだろうな」

「たくらみですか?」


ノアが首をかしげると、クローディアは大きく頷き、シオンが大きく頬を膨らませて姉を見上げた。


「もう!! お姉ちゃんの企てはいつも強引なんだから、二人がけがしたらどうするの」

「お前も賛成していたろう。それにただの組手でそこまで馬鹿をする二人じゃない、……ん? どうした二人とも。なぜ目を逸らす」


 相手を一瞬ミンチにしかけたことはもちろん秘密だが、どうやらリュコスもそうだったらしい。

 メイド長が止めなければ本当に大惨事だったかもしれない。あとで本気でお礼を言わなくては。


 不思議そうにこちらを見つめるクローディアだったが深く詮索せず、小さく咳払いすると、彼女の視線は興奮の冷めない子供たちに向けられている。


「これで他の子たちも君を受け入れただろう。なんたって、自分たちのリーダーと引き分けたんだ。……まぁしばらくは英雄扱いされるだろう覚悟しておくといい」


 そう言ってノアの肩を叩くと、労わるような視線がリュコスに向けられる。

 

「……あんたのやることにはいつも意味があるってのは俺にもわかってる。ただ、今回は俺が気に食わなかっただけだ。あんたが謝る必要はない」


 ぶっきらぼうに小さく息を吐き出すリュコスだったが、その視線は僅かに明後日の方に向けられ、口から吐き出される言葉もどこか弱々しい。


「このー、生意気なこと言うようになって!! 成長したなお姉さんは嬉しいぞ!!」

「やめろって、耳触るなおい聞いてんのかッ!?」

 

 感極まったように、わしゃわしゃと頭を撫でまくるクローディアの魔の手に抵抗するリュコス。

 しかし、その攻撃から逃れることはできず、遂にはあきらめたように抵抗することはなかった。


 世が世の男なら爆ぜろと唱和する光景だが、あいにくノアにも膝枕の件があるのでおいそれと口にできないのが悔しい。

 すると、耳の奥で電流が爆ぜるような幻聴が響いたので、ノアは飛び上がった。


『なにかいったか人間』


 何も言っておりません。ええ、何も言っておりませんとも。

 こちらでも血で血を洗うような心理戦が繰り広げているなか、二人の姿を見てクスクス笑っているシオンは、ノアと目が合って小さく肩をすくめて見せた。


「どうしたんですか?」

「いや、あの子の成長が嬉しくて」

「彼のことですか?」

「ええ。……リュコスはね元々、ある国の貧民街の出身でね。誰も信じなくていつも一人でいる警戒心の強い子だったの」


 遠い昔を見るように目を細めて懐かしそうに語りだした。、


 それが何年前かはわからないが、それでもここに住む子供たちは多かれ少なかれそんな凄惨な過去があるらしい。

 シオンの口ぶりはどこか大人を非難しているような響きがあった。


「ああ見えて責任感が強くてね、――わたし達が劣等種の子供たちを何よりを大事にしてるって知ってるから誰一人欠かせまいっていつも気を張ってるの」

「気張ってるですか、どこか拒絶している風にも見えますけど」

「それは……私たち大人の性なんでしょうね。本来ならもっと感情を表に出してもいいのに、どう甘えていいのかわからないのよきっと」


 他人事とは思えないような言葉に、胸が痛んだ。

 認めてもらえない辛さ。感情をどうぶつけていいのかわからないもどかしさ。


 生前は何もしなかったノアに言う資格はないかもしれないが、わかる気がする。


 だからクローディアはあんなにも彼を甘やかそうとしているのだろう。


「……僕は、彼らに認めてもらえたんでしょうか」

「そんなの当たりまえでしょ!! ほら見てあの子たちの顔を」


 ポツリと漏れた言葉に、弾かれた様に反応して、シオンは子供たちの群がるある一点を指さした。

 ミリアとチーシャのいる人だかりが、こちらを見て手を振っている。

 大小さまざまだが、その顔には笑顔があった。


「迫害を受けて精神的に追い詰められた子が多いから仕方のないけど、それでもどうにかして仲良くなりたくてあの子たちあの子たちなりにも頑張ってたのよ?」

「というと?」

「ほら、特にあなたに助けられたミリアとチーシャ。そのほかの子たちもよくわたしにあなたの好きなものとか聞いてきたりして秘密の会議なんか開いてたんだから」


 それは、知らなかった。

 あからさまに避けられているとばかり思っていたが、実は陰ながらにそんな努力をしているとは思わなかった。

 ただ嫌われていたと勘違いして落ち込んでいたの自分が情けなく思える。


 罪滅ぼしにもならないが、小さく手を振っている一番に手を振り返すと小さな悲鳴が上がって、飛び上がるような仕草をして微笑む子供たちの姿があった。


 仲よくしよう。そう心に誓った所で、ぐったり気味のリュコスを小脇に抱えてクローディアが夜であることにも拘わらず声を張り上げた。

 全員の視線が中央に集中し、一瞬で静まり返る。

 その姿を確認したクローディアは大きく咳ばらいをすると、


「――という訳で、試合の結果を伝えたいと思う」


 何をいまさら。それは引き分けに終わったじゃないか。

 ガヤガヤと周囲から戸惑いの声が上がっている。どうやら同じことを考えていたのはノアだけじゃないらしい。

 一人の少年が手を挙げた。


「白い子とリーダーの戦いは引き分けじゃないんですかー?」

「そう、わたしが言いたいのはまさにそこなんだ。だが、リュコスの方で審議に異論があってな……」


 焦らすような言い方に、全員の視線がリュコスの方に集中した。

 めんどくさそうに頬を掻くリュコスだったが、おやつの賭けがかかっているからか、子供たちの視線がいつになく真剣で痛いらしい。

 はやくはやくと上がる声に、大きく舌打ちするとさらさらの灰色の髪を掻き揚げて、顔を上げた。


「お前らも知っての通り、この試合はその白いガキがまだ奈落で仕事するには早いって理由でオレから吹っ掛けた」


 リーダーの声で周りの喧騒が再び治まっていく。

 それはきちんと統率が取れた証拠であり、リュコスがきちんとリーダーとしての役割を全うしている証だ。

 唯一満足そうに頷くのはクローディアだけだったが、ゆっくりと歩く彼の言葉は続く。


「これは奈落に行くことを想定した組手だ。少なくともオレ程度に負けるようじゃ奈落で死ぬのは目に見えてるし、クローディアもこのことに承諾した」

「そうだな。わたしは子供たちにそう説明したし」

「だが忌々しいが、例え一瞬でもオレはこのガキに無力化された」


 言い切るころにはノアを見下ろすようにリュコスが立っている。

 一触即発の雰囲気が周囲に広がり緊張が走る。ノアも小さな掌をぎゅっと握り、息を呑む。

 時折、心配そうにこちらを見るシオンと目があったが、クローディアの手が優しく彼女の肩に置かれる。

 ナイフのようにジッとノアを見下ろすリュコスの瞼がゆっくりと閉じられる。そして――


「……この場合の足手まといは、オレだった」

「――えっ!?」


 差し出された手のひらを見つめ、戸惑うようにリュコスを見上げる。

 まさかという驚きが胸のなかを支配し、遅れてやってきた喜びに胸が躍る。

 癪だという雰囲気は表情でわかるが、もう関係ない。彼の気が変わる前に手を取ると力強い握手が返ってきた。

 思わず嬉しくて、頬を緩ませると頭上から忌々しいとばかりに尖った鼻息が聞こえてきた。


「お前の勝ちだ、ノア」


 静かに言い放った瞬間、一瞬の静寂の後にワァ―ッ!! と歓声があがる。

 それはどうやらノアに賭けた子供たちから上がった声なのだろう。それでも、自分たちのリーダーが素直に敗北を認めたのを驚く者もいるのか賭け事関係なしに興奮した声が上がった。

 勝った負けたではなく、最後は結局お祭り騒ぎだった。


 どんちゃん騒ぎは宴に変わり、いつの間にかどこかへ行っていたメイド長が飲み物と簡単なデザートを数人の子供たちと共に運んできた。

 おいしそうにデザートを頬張るものもいれば、数分の戦いを熱く語り合うものもいる。


 賑やかな夜が嬉しくて、たまらず小さく笑みを浮かべると、後ろの方から声がかかった。


「丸く収まったみたいだな」

「これも計画の内ですかクローディアさん?」

「さて、どうだろうな」


 そう言って近づいてくるクローディアはまるではぐらかすように笑っている。

 綺麗な服にも拘わらず、砂埃の混じる地面に一瞥すると、一瞬のためらいも見せず腰を下ろした。

 シオンはどんちゃん騒ぎの子供たちを収拾させようとしているのか、年中組と一緒に子供たちと追いかけっこを興じている。


「わたしに言わせてみれば、まだまだ足りないよ。辛い目にあった分だけ、これからももっと多くの喜びを知ってもらわないと割に合わない」

「……そうですね。これから、たくさん楽しいことを経験させてあげないと」

「まだまだ不安の種は尽きないけどね。……それはそうと、とりあえずは入社おめでとう。研修が終わり次第、君たちのために働いてもらうよ」

「わたし達のため、じゃないんですね」

「ああ、君たちのためだ」


 グラスのなかで光るカクテルを一息に煽り、柔らかく笑みを浮かべるクローディア。

 その時、シオンの言葉が脳裏をよぎった。


『一人で頑張らなくてもいいよ』


 もし伝えられる機会があれば伝えると約束した言葉。いてもたってもいられず口を開きかけた。

 すると、ノアの背後に影がさしかかり、ノアの口から違う言葉が漏れた。


「――んんッ!?」 


 唐突に背中から柔らかい衝撃が来た。

 何とか堪えて、後ろを振り向くとそこには興奮した様子のミリアとチーシャが張りついていた。


「お兄ちゃんのおかげでおやつ一杯になったー!!」

「たぁあーーー!!」


 高々と拳を振り上げる二人をおぶさり、クローディアと顔を見合わせて小さく苦笑する。

 あの事件以来まともにしゃべれないチーシャも必死に言葉を口にしようと、腕や足を振り回している。

 ミリアも楽しそうに両腕を振り回すと、茶色の瞳がクローディアに向けらた。

 その瞳は若干、不思議な色に包まれている。


「お姉ちゃんが言ってたしんぱいごともなくなった?」


 面を喰らったように大きく目を見開くクローディア。

 わずかに覗く暗い色が、瞳に宿る月明かりを覆い隠し、小さく息を呑んでいる。

 しかし、彼女の顔はすぐに自嘲気味に笑い何でもないように首を振ると、顔を赤らめてグラスを掲げた。


「……そうだな。おかげでドローなんてふざけた理由でおやつを総取りされずにすんだよ」

「いや、心配事ってそっち!?」


すると、小さく漏れた笑い声がどこからか聞こえてきた。

二人して顔を上げて、周りを見渡す。

興奮した子供たちの声がうるさくて誰が言ったのかはわからない。

それでも、それは仲間の輪に戻っていく一人の少年の後ろ姿から聞こえたような気がした。


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